夢屋奇譚見聞録

十ノ葉

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5.赤い手紙④

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 「で、どうすんの?」

 近くのコンビニで仕入れてきた弁当片手に横の男へ問う。正直あんまり食欲ないけど、腹に食べ物を入れといた方が人間は落ち着くものなのだ。

 「犯人が小倉さんを呪うにあたって、使用した場所はさっきの神社で間違いありません。可能なら呪いに使った道具を回収したかったんですが無理でしたね」

 淡々と答える後輩はサンドイッチを咀嚼しながら自分の首を擦っている。くっきりと浮き出た手の形の痣が痛々しい。俺は店で適当に選んだお茶を時嗣に渡してやり、重ねて質問した。

 「道具って藁人形みたいな?それ回収したら呪いを止められるのか?」
 「うーん。回収しても呪いは止まりませんけど、現場に残しておくよりはマシですよ」

 何せ犯人、紛い物の神と縁を繋いだ状態ですからね。しれっと呟く時嗣に俺は箸で摘まみ上げていた玉子焼きを取り落とす。黄色い塊が弁当容器の上で踊った。
 彼曰く、あの神社は今でこそ手入れをされて外観を保っているが、以前は管理者も参拝者もなく打ち捨てられた社だったのだとか。土地の所有者が変わり管理だけはされるようになったものの、あくまで表面的な修繕を行って倒壊を防いでるに過ぎないそうだ。

 「・・・それも、夢で?」
 「いいえネットで」
 「ネットかよ!」

 そんな事まで夢で視れるのか、スッゲーな!と内心驚いてたらこれだよ!俺の気持ち返して!

 「俺は霊能力者じゃないですってば。使えるものは使っていかないと」

 いつもの癖で眼鏡の位置を直しかけ、けれども眼鏡をしていなかった事を思い出した時嗣が軽く息を吐く。

 「本来神社の境内は聖域です。でも信仰を失えば、神が土地を守る力は弱くなる。長らく放置されて形だけ残った社に別物が潜り込む場合があるんですよ。あそこが心霊スポットとして話題に上がり始めたのも、恐らくは・・・」

 神様じゃない、別の何かが入り込んだって事か。俺が言葉を繋ぐと時嗣は静かに頷いた。

 「・・・先輩。今から怖い話、してもいいですか」





 夜霧を纏った緩い風が少女の短い髪を湿らせる。鬱蒼とした木々の下、懐中電灯の心細い明かりだけ頼りに、ブランドのスニーカーを履いた足は急かされるように前へ進んだ。緊張のためか浅く繰り返される呼吸が衣擦れの音に混じる。

 『生意気なのよ、中学まで無名だったくせに』

 小さく独り言ちた少女は左肩に引っ提げたトートバッグを握り締め、一層足の速度を上げた。

 『周りからチヤホヤされちゃってさ。調子に乗ってんでしょ。ちょっと痛い目見ればいいんだ』

 冷たく言い放った彼女が遂に立ち止まったのは古い神社の前。社務所もなく、夜中ともなれば人間の気配などどこにも感じられなかった。思わず少女は喉を鳴らすが、余程の決心があるのだろう、強張った面持ちで拝殿に続く石段を踏む。

 『・・・・・・ッ』

 風で茂みが立てる音に肩を震わせながら、短い石段を登り切った先で大きな鳥居を潜った。暗闇に聳え立つ姿は異様な重圧を放ち、不気味な空気を漂わせる。恐ろしさに耐えかねて目を逸らした少女は拝殿の左側へ回り込んだ。木立が深い影を落とすそこに、一本の古木を見い出す。風雨に晒され千切れかけた注連縄を巻かれた、御神木のようであった。

 『・・・これ・・・?』

 近寄ってよくよく懐中電灯で照らしてみる。暗いせいで遠目には分からなかったが、無数の小さな穴が幹にびっしりと開けられていた。いっそ悍ましい光景に少しばかり怯んだ少女は、けれども次の瞬間には口元に引き攣った笑みを浮かべて『この木だ』と呟き、トートバッグへ片手を差し入れる。取り出したのは藁人形だった。

 『別に死んだりしないでしょ』

 彼女の左手が藁人形を幹に固定する。人形の胸の辺りに五寸釘を宛がい、同じく左手の指先で押さえた。右手に構えた金槌が高い音を立てて大きな釘を打ち据える。また一つ、古木に穴が開く。冷たい杭が、木肌を裂いて突き刺さる。
 どのくらい同じ動きを繰り返したか。数分経って金槌を振り下ろす手を止めた少女は、肩で息をしながら顔を伝う汗を乱暴に拭った。金槌をトートバッグへ放り込み、藁人形を睨みつける。そうして踵を返すとやって来た時以上の速さでもって一目散に駆け出して行った。





 自宅のベッドへ疲れた身体を投げ出す少女は、中々寝付けずにいるようだ。照明を消して暗くなった室内で、頻繁に身動きしている。

 『バッカみたい・・・。やっぱり噂は噂じゃん』

 不満を漏らしてスマホへ手を伸ばした。眠れぬ夜の暇潰しにゲームでもしようと思ったのだ。しかし暗さで目測を誤った結果、指先で弾かれたスマホがベッドから床へ滑り落ちる。ゴトリと響いた鈍い音に舌を打ち、億劫な身体を捩ってベッド下のスマホを拾い上げようとした。

 『?』

 足が、そこにあった。ベッドサイドから一歩分離れた場所に、骨が皮を被ったようなガリガリに痩せた足がこちらを向いて立っている。

 『ヒッ!』

 喉から下手くそな笛に似た音が出た。

 『誰!?』

 抜けそうになる腰を気力で動かして、ベッドの反対側へ逃げたつもりが、すぐに壁へと背が当ってしまう。諦め悪く藻掻く爪先がシーツに波を作った。

 『―――――・・・た・・・』
 『は?』

 ガサガサと罅割れた声が耳に届く。内容までは聞き取れず、うっかり相手の顔を見上げてしまった事を少女は激しく悔やんだが後の祭りだ。全身から冷たい汗が噴き出してくる。

 『・・・む、迎、え・・・に・・・』

 迎えに来た。少しの柔らかさも感じさせない樹皮の如き唇は、途切れ途切れに紡いだ。性別も分からない、目玉を失った相貌。枯れ枝と見紛うばかりの手足が襤褸切れと化した白い着物の端から覗いている。疎らに残った白茶けた髪の毛は腰辺りまで伸びていた。間違いなく、この世の者にあるまじき姿。
 少女は冷や汗に塗れながら必死で考え、思い出す。藁人形を打ち付ける前にスマホで読み漁ったネット記事。もしもあの神社で、あの御神木で丑の刻参りをした後に怪異の訪いを受けたならこう言えと―――――・・・

 『・・・わ、私は!あなたと一緒に行けません!代わりの者がお供します!』
 『・・・・・・』
 『あなたの、供をする者の名は―――――・・・!!』





 「ギブ!!俺もうギブ!!」

 両手で左右の耳を覆って首を振った。これ以上聞けない、絶対に夜寝れなくなる。

 「心配しなくても、俺の夢はこれで終わりです」

 時嗣は平然とした態度でお茶を飲んでいるが、え、お前このホラーな夢見た本人だよね?確かに次の日眠そうにしてたけどさ、してたけどさ!怖がってるって言うより純粋に睡眠時間足りませんでした、って雰囲気だったよね?鋼メンタルなの?

 「・・・ちょっと、問題解決させる気あるんですか?」

 あまりに怖がっていたら後輩からお小言を食らった。そ、それはそうか。俺が時嗣に協力を頼んだのに震えてる場合じゃないよな。

 「悪い。えっと、つまり、その夢に出てきた女の子が犯人、って訳か」
 「でしょうね。供をする者として小倉さんの名前を挙げてましたし」
 「供って・・・どういう意味なんだ?」

 今一つピンとこないので素直に口にする。イメージ的には時代劇なんかで旅をするお偉いさんに付き従う家来、ってところだが、相手は呪いだ。まさかお出掛けするからついて来て、というような顛末ではないだろう。

 「言ってしまえば、あの世に渡って側近くに仕えるという意味ですかね」

 ほらやっぱりぃぃぃ!!死ぬヤツじゃん!

 「しかも藁人形に自分の髪を仕込んで、まず一旦自身を狙わせてから呪いたい相手に標的を挿げ替えてます。珍しい事例ですが、その分厄介ですよ」

 何で?という疑問が顔に浮かんでいたらしい。時嗣が簡単に説明してくれた。

 「真っ直ぐ送られた呪いなら、お祓い・・・いわゆる呪詛返しも単に送り返すだけで済みます。今回みたいに本来の標的の前に別の人間が挟まっていると、ただ送り返しただけでは呪いを放った当人までスムーズに戻りません。悪くすれば、送り主の前の人間で止まります」
 「呪いが止まった人は・・・」
 「ご想像の通りで」

 死ぬんですね、分かります。死なないまでも事故に遭ったり大病を患ったり、きっと憂き目を見る。俺は腹の底から深い溜息を吐いた。もう一つの嫌な事実に気づいてしまったからだ。

 「今回の犯人の子、呪いを掛けた張本人だろ。小倉さんの前に呪いを受けた人間でもある。呪詛返ししたらどっちにしろ戻るよな?」

 案の定時嗣は「そうですね」と肯定した。

 「多分、リスクを調べもせずに軽い気持ちで手順だけ実行したんでしょう。本当に今回は頼んだ相手が悪かったんです」
 「さっきの神社か・・・」

 車窓から神社へと続く細い道の入り口を見つめる。真昼の太陽に照らされているはずなのに、何故だか薄暗く、寒々しく感じた。もう二度と近寄りたくないと思いながら車のエンジンをかけて、俺達はお互い言葉少なにコインパーキングを後にした。








 「前に呪いにも色々なタイプがあるって言いましたよね」

 流れる風景を眺めつつ、時嗣が口を開く。うん、と返すと彼は続けた。

 「これ、滅多にないんです。移動型」
 「移動型?」
 「普通は藁人形に入れられた情報に沿って、その相手を呪って終わり。でも例外があって。助かりたかったら身代わりの人間を寄越せってタイプです。身代わりに名を挙げられた人間は、余程でなければ更に別の人間を身代わりには出来ない。詰まるところ二番目の人間はほぼ確実に呪われる訳ですね」

 ゾッとした。人間の悪意って、俺が思う以上に根深いようだ。たった十数年生きただけの平凡な女の子が、同級生に対し軽い気持ちで呪いを送る。ネットで安易に調べて簡単に道具を調達して。どうせ死にはしないだろうって?冗談じゃない。彼女は知らないんだ、とんでもないものに手を出して、自分も相手も命の危機に直面してる事を。

 「本当に力の強い霊能者なら、問答無用で送り主に叩き返せると思いますが、あいにく大袈裟に動けませんし。まぁ呪詛返しは最初からやらない方向でしたから問題ありませんけど」

 時嗣は助手席で凝った身体を解すように伸びをする。

 「余程の事がなければ身代わりも立てられないって言うけど、どうするんだ?呪いを返さず無事に解決出来るんだよな?」

 呪いについて知れば知る程不安が増した。少々焦った口振りで確認すると、隣の男は唇をへの字に曲げる。

 「身代わりを立てる条件は血の繋がり。親兄弟が当事者の代わりに命を差し出す他ありません。結局誰かが死ぬまで終わらないんですよ。嫌でしょ、人が死ぬのは」

 当然だ。短く答えると今度は下がっていた口角が僅かに持ち上がる。表情に乏しいと思っていた後輩は、変化が小さいだけで案外分かりやすい質らしかった。

 「無事に終わるかは分かりません。が、呪いは返さず、解かずで放置しましょう」
 「・・・は?え?はぁ?はぁぁあああ!?」

 長閑な光景の中を進んで行く車内に、俺の素っ頓狂な大声が満ちる。今俺の目の前にはなだらかな国道、それと絶望の二文字が浮かんでいた。
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