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第五話
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もうすぐ夜がくるね。今頃恵介さんのお家は騒ぎになってないだろか。大事な息子が帰って来ないんだ、御母堂の心労如何ばかりかと。あぁ、またそんなこと言って。弟だけが可愛いなんてあるモンかい。・・・やれやれ、まったく頑固なこった。なんなら今からでも家へ送って行ってもいいんだけどねぇ・・・。はぁ。無理に送り返したりしないよ、ほんと、ほんと。だからアタシの手に爪を立てるのはよしとくれ。
でもね、家に帰りたくなったらいつでもアタシに言うんだよ?恵介さんにゃ帰れる家があるんだ、意地を張るのも程々に。・・・アタシ?無理だよ!無理無理!今帰ったら待ち構えてる雷オヤジの餌食になっちまう!足が馬鹿になるまで文机から離してもらえるもんか!・・・なに笑ってるんだい。恵介さんだってね、大人になりゃアタシの気持ちがきっと分かるよ。ううぅ・・・。
そんなことより次の話を聞かせろって・・・ちったぁ哀れんでくれてもいいのに。はいはい、話しますよ、話しますとも。
コホン。今回は、そうだなぁ。掛け軸にしよう。うん、床の間なんかに飾られてるアレだよ。色んな動物や風景が描かれてて、風情があって良いよねぇ。絵師によって大分趣が違うから、好みの画を探すのも一興だ。
さて、とある家に一幅の掛け軸があった。そこにはなんとも雄々しく生き生きとして、今にも動き出しそうな龍が描かれていた。絵師は無名の男だよ。しかし無名と侮るなかれ。この家の主が男の筆運びに惚れ込んで、頼みに頼んで描いてもらった一点だ。完成した掛け軸を受け取った主人はたいそうな喜びようだったとさ。
立派な龍の画を家の者だけで楽しむのはもったいないと、客間に飾ることにした彼ら。瞬く間に掛け軸は近所でも評判となった。いっそう愛着を持った家族は毎日龍の画を褒める。そうして画が傷まぬように大切にし続けたというから、家宝の如き扱いだ。
幾日か過ぎた頃、予期せぬ男が家を訪う。所用でこの辺りを歩いていたが、にわかに具合が悪くなってしまった。おこがましい願いは承知の上で、ひと時身を休める場を借り受けたいと言うじゃないか。主人たちは大いに戸惑ったものの、成る程、外は茹だるような暑さだし休める場所もない。外へ放り出してしまったら行路病者確定だと思った。行路病者ってのは行き倒れのことさ。昔は割と見かけたモンだよ。この国も貧しい時代が長かったからね。
に、しても。ここの人間は根っからのお人好しなんだろねぇ、皆して来訪者の言葉を鵜呑みにしちまった。客間に布団を敷いて寝かせ、医者を手配しようとまでするんだから。家に転がり込んだ男は医者を断って、大人しく身を横たえていた。恐縮しきりの様子で家の者たちが客間を出て行くのを待ちながらね。
おや、気づいたかい?そ。男は物盗りさ。強盗する気概はなかったのか小賢しいのか、なるべく穏便に金目のものを盗ろうとしたらしい。きっと評判の掛け軸に目をつけていたんだろうが、さぁ大変。
男がチラと視線を向けた先で、なんと掛け軸の龍が眼をカッと見開いた。牙の並ぶ口の端に焔をなびかせ真っ赤な舌を男目がけてうねらせる。これには男のみならず、家の者まで腰を抜かした。男は這う這うの体で文字通り転がるように逃げ出したそうだ。
明くる日、掛け軸を覗いた主人は大騒ぎさ。なぜって、掛け軸は真っ白。まるでもぬけの殻だったんだ。挿げ替えられた?いいや、違う。龍が姿を消した他は表装のどこをとっても見慣れたものだ。小さな傷や色具合までね。龍だけが影形残さず消えちまったんだ。
慌てた主人は再び絵師の元を訪れて、わけを話した。もう一度あの龍を描いてほしいと。絵師の方もそういうことならば、と筆を執ってくれたが・・・二度と満足いく龍を描き上げることは叶わなかったという。絵師の筆が龍に命を吹き込んだのか、龍が筆に宿って己の姿を描かせたのか。どちらにしろ、龍の掛け軸はそれきりさ。
はてさて、抜け出した龍は今頃どの辺りを飛んでいるんだろうねぇ。もう紙の中に住まいはないが、きっと今でも彼ら家族を遥かな天より見守ってるに違いない。
ほら、遠く唸り声が聞こえるだろう?
でもね、家に帰りたくなったらいつでもアタシに言うんだよ?恵介さんにゃ帰れる家があるんだ、意地を張るのも程々に。・・・アタシ?無理だよ!無理無理!今帰ったら待ち構えてる雷オヤジの餌食になっちまう!足が馬鹿になるまで文机から離してもらえるもんか!・・・なに笑ってるんだい。恵介さんだってね、大人になりゃアタシの気持ちがきっと分かるよ。ううぅ・・・。
そんなことより次の話を聞かせろって・・・ちったぁ哀れんでくれてもいいのに。はいはい、話しますよ、話しますとも。
コホン。今回は、そうだなぁ。掛け軸にしよう。うん、床の間なんかに飾られてるアレだよ。色んな動物や風景が描かれてて、風情があって良いよねぇ。絵師によって大分趣が違うから、好みの画を探すのも一興だ。
さて、とある家に一幅の掛け軸があった。そこにはなんとも雄々しく生き生きとして、今にも動き出しそうな龍が描かれていた。絵師は無名の男だよ。しかし無名と侮るなかれ。この家の主が男の筆運びに惚れ込んで、頼みに頼んで描いてもらった一点だ。完成した掛け軸を受け取った主人はたいそうな喜びようだったとさ。
立派な龍の画を家の者だけで楽しむのはもったいないと、客間に飾ることにした彼ら。瞬く間に掛け軸は近所でも評判となった。いっそう愛着を持った家族は毎日龍の画を褒める。そうして画が傷まぬように大切にし続けたというから、家宝の如き扱いだ。
幾日か過ぎた頃、予期せぬ男が家を訪う。所用でこの辺りを歩いていたが、にわかに具合が悪くなってしまった。おこがましい願いは承知の上で、ひと時身を休める場を借り受けたいと言うじゃないか。主人たちは大いに戸惑ったものの、成る程、外は茹だるような暑さだし休める場所もない。外へ放り出してしまったら行路病者確定だと思った。行路病者ってのは行き倒れのことさ。昔は割と見かけたモンだよ。この国も貧しい時代が長かったからね。
に、しても。ここの人間は根っからのお人好しなんだろねぇ、皆して来訪者の言葉を鵜呑みにしちまった。客間に布団を敷いて寝かせ、医者を手配しようとまでするんだから。家に転がり込んだ男は医者を断って、大人しく身を横たえていた。恐縮しきりの様子で家の者たちが客間を出て行くのを待ちながらね。
おや、気づいたかい?そ。男は物盗りさ。強盗する気概はなかったのか小賢しいのか、なるべく穏便に金目のものを盗ろうとしたらしい。きっと評判の掛け軸に目をつけていたんだろうが、さぁ大変。
男がチラと視線を向けた先で、なんと掛け軸の龍が眼をカッと見開いた。牙の並ぶ口の端に焔をなびかせ真っ赤な舌を男目がけてうねらせる。これには男のみならず、家の者まで腰を抜かした。男は這う這うの体で文字通り転がるように逃げ出したそうだ。
明くる日、掛け軸を覗いた主人は大騒ぎさ。なぜって、掛け軸は真っ白。まるでもぬけの殻だったんだ。挿げ替えられた?いいや、違う。龍が姿を消した他は表装のどこをとっても見慣れたものだ。小さな傷や色具合までね。龍だけが影形残さず消えちまったんだ。
慌てた主人は再び絵師の元を訪れて、わけを話した。もう一度あの龍を描いてほしいと。絵師の方もそういうことならば、と筆を執ってくれたが・・・二度と満足いく龍を描き上げることは叶わなかったという。絵師の筆が龍に命を吹き込んだのか、龍が筆に宿って己の姿を描かせたのか。どちらにしろ、龍の掛け軸はそれきりさ。
はてさて、抜け出した龍は今頃どの辺りを飛んでいるんだろうねぇ。もう紙の中に住まいはないが、きっと今でも彼ら家族を遥かな天より見守ってるに違いない。
ほら、遠く唸り声が聞こえるだろう?
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