そして悲しみは夜を穿つ

夜野綾

文字の大きさ
上 下
80 / 181

80 【2年前】(57)

しおりを挟む
 2人が起きだしたのは朝の8時頃だった。一緒にシャワーを使うと、とりあえず身支度をする。
 果てると同時に寝落ちたのは初めてで、サキはレンに申し訳なく思った。レンは自分でサキの下から抜け出して後処理をしたらしい。謝ると、レンは微笑んでサキの頬に唇をつけた。
「オレ、ちゃんと薫さんに『お返し』できて嬉しかったけど?」
 からかうような目で笑うと、レンは冷蔵庫に頭を突っ込む。
 ひとまず、レンは怒っていないらしい。そう思ったとたん、体が軽いことに気付いた。長い間自分の体に影響を与えていた心のこわばりが取れ、ひどくすっきりした気分だった。
 レンは冷蔵庫の中から例によってプリンを引っ張り出し、しげしげ眺めている。不意に我慢できなくなって、サキはその背中に近づき、後ろからレンをぎゅうぎゅう抱き締めた。
「ちょ、薫さん、今日は大変な一日になるんでしょ? 朝ごはん」
「大変だから充電するんだろ」
 抗議の声を無視して、うなじに顔をうずめる。ふわりと漂う石鹸の香を吸い込み、なめらかな肌に頬をすりつける。
「もう……オレのうなじ、そんなに好き?」
「作戦を取りやめて、あと数日ここに籠っていたいと思う程度には好きだな」
 えぇ? という呆れた声を出すと、レンは力を抜いた。サキを背中にくっつけたまま自分のことを続ける気になったらしい。キッチンに向かって手を伸ばし、スプーンを取ろうとしている。レンを抱き締めたまま、横目でそれを見る。
「もしかして、朝っぱらからプリンを食うつもりか?」
「だめ?」
 渋々うなじから顔を上げる。
「それは食事じゃないだろ」
「プリン食べたら適当にパン食べる」
「いや昨日色々買ったろ」
 こいつに何か食わせないと。
 サキはそれに思い至り、ようやくレンから離れた。自分も冷蔵庫に頭を突っ込み、買っておいたミニトマトと卵を取り出す。6個パックを買ったから、卵はまだ4個ある。
「怜、卵食べるか?」
「ん……食べる」
 プリンの説明をしげしげ眺めているレンに手を伸ばし、サキはプリンを取り上げた。
「せめて朝飯を食べてからにしろ」
「は~い」
 素直に言ったレンは、冷蔵庫から牛乳の小さなパックを取り出した。サキは卵を手に取って振り向く。
「ゆで卵でいいか?」
「う~ん、半熟卵は苦手……」
「固ゆで?」
「……でも黄身がもそもそになるまで加熱するのも、あんまり好きじゃない」
 サキはにっこり笑った。レンが何も考えずに自分の要求を言ってくるのが楽しい。初対面の時や人質になっていた時のように部屋の隅っこで黙って小さくなっているより、こうしてリラックスして好きなものを言う方がずっといい。
 ホテルから借りた道具の中からボウルを引っ張り出しながら、サキは言った。
「スクランブルエッグならどうだ? 弱火でじっくり作ると、ちゃんと火が通っていてもとろとろでうまいぞ」
 好奇心の混ざった目で、レンが見上げてくる。
「おいしい?」
「ああ。お前、料理は?」
「……ばあちゃんの手伝いしか、したことない」
 サキはボウルに卵を割り入れた。レンがもう一個取り、キッチンの角におそるおそるぶつける。卵には、かすかにヒビが入っただけだ。不器用な手つきだった。サキはそっと卵を取り上げ、割ってやった。
「難しいね」
「慣れだろ。何回もやってるうちに上手になる」
「でも……オレ、ばあちゃん手伝ってる頃も下手だった……」
「気にすることなんかない。上達する速さなんて人それぞれだ」
 残りの卵も割り入れ、部屋にあったコーヒーセットの砂糖と、小瓶で買った塩コショウを適当に入れる。レンが飲もうとしていた牛乳を少し横取り。
 サキが割り箸で卵をかき混ぜる手つきを、レンは隣で目を丸くして見ていた。
「トースターがないから、パンを電子レンジで温めてくれ」
 そう言われると、レンはうなずきパンの袋を持ち上げた。レンジに入れると戻ってきて、サキがフライパンに流し込んだ卵を見つめる。
 サキは黙ったまま、数分かけてスクランブルエッグを作った。
 他愛ない朝の風景。何ということのない平和な時間。
 数時間前、俺たちは甘く蕩けるセックスをしていた。
 数時間後、俺たちは銃を握る。
 人生は矛盾に満ちている。生きることと死ぬこと、生かすことと殺すこと。だが、他に何ができる? 俺たちができるのは、結局、交互にくる状況の輪の中をハムスターのように走ることだけだ。
 朝食は最高だった。パンに乗せたスクランブルエッグを頬張り、レンは朗らかに笑った。窓から射し込む日の光だけが、2人の幸福な時間を見届けていた。

しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

営業活動

むちむちボディ
BL
取引先の社長と秘密の関係になる話です。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

柔道部

むちむちボディ
BL
とある高校の柔道部で起こる秘め事について書いてみます。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

早く惚れてよ、怖がりナツ

ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。 このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。 そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。 一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて… 那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。 ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩 《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》

処理中です...