腐れ外道の城

詠野ごりら

文字の大きさ
上 下
32 / 33
終章

時代5

しおりを挟む


 井藤十兵衛は数人の家臣と共に樋野城へ逃れ、本田清親の冷淡な眼差しの前に晒されることとなった。

「十兵衛・・・」

 そう言ったきり清親は言葉を吐き出すのも億劫だと言わんばかりの視線を、十兵衛に浴びせかけるだけ浴びせ、無言で井藤十兵衛の言い逃れを待っている。

 樋野城の広間には初夏とは思えぬ冷え切った空気が流れ、その冷気は井藤十兵衛の周りで停滞した。

「殿・・・」
 その空気に耐えきれず、十兵衛は喘ぐように言葉を吐き出したが、それ以上の言葉が出ない。
「十衛兵、おのれは何故そうも愚かなのだ」
「殿わたしは」
「私は?なんじゃ?腹を切るか」
「腹を」
「先ほどから阿呆のように、言葉を返しおって、お主はこの戦が終わったら城をでて何処ぞかで腹を切れ!そときはなぁ十衛兵、介錯などださんから、一人で腹を切れよ・・・」
「はい・・・」
 井藤十衛兵は生気を失った顔で、清親を見上げた。
 その視線の先にあった清親は、もう十衛兵を視界に入れることもせず、広間を後にした。

 井藤十兵衛の決定的短所は、圧力に屈しやすい点であろう、平野城攻略戦の時も、今回の黒岩の時であっても、この男は自らの手勢が有利であったにも関わらず、敵の圧力に屈し、戦いを放棄し、自分だけが逃げてしまったのである。

 本田清親の最大の失策は、そんな小心な男、井藤十兵衛を、重要な黒岩城に配置してしまったことであろう、つまり清親と十衛兵は、拠点のなんたるかを心得ていないまま、領主と重量拠点を守る城主になってしまったのである。

 甲四郎は、黒岩の高台から樋野城を見下ろしていた。「樋野城を攻めずして、この戦は終わらぬか」
 だが侵攻を指揮する由出は、黒岩城を取ったことで十分満足してしまっているようで、今こそ樋野城を攻める好機だと進言しても乗り気では無い。
「まだ黒岩の城を取って間もない、暫く本田清親の出方をみてもよいのではないか」
「それはどうでしょう、樋野城の中は今、こちらの攻勢に士気が下がっておるはず、敵もこちら矢継ぎ早に攻め入って来ると思っておらぬはず」
 なので、清親を討つには、この勢いがあるうちに進撃すべきだと、由出の目を見た。
 だが由出は、斉藤元春から樋野への侵攻は許されているが、樋野の国をとってしまえとまでは命じられていないのだ、つまり、このまま黒岩城で山名からの援軍を待っていれば、この作戦の功績は由出の物となるので、これ以上危険を冒してまでもないのである。
「本田清親をこのまま樋野城に置いたままでよいのですか」
「甲四郎、お主は本田清親に固執しておるようだが、私怨で兵を動かそうとしているのではなかろうな」
「そのようなことは断じて御座いませぬ」
 とはいってみたものの、芯を突かれた感覚もある。
 由出は甲四郎の反応を見て、なんとも言いようのない表情で口を開いた。
「甲四郎、お主がそれほどいうのなら、兵を率いさせてもよい、お主が責めを負ってもよいならばな」
「はぁ!この栗原甲四郎、必ずや樋野を落とし、本田清親を由出殿の前に引き出しまする」
「わかったわかった、そういきり立つな、だがなこれだけは念押しするぞ、樋野城の反撃が激しいようであれば、即刻引くのだ、元春様に儂が増長してしくじったと思われてはたまらんからなぁ」
(結局この男の本音はそれか、手柄は我が物で、しくじれば、元樋野の将がやったことと言い逃れすればす済むしな)

 甲四郎は広間を出てすぐ、千五百余りの兵を編成し、数刻後には樋野城へ向け斜面を下っていた。

 夜明け前に樋野城を取り囲んだ甲四郎勢を確認した樋野城側は、明らかに動揺した。
「清親様、敵はすっかり城を取り囲んでおります」
 慌てる家臣に、とうの清親は至って冷静であり。
「狼狽えるでない、敵とて無闇に攻めてはくるまい」
 清親の目論みとしては、数日城に籠もった後に、和睦を申し出れば、山名の将とて無駄に血を流したくはないだろうから、本田の家だけは残させてくれるに違いない、そう高をくくっていたのだが、城を囲む軍勢は日を増すごとに増えていっているようであった。
 それもそのはずで、甲四郎は黒岩をでるのと同時に、平野城の畠中信義に使者を出し、後詰めを申し出て、信義も早急にそれに答え、援軍を送っていたのであった。
 甲四郎が率いる樋野城包囲軍は、三千を超す勢力となっていた。
 しかし、甲四郎は城を囲むのみで、なにもしようとはしなかった。

 清親の手勢は、城を取り囲んでいる軍勢より圧倒的に少なく、樋野城の中には、甲四郎の軍勢に投降してくる者も多くなっていた。
 余りにも籠城戦を甘く見ていた清親は、徐々に恐怖にかられ、軍議の席に顔面蒼白で現れた。
「いかにすればよい、わっ儂はいかにすれば良いのじゃ誰ぞ答えよ」
 清親の言葉尻は、明らかに震えていた。
「清親殿、一度籠城と決めたからには、あと数日は城に籠もるべきかと」
「なぜじゃ!城外を見てみよ・・・敵はワシらの倍はおる、しかも敵将はもともと樋野の者どもだときいたが、まことか」
「殿、いかにも外にいる兵を率いておるのは、黒田三郎衛兵の配下、栗原甲四郎と増援に入った将は、忠康様の家臣、畠中
 それを見かねた家臣が、降伏の使者を送ることを決断するという始末であった。

 由出成政の陣中に、清親の使者を迎えたその場には、甲四郎も同席していた。

 清親の使者は、樋野の全てを山名に献上するので、どうか本田清親の命だけは助けて欲しいと、ほぼ命乞いのような申し出をしてきた。
 清親は元いた山間の館に引っ込み、余生を静かに過ごしたいので、どうか山名領主にその旨を伝えて欲しという。

 清親側の出してきた条件は、完全降伏のように聞こえるが、平らに言えば本田清親は、元いた山間の土地に戻り、ひっそりと過ごしたいのだということで、本田家が二百年近く、守り抜いてきた樋野を簡単に放棄するといっているのである。

 甲四郎はそんな甘い条件を呑んではならない、と由出に訴えるのだが、由出にしてはこれ以上無い条件で樋野城が落とせるとあって、降伏まで持ち込んだ甲四郎をまるで敵将のように睨め付けた。
「甲四郎よ、つくづくお主は頭がおかしいのぉ、まさか降伏してきた相手に弓を向けよと言うのではないだろうな」

 由出は清親の降伏の条件を全て呑み、その経緯を山名の領主斉藤元行に書状と使者を送る。
 甲四郎は斉藤元行とは当然面識すらないので、それ以上口出しすることはできない。

 清親の悪政に対し、緩やかな隠居生活を与えてしまった事に歯噛みする甲四郎。
 その思いは畠中信義も同じであった。
 数日後、斉藤元行から返事が届き、こちらから沙汰があるまで樋野の全てを由出に任せる。

 由出は本田清親始め、井藤十兵衛等家臣を引き連れ、城を出る清親を見て、樋野侵攻の功労者として樋野全土を任されるのは自分では無いかと、すっかり有頂天になり、領主気取りで降伏してくる将を迎えていた。

 清親の家臣団の全てが城を出た少し後、樋野城からパチパチと木の弾けるような音がした。
「お城が燃えとる!」
 異常に気づいた甲四郎配下の兵が声を上げた。
「清親!貴様城を取られるのが口惜しくて、火を放ちおったか!」
 甲四郎が叫ぶと、清親が叫び返した。
「儂では無い!断じて儂では無いぞ」
 清親は怯えてはいるが、真実を述べているようである。
「ならば、誰が」
 甲四郎の頭に一人の顔が浮かんだ。
「市蔵か!」

 甲四郎の見立て通り、樋野城に火を放ったのは、忍香と市蔵率いる忍山の土蜘蛛衆であった。
「これで樋野も終わりじゃ」
 市蔵は燃えさかる城をみて呟いた。
「イチノスネ、後悔しているのか、昔仕えた城を燃やしてしまって」
「それはどうか、わからんが、これで忍山におることも出来ぬし、樋野にもおられん」
「そんなことか、土蜘蛛はどの土地でも生きて行ける、元々この国は、どこも我らの土地なのだからな」
 市蔵は意を決したように頷いた。
「行くか、イチノスネ」
「おう」
 土蜘蛛衆は煙のようにその場から姿を消した。 

「本田清親を儂の前に引っ立てろ!」
 由出は、樋野城に火を放ったのは清親だと思い込み、周りの部下に怒りを放った。
「最後の最後でとんでもないことをやりおって!甲四郎も、栗原甲四郎も呼んでこい!彼奴にも責任を負わせてやる」
 そんな剣幕の中、甲四郎は涼しい顔で由出の前に現れた。
「由出様、お呼びになりましたか」
「なにを清々とした顔をしおって!甲四郎、このことお主の責任であるからな、元春様の使者が来たときには、お主が申し開きするのだぞ」
「心得ました」
 甲四郎の返答はやけに清々しかった。甲四郎の中で何かが弾けたのだ、戦で生きて行くなど馬鹿馬鹿しいことで、土地を守り民を守るだけの度量は、自分にはそなわっていないし、自らの中にある「外道」を旨く操れるなどと、思い上がった自分を恥じた。

(やはり、三郎衛兵様は凄かったな、身の内にある外道を戦場と国主で使いこなし、平然としておった。俺はそうは出来ぬ)

「何をする!」
「この、おとなしくせんか!」
 怒号が後方で聞こえた。甲四郎はその方向を見ると、由出の部下が、清親を取り押さえようともみ合いをしていようだ。
「奴」
 甲四郎は、叫びともつかない声を上げると、もみ合いの直中へ現場に走った。

「降伏したとて、儂は国主ぞ!何故山名のいち将の前に引き出されねばならぬ!」
 清親は怒鳴り散らしながら、力任せに取り押さえようとした兵を押した。
 すると、数人の兵がまとまって、道の脇の溝に足を取られた。
 それを見逃さず、清親は脱兎の如く走った。
「清親ぁ!」
 甲四郎が騒ぎの中へ着いた時には、清親は畑の中を無我夢中に走り、遙か遠くなっていた。
 その後ろ姿を見て、甲四郎は心の中でほくそ笑んだ。
(それでよい、俺は彼奴を殺したかったわけではないのだ、こうして生き恥をかかせかったのだ)
 
「井藤が!井藤十衛兵がおりませぬ!」
 甲四郎の横で声があがった。
 この騒ぎに乗じて、十衛兵がに逃げだしたのだ。

 遠くでは由出が膝から崩れ落ちているのがみえる。
 そんな騒動の最中、甲四郎だけは笑っていた。

(そうだそうだ、皆逃げてしまえ、そしてくるしむがいい)

 甲四郎はこの瞬間、三郎衛兵の願いが遂行されたのだと感じ、爽快であった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

豊家軽業夜話

黒坂 わかな
歴史・時代
猿楽小屋や市で賑わう京の寺院にて、軽業師の竹早は日の本一の技を見せる。そこに、参詣に訪れていた豊臣秀吉の側室・松の丸殿が通りがかり、竹早は伏見城へ行くことに。やがて竹早は秀頼と出会い…。

浅葱色の桜 ―堀川通花屋町下ル

初音
歴史・時代
新選組内外の諜報活動を行う諸士調役兼監察。その頭をつとめるのは、隊内唯一の女隊士だった。 義弟の近藤勇らと上洛して早2年。主人公・さくらの活躍はまだまだ続く……! 『浅葱色の桜』https://www.alphapolis.co.jp/novel/32482980/787215527 の続編となりますが、前作を読んでいなくても大丈夫な作りにはしています。前作未読の方もぜひ。 ※時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦組みを推奨しています。行間を詰めてありますので横組みだと読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。 ※あくまでフィクションです。実際の人物、事件には関係ありません。

池田戦記ー池田恒興・青年編ー信長が最も愛した漢

林走涼司(はばしり りょうじ)
歴史・時代
天文5年(1536)尾張国の侍長屋で、産声を上げた池田勝三郎は、戦で重傷を負い余命を待つだけの父、利恒と、勝三郎を生んだばかりの母、お福を囲んで、今後の身の振り方を決めるため利恒の兄、滝川一勝、上役の森寺秀勝が額を付き合わせている。 利恒の上司、森寺秀勝の提案は、お福に、主、織田信秀の嫡男吉法師の乳母になることだった……。

空蝉

横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。 二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。

渡世人飛脚旅(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)

牛馬走
歴史・時代
(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)水呑百姓の平太は、体の不自由な祖母を養いながら、未来に希望を持てずに生きていた。平太は、賭場で無宿(浪人)を鮮やかに斃す。その折、親分に渡世人飛脚に誘われる。渡世人飛脚とは、あちこちを歩き回る渡世人を利用した闇の運送業のことを云う――

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...