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98 蒲田にて(24)
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……危なかった。
あともう少しでキスするところだった。ここで誘惑に負けるのはマズい。
木島、もとい薫は詰めていた息を吐いた。
今の怜は憂いが増した分、以前より凄みのある色気を持っている。目を見ただけで吸い込まれそうだ。深い罪の意識が今の怜を形作っていることを思えば、手放しで喜ぶことはできないのだが。
江藤は2年前に病院で言っていた。あいつはやめておいた方がいいと思うぞ。怖すぎる。怜に胸を撃たれ、白い天井を見ること以外に何もする気が起きなかった時期だ。
皮肉気に笑いながら、薫はキッチンへ向かった。
江藤は常に的確に人を見ている。怜が隠している強烈なカリスマ性を見抜き、それが父親に歪められていたことを言い当てた。
自分の命を大切にしない奴は危険だ。
その通り。怜は自分の持つすべての力を、自己犠牲のつもりで自己破壊に使った。薫の傲慢さと、高遠の狡猾さの間で怜はものの見事に暴発したのだ。
裏切りさえもコントロールできていると思っていた自分の愚かさを、薫は苦々しく思い出す。自分もまた、怜を壊すのに加担した。
今度こそ、失敗はしない。
バスルームは静かだった。初めて怜がこの部屋に来た時と同じように。
電気ケトルに水を汲みスイッチを入れる。ドア越しに声をかけたら、怜は自分の正体に気づくだろうか。
疼くような懐かしさに、薫は顔をしかめた。あの最後の日の前日、狭い風呂の中で、怜を抱き締めたまま眠った時の安らぎが欲しかった。
だめだ。今度こそ、ブチ壊すわけにはいかないんだ。
マグカップに適当にインスタントコーヒーを作ると、執務デスクに戻る。バスルームから水音が聞こえて、仕事どころじゃない。白いうなじを水が流れ落ちていく光景を思い出しただけで、薫は座ると同時に椅子から立ち上がった。
いらいらと歩き回る。自分の計画をすべて実行し、怜を取り戻すためには、今ここで自分の正体を明かすことは絶対にできない。絶対にだ。それは、あの時に高遠と張り合った自分の罪を贖うために、決して譲れない一線だった。
カタンとバスルームで音がする。壁越しに息を詰めて、薫は怜の一挙手一投足を想像した。ドアを開け、痩せてしまった体を抱き締めたい。ひりつくような渇望を、薫はデスクに手をついて耐えた。
スマホが震えている。誰かが仕事の話をしている。東京と怜をこの手に取り戻すための、巨大な歯車は動き続けている。
耐え抜け。戦い抜け。最後にすべての力を一点に集中させるために。
ふと、痛みに右手を見る。デスクの角に押し付けすぎたせいで、右の手の平の脇が切れそうなほど赤くなっていた。
あぁ……あの時、怜を切り裂いた傷と同じ場所だ。
心を深くえぐる痛みを共有しながら、薫と怜は壁を挟んで遠く、遠く隔てられていた。
あともう少しでキスするところだった。ここで誘惑に負けるのはマズい。
木島、もとい薫は詰めていた息を吐いた。
今の怜は憂いが増した分、以前より凄みのある色気を持っている。目を見ただけで吸い込まれそうだ。深い罪の意識が今の怜を形作っていることを思えば、手放しで喜ぶことはできないのだが。
江藤は2年前に病院で言っていた。あいつはやめておいた方がいいと思うぞ。怖すぎる。怜に胸を撃たれ、白い天井を見ること以外に何もする気が起きなかった時期だ。
皮肉気に笑いながら、薫はキッチンへ向かった。
江藤は常に的確に人を見ている。怜が隠している強烈なカリスマ性を見抜き、それが父親に歪められていたことを言い当てた。
自分の命を大切にしない奴は危険だ。
その通り。怜は自分の持つすべての力を、自己犠牲のつもりで自己破壊に使った。薫の傲慢さと、高遠の狡猾さの間で怜はものの見事に暴発したのだ。
裏切りさえもコントロールできていると思っていた自分の愚かさを、薫は苦々しく思い出す。自分もまた、怜を壊すのに加担した。
今度こそ、失敗はしない。
バスルームは静かだった。初めて怜がこの部屋に来た時と同じように。
電気ケトルに水を汲みスイッチを入れる。ドア越しに声をかけたら、怜は自分の正体に気づくだろうか。
疼くような懐かしさに、薫は顔をしかめた。あの最後の日の前日、狭い風呂の中で、怜を抱き締めたまま眠った時の安らぎが欲しかった。
だめだ。今度こそ、ブチ壊すわけにはいかないんだ。
マグカップに適当にインスタントコーヒーを作ると、執務デスクに戻る。バスルームから水音が聞こえて、仕事どころじゃない。白いうなじを水が流れ落ちていく光景を思い出しただけで、薫は座ると同時に椅子から立ち上がった。
いらいらと歩き回る。自分の計画をすべて実行し、怜を取り戻すためには、今ここで自分の正体を明かすことは絶対にできない。絶対にだ。それは、あの時に高遠と張り合った自分の罪を贖うために、決して譲れない一線だった。
カタンとバスルームで音がする。壁越しに息を詰めて、薫は怜の一挙手一投足を想像した。ドアを開け、痩せてしまった体を抱き締めたい。ひりつくような渇望を、薫はデスクに手をついて耐えた。
スマホが震えている。誰かが仕事の話をしている。東京と怜をこの手に取り戻すための、巨大な歯車は動き続けている。
耐え抜け。戦い抜け。最後にすべての力を一点に集中させるために。
ふと、痛みに右手を見る。デスクの角に押し付けすぎたせいで、右の手の平の脇が切れそうなほど赤くなっていた。
あぁ……あの時、怜を切り裂いた傷と同じ場所だ。
心を深くえぐる痛みを共有しながら、薫と怜は壁を挟んで遠く、遠く隔てられていた。
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