10 / 181
10 蒲田にて(9)
しおりを挟む
用意されていたTシャツとスエットを着て怜がバスルームを出ると、木島は奥の窓際に置かれた2人掛けのソファーに座り、くつろいだ様子で本を読んでいた。てっきりベッドに上がっていると思っていた怜は戸惑い、次にどうしたものかと考えていた。
木島は本を閉じて傍の小さなテーブルに置くと、怜に手招きをした。
「何か飲むかい? ビール、ウイスキー、オレンジジュース、リンゴジュース、スポーツドリンクがあるが」
「スポーツドリンクを」
木島は怜が座るのと入れ替わりに冷蔵庫に向かい、ペットボトルとグラスを持って戻ってきた。
酒があるところを見ると、ここは木島の定宿なのだろう。ダブルベッドの向こうの執務デスクには、本と書類が積まれている。ペン立てやノートパソコンもあった。
スポーツドリンクをグラスに注ぐと、木島は冷蔵庫にペットボトルを戻し、今度はタンブラーにウイスキーを注いでソファーに戻ってきた。
本当に普通の夜。野心と欲望にまみれたようなことを言っておいて、木島は一向に怜を組み敷く気配がない。スポーツドリンクを一口飲むと、怜は途方に暮れたまま、揺れる水面を眺めた。
「……聞いていいかね」
「何でしょう」
顔を上げると、木島はじっと怜を見ていた。心の底を探ろうとするような目だ。ざわりと背中を寒気が走る。そうか。この男は高遠の上を行こうとしている。怜を懐柔し、高遠の弱みを探ろうとしているんじゃないか。怜はふとそう思った。なるほど。そちらの方が、この男の行動としては納得がいく。
「君が高遠に最後に会ったのはいつだ?」
「2年前です」
「そうか」
沈黙が下りた。
怜はスマホを持っていない。この辺りの電波事情は少しずつ戻ってきているが、怜はかたくなに一切の連絡手段を持たなかった。店の仕事のやり取りだけを店名義のスマホでやっている。
することもなくスポーツドリンクを飲みながら、怜は考えこんだ。
もし木島の狙いが高遠を排除する方向であるなら、協力する意味はある。だが『政府』の人間の場合、利権を優先して高遠と手を組む可能性の方が高いことを、怜は経験上知っていた。しかも武力闘争に慣れた男たちと違い、『政府』の人間はスーツを着て腹の底を見せない。うかつな対応はできないのだ。
木島は何を探りにきているのか。その狙いは何なのか。
本人は、そうした怜の考えなど気にもしない雰囲気で、のどかにウイスキーを飲んでいる。いつまで経っても「そういう」雰囲気にする気がないようで、怜は居心地が悪かった。
抱くなら抱くで、さっさと終わりにしてほしい。
明日の仕込みは休むと言ってきてはいるのだが、今朝も朝食の仕込みから仕事をしている。正直眠くなってきていた。
ヤケのように肘掛に頬杖をつく。向こうが何もする気がないなら、どうして呼びつけたんだ? 腹を割って話すわけでもないし。
久しぶりに風呂で温まって、水分も補給して、黙って座って。
こんなふうに平和に、何もせずにいる時間なんて、いつぶりだろう。最後にこうやってゆっくりと時間を味わったのは……。
「寝る前に歯を磨いた方がいい」
唐突に、木島が声を出した。静かな声だ。立ち上がってバスルームから歯ブラシセットを持ってくると、木島は怜にそれを差し出した。
何考えてるんだろう?
ぼんやりとセットを受け取り、怜は封を切った。眠くて、目の前のベッドに倒れ込みたい気分になっている。
「自分で磨けるかね?」
からかうような声。
「……磨けます」
適当に歯磨き粉をつけて口に突っ込む。しばらく磨いているうちに、その単調な作業に眠くなる。
「動きが止まってるぞ」
かくん、と首が落ち、はっと意識が戻る。しばらく磨くと、再び瞼が落ちていく。
「口をゆすいできたらどうだ?」
そうか、寝なくちゃ。
怜は歯ブラシを咥えたまま立ち上がった。よろよろしながらバスルームに向かうと、木島がついてくる。なんとか歯磨きを続けながら、怜は壁を探った。電気の場所がわからない。そう思っているうちに木島が電気をつけた。
バスルームに入ると、木島は何を思ったか、自分も入ってきて怜を抱き寄せ、風呂の縁に腰かけた。
「ほら、見せてごらん」
眠いまま、怜は口を開ける。木島は怜を横抱きにすると、丁寧に歯を磨き始めた。子供みたいな扱いだと思ったが、眠くて眠くてどうでもいい。
歯ブラシは怜の口の中を動き回った。歯の裏をひとつひとつ磨き、奥歯を回って表も磨く。自分で磨くのとは違い、木島に口の中をいじられるのは不思議な感覚だ。毛先が歯茎をくすぐり、プラスチックが舌を撫でる。
「あとちょっと、自分で口をゆすいで。ほら」
幼児じゃないんだから。そんなことを思いながら、渡されたコップを受け取り、怜は素直に口をゆすいだ。とにかく眠い。
木島に手を引かれ、怜は部屋を出た。どうしてこの人は自分を子供扱いするんだ?
「ん……オレ自分でできる……」
意に反して、舌がもつれて甘ったるい声にしかならない。
「そうだな。眠くなければお前は完璧だ。ほら転ぶなよ」
掛布団をめくってもらうと、怜はベッドに倒れ込んだ。何しに来たんだっけ? そんなことを思いながら、怜は目を閉じ、一瞬で寝息を立て始めた。
「まいったな……どうしてこう……」
微かな呟きが怜の耳元で囁かれ、額に唇が当たる。
「おやすみ」
柔らかい声を、怜は眠りの中で聞いた。
木島は本を閉じて傍の小さなテーブルに置くと、怜に手招きをした。
「何か飲むかい? ビール、ウイスキー、オレンジジュース、リンゴジュース、スポーツドリンクがあるが」
「スポーツドリンクを」
木島は怜が座るのと入れ替わりに冷蔵庫に向かい、ペットボトルとグラスを持って戻ってきた。
酒があるところを見ると、ここは木島の定宿なのだろう。ダブルベッドの向こうの執務デスクには、本と書類が積まれている。ペン立てやノートパソコンもあった。
スポーツドリンクをグラスに注ぐと、木島は冷蔵庫にペットボトルを戻し、今度はタンブラーにウイスキーを注いでソファーに戻ってきた。
本当に普通の夜。野心と欲望にまみれたようなことを言っておいて、木島は一向に怜を組み敷く気配がない。スポーツドリンクを一口飲むと、怜は途方に暮れたまま、揺れる水面を眺めた。
「……聞いていいかね」
「何でしょう」
顔を上げると、木島はじっと怜を見ていた。心の底を探ろうとするような目だ。ざわりと背中を寒気が走る。そうか。この男は高遠の上を行こうとしている。怜を懐柔し、高遠の弱みを探ろうとしているんじゃないか。怜はふとそう思った。なるほど。そちらの方が、この男の行動としては納得がいく。
「君が高遠に最後に会ったのはいつだ?」
「2年前です」
「そうか」
沈黙が下りた。
怜はスマホを持っていない。この辺りの電波事情は少しずつ戻ってきているが、怜はかたくなに一切の連絡手段を持たなかった。店の仕事のやり取りだけを店名義のスマホでやっている。
することもなくスポーツドリンクを飲みながら、怜は考えこんだ。
もし木島の狙いが高遠を排除する方向であるなら、協力する意味はある。だが『政府』の人間の場合、利権を優先して高遠と手を組む可能性の方が高いことを、怜は経験上知っていた。しかも武力闘争に慣れた男たちと違い、『政府』の人間はスーツを着て腹の底を見せない。うかつな対応はできないのだ。
木島は何を探りにきているのか。その狙いは何なのか。
本人は、そうした怜の考えなど気にもしない雰囲気で、のどかにウイスキーを飲んでいる。いつまで経っても「そういう」雰囲気にする気がないようで、怜は居心地が悪かった。
抱くなら抱くで、さっさと終わりにしてほしい。
明日の仕込みは休むと言ってきてはいるのだが、今朝も朝食の仕込みから仕事をしている。正直眠くなってきていた。
ヤケのように肘掛に頬杖をつく。向こうが何もする気がないなら、どうして呼びつけたんだ? 腹を割って話すわけでもないし。
久しぶりに風呂で温まって、水分も補給して、黙って座って。
こんなふうに平和に、何もせずにいる時間なんて、いつぶりだろう。最後にこうやってゆっくりと時間を味わったのは……。
「寝る前に歯を磨いた方がいい」
唐突に、木島が声を出した。静かな声だ。立ち上がってバスルームから歯ブラシセットを持ってくると、木島は怜にそれを差し出した。
何考えてるんだろう?
ぼんやりとセットを受け取り、怜は封を切った。眠くて、目の前のベッドに倒れ込みたい気分になっている。
「自分で磨けるかね?」
からかうような声。
「……磨けます」
適当に歯磨き粉をつけて口に突っ込む。しばらく磨いているうちに、その単調な作業に眠くなる。
「動きが止まってるぞ」
かくん、と首が落ち、はっと意識が戻る。しばらく磨くと、再び瞼が落ちていく。
「口をゆすいできたらどうだ?」
そうか、寝なくちゃ。
怜は歯ブラシを咥えたまま立ち上がった。よろよろしながらバスルームに向かうと、木島がついてくる。なんとか歯磨きを続けながら、怜は壁を探った。電気の場所がわからない。そう思っているうちに木島が電気をつけた。
バスルームに入ると、木島は何を思ったか、自分も入ってきて怜を抱き寄せ、風呂の縁に腰かけた。
「ほら、見せてごらん」
眠いまま、怜は口を開ける。木島は怜を横抱きにすると、丁寧に歯を磨き始めた。子供みたいな扱いだと思ったが、眠くて眠くてどうでもいい。
歯ブラシは怜の口の中を動き回った。歯の裏をひとつひとつ磨き、奥歯を回って表も磨く。自分で磨くのとは違い、木島に口の中をいじられるのは不思議な感覚だ。毛先が歯茎をくすぐり、プラスチックが舌を撫でる。
「あとちょっと、自分で口をゆすいで。ほら」
幼児じゃないんだから。そんなことを思いながら、渡されたコップを受け取り、怜は素直に口をゆすいだ。とにかく眠い。
木島に手を引かれ、怜は部屋を出た。どうしてこの人は自分を子供扱いするんだ?
「ん……オレ自分でできる……」
意に反して、舌がもつれて甘ったるい声にしかならない。
「そうだな。眠くなければお前は完璧だ。ほら転ぶなよ」
掛布団をめくってもらうと、怜はベッドに倒れ込んだ。何しに来たんだっけ? そんなことを思いながら、怜は目を閉じ、一瞬で寝息を立て始めた。
「まいったな……どうしてこう……」
微かな呟きが怜の耳元で囁かれ、額に唇が当たる。
「おやすみ」
柔らかい声を、怜は眠りの中で聞いた。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店
ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。
壁穴奴隷No.19 麻袋の男
猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。
麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は?
シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。
前編・後編+後日談の全3話
SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。
※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。
※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。
食事届いたけど配達員のほうを食べました
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか?
そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。
僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした
なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。
「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」
高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。
そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに…
その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。
ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。
かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで…
ハッピーエンドです。
R18の場面には※をつけます。
新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~
焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。
美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。
スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。
これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語…
※DLsite様でCG集販売の予定あり
短編エロ
黒弧 追兎
BL
ハードでもうらめぇ、ってなってる受けが大好きです。基本愛ゆえの鬼畜です。痛いのはしません。
前立腺責め、乳首責め、玩具責め、放置、耐久、触手、スライム、研究 治験、溺愛、機械姦、などなど気分に合わせて色々書いてます。リバは無いです。
挿入ありは.が付きます
よろしければどうぞ。
リクエスト募集中!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる