そして悲しみは夜を穿つ

夜野綾

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89 【2年前】(66)

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『薫』
 エトウから妙に静かな通信が入り、サキは狙撃銃のスコープから目を上げた。図書館から見て北にある、少し高い建物にエトウがいるのはわかっている。
「どうした?」
『タカトオは北か西の陽動の中を、こっちの人間に紛れて侵入するそうな』
「そうな?」
『怪我人の輸送でこっちに来たレンに聞いた。あいつ……俺は余計なことをしたかもしれん』
「あいつと話したのか?」
『あぁ。あいつがお前を本気で想ってるってことはわかった。その一方で自分を過小評価してる。自分の命を大切にしない奴は危険だ。輸送チームに入れたのは正解だったな』
「何を言った?」
『全部終わったら詳しく話す。とりあえず、あいつがタカトオに情報を流す気がないのもわかった。ついでに、タカトオの侵入経路を分析していったから、それに従って編成を組み直す』
「了解した。エトウ……すまん」
『あんまり浮かれてると、判断を誤るぞ』
 サキは再びスコープを覗き込んだ。500メートル向こうの建物の陰から敵が数人、ちょろちょろと次の物陰へ走ろうとしている。落ち着いて1人撃ち抜いてから、サキはエトウに言った。
「で? レンに関しては俺の判断ミスだと思ったか?」
 エトウはしばらく黙っていた。レンとエトウの間でどういう会話があったのか、知りたかったがのんびり話せる状況ではない。
『あいつ、思ったより化け物かもしれんな』
「へぇ? そうか」
『あぁ……おそらく、あいつ以上に頭がおかしい奴はお前だけだ』
 サキはにやりと笑った。エトウにそんなことを言わせるとはな。どうやらレンは『合格』らしい。
 初めてレンが人を撃つところを見た、あの襲撃を思い出す。強烈に甘い眼。レンは自分でも気づいていない心の奥に、人を地獄の海底に引きずり込む妖艶な人魚の顔を隠している。
 ほんのわずかな会話だけで、エトウはレンのそうした本性を見抜いたのか。
「翔也」
『なんだ』
 黙り込んだエトウに、サキは言った。
「タカトオは、レンに行動が読まれたとは考えていないはずだが、俺のことは気にしている。これから日暮れ前まで、徹底的に粘れ。その上で、北の攻防地点の西側の端、あとで座標を送る。そこを日没の1時間ぐらい前に、敵にも味方にも意図的だとわからないように手薄にしろ。奴を誘導する」
『了解した』
 通信はそれで終わった。
 翔也。お前は決して失ってはならない、この俺の生涯の戦友だ。だからすべての決着は、俺が直接つけてやる。

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