そして悲しみは夜を穿つ

夜野綾

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93 【2年前】(70)

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 図書館北側の正面玄関は、まだかろうじて火の気配はなかった。第5チームの連中が警戒しているのを無視して、レンは図書館に駆け込んだ。
「ダメだ! 待て!!」
 誰かが叫んでいる。後ろから追いすがってきた手がレンの腕を掴んだが、レンは死にもの狂いで振り払った。
 オレをイシュマエルと呼んでくれ。
 いいや。オレは生き残らない。薫さんが死ぬのなら、生きている意味がない。でも薫さんが生き延びるなら、先に死ぬのはオレでいい。
 同時に父親の言葉を思い出した。サキの能力は、お前などとはケタ違いだ。
 いとも簡単に迷宮を歩く男。迷宮の奥に棲みつき、知恵の中で息をする者。南東京の真の王。そうだ。父親の言ったことは正しい。あの人は自分とは違う。何もかも違う。
 がらんとして真っ暗なロビーを、レンは走った。父親はどこにも見当たらなかった。サキのチームは優秀だ。あいつが図書館になんか、入れるわけがない。
 問題は「どこ」にそれがあるかだった。知の迷路の歩き方は、サキとエトウだけが知っている。あの迷宮のどこにそれはある?
 オレをイシュマエルと呼んでくれ。
 レンは書庫に飛び込んだ。鼻をつままれてもわからないような真の闇の入口で立ちすくみ、それから思いついてポケットから連絡用スマホを出す。検索。イシュマエル。鯨。
『白鯨』
 そのタイトルをレンは数秒眺めた。白い鯨。純粋な恐怖。アメリカの話。
 939。アメリカ文学。その番号が鮮やかにレンの記憶に浮かび上がる。
 レンは懐中電灯でステンレスの棚を照らし出す。番号を読むんだ。右は100番台から始まっている。左は? 700番台。左を見ながら奥へ進む。800番台で壁に当たる。レンは細い通路に足を踏み入れた。さっと照らし、本の背表紙の番号をたどる。800番台のさらに奥で空間が横に広がっている。通路をずれ、棚の番号を確認する。900!
 レンは指先を本の背表紙に当てながら進んで行った。910、923、……。まごつきながら次の棚を探し、レンは進む。白い煙がどこからか入り込み、空気の温度が上がってきている。ポケットにマスクを突っ込んだままだったが、それをつける精神的な余裕はなかった。
 939まできて、ごくりと息を飲む。量が多い。同じ番号の本がこんなにあるなんて。でも考えている余裕はない。見つけないと。ペンダントさえあれば、サキとエトウはグループを立て直せる。
 夢中でタイトルをたどる。漢字2つだ。それ以外は無視していい。順番に読み続け、下から2段目でレンはついに目的の本を探し出した。同じタイトルの本が何冊もある。どうしてそうなのか、レンにはわからない。でもこの中のどれかだ。本を次々に引っ張り出し、ペンダントが挟まっていないか確認する。
 ない! 手が震えだした。間違ったのか? サキのヒントを自分は理解できていないのか。焦げ臭い匂いが漂い、書庫の向こう奥でミシリと音がした。
 どうしよう。どうして。確かにここだと思ったのに。
 ぶるぶるする手で、レンは懐中電灯をかざした。同じタイトルの本は他にないのだろうか。かがみこみ、本があった場所を照らす。
 あった! 本を抜いた後の棚の奥に、青い塗装のペンダントが見えた。夢中で手を突っ込む。鎖がステンレスとこすれ、チャリ、と音がした。
 これさえあれば。サキが負けることはない。
 レンは来た時の順番を思い出し、道を戻り始めた。落ち着け。番号を見るんだ。わからなくなるたびに、レンは光を当てて本の背表紙を確認した。
 大丈夫。道しるべがあるなら、自分は帰れる。サキが歩いた場所だ。サキが守っていた場所だ。ヒントは教えてもらったんだ。
 入口からよろめき出ると、レンは図書館の玄関へと走りだした。

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