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図書館の真ん中には、開放空間に書架が並んでいる。ここにいる者は暇になると書架をぶらぶらして、思い思いに本を眺めていた。雑然とした感じはない。誰かの手によって本は常に整理されていた。
建物の裏側、昔は閲覧室だったところには入口がもうひとつ作られ、公立マーケットになっていた。各種機械の部品、遠くから運ばれてきた食品類や弁当、惣菜、気晴らしのちょっとしたもの、そうした生活に必要な物品を彼らは売っている。
3年前にマーケットがサキの庇護を求めて引っ越してきたとき、グループ全体が図書館の改造に参加したと、誰かが懐かしそうに言っていた。閲覧室と開架のエリアとはひと続きの大きな空間だったのだが、サキは間にうまく壁を設置し、ドアで行き来できる以外は相互に不干渉としている。2階の閲覧室もマーケットの倉庫として使えるようにしてあった。
4年前には、サキとエトウで『政府』に話をつけて、まだ稼働している場所から電線をここまで引き直してもらっている。ソーラーパネルも設置していて一応冷房が使えるので、窓を覆って野菜などもある程度備蓄できた。ひとつずつ、彼らは自分たちが生きていくための環境を作ってきたのだ。
サキはそうした改造をして、図書館だったその建物を中心にひとつの『街』を仕立て上げたが、本を損なうことは許さなかった。今もって、1階と2階の閉架式書庫の方はきちんと本が整理されており、サキが『司書』と呼ばれる由来となっている。
サキのグループは、公立マーケットや地域の警備も担当している。マスクを卸すだけではなく、彼らは街全体を仕切る自警団としても機能している。
この辺りは戦争による壊滅は免れたが、都市機能が麻痺すると、人々の多くは出て行った。ここに住んでいるのは、行き場がない者、住居やオフィス、あるいは廃車から使える物を見つけるジャンク屋、『政府』の指示で建物を壊す解体屋、あるいは運送屋など雑多だった。一言で言うと、全員が胡散臭い。その中で秩序を守る者として、サキのグループは圧倒的な存在感を放っていた。
タケと話してから1週間が経っていた。レンたちの第3グループは境界線近くのエリアでトラップ設置と警備の仕事を続けている。タケはあれから寝不足の顔をしていたし、2人の間はギクシャクしていたが、同じチームである以上、普通に会話は必要になる。
気まずくはあったが、互いが引いたことで、2人は表面上、平静を保っていた。こじらせたわけじゃない。ただ、片方が告白し、もう片方が断っただけだ。
別な男は関与しておらず、断った理由は妥当なもの。
その暗黙の了解の中で、2人は今までと変わらない態度でいることを決め、互いにそれを守った。緊張感はあったが、日が経てばきっとなんとかなる。そうレンは自分に言いきかせ、できるだけ2人きりにならないように気を配り続けた。
その日の5時過ぎに仕事を終えて図書館に戻ってくると、レンは公立マーケットの隅にあるテーブルで夕食を食べ、戻って建物の中心にある書架の間を歩いてみた。最近は書架のエリアにも灯りがつけられており、閉架の迷路とは違う雰囲気は歩きやすい。すぐ横にはコンパネや鉄板などを集めて作った壁があり、向こうからマーケットの微かなざわめきが聞こえてくる。
あぁ、明日食べる物を買ってくるのを忘れた……。
そんなことをぼんやりと考えながら、レンは書架に並ぶ本のタイトルを眺めていた。他にも数人が通路をぷらぷらしている。リラックスした時間だった。
本自体は正直なところ、楽しそうだとは思えなかった。何が書かれているのか見当もつかない文字を相手にしていると、視線がどうしても滑ってしまう。
それでも、レンは辛抱強く書架を辿っていた。最近は毎日こうして書架の間を歩いている。外回りの仕事をし、その後こうして歩き回っていると、サキを見ることはない。もうずっとサキと話すどころか、その姿を見てもいないレンは、不思議な安らぎの中にいた。
本に集中すればいい。あれは一夜の過ちだった。感情を乱されなければ、サキは敵に踊らされることはないだろう。
これ以上、利用されたくない。
意地になって、レンは書架の間で本のタイトルをなぞる。
ここ数日、レンは料理関係の本のところに来ることが多かった。旬の食材を使った惣菜の作り方は、どれも楽しかった。本格的に暑くなってきた今の季節に食べられるものは何だろう。お気に入りになった本を引っ張り出し、目次をたどる。枝豆と海老のかき揚げ、オクラとまぐろのわさび和え……。
関東に来る前、レンは母親と一緒に長野にいた。田舎の街で、レンは小学校に通い、友人と無邪気に遊んでいた。
看護師の仕事で忙しかった母の代わりに、近くに住む祖母が夕食を作ってくれた。レンはその日々を懐かしく思い出す。
終戦は12歳だった。それから父親が転がり込んできて……。母に金を貢がせながら、本人も何か違法な手段で金を稼いでいた父親は、夜毎、酒を飲んでは炯々とした目でレンに言った。
──このままじゃ終わらんからな──
その言葉どおり、終戦から6年後、レンが18の時に祖母と母が相次いで死ぬと、父親はレンを引きずって関東へ戻った。
祖母と食べる夕食は、いつだって楽しかった。その日学校であったことを話しながら食べれば、祖母はずっと聞いてくれた。温かいご飯と味噌汁があって、焼き魚の骨の取り方を祖母が教えてくれて。
最初に父親に売られた晩に記憶の底に封じ込めたものが、コロッケのページに浮かび上がる。
押しつぶせない塊が喉にこみ上げ、レンは鼻をすすった。
長野に帰ってもいいだろうか。そもそも埼玉の後、ここに来るように紹介されたのが間違いだったのだ。その人に「せっかくいい人材をサキさんのとこに紹介できるんだ、顔を立ててくれ」と言われたが、その言葉自体がきっと罠だった。
あったかいご飯が食べたい。
レンはその本を持つと、図書館の奥で数日前に見つけた場所へ向かった。
建物の裏側、昔は閲覧室だったところには入口がもうひとつ作られ、公立マーケットになっていた。各種機械の部品、遠くから運ばれてきた食品類や弁当、惣菜、気晴らしのちょっとしたもの、そうした生活に必要な物品を彼らは売っている。
3年前にマーケットがサキの庇護を求めて引っ越してきたとき、グループ全体が図書館の改造に参加したと、誰かが懐かしそうに言っていた。閲覧室と開架のエリアとはひと続きの大きな空間だったのだが、サキは間にうまく壁を設置し、ドアで行き来できる以外は相互に不干渉としている。2階の閲覧室もマーケットの倉庫として使えるようにしてあった。
4年前には、サキとエトウで『政府』に話をつけて、まだ稼働している場所から電線をここまで引き直してもらっている。ソーラーパネルも設置していて一応冷房が使えるので、窓を覆って野菜などもある程度備蓄できた。ひとつずつ、彼らは自分たちが生きていくための環境を作ってきたのだ。
サキはそうした改造をして、図書館だったその建物を中心にひとつの『街』を仕立て上げたが、本を損なうことは許さなかった。今もって、1階と2階の閉架式書庫の方はきちんと本が整理されており、サキが『司書』と呼ばれる由来となっている。
サキのグループは、公立マーケットや地域の警備も担当している。マスクを卸すだけではなく、彼らは街全体を仕切る自警団としても機能している。
この辺りは戦争による壊滅は免れたが、都市機能が麻痺すると、人々の多くは出て行った。ここに住んでいるのは、行き場がない者、住居やオフィス、あるいは廃車から使える物を見つけるジャンク屋、『政府』の指示で建物を壊す解体屋、あるいは運送屋など雑多だった。一言で言うと、全員が胡散臭い。その中で秩序を守る者として、サキのグループは圧倒的な存在感を放っていた。
タケと話してから1週間が経っていた。レンたちの第3グループは境界線近くのエリアでトラップ設置と警備の仕事を続けている。タケはあれから寝不足の顔をしていたし、2人の間はギクシャクしていたが、同じチームである以上、普通に会話は必要になる。
気まずくはあったが、互いが引いたことで、2人は表面上、平静を保っていた。こじらせたわけじゃない。ただ、片方が告白し、もう片方が断っただけだ。
別な男は関与しておらず、断った理由は妥当なもの。
その暗黙の了解の中で、2人は今までと変わらない態度でいることを決め、互いにそれを守った。緊張感はあったが、日が経てばきっとなんとかなる。そうレンは自分に言いきかせ、できるだけ2人きりにならないように気を配り続けた。
その日の5時過ぎに仕事を終えて図書館に戻ってくると、レンは公立マーケットの隅にあるテーブルで夕食を食べ、戻って建物の中心にある書架の間を歩いてみた。最近は書架のエリアにも灯りがつけられており、閉架の迷路とは違う雰囲気は歩きやすい。すぐ横にはコンパネや鉄板などを集めて作った壁があり、向こうからマーケットの微かなざわめきが聞こえてくる。
あぁ、明日食べる物を買ってくるのを忘れた……。
そんなことをぼんやりと考えながら、レンは書架に並ぶ本のタイトルを眺めていた。他にも数人が通路をぷらぷらしている。リラックスした時間だった。
本自体は正直なところ、楽しそうだとは思えなかった。何が書かれているのか見当もつかない文字を相手にしていると、視線がどうしても滑ってしまう。
それでも、レンは辛抱強く書架を辿っていた。最近は毎日こうして書架の間を歩いている。外回りの仕事をし、その後こうして歩き回っていると、サキを見ることはない。もうずっとサキと話すどころか、その姿を見てもいないレンは、不思議な安らぎの中にいた。
本に集中すればいい。あれは一夜の過ちだった。感情を乱されなければ、サキは敵に踊らされることはないだろう。
これ以上、利用されたくない。
意地になって、レンは書架の間で本のタイトルをなぞる。
ここ数日、レンは料理関係の本のところに来ることが多かった。旬の食材を使った惣菜の作り方は、どれも楽しかった。本格的に暑くなってきた今の季節に食べられるものは何だろう。お気に入りになった本を引っ張り出し、目次をたどる。枝豆と海老のかき揚げ、オクラとまぐろのわさび和え……。
関東に来る前、レンは母親と一緒に長野にいた。田舎の街で、レンは小学校に通い、友人と無邪気に遊んでいた。
看護師の仕事で忙しかった母の代わりに、近くに住む祖母が夕食を作ってくれた。レンはその日々を懐かしく思い出す。
終戦は12歳だった。それから父親が転がり込んできて……。母に金を貢がせながら、本人も何か違法な手段で金を稼いでいた父親は、夜毎、酒を飲んでは炯々とした目でレンに言った。
──このままじゃ終わらんからな──
その言葉どおり、終戦から6年後、レンが18の時に祖母と母が相次いで死ぬと、父親はレンを引きずって関東へ戻った。
祖母と食べる夕食は、いつだって楽しかった。その日学校であったことを話しながら食べれば、祖母はずっと聞いてくれた。温かいご飯と味噌汁があって、焼き魚の骨の取り方を祖母が教えてくれて。
最初に父親に売られた晩に記憶の底に封じ込めたものが、コロッケのページに浮かび上がる。
押しつぶせない塊が喉にこみ上げ、レンは鼻をすすった。
長野に帰ってもいいだろうか。そもそも埼玉の後、ここに来るように紹介されたのが間違いだったのだ。その人に「せっかくいい人材をサキさんのとこに紹介できるんだ、顔を立ててくれ」と言われたが、その言葉自体がきっと罠だった。
あったかいご飯が食べたい。
レンはその本を持つと、図書館の奥で数日前に見つけた場所へ向かった。
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