そして悲しみは夜を穿つ

夜野綾

文字の大きさ
上 下
37 / 181

37 蒲田にて(18)

しおりを挟む
「おい、入口がないぞ。れんはどうした」
 隙間風の吹き込むブルーシートをかき分けスーツ姿の木島が入ってくると、沢城がひどい顔で振り向いた。食堂はいつもと同じように、食事をする労働者が出入りしている。その中に堂々と入ってきた木島に、辺りは静まり返った。
「あ~、今日ってそういや金曜日でしたっけ……」
 沢城が嫌そうに呟く。夜8時、全部片付けて何とか夕食のラッシュに間に合わせたものの、従業員の雰囲気は重かった。
「怜はどこだ」
「2階にいます。今日はやめておいてくれませんかね」
 沢城は木島の前に立ちはだかった。魂が抜けた顔の怜を見ていた者は他にもいる。手が空いている従業員が数人、沢城の加勢をするように近づいてきた。
「何があった」
「……」
 お互いが顔を見合わせる。ここで当事者の名前を──怜の名字を含めて──出すのはまずい。
「事情を話しますから、こっちへ来てもらえませんかね」
 沢城は仕方なく、厨房の更に奥にある倉庫へ木島を連れていった。
「で? 何があった」
 沈黙など許さないという口調の木島に、沢城は諦めた。怜ならともかく、自分のような人間が木島に盾突いても無駄だということは経験上知っている。厨房の方から、心配そうな従業員が数人のぞきこんでいた。
「……昼間、ちょっと襲撃がありまして」
「襲撃? ここに?」
「やって来たのが、その、江藤さんなんすよ。それで怜さんと食堂で乱闘になって」
「なるほど。それで?」
 尋問みたいだ、と沢城は思った。こいつに逆らうとただでは済まない、そういう迫力が木島にはある。
「江藤さんが怜さんを吊るし上げて、『一週間以内にこの食堂を出ていけ』って言ったんです。怜さんひとりが出ていけば食堂は無事だけど、陣を張るなら燃やすって言い残して行きました。あの、怜さんが高遠さんの息子だって、あんたは知ってたんすか?」
「元々、私は父親である高遠周に紹介されて怜に会いに来た」
「……なるほど」
 沢城の口が歪んだ。
「このシマをどうする気です。あんたは何を企んでる」
 木島が肩をすくめる。
「私はただの見物人だ。江藤と高遠が再び抗争状態に突入しても、私には痛くも痒くもない。勝った方にライセンスペンダントを与える。それだけだ」
「怜さんは?」
「あの子がどうするかは、あの子が決めることだ。違うかね?」
「そうじゃない。あんたは怜さんとどういう関係だ」
「それを君に言う必要はない。怜は部屋か? 連れて行く」
 沢城は、思わず一歩踏み出した。
「怜さんは今動ける状態じゃない。おれは、東京を出ていくために必死で稼いだ金を全部強盗に盗られて死にそうだった時に、怜さんに拾ってもらった。怜さんに何かするなら、あんたを通すわけにはいかねぇ」
 木島の目が細くなった。沢城の言葉を鼻で笑う。
「忠犬というわけか。あの子とはもう寝たのか?」
「は?! えっ? あんた怜さんと……」
「忘れろ」
 それきり、木島は沢城に背を向けた。
「おい! だから怜さんは動けないって!」
 沢城が木島の肩に手をかけた瞬間、木島の腕が動いた。一瞬で沢城の首を押さえ込み、足払いをかけて床にねじ伏せる。
「お前に決定権はない。あれは私のものだ」
 力一杯もがいても、木島はびくともしなかった。冴え冴えと冷え切った目に、沢城は息を呑む。
「怜のことは私が処理する。江藤のこともな。食堂はしばらくお前が指揮を取れ」
 傲然と言うと、木島は沢城を床に転がしたまま身を起こし、そのまま厨房を抜けていく。誰も止めることができない。
 沢城は首をさすりながら起き上がり、木島の後をついていった。何とか隙を見て止めないと。その焦るような義務感が沢城を動かしていた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

年越しチン玉蕎麦!!

ミクリ21
BL
チン玉……もちろん、ナニのことです。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...