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90 【2年前】(67)
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日没まで55分。
エトウはサキの意向をきっちり汲み取り、あれから数時間、ついに防衛ラインを守り切った。ロケットランチャーは尽きかけ、もはや互いの銃声は数時間前より格段にまばらだ。
サキは屋上で狙撃銃のスコープから目を外し、溜息をついた。
敵も味方も疲労で限界が近い。自分も疲れてきている。ずっとスコープで敵を狙い続けていたせいで、目が痛くなってきていた。ろくに動けていないので体中がギシギシする。
フィルターマスクなんて、埃っぽい路上を担当している時以外、今日はもう誰もつけていなかった。ここで死ななければ上出来だ。それ以上の長生きなんか、考えている暇はない。
身を起こして傍らのペットボトルに手を伸ばしながら、サキはタカトオの焦りを計算した。中央線を固めているサキのチームは頑張っていて、タカトオのところに武器・弾薬あるいは医療品・飲料水などの補給は行っていない。怪我をした者、戦意を喪失した者は敵味方関係なく輸送チームが拾い集めて宿泊所へ運んでいるが、まだ残っているタカトオ陣営の者たちは水も飲めていないはずだ。
そろそろか。
サキは時間を確認した。太陽は赤く西の空を染め上げ、東京の覇権が最後に誰の手に落ちるのかを待っているようだった。
レンは今どこだろう。
もう何度目かになることを考えながら、サキはタブレットをのぞきこんだ。輸送チームの緑のマーカーが点々と見える。番号が振られているが、全体図ではどの番号が誰の車なのかは確認できない。時折、図書館の横など視認できる道をバンが走り抜けていく。
終わったら車をかっ飛ばして、レンと温泉にでも泊まりに行きたい。
疲れた頭でそんなことを考える。
打ち上げやらなんやらで、そんなことはできないとわかってはいても、そうしてレンとのことを想像するだけで心が和む。自分の胸に顔をうずめて、ふにゃふにゃ何かを呟きながら眠るレンの姿を思い出す。少し日に焼けた滑らかなうなじ、綺麗な指先に並ぶ爪。
プリンを食べる時の幸せそうな笑顔も見たい。どこかの公立マーケットでプリンを売っていないだろうか。ふっくらとした唇が、つやつや光る甘いプリンのために開かれる。舌先と白い歯がちらりと見えて、唇は閉じられる。にこりと優しく口角が上がり、目がうっとりと細くなる。
腰も背中も膝も痛くて、サキは仕方なく立ち上がり、軽くストレッチをしてから双眼鏡を手に取った。部下たちは等間隔に並んで周囲を警戒し、サキ同様、狙撃の態勢を怠っていない。彼らは交代しながらやっているが、サキだけは誰とも交代するわけにはいかなかった。
「何か持ってきますか?」
部下が声をかけてくる。
「ん~、そうだな。スポーツドリンク頼む」
残り少なくなったペットボトルを軽く振って見せると、部下は頷き、屋上に設置してある番小屋へ入っていった。
体力を温存しておかないと、最後までもたないな。
双眼鏡で北から西の防衛ラインを見てみる。さっきエトウは北西に近いところにいた。もうすぐ北に戻るはずだ。
図書館を中心とした円の内部を徹底的に守り抜け。
そうした作戦において、エトウは天才的な采配を見せてくる。どこにどのチームを配置し、どのタイミングでどれだけの人数を補充するか。弾薬をどこに運び、武器をどこに集中させるか。どこで撤退を命じ、どこで士気を盛り上げて突撃させるか。待ちの態勢をどれだけ維持させ、どこで休ませるか。防衛ラインの内側におけるそうした細かい動きを、エトウはほとんど完璧に操っていた。
サキの仕事は南や東の方から予想外の侵入をされないようにすること、全体的な動きを見て、エトウの要請にいつでも応じられるように人員や物資の準備をすること、補給線を確保することなど、多岐に渡る。そうした指示をしつつスコープで北をのぞき続けているのだ。
埃と汗のせいで、体中がべたべたする。とりあえず風呂に入りたい。温泉とまではいかなくても、せめて今夜はレンと一緒にシャワーを浴びて、部屋に鍵をかけて寝たい……。なんとかレンと2人きりになれないだろうか。
部下がスポーツドリンクを持ってきてくれて、サキはそれを受け取った。冷蔵庫に入れてあったらしく、よく冷えている。一口飲むと頭がすっきりした。
「ありがとう」
礼を言うと、サキは再び腹這いになり、狙撃銃を引き寄せた。北をじっと見る。ハンズフリーデバイスから耳の中に呼び出し音が鳴り、サキは応答ボタンを押した。
「状況は?」
『始まるぞ』
「了解した」
エトウからの通信が終わると同時に、北でひときわ激しく銃声が響いた。向こうがありったけの人数で最後の猛攻をかけてきたのだ。
「全員、警戒しろ。どこからも近寄らせるなよ!」
屋上の部下たちに声をかけると、間髪入れず了解の返事が戻ってくる。
残っていた力を振り絞るように、敵のロケットランチャーが撃ち出された。エトウが今陣取っているビルのそばに着弾する。アサルトライフルの銃撃音が連続して聞こえ、味方が数人サキのスコープの中を走って行った。
じっと、サキは待った。
6年、考えながら組み立てた陣だ。その仕組みはエトウにさえ全部伝えていない。サキがエトウにマーカーで指示した場所には、サキしか知らない「抜け道」がある。この図書館を城にすると決めた時から作ってきたものだ。
まず、建物を適度に間引きし、中を抜けられる建物にはこまめにトラップを仕掛ける。防衛ラインの外から侵入しようとすれば、敵はどうしても、サキが作った「侵入できそうに見える」経路を通ることになる。だがその道は、図書館屋上からの狙撃に何度も身をさらすラインだ。一方こちらが防衛する場合には、残した建物を利用できる。曲がりくねった経路の途中には狭い裏通りが何本もあり、味方は上からどんどん攻撃できる。
こうして、昔の城にも似た防衛システムを作る中で、サキは東西南北に、狙撃を避けて図書館に近づける、細い糸のような経路を残してあった。図書館が敵に占拠された時に奪還できるようにするためだ。基本的には建物の中を通る。1階から4階へ上がり、隣のビルの窓に飛び移り……といった、通常は侵入経路に見えない「糸」は、最初の地点さえ知っていれば次々とたどれるようにしてあった。
サキがエトウに送った座標は、その「糸」のスタート地点のひとつだ。うまくいけば、タカトオはその糸をたぐり、図書館のすぐ近く、今まさにサキがスコープで見ている丸い視界のド真ん中に飛び出てくることになる。
宿泊所はお前の新参の部下で満杯だ。政府派は削いだ。古参もこの戦いで消耗した。あとはお前だ。
夜の直前、サキはもう一度狙撃銃を構え直し、スコープを覗きこんだ。
自分で「糸」を通って確認した限りでは、スタート地点からこのスコープの前に出てくるまで、全力で走り抜けて15分ほどかかる。初見で警戒しながら進めば30分と少し。辺りは暗くなってきていた。タカトオが走り出てくる場所は、晴れている限りは西日が射し込み、日没ギリギリまで狙撃で狙える。
サキはそうして、獲物を待ち続けた。
エトウはサキの意向をきっちり汲み取り、あれから数時間、ついに防衛ラインを守り切った。ロケットランチャーは尽きかけ、もはや互いの銃声は数時間前より格段にまばらだ。
サキは屋上で狙撃銃のスコープから目を外し、溜息をついた。
敵も味方も疲労で限界が近い。自分も疲れてきている。ずっとスコープで敵を狙い続けていたせいで、目が痛くなってきていた。ろくに動けていないので体中がギシギシする。
フィルターマスクなんて、埃っぽい路上を担当している時以外、今日はもう誰もつけていなかった。ここで死ななければ上出来だ。それ以上の長生きなんか、考えている暇はない。
身を起こして傍らのペットボトルに手を伸ばしながら、サキはタカトオの焦りを計算した。中央線を固めているサキのチームは頑張っていて、タカトオのところに武器・弾薬あるいは医療品・飲料水などの補給は行っていない。怪我をした者、戦意を喪失した者は敵味方関係なく輸送チームが拾い集めて宿泊所へ運んでいるが、まだ残っているタカトオ陣営の者たちは水も飲めていないはずだ。
そろそろか。
サキは時間を確認した。太陽は赤く西の空を染め上げ、東京の覇権が最後に誰の手に落ちるのかを待っているようだった。
レンは今どこだろう。
もう何度目かになることを考えながら、サキはタブレットをのぞきこんだ。輸送チームの緑のマーカーが点々と見える。番号が振られているが、全体図ではどの番号が誰の車なのかは確認できない。時折、図書館の横など視認できる道をバンが走り抜けていく。
終わったら車をかっ飛ばして、レンと温泉にでも泊まりに行きたい。
疲れた頭でそんなことを考える。
打ち上げやらなんやらで、そんなことはできないとわかってはいても、そうしてレンとのことを想像するだけで心が和む。自分の胸に顔をうずめて、ふにゃふにゃ何かを呟きながら眠るレンの姿を思い出す。少し日に焼けた滑らかなうなじ、綺麗な指先に並ぶ爪。
プリンを食べる時の幸せそうな笑顔も見たい。どこかの公立マーケットでプリンを売っていないだろうか。ふっくらとした唇が、つやつや光る甘いプリンのために開かれる。舌先と白い歯がちらりと見えて、唇は閉じられる。にこりと優しく口角が上がり、目がうっとりと細くなる。
腰も背中も膝も痛くて、サキは仕方なく立ち上がり、軽くストレッチをしてから双眼鏡を手に取った。部下たちは等間隔に並んで周囲を警戒し、サキ同様、狙撃の態勢を怠っていない。彼らは交代しながらやっているが、サキだけは誰とも交代するわけにはいかなかった。
「何か持ってきますか?」
部下が声をかけてくる。
「ん~、そうだな。スポーツドリンク頼む」
残り少なくなったペットボトルを軽く振って見せると、部下は頷き、屋上に設置してある番小屋へ入っていった。
体力を温存しておかないと、最後までもたないな。
双眼鏡で北から西の防衛ラインを見てみる。さっきエトウは北西に近いところにいた。もうすぐ北に戻るはずだ。
図書館を中心とした円の内部を徹底的に守り抜け。
そうした作戦において、エトウは天才的な采配を見せてくる。どこにどのチームを配置し、どのタイミングでどれだけの人数を補充するか。弾薬をどこに運び、武器をどこに集中させるか。どこで撤退を命じ、どこで士気を盛り上げて突撃させるか。待ちの態勢をどれだけ維持させ、どこで休ませるか。防衛ラインの内側におけるそうした細かい動きを、エトウはほとんど完璧に操っていた。
サキの仕事は南や東の方から予想外の侵入をされないようにすること、全体的な動きを見て、エトウの要請にいつでも応じられるように人員や物資の準備をすること、補給線を確保することなど、多岐に渡る。そうした指示をしつつスコープで北をのぞき続けているのだ。
埃と汗のせいで、体中がべたべたする。とりあえず風呂に入りたい。温泉とまではいかなくても、せめて今夜はレンと一緒にシャワーを浴びて、部屋に鍵をかけて寝たい……。なんとかレンと2人きりになれないだろうか。
部下がスポーツドリンクを持ってきてくれて、サキはそれを受け取った。冷蔵庫に入れてあったらしく、よく冷えている。一口飲むと頭がすっきりした。
「ありがとう」
礼を言うと、サキは再び腹這いになり、狙撃銃を引き寄せた。北をじっと見る。ハンズフリーデバイスから耳の中に呼び出し音が鳴り、サキは応答ボタンを押した。
「状況は?」
『始まるぞ』
「了解した」
エトウからの通信が終わると同時に、北でひときわ激しく銃声が響いた。向こうがありったけの人数で最後の猛攻をかけてきたのだ。
「全員、警戒しろ。どこからも近寄らせるなよ!」
屋上の部下たちに声をかけると、間髪入れず了解の返事が戻ってくる。
残っていた力を振り絞るように、敵のロケットランチャーが撃ち出された。エトウが今陣取っているビルのそばに着弾する。アサルトライフルの銃撃音が連続して聞こえ、味方が数人サキのスコープの中を走って行った。
じっと、サキは待った。
6年、考えながら組み立てた陣だ。その仕組みはエトウにさえ全部伝えていない。サキがエトウにマーカーで指示した場所には、サキしか知らない「抜け道」がある。この図書館を城にすると決めた時から作ってきたものだ。
まず、建物を適度に間引きし、中を抜けられる建物にはこまめにトラップを仕掛ける。防衛ラインの外から侵入しようとすれば、敵はどうしても、サキが作った「侵入できそうに見える」経路を通ることになる。だがその道は、図書館屋上からの狙撃に何度も身をさらすラインだ。一方こちらが防衛する場合には、残した建物を利用できる。曲がりくねった経路の途中には狭い裏通りが何本もあり、味方は上からどんどん攻撃できる。
こうして、昔の城にも似た防衛システムを作る中で、サキは東西南北に、狙撃を避けて図書館に近づける、細い糸のような経路を残してあった。図書館が敵に占拠された時に奪還できるようにするためだ。基本的には建物の中を通る。1階から4階へ上がり、隣のビルの窓に飛び移り……といった、通常は侵入経路に見えない「糸」は、最初の地点さえ知っていれば次々とたどれるようにしてあった。
サキがエトウに送った座標は、その「糸」のスタート地点のひとつだ。うまくいけば、タカトオはその糸をたぐり、図書館のすぐ近く、今まさにサキがスコープで見ている丸い視界のド真ん中に飛び出てくることになる。
宿泊所はお前の新参の部下で満杯だ。政府派は削いだ。古参もこの戦いで消耗した。あとはお前だ。
夜の直前、サキはもう一度狙撃銃を構え直し、スコープを覗きこんだ。
自分で「糸」を通って確認した限りでは、スタート地点からこのスコープの前に出てくるまで、全力で走り抜けて15分ほどかかる。初見で警戒しながら進めば30分と少し。辺りは暗くなってきていた。タカトオが走り出てくる場所は、晴れている限りは西日が射し込み、日没ギリギリまで狙撃で狙える。
サキはそうして、獲物を待ち続けた。
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