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1章
籠城
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籠城
井藤十兵衛は決断力が無い男である。
にも関わらず、自意識だけは高い。
彼のその両面が、平野城を孤立化させる結果となる。
第一の特徴、決断力の無さは、城下や周辺の田畑を焼き討ちにし、敵軍の陣地や食料を絶つ作戦か、城下を簡易的にでも要塞化することで、敵を防ぐ手立てを打つべきであったが、十兵衛の決断は、ここでも後手に回ってしまった。
そして第二の特徴、自意識の高さは、自らの領地の人心掌握を完全に行えていると思い込んでいたことである。
城下を破壊し敵にその施設を利用させないようにしたのは、三郎兵衛が砦を出陣したと知った後で、中途半端に町を壊しただけで終わり、田畑を焼くことに着手したのはもっと遅く、三郎兵衛がすぐそこまで迫って来たときで、村人達を城に引き入れることもせずに撤退したために、三郎兵衛の一隊に保護された村人達は三郎兵衛に感謝し、なけなしの食料を差し出してくれた。
城下の人々も日頃から領民のことを考えていない十兵衛のやり方に不満があったため、十兵衛が城内の守りの為、すすんで陣をはる場所を提供してくれた。
結果、十兵衛が強制的に城内へ入れた領民以外、三郎兵衛を支援する側にまわり、平野城は孤城と化してしまった。
孤城となった平野城を大群で取り囲めば、十兵衛は降伏するしか手は無いだろう、普通に考えればそうなのだが、今回の籠城戦は通常とは違う滑稽な様相を見せた。
城を取り囲んだのは、甲四郎率いる三十の先陣と、そのすぐ後方に、三郎兵衛率いる二百数十人、そしてその後方に、畠中信義の本隊が六百数十控えているだけである。
平野城は孤立したとは言え、二千数百人が城内にいて、その中でも戦闘要員として使える人数は千五百から千六百人はいる。
城を取り囲む人員より、籠城する側のほうが人員に富んでいる。奇妙な籠城戦が生まれてしまった。
当然自意識過剰な井藤十兵衛が敵を見くびって討って出てくる。
と、思いきや、十兵衛は城に籠もったまま動こうとしない。
平野城からの弓矢や投石が届かないであろう、ギリギリの地点まで前進し、時に前進して平野城を挑発していた甲四郎等の小隊は、次の一手が打てずにいた。
戦国初期の城は、我々が思い描く「城」とは違い、屋敷を壁で囲った物、と表現した方がわかりやすいかもしれない、平野城も大きな屋敷状の建物を土塀で囲い、その周囲を飛び移るのにも容易な幅の堀が巡らされている程度の城であった。
因みにこの時代、城といえば小高い山の頂上に築かれた山城が主流であったが、平野城は珍しく、平城であった。
もう一つ余談であるが、三郎兵衛等の主君である本田忠康のいる樋野城も平城でる。樋野という土地柄、平坦な地形から突然隆起するように山脈が囲んでいるため、山城に適当な小高い山は領地と領地との境界線にわずかにあるだけなので、城を築くのにてきとうな地点に置くには、平城のほうが最適なのである。
「どうしたものか」
甲四郎は誰にいうでも無く、呟いた。
それを横で聞いていた律儀な甚六が、応答する。
「我等は城の連中を挑発するのが任ですで、押しては引くを繰り返すしかなかろうかと」
「堀の辺りまで押してみるか」
甲四郎が考え倦ねていると、遠くにいて二人の会話が聞こえていないはずのマシラが口を挟んできた。
「それはどうでゲショウかねぇ、平野のお城の連中は、アッシ等が近づいた時だけ仕掛ければ楽にこっちを削れると思っているんじゃねぇですかい」
「むぅぅ」
甲四郎は妙な唸り声をあげ、平野城を睨み付けた。
「アッシ等は栗原の大将に従いますがね、こっちは雇われ、無駄死にはしたかぁねぇんでさぁよ」
それもそうだ、マシラ達足軽は土地の争いで命を落とす義理など微塵もないのだ。
そこへ三郎兵衛の陣へ伝令に行っていた市蔵が帰ってきた。
「おう市蔵、ご苦労、三郎兵衛様はなんと申されていた」
「三郎兵衛様はもう暫く様子を見よと申されておりますが・・・」
含みを持たせたような言い方に、甲四郎が何かあったのか、と投げかけると市蔵は少し慎重な表情を見せ、言葉の調子を落とし、話し始めた。
「私が三郎兵衛様の伝言を聞いた後、城下の者に汁と粥を頂きまして」
その汁と粥を食いながら、城下の者と何気ない話をするうちに、平野城に出入りしていたという女が、私らはこんな物しか食べられないのに、城の米倉にはたっぷり米俵が積まれている。
そんな会話になった。
市蔵は気になってその女に米倉の正確な位置を聞いたのだという。
「それはでかしたぞ市蔵」
甲四郎は思わず声を上げ、思わず市蔵の手を取った。
その会話を少し遠くで聞いていた「地獄耳のマシラ」が、また口を挟んできた。
「アッシが潜り込んで、倉に火を付けてもいいでゲスぜ」
言い終わるとマシラはいやらしい笑顔を甲四郎に向けた。
「金目の物があったらよこせと、そう申すのだろう」
「さすが!栗原の大将ようご存じで」
マシラは下品に「ケケケ」と笑う。
「マシラ一人に行かせたのでは何かと危ないのでは」
甚六は大まじめに進言する。
「何を言いてぇんで」
マシラは露骨にイヤな顔を甚六に向ける。
「そうだな、マシラ一人では何かと不備がある、見張り役に甚六も行ってもらえるか」
マシラはあからさまに不満げな顔を見せたが、甲四郎はそれを見逃してはいなかった。
「マシラよぉ、ワシ等の立場も考えてくれ、ワシ等の隊は足軽中心だが、マシラが仲間を連れて倉を襲ってみぃ、ワシ等は足軽頼みでなんも出来んのかと陰口を叩かれおるわ」
「栗原の大将、気をつかわんでもマシラもわかっておりますわいな」
いつの間にかこの会話の輪に入っていた足軽の頭領「イノシカ」が、野太い声でいい、これまた野太い声で笑うと、まだ不満げな表情をしているマシラの肩をポンと叩いた。
「俺も・・・イヤ私もおとうと行かせてくだせぇ」
市蔵が必死な表情を見せて云う。
「市蔵は栗原様についておれ」
「イヤ、おとうも年だで・・・そいで真面目だで無理をする・・・そうせんように俺はついていきてぇんだ」
甚六と市蔵のやり取りを、甲四郎は複雑な顔で見ていた。
(ワシの所のように親が過剰に心配する家もあれば、このように子が親を気遣う家もあるのだなぁ)
甲四郎は、意見を求める市蔵の視線に気づき我に返った。
「そうだなぁ、倉を焼き討ちにするには二人では足りぬだろう、市蔵もついて行け」
「ありがとうございます」
「だが市蔵には、その前にもう一度足労願いたい」
甲四郎にはある考えがあった。
その旨を市蔵に託し、三郎兵衛の元へと奔ってもらったのだ。
市蔵を伝令に奔らせて数刻後、市蔵は三郎兵衛を伴い、甲四郎の前に現れた。
正直甲四郎は、多少困惑した。
三郎兵衛はその表情に気づいてか、気づかずか、楽しそうな笑顔で甲四郎を見詰め、笑うように噺始めた。
「儂に本領を発揮せよと申しつけるか、栗原甲四郎よ」
三郎兵衛の言葉はには何の嫌みも無く、ただただ清々しく甲四郎を見ながら噺続けた。
「配下に物を命じられるとは愉快じゃ、ほんに愉快じゃ」
甲四郎は恐縮しつつ、ばつの悪そうな微妙な表情で、小柄な中年男を見ている。
甲四郎は、三郎兵衛が機嫌良く噺ている隙を見て、市蔵を近くに呼び寄せ、耳打ちした。「市蔵よ、お前は俺の伝言をどう伝えおったのじゃ」
「いやぁ・・・オイは、云われたとおり伝えたのですが・・・三郎兵衛様は儂が直接行くときかねぇもので・・・」
甲四郎の立てた作戦は、米倉の焼き討ちから敵の目をそらす為、夜襲と見せかけ、敵を挑発する。実に単純なものであるが、甲四郎の受け持つ部隊は足軽中心であり、奇襲や斥候、または野戦での前線を任すには向いているのだが、相手を挑発し、時を稼ぐ戦法を経験していない者が多く、経験豊富であり、敵の挑発に秀でている三郎兵衛の知恵を借りようと、市蔵を奔らせたのである。
が、まさかその意見を請うた人物が直接指導に現れるとは、甲四郎は夢にも思って射なかったのである。
「甲四郎よ何をボサッとしておる。お前の立てた作戦を申してみよ」
甲四郎は「では、恐れ多くも」と、仰々しく前置きすると、作戦の概要を伝えた。
「米倉は北寄りのこの地点にあるとわかっております」
甲四郎は、簡略化された平野城の図面を指さし、その後、南側の城壁(といっても、平野城の場合、板塀の上に見張り用の台が設置されただけの物であるが)を指さした。
「この面に夜襲と見せかけ威嚇攻撃を仕掛けようと思っておりまする」
「ふむ、夜襲かぁ・・・して、夜襲といえども甲四郎の頭数は、三十少しであろう、それをどう補う?」
三郎兵衛には、甲四郎がこれから何を言うのかが解っているようであった。
だが、三郎兵衛はあえてその時点で相手の意見を否定しようとはせず、まず全て聞き入れる。
それが三郎兵衛のいつものやり方である。
「牛や馬に松明を括り付け、こちらを少しでも大人数に見せることが出来れば、平野の目を奪うことが出来るかと考えたのですが」
「なるほどなぁ、その間に米倉を焼こうと申すのか、なるほど、戦を任せて僅かの者にしては天晴れな作じゃ・・・」
しかし、三郎兵衛はその後言葉を続けることをせず、暫く腕組みをすて黙り込んでしまった。
「なにか、不備があれば申しつけてくださいませ」
「ふむぅ・・・此度の大将は甲四郎故、儂がどうこうと出しゃばったことを申すつもりはないし、申し分ないであろう・・・が」
「が・・・なんです?」
三郎兵衛という武将は、我を通すような男ではなし、自らの意見を否定されることへの失望感を知っている。
だから、他の意見を飲み込んだ上で自らの意見を相手に聞き入れさせる術も心得ているのだ。
「此度のような戦は、敵の考えも及ばない事をせねば、米倉の守りの兵までもこちらに寄せることは出来ぬ」
三郎兵衛の立てた奇襲は、甲四郎の考えも及ばないものであった。
「夜襲も良いし、松明を使いこちらを大勢に見せる作も見事だが、夜というのは、守る側の気が一番張っている刻限である」
なので、白昼に堂々と挑発行動に討って出た方が良いと、三郎兵衛は云う。
「ですが、こちらは三十数名、相手はこちらを侮り、全ての目をこちらに向けさせるのは困難かと」
「甲四郎は、城下などで物売りを見た事はあるか?」
「はい御座いますが・・・」
「物売りは口上一つで町行く人を立ち止まらせよる。まぁ立ち止まらんにせよ、人は物売りの口上に耳を傾ける」
「平野城の前で物売り口上をせいと申されますか?」
「いやいや、まだ続きはある。では、大道芸人を見た事はあるか?」
「いいえ・・・ですが・・・大きな町へ出た者から聞いたことはありまする」
「大道芸人という者はな、奇抜な衣装を着て奇声を発したり妙な口上をいって、人目を引きつけよるんじゃ」
だが、その人目の引きつけ方にも工夫があり、サクラと呼ばれる仲間が大道芸人を大げさに褒めそやしたり、芸にケチをつけたりすることで町を行く人が立ち止まると、やっと芸を始めるのだという。
「それを私たちにやれと申されるのですか?そのような芸当、私等が出来るはずもないですし、覚える時間も御座いませぬ」
すると三郎兵衛は、悪戯っぽく笑い。
「儂の真似をすればよいのじゃ、儂がその場で教える」
「えぇ!今なんと?」
「儂が甲四郎の雑兵となり、敵を小馬鹿にする作法を教えてやると申しておるのじゃ、儂の策に乗ると申すなら、儂が手筈を整える故、甲四郎殿は儂等の後ろで指揮をとれ、いいかな?甲四郎の大将」
「はい・・・」
三郎兵衛の勢いに押され、甲四郎は思わず返事をしてしまった。
呆気にとられている甲四郎をよそに、三郎兵衛は一兵士として周りの者にあれこれと指示を出し、自らもテキパキと身支度をはじめだした。
翌日の昼間、今で云う午後十二時辺りに、平野城の西側の門前に奇妙な集団が現れた。
集団は皆、大きな白い烏帽子のような物を被り、上半身は裸で、顔から腹まで白塗りで、下半身は腰蓑、その集団は、太鼓や木魚を持っていて、それをけたたましく鳴り響かせている。
「いよぉぉ!いよぉぉ!いょうょういょう」 白塗り烏帽子集団の先頭で、三郎兵衛が妙な奇声を発する。
ボン・ボボン・ボン・ボボボン
ボン・ボボン・ボン・ボボボン
三郎兵衛の奇声を合図に、太鼓や木魚の音色が一定の音階を刻むようになった。
そこに数人の武将を引き連れた甲四郎が、颯爽と馬に乗って現れる。
「そこの狂い人どもよ!ここは戦場(いくさば)ぞ!立ち去られい!」
「わしぃ~ら~いくさぁ~で~家とられぇ~女房わぁ~平野のもんに拐かされぇ~」
三郎兵衛が太鼓の音階に合わせるように歌うと、周りの烏帽子軍団が「ヨイヨイ」などと合いの手をいれてくる。
「平野のぉ~鬼どもぉ~呪うたるぅ~ヨイヨイヨイのヨォイのヨイ」
「ヨイヨイヨォイのヨイ」
「お前らどもで何が出来る!樋野より数千の兵が押し寄せここは戦場となるのじゃ!お前等ひねり潰されぬ前に立ち去られよ!」
それでも白烏帽子集団は妙な歌を止めず、ついに堀の淵まで歌いながら前進してしまっていた。
「皆の者!放てぇい!」
三郎兵衛の号令を合図に、堀の淵に並んだ白烏帽子集団は、下半身から逸物を取り出し、堀に向かって、一斉に放尿をし始めた。
その放尿を煽るように数人が太鼓で拍子を取っている。
「このぉ!何をしおる!阿呆どもめ!ここは平野のお城ぞ!」
平野城の見張り台にいる兵士が大声を張り上げる。
それを逆なでするように、三郎兵衛が放尿しながら歌い出す。
「阿呆はぁ~平野のぉ~十兵衛さまぁ~よ~ホォイ!ジョンジョロリィン!ジョンジョロリン!」
平野城内は物珍しさと、挑発に対する怒りと奇妙な軍団に対する蔑みで、西門付近は人であふれかえり出した。
その様子を見計らって、三郎兵衛は近くに居るホラ貝を持った者に目配せをした。
「ホラの音だ!」
平野城東城壁付近の茂みに隠れていた市蔵が、少し野太い声を上げた。
「よし」
甚六はそれだけ云うと、城壁をめがけて走り始めた。
それを市蔵とマシラが追う。
堀まで行くと、僅かな跳躍で向こう岸の城壁へ辿り着けるが、城壁との距離は僅かで、人一人がやっと立てるほどであるから、城壁を乗り越えようにも助走距離が足りない、がしかし、マシラは躊躇うことなく板塀の隙間に指を挟み込むとスルスルと壁を登り、一瞬の間に壁の上に辿り着き、縄を投げ落としてきた。
その縄をつたい、市蔵が上がると、市蔵とマシラで甚六を引き上げた。
城側へ降りると、騒ぎの効果なのか、気味の悪いほど人気の無い路地を行き、米倉まで誰にも気取られる事無く、容易に辿り着く事が出来た。
米倉の入り口は閂がかかっているだけで、鍵なども無く、いとも簡単に侵入できたが、マシラはそれには不満があったらしく。
「アッシの鍵開けの技を、お二人にも見せたかったでゲスがねぇ」
などとボヤき、中へ入って行く。
「市、ワシはここで見張りをしておるから、お前は手筈通り米に火を放ってまいれ」
市蔵は短く頷くと、マシラと倉の中へ消えていった。
「マシラよぉ、サッサとめぼしい物を見つけろよ、火を放つまで、そう時間は残っちゃいねぇだで」
マシラは、盗賊の勘なのか、目移りする事無く、奥側の中心にある棚から物色を始めた。 しかし、辺境の国衆のしかも、その一端にある城の蔵に金目の物が眠っているはずもなく、埃をかぶった壺や皿があるだけで、マシラの期待にそえる品物はなさそうに見受けられた。
だが、マシラはその中の白い壺に目を付けると、それを持ち上げ振ってみた。
ジャラジャラと鈍い異音がする。
「これは、もしや・・・」
マシラは躊躇することなく、腰に差していた鉈を取ると、威勢良くその壺を破壊した。「オイ!マシラ!あまり大きな音を立てるなや」
「スマンでゲス、だが、これを見てくんなさいや」
粉砕された壺の中には、親指の先ほどの金の固まりが、数十個転がっていた。
「こんな場所でコイツを拝めるとは、さい先がいいでゲス」
マシラの表情に鋭さが増し、他の壺も物色し始めた。が、それを市蔵は強く制止した。「マシラ!それでもう十分だろう、もう火を放つぞ」
「いいや!コイツは二度とねぇ好機かもしれんでゲス!もう少しだけ」
「いいや!駄目だ!火種ももたねぇ!」
市蔵は、腰に付けた小さな壺から細い縄をスルスルと引き抜き、その縄の先に燻る火種を米俵に近づけ、引火作業に取りかかる。
「なぁ、旦那ぁもう一つだけぇ」
「妙な声を出すな!金に目をくらますと命まで捨てることになるぞ!」
「チッ!アンタ若ぇのにウチの頭のような事をいいやがる!アンタ山賊の頭領やればいい筋になるかもしれんぜ」
「山賊になどなるもんか!いいから火を放てや」
マシラは不満そうではあるが、金の粒ともう一つの壺を割った際に現れた砂金を急いで巾着袋に押し込むと、手際よく米俵を鉈で裂き、藁を細かくすると着火し始めた。
「このぐらいでいいでゲショ」
マシラの声に市蔵は頷き、二人は米倉を飛び出した。
米倉から飛び出すなり、「火だ!蔵に火だつけられたぞ!」と叫び、逆方向に集まっている城内の者どもを、混乱に陥れる。
それが最初の手筈であった。
が、米倉を飛び出した二人の前には、緊迫した情況が待っていた。
蔵の前の甚六は、槍を構え、今正に四人の城兵達がそれを取り囲んだばかりであった。
「おとう!」
市蔵は、思わず大声を張り上げた。
「市!逃げよ!」
四人の城兵は、槍や刀を手に、甚六に間合いを詰め始めている。
「市!逃げよ!」
甚六は今一度、息子へ向けて叫んだ。
「いやだ!・・・おのれ等!蔵が焼けるぞ!
米が全て焼けてもいいだか!阿呆が!消火をせぇ!」
市蔵の悲痛な声に、甚六を取り囲んでいた城兵が米倉の方を見た。
薄茶色の煙が蔵の入り口から、まるで延徳のように吹き出し始めている。
城兵が視線を移した隙に、甚六はその場から立ち退こうとした。
が、それを見逃さなかった城兵の一人が、甚六の肩に槍を突き立てた。
「おとう!」
叫ぶ息子を甚六は真っ直ぐに見詰め、言い放つ。
「市!三郎兵衛様の元へ!」
甚六は叫び終えると同時に、振り向きざま自分を突き刺した城兵を睨み、その城兵の喉を槍で突き、そのまま連動した動作で背中の弓を構え、もう一人の城兵の眉間を射貫いた。「マシラよ!我が子を頼む!」
そう叫んでいたときには、他の城兵の槍が甚六の腹を貫通していた。
「もう駄目でゲスよ・・・行かねば、アンタの親父さんが浮かばれねぇ」
「いやだぁ!オイも闘う!」
「阿呆をこくなぁ!」
マシラは振りほどこうとする市蔵の腕を強引に掴み、引きずるように城壁へと走った。
「今死んだら!それこそ無駄死にでゲス!アシ等は死ぬ為に来たんじゃねぇ」
「くそぉぉぉ!」
市蔵は、叫びきって掠れた声と、泣き腫らしてクシャクシャのなった顔で走った。
「あの親父さんこそ、モノノフでゲスアンタは・・・その親父さんの為に生きねばならねぇでゲスよ・・・」
いいながらマシラも何故か泣いていた。
西側の城壁では、米倉で火の手が上がるのを合図に、波が引くように撤退を始めた。
とりあえず、戦の一幕は終えた。
後は、全勢力を平野城にあてればよい。
陣に帰り着くと、マシラと俯いたままの市蔵が、三郎兵衛の所へやってきた。
マシラの「収穫物」を見せる為と、三郎兵衛にとっても甲四郎にとっても、よき補佐役であった甚六の死を伝えるためである。
「左様か・・・甚六が・・・」
三郎兵衛は天を仰ぐと、鼻をすすり、潤んだ目を前に向けた。
その横で聞いている甲四郎の目も涙で潤んでいる。
「市蔵よ、黒岩に帰りこのことを母に伝えよ、そしてこの黒田三郎兵衛が必ず甚六の骸を見つけ、故郷に埋めてやるからと伝えよ」
市蔵は俯きながら、それを聞いていたが、頷く事も、前を向く事もなく答えた。
「オイまだ何もしていねぇ・・・オイをここに残してくだせぇ・・・おとうの為に戦いてぇだ・・・」
「何を云う!市蔵!三郎兵衛様の言いつけが守れないと申すのか!」
「甲四郎、そう猛な・・・市蔵の云うことももっともだが、市蔵よ、儂等は平野の者どもを踏みつぶす戦をしておるのではないのだ、同じ土地を守る者だと気づかせるために来たのだ」
三郎兵衛は、マシラが大事そうに抱えている巾着袋をみた。
すると、勘のいいマシラは、その視線の意味を「その中身を見せよ」との意だと察し、袋を渋々と前につきだした。
だが、三郎兵衛はその中身が何であるのか既に解っているようで、首を横に振る。
「その袋の中身が、平野を治める者を狂わせぬよう、忠信様も忠康様も気をもんでおられた。平野の裏に聳える山で僅かばかりの金が採れることを知れば、平野の領主だけで無く、隣国の目の色も変わってしまう」
「山名ですか」
「左様、甲四郎が申すように、十兵衛が金を餌に山名に近づこうとしていたなら、山名は樋野に総攻撃を仕掛けてくるだろう、なので市蔵よ、黒岩に帰り、山名の動きを見てきてはくれぬか」
市蔵は、自分のような者に気遣いのある言葉を選んでくれる三郎兵衛に対し、もう反論する言葉を持たなかった。
市蔵はただ、平伏しながら泣き崩れた。
籠城
井藤十兵衛は決断力が無い男である。
にも関わらず、自意識だけは高い。
彼のその両面が、平野城を孤立化させる結果となる。
第一の特徴、決断力の無さは、城下や周辺の田畑を焼き討ちにし、敵軍の陣地や食料を絶つ作戦か、城下を簡易的にでも要塞化することで、敵を防ぐ手立てを打つべきであったが、十兵衛の決断は、ここでも後手に回ってしまった。
そして第二の特徴、自意識の高さは、自らの領地の人心掌握を完全に行えていると思い込んでいたことである。
城下を破壊し敵にその施設を利用させないようにしたのは、三郎兵衛が砦を出陣したと知った後で、中途半端に町を壊しただけで終わり、田畑を焼くことに着手したのはもっと遅く、三郎兵衛がすぐそこまで迫って来たときで、村人達を城に引き入れることもせずに撤退したために、三郎兵衛の一隊に保護された村人達は三郎兵衛に感謝し、なけなしの食料を差し出してくれた。
城下の人々も日頃から領民のことを考えていない十兵衛のやり方に不満があったため、十兵衛が城内の守りの為、すすんで陣をはる場所を提供してくれた。
結果、十兵衛が強制的に城内へ入れた領民以外、三郎兵衛を支援する側にまわり、平野城は孤城と化してしまった。
孤城となった平野城を大群で取り囲めば、十兵衛は降伏するしか手は無いだろう、普通に考えればそうなのだが、今回の籠城戦は通常とは違う滑稽な様相を見せた。
城を取り囲んだのは、甲四郎率いる三十の先陣と、そのすぐ後方に、三郎兵衛率いる二百数十人、そしてその後方に、畠中信義の本隊が六百数十控えているだけである。
平野城は孤立したとは言え、二千数百人が城内にいて、その中でも戦闘要員として使える人数は千五百から千六百人はいる。
城を取り囲む人員より、籠城する側のほうが人員に富んでいる。奇妙な籠城戦が生まれてしまった。
当然自意識過剰な井藤十兵衛が敵を見くびって討って出てくる。
と、思いきや、十兵衛は城に籠もったまま動こうとしない。
平野城からの弓矢や投石が届かないであろう、ギリギリの地点まで前進し、時に前進して平野城を挑発していた甲四郎等の小隊は、次の一手が打てずにいた。
戦国初期の城は、我々が思い描く「城」とは違い、屋敷を壁で囲った物、と表現した方がわかりやすいかもしれない、平野城も大きな屋敷状の建物を土塀で囲い、その周囲を飛び移るのにも容易な幅の堀が巡らされている程度の城であった。
因みにこの時代、城といえば小高い山の頂上に築かれた山城が主流であったが、平野城は珍しく、平城であった。
もう一つ余談であるが、三郎兵衛等の主君である本田忠康のいる樋野城も平城でる。樋野という土地柄、平坦な地形から突然隆起するように山脈が囲んでいるため、山城に適当な小高い山は領地と領地との境界線にわずかにあるだけなので、城を築くのにてきとうな地点に置くには、平城のほうが最適なのである。
「どうしたものか」
甲四郎は誰にいうでも無く、呟いた。
それを横で聞いていた律儀な甚六が、応答する。
「我等は城の連中を挑発するのが任ですで、押しては引くを繰り返すしかなかろうかと」
「堀の辺りまで押してみるか」
甲四郎が考え倦ねていると、遠くにいて二人の会話が聞こえていないはずのマシラが口を挟んできた。
「それはどうでゲショウかねぇ、平野のお城の連中は、アッシ等が近づいた時だけ仕掛ければ楽にこっちを削れると思っているんじゃねぇですかい」
「むぅぅ」
甲四郎は妙な唸り声をあげ、平野城を睨み付けた。
「アッシ等は栗原の大将に従いますがね、こっちは雇われ、無駄死にはしたかぁねぇんでさぁよ」
それもそうだ、マシラ達足軽は土地の争いで命を落とす義理など微塵もないのだ。
そこへ三郎兵衛の陣へ伝令に行っていた市蔵が帰ってきた。
「おう市蔵、ご苦労、三郎兵衛様はなんと申されていた」
「三郎兵衛様はもう暫く様子を見よと申されておりますが・・・」
含みを持たせたような言い方に、甲四郎が何かあったのか、と投げかけると市蔵は少し慎重な表情を見せ、言葉の調子を落とし、話し始めた。
「私が三郎兵衛様の伝言を聞いた後、城下の者に汁と粥を頂きまして」
その汁と粥を食いながら、城下の者と何気ない話をするうちに、平野城に出入りしていたという女が、私らはこんな物しか食べられないのに、城の米倉にはたっぷり米俵が積まれている。
そんな会話になった。
市蔵は気になってその女に米倉の正確な位置を聞いたのだという。
「それはでかしたぞ市蔵」
甲四郎は思わず声を上げ、思わず市蔵の手を取った。
その会話を少し遠くで聞いていた「地獄耳のマシラ」が、また口を挟んできた。
「アッシが潜り込んで、倉に火を付けてもいいでゲスぜ」
言い終わるとマシラはいやらしい笑顔を甲四郎に向けた。
「金目の物があったらよこせと、そう申すのだろう」
「さすが!栗原の大将ようご存じで」
マシラは下品に「ケケケ」と笑う。
「マシラ一人に行かせたのでは何かと危ないのでは」
甚六は大まじめに進言する。
「何を言いてぇんで」
マシラは露骨にイヤな顔を甚六に向ける。
「そうだな、マシラ一人では何かと不備がある、見張り役に甚六も行ってもらえるか」
マシラはあからさまに不満げな顔を見せたが、甲四郎はそれを見逃してはいなかった。
「マシラよぉ、ワシ等の立場も考えてくれ、ワシ等の隊は足軽中心だが、マシラが仲間を連れて倉を襲ってみぃ、ワシ等は足軽頼みでなんも出来んのかと陰口を叩かれおるわ」
「栗原の大将、気をつかわんでもマシラもわかっておりますわいな」
いつの間にかこの会話の輪に入っていた足軽の頭領「イノシカ」が、野太い声でいい、これまた野太い声で笑うと、まだ不満げな表情をしているマシラの肩をポンと叩いた。
「俺も・・・イヤ私もおとうと行かせてくだせぇ」
市蔵が必死な表情を見せて云う。
「市蔵は栗原様についておれ」
「イヤ、おとうも年だで・・・そいで真面目だで無理をする・・・そうせんように俺はついていきてぇんだ」
甚六と市蔵のやり取りを、甲四郎は複雑な顔で見ていた。
(ワシの所のように親が過剰に心配する家もあれば、このように子が親を気遣う家もあるのだなぁ)
甲四郎は、意見を求める市蔵の視線に気づき我に返った。
「そうだなぁ、倉を焼き討ちにするには二人では足りぬだろう、市蔵もついて行け」
「ありがとうございます」
「だが市蔵には、その前にもう一度足労願いたい」
甲四郎にはある考えがあった。
その旨を市蔵に託し、三郎兵衛の元へと奔ってもらったのだ。
市蔵を伝令に奔らせて数刻後、市蔵は三郎兵衛を伴い、甲四郎の前に現れた。
正直甲四郎は、多少困惑した。
三郎兵衛はその表情に気づいてか、気づかずか、楽しそうな笑顔で甲四郎を見詰め、笑うように噺始めた。
「儂に本領を発揮せよと申しつけるか、栗原甲四郎よ」
三郎兵衛の言葉はには何の嫌みも無く、ただただ清々しく甲四郎を見ながら噺続けた。
「配下に物を命じられるとは愉快じゃ、ほんに愉快じゃ」
甲四郎は恐縮しつつ、ばつの悪そうな微妙な表情で、小柄な中年男を見ている。
甲四郎は、三郎兵衛が機嫌良く噺ている隙を見て、市蔵を近くに呼び寄せ、耳打ちした。「市蔵よ、お前は俺の伝言をどう伝えおったのじゃ」
「いやぁ・・・オイは、云われたとおり伝えたのですが・・・三郎兵衛様は儂が直接行くときかねぇもので・・・」
甲四郎の立てた作戦は、米倉の焼き討ちから敵の目をそらす為、夜襲と見せかけ、敵を挑発する。実に単純なものであるが、甲四郎の受け持つ部隊は足軽中心であり、奇襲や斥候、または野戦での前線を任すには向いているのだが、相手を挑発し、時を稼ぐ戦法を経験していない者が多く、経験豊富であり、敵の挑発に秀でている三郎兵衛の知恵を借りようと、市蔵を奔らせたのである。
が、まさかその意見を請うた人物が直接指導に現れるとは、甲四郎は夢にも思って射なかったのである。
「甲四郎よ何をボサッとしておる。お前の立てた作戦を申してみよ」
甲四郎は「では、恐れ多くも」と、仰々しく前置きすると、作戦の概要を伝えた。
「米倉は北寄りのこの地点にあるとわかっております」
甲四郎は、簡略化された平野城の図面を指さし、その後、南側の城壁(といっても、平野城の場合、板塀の上に見張り用の台が設置されただけの物であるが)を指さした。
「この面に夜襲と見せかけ威嚇攻撃を仕掛けようと思っておりまする」
「ふむ、夜襲かぁ・・・して、夜襲といえども甲四郎の頭数は、三十少しであろう、それをどう補う?」
三郎兵衛には、甲四郎がこれから何を言うのかが解っているようであった。
だが、三郎兵衛はあえてその時点で相手の意見を否定しようとはせず、まず全て聞き入れる。
それが三郎兵衛のいつものやり方である。
「牛や馬に松明を括り付け、こちらを少しでも大人数に見せることが出来れば、平野の目を奪うことが出来るかと考えたのですが」
「なるほどなぁ、その間に米倉を焼こうと申すのか、なるほど、戦を任せて僅かの者にしては天晴れな作じゃ・・・」
しかし、三郎兵衛はその後言葉を続けることをせず、暫く腕組みをすて黙り込んでしまった。
「なにか、不備があれば申しつけてくださいませ」
「ふむぅ・・・此度の大将は甲四郎故、儂がどうこうと出しゃばったことを申すつもりはないし、申し分ないであろう・・・が」
「が・・・なんです?」
三郎兵衛という武将は、我を通すような男ではなし、自らの意見を否定されることへの失望感を知っている。
だから、他の意見を飲み込んだ上で自らの意見を相手に聞き入れさせる術も心得ているのだ。
「此度のような戦は、敵の考えも及ばない事をせねば、米倉の守りの兵までもこちらに寄せることは出来ぬ」
三郎兵衛の立てた奇襲は、甲四郎の考えも及ばないものであった。
「夜襲も良いし、松明を使いこちらを大勢に見せる作も見事だが、夜というのは、守る側の気が一番張っている刻限である」
なので、白昼に堂々と挑発行動に討って出た方が良いと、三郎兵衛は云う。
「ですが、こちらは三十数名、相手はこちらを侮り、全ての目をこちらに向けさせるのは困難かと」
「甲四郎は、城下などで物売りを見た事はあるか?」
「はい御座いますが・・・」
「物売りは口上一つで町行く人を立ち止まらせよる。まぁ立ち止まらんにせよ、人は物売りの口上に耳を傾ける」
「平野城の前で物売り口上をせいと申されますか?」
「いやいや、まだ続きはある。では、大道芸人を見た事はあるか?」
「いいえ・・・ですが・・・大きな町へ出た者から聞いたことはありまする」
「大道芸人という者はな、奇抜な衣装を着て奇声を発したり妙な口上をいって、人目を引きつけよるんじゃ」
だが、その人目の引きつけ方にも工夫があり、サクラと呼ばれる仲間が大道芸人を大げさに褒めそやしたり、芸にケチをつけたりすることで町を行く人が立ち止まると、やっと芸を始めるのだという。
「それを私たちにやれと申されるのですか?そのような芸当、私等が出来るはずもないですし、覚える時間も御座いませぬ」
すると三郎兵衛は、悪戯っぽく笑い。
「儂の真似をすればよいのじゃ、儂がその場で教える」
「えぇ!今なんと?」
「儂が甲四郎の雑兵となり、敵を小馬鹿にする作法を教えてやると申しておるのじゃ、儂の策に乗ると申すなら、儂が手筈を整える故、甲四郎殿は儂等の後ろで指揮をとれ、いいかな?甲四郎の大将」
「はい・・・」
三郎兵衛の勢いに押され、甲四郎は思わず返事をしてしまった。
呆気にとられている甲四郎をよそに、三郎兵衛は一兵士として周りの者にあれこれと指示を出し、自らもテキパキと身支度をはじめだした。
翌日の昼間、今で云う午後十二時辺りに、平野城の西側の門前に奇妙な集団が現れた。
集団は皆、大きな白い烏帽子のような物を被り、上半身は裸で、顔から腹まで白塗りで、下半身は腰蓑、その集団は、太鼓や木魚を持っていて、それをけたたましく鳴り響かせている。
「いよぉぉ!いよぉぉ!いょうょういょう」 白塗り烏帽子集団の先頭で、三郎兵衛が妙な奇声を発する。
ボン・ボボン・ボン・ボボボン
ボン・ボボン・ボン・ボボボン
三郎兵衛の奇声を合図に、太鼓や木魚の音色が一定の音階を刻むようになった。
そこに数人の武将を引き連れた甲四郎が、颯爽と馬に乗って現れる。
「そこの狂い人どもよ!ここは戦場(いくさば)ぞ!立ち去られい!」
「わしぃ~ら~いくさぁ~で~家とられぇ~女房わぁ~平野のもんに拐かされぇ~」
三郎兵衛が太鼓の音階に合わせるように歌うと、周りの烏帽子軍団が「ヨイヨイ」などと合いの手をいれてくる。
「平野のぉ~鬼どもぉ~呪うたるぅ~ヨイヨイヨイのヨォイのヨイ」
「ヨイヨイヨォイのヨイ」
「お前らどもで何が出来る!樋野より数千の兵が押し寄せここは戦場となるのじゃ!お前等ひねり潰されぬ前に立ち去られよ!」
それでも白烏帽子集団は妙な歌を止めず、ついに堀の淵まで歌いながら前進してしまっていた。
「皆の者!放てぇい!」
三郎兵衛の号令を合図に、堀の淵に並んだ白烏帽子集団は、下半身から逸物を取り出し、堀に向かって、一斉に放尿をし始めた。
その放尿を煽るように数人が太鼓で拍子を取っている。
「このぉ!何をしおる!阿呆どもめ!ここは平野のお城ぞ!」
平野城の見張り台にいる兵士が大声を張り上げる。
それを逆なでするように、三郎兵衛が放尿しながら歌い出す。
「阿呆はぁ~平野のぉ~十兵衛さまぁ~よ~ホォイ!ジョンジョロリィン!ジョンジョロリン!」
平野城内は物珍しさと、挑発に対する怒りと奇妙な軍団に対する蔑みで、西門付近は人であふれかえり出した。
その様子を見計らって、三郎兵衛は近くに居るホラ貝を持った者に目配せをした。
「ホラの音だ!」
平野城東城壁付近の茂みに隠れていた市蔵が、少し野太い声を上げた。
「よし」
甚六はそれだけ云うと、城壁をめがけて走り始めた。
それを市蔵とマシラが追う。
堀まで行くと、僅かな跳躍で向こう岸の城壁へ辿り着けるが、城壁との距離は僅かで、人一人がやっと立てるほどであるから、城壁を乗り越えようにも助走距離が足りない、がしかし、マシラは躊躇うことなく板塀の隙間に指を挟み込むとスルスルと壁を登り、一瞬の間に壁の上に辿り着き、縄を投げ落としてきた。
その縄をつたい、市蔵が上がると、市蔵とマシラで甚六を引き上げた。
城側へ降りると、騒ぎの効果なのか、気味の悪いほど人気の無い路地を行き、米倉まで誰にも気取られる事無く、容易に辿り着く事が出来た。
米倉の入り口は閂がかかっているだけで、鍵なども無く、いとも簡単に侵入できたが、マシラはそれには不満があったらしく。
「アッシの鍵開けの技を、お二人にも見せたかったでゲスがねぇ」
などとボヤき、中へ入って行く。
「市、ワシはここで見張りをしておるから、お前は手筈通り米に火を放ってまいれ」
市蔵は短く頷くと、マシラと倉の中へ消えていった。
「マシラよぉ、サッサとめぼしい物を見つけろよ、火を放つまで、そう時間は残っちゃいねぇだで」
マシラは、盗賊の勘なのか、目移りする事無く、奥側の中心にある棚から物色を始めた。 しかし、辺境の国衆のしかも、その一端にある城の蔵に金目の物が眠っているはずもなく、埃をかぶった壺や皿があるだけで、マシラの期待にそえる品物はなさそうに見受けられた。
だが、マシラはその中の白い壺に目を付けると、それを持ち上げ振ってみた。
ジャラジャラと鈍い異音がする。
「これは、もしや・・・」
マシラは躊躇することなく、腰に差していた鉈を取ると、威勢良くその壺を破壊した。「オイ!マシラ!あまり大きな音を立てるなや」
「スマンでゲス、だが、これを見てくんなさいや」
粉砕された壺の中には、親指の先ほどの金の固まりが、数十個転がっていた。
「こんな場所でコイツを拝めるとは、さい先がいいでゲス」
マシラの表情に鋭さが増し、他の壺も物色し始めた。が、それを市蔵は強く制止した。「マシラ!それでもう十分だろう、もう火を放つぞ」
「いいや!コイツは二度とねぇ好機かもしれんでゲス!もう少しだけ」
「いいや!駄目だ!火種ももたねぇ!」
市蔵は、腰に付けた小さな壺から細い縄をスルスルと引き抜き、その縄の先に燻る火種を米俵に近づけ、引火作業に取りかかる。
「なぁ、旦那ぁもう一つだけぇ」
「妙な声を出すな!金に目をくらますと命まで捨てることになるぞ!」
「チッ!アンタ若ぇのにウチの頭のような事をいいやがる!アンタ山賊の頭領やればいい筋になるかもしれんぜ」
「山賊になどなるもんか!いいから火を放てや」
マシラは不満そうではあるが、金の粒ともう一つの壺を割った際に現れた砂金を急いで巾着袋に押し込むと、手際よく米俵を鉈で裂き、藁を細かくすると着火し始めた。
「このぐらいでいいでゲショ」
マシラの声に市蔵は頷き、二人は米倉を飛び出した。
米倉から飛び出すなり、「火だ!蔵に火だつけられたぞ!」と叫び、逆方向に集まっている城内の者どもを、混乱に陥れる。
それが最初の手筈であった。
が、米倉を飛び出した二人の前には、緊迫した情況が待っていた。
蔵の前の甚六は、槍を構え、今正に四人の城兵達がそれを取り囲んだばかりであった。
「おとう!」
市蔵は、思わず大声を張り上げた。
「市!逃げよ!」
四人の城兵は、槍や刀を手に、甚六に間合いを詰め始めている。
「市!逃げよ!」
甚六は今一度、息子へ向けて叫んだ。
「いやだ!・・・おのれ等!蔵が焼けるぞ!
米が全て焼けてもいいだか!阿呆が!消火をせぇ!」
市蔵の悲痛な声に、甚六を取り囲んでいた城兵が米倉の方を見た。
薄茶色の煙が蔵の入り口から、まるで延徳のように吹き出し始めている。
城兵が視線を移した隙に、甚六はその場から立ち退こうとした。
が、それを見逃さなかった城兵の一人が、甚六の肩に槍を突き立てた。
「おとう!」
叫ぶ息子を甚六は真っ直ぐに見詰め、言い放つ。
「市!三郎兵衛様の元へ!」
甚六は叫び終えると同時に、振り向きざま自分を突き刺した城兵を睨み、その城兵の喉を槍で突き、そのまま連動した動作で背中の弓を構え、もう一人の城兵の眉間を射貫いた。「マシラよ!我が子を頼む!」
そう叫んでいたときには、他の城兵の槍が甚六の腹を貫通していた。
「もう駄目でゲスよ・・・行かねば、アンタの親父さんが浮かばれねぇ」
「いやだぁ!オイも闘う!」
「阿呆をこくなぁ!」
マシラは振りほどこうとする市蔵の腕を強引に掴み、引きずるように城壁へと走った。
「今死んだら!それこそ無駄死にでゲス!アシ等は死ぬ為に来たんじゃねぇ」
「くそぉぉぉ!」
市蔵は、叫びきって掠れた声と、泣き腫らしてクシャクシャのなった顔で走った。
「あの親父さんこそ、モノノフでゲスアンタは・・・その親父さんの為に生きねばならねぇでゲスよ・・・」
いいながらマシラも何故か泣いていた。
西側の城壁では、米倉で火の手が上がるのを合図に、波が引くように撤退を始めた。
とりあえず、戦の一幕は終えた。
後は、全勢力を平野城にあてればよい。
陣に帰り着くと、マシラと俯いたままの市蔵が、三郎兵衛の所へやってきた。
マシラの「収穫物」を見せる為と、三郎兵衛にとっても甲四郎にとっても、よき補佐役であった甚六の死を伝えるためである。
「左様か・・・甚六が・・・」
三郎兵衛は天を仰ぐと、鼻をすすり、潤んだ目を前に向けた。
その横で聞いている甲四郎の目も涙で潤んでいる。
「市蔵よ、黒岩に帰りこのことを母に伝えよ、そしてこの黒田三郎兵衛が必ず甚六の骸を見つけ、故郷に埋めてやるからと伝えよ」
市蔵は俯きながら、それを聞いていたが、頷く事も、前を向く事もなく答えた。
「オイまだ何もしていねぇ・・・オイをここに残してくだせぇ・・・おとうの為に戦いてぇだ・・・」
「何を云う!市蔵!三郎兵衛様の言いつけが守れないと申すのか!」
「甲四郎、そう猛な・・・市蔵の云うことももっともだが、市蔵よ、儂等は平野の者どもを踏みつぶす戦をしておるのではないのだ、同じ土地を守る者だと気づかせるために来たのだ」
三郎兵衛は、マシラが大事そうに抱えている巾着袋をみた。
すると、勘のいいマシラは、その視線の意味を「その中身を見せよ」との意だと察し、袋を渋々と前につきだした。
だが、三郎兵衛はその中身が何であるのか既に解っているようで、首を横に振る。
「その袋の中身が、平野を治める者を狂わせぬよう、忠信様も忠康様も気をもんでおられた。平野の裏に聳える山で僅かばかりの金が採れることを知れば、平野の領主だけで無く、隣国の目の色も変わってしまう」
「山名ですか」
「左様、甲四郎が申すように、十兵衛が金を餌に山名に近づこうとしていたなら、山名は樋野に総攻撃を仕掛けてくるだろう、なので市蔵よ、黒岩に帰り、山名の動きを見てきてはくれぬか」
市蔵は、自分のような者に気遣いのある言葉を選んでくれる三郎兵衛に対し、もう反論する言葉を持たなかった。
市蔵はただ、平伏しながら泣き崩れた。
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