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95 【2年前】(72)
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一体、どれぐらい彷徨っていたのだろう。どことも知れない場所で、レンはぼんやりと立ち尽くしていた。
ゆっくりと白いバンが近づき目の前に止まっても、レンは動かなかった。
運転席の男が手を伸ばして助手席のドアを開ける。タケだった。
「乗れよ」
レンはただ、すべての表情が抜け落ちた顔で立っていた。タケはしばらくレンの顔を見上げていたが、溜息をついて車を降りてくる。
「レン、とりあえず車に乗れ」
呆けた顔でレンはタケの顔を見た。この人は誰だっけ? 自分は何をしてるんだろう?
助手席のドアを開けたタケは、レンの腕を引き、助手席に押し込んだ。シートベルトも締めてやると、タケは運転席に戻る。
左手で苦労してシフトレバーを動かし、右手でステアリングを操って車を発進させながら、タケはレンの様子を見た。レンはグロックを持ったまま、人形のように座っている。
「……お前ってさ……」
反応はない。溜息をついて話題を変える。
「サキさんのことは本気だったんだろ? なんとなく、見ててそう思った」
ステアリングを切り、タケは車を南東へ向ける。避難する人が歩く中を慎重に運転しながら、タケは続けた。
「おれも結局……バカであることに変わりはないんだ」
無表情なまま、レンはぼんやりとタケを見た。
この人も、哀しい目をしている。
「お前も、あの人の張り巡らせたクモの巣みたいなとこから抜け出せなかった。サキさんもだ。おれは誰かがあの人を止めるとしたら、お前たちだと思ったんだけど……」
静かだった。ここはどこだろう。レンはぼんやりと思った。たったひとつわかっているのは、ここは薫さんがいない世界なのだ、ということだけだった。
「その、こういうこと言うのは変な気もするんだけど、お前には生きててほしいんだ。なんとなく、いつか、お前だけがタカトオさんを倒せるんじゃないかって、別に根拠はないんだけど、おれはそう思う」
レンはただ座っていた。タケはそれきり、黙って車を運転した。人々は歩き続けている。南へ。サキが敗れたという情報はあっという間に拡散されたのだろう。誰もが暗い顔をしていた。ここは東京だ。誰かが死んでも、それを悼む時間と金は人々には残されていない。彼らはできるかぎり早く、安全に眠れる場所を見つけなければならないのだ。
車はやがて蒲田の辺りに入った。タケは古いコンクリートのアパートの前で車を止めた。助手席へ回ってドアを開け、シートベルトを外してレンを降ろす。
4階建てのアパートの2階の端の部屋へ、タケはレンを連れて行った。呼び鈴に出てきたのは、小柄な老婆だった。タケを見て顔をほころばせた老婆は、2人を部屋へ招き入れた。
「おつかれさまだね。そこに座りなさいな。今お茶を淹れるから」
声をかけられ、椅子に座らされても、レンは一言も話さず、やはり人形のように座っていた。ゆっくりと右手に触れられる。白いパッドは薄汚れ、引き攣るような痛みはズキン、ズキンと規則正しい槌音のように打ちこまれている。
「レン、その、これ危ないから、離した方がいい」
この人は何を言っているんだろう? レンの思考は相変わらず動かなかった。タケがゆっくりとレンの右手を持ち上げる。グロックがレンの手に貼りついていた。優しい仕草で、タケはレンの人差し指を引き金から外し、一本一本、丁寧に指を広げた。マガジンを抜き、銃と並べて置く。
レンはそれをじっと見つめた。薫さんの銃だ。どうして自分がこれを持っているんだろう? 薫さんはどこに行ったんだろう?
老婆はヤカンを持って台所から出てくると、テーブルの上にあった急須にお湯を注いだ。緑茶の香りが立ち上る。
「あの、さ。レン。このおばあちゃん、おれが両親亡くしてこの辺で野垂れ死にしそうだった時に、しばらく住まわせてくれたんだ。事情は話しておくから、しばらくここでゆっくりするといい。おれができるのは、このぐらいしかないけど……」
ぼけっとタケの顔を見る。この人、何を話してるんだろう。老婆が湯呑にお茶を注ぎ、レンの前に置いてくれる。
「ばあちゃん、ちょっと」
タケが老婆を連れて遠ざかっても、レンは呆けたように座っていた。事情を話し終えたタケは、最後にレンの目をのぞきこみ、反応がないレンに哀しい顔をすると、老婆の部屋を出ていった。
ゆっくりと白いバンが近づき目の前に止まっても、レンは動かなかった。
運転席の男が手を伸ばして助手席のドアを開ける。タケだった。
「乗れよ」
レンはただ、すべての表情が抜け落ちた顔で立っていた。タケはしばらくレンの顔を見上げていたが、溜息をついて車を降りてくる。
「レン、とりあえず車に乗れ」
呆けた顔でレンはタケの顔を見た。この人は誰だっけ? 自分は何をしてるんだろう?
助手席のドアを開けたタケは、レンの腕を引き、助手席に押し込んだ。シートベルトも締めてやると、タケは運転席に戻る。
左手で苦労してシフトレバーを動かし、右手でステアリングを操って車を発進させながら、タケはレンの様子を見た。レンはグロックを持ったまま、人形のように座っている。
「……お前ってさ……」
反応はない。溜息をついて話題を変える。
「サキさんのことは本気だったんだろ? なんとなく、見ててそう思った」
ステアリングを切り、タケは車を南東へ向ける。避難する人が歩く中を慎重に運転しながら、タケは続けた。
「おれも結局……バカであることに変わりはないんだ」
無表情なまま、レンはぼんやりとタケを見た。
この人も、哀しい目をしている。
「お前も、あの人の張り巡らせたクモの巣みたいなとこから抜け出せなかった。サキさんもだ。おれは誰かがあの人を止めるとしたら、お前たちだと思ったんだけど……」
静かだった。ここはどこだろう。レンはぼんやりと思った。たったひとつわかっているのは、ここは薫さんがいない世界なのだ、ということだけだった。
「その、こういうこと言うのは変な気もするんだけど、お前には生きててほしいんだ。なんとなく、いつか、お前だけがタカトオさんを倒せるんじゃないかって、別に根拠はないんだけど、おれはそう思う」
レンはただ座っていた。タケはそれきり、黙って車を運転した。人々は歩き続けている。南へ。サキが敗れたという情報はあっという間に拡散されたのだろう。誰もが暗い顔をしていた。ここは東京だ。誰かが死んでも、それを悼む時間と金は人々には残されていない。彼らはできるかぎり早く、安全に眠れる場所を見つけなければならないのだ。
車はやがて蒲田の辺りに入った。タケは古いコンクリートのアパートの前で車を止めた。助手席へ回ってドアを開け、シートベルトを外してレンを降ろす。
4階建てのアパートの2階の端の部屋へ、タケはレンを連れて行った。呼び鈴に出てきたのは、小柄な老婆だった。タケを見て顔をほころばせた老婆は、2人を部屋へ招き入れた。
「おつかれさまだね。そこに座りなさいな。今お茶を淹れるから」
声をかけられ、椅子に座らされても、レンは一言も話さず、やはり人形のように座っていた。ゆっくりと右手に触れられる。白いパッドは薄汚れ、引き攣るような痛みはズキン、ズキンと規則正しい槌音のように打ちこまれている。
「レン、その、これ危ないから、離した方がいい」
この人は何を言っているんだろう? レンの思考は相変わらず動かなかった。タケがゆっくりとレンの右手を持ち上げる。グロックがレンの手に貼りついていた。優しい仕草で、タケはレンの人差し指を引き金から外し、一本一本、丁寧に指を広げた。マガジンを抜き、銃と並べて置く。
レンはそれをじっと見つめた。薫さんの銃だ。どうして自分がこれを持っているんだろう? 薫さんはどこに行ったんだろう?
老婆はヤカンを持って台所から出てくると、テーブルの上にあった急須にお湯を注いだ。緑茶の香りが立ち上る。
「あの、さ。レン。このおばあちゃん、おれが両親亡くしてこの辺で野垂れ死にしそうだった時に、しばらく住まわせてくれたんだ。事情は話しておくから、しばらくここでゆっくりするといい。おれができるのは、このぐらいしかないけど……」
ぼけっとタケの顔を見る。この人、何を話してるんだろう。老婆が湯呑にお茶を注ぎ、レンの前に置いてくれる。
「ばあちゃん、ちょっと」
タケが老婆を連れて遠ざかっても、レンは呆けたように座っていた。事情を話し終えたタケは、最後にレンの目をのぞきこみ、反応がないレンに哀しい顔をすると、老婆の部屋を出ていった。
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