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第二話
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遠い昔、この辺り一帯は小さな港町だった。本当だとも。恵介さんの生まれる、ずぅっとずぅっと前のことだよ。浜の近くには漁師の仕事小屋が並んでいてね、日の昇る前から船を出しちゃ、灯りを掲げて皆沖へと出て行くのさ。真っ暗な水面に火が照り返して、小高い丘から眺めると天の星を撒いたように美しかったっけ。
世間では荒くれ者が多いなんて言われる漁師たちだけど、本当のところはそうでもない。ちょいと言葉がキツイだけ。浜言葉って言ってねぇ。なぁに、慣れりゃあ小気味の好いモンさ。
それでね、アタシの知る連中に一人、驚く程信心深い男がいたんだよ。朝起きては神仏に家族の無事と大漁を祈願し、日中は真面目に働いて、眠る前には一日の恙ない終わりを感謝してまた祈る。まったく絵に描いたような気真面目さだろう?見習え?いやだなぁ、なんで弟と同じこと言うんだい。
まぁ彼も漁師だからね、船に乗って沖へ出れば・・・憚られるけれども、時折そういったモノにも出くわすんだ。ほら、あの、うん。海で命を落とした・・・そう、それ。薄暗い空の下、たぷたぷと揺れる黒い海面に浮かんでるんだと。ゆらりとね。
彼は哀れな者たちを見つけるたびに、必ず船へと引き揚げた。もう大丈夫、きっと家族の元へ帰してやるからな。そう声をかけて。そうするとね、物言わぬ冷たい身体から、何故だか一筋の血が流れる。口からだったり、鼻からだったり。どういうことわけがあるのやら、アタシにはさっぱりさ。でもねぇ、彼にはそれが言葉なき返事に思えたそうだよ。性根のやさしい人間だったんだろうなぁ。
ある日いつものように漁へ出た時のこと。時化る前触れなんてこれっぽっちもなかったのに、突然海が荒れ出した。運悪く彼の船だけ岸を遠く離れていたせいで戻るにも時間を食っちまう。見る間に空は厚い暗雲に覆われ、大粒の雨が激しく身体を打ち始めた。風も強いもんだから、木の葉もかくやと船は揺れに揺れた。目を開けるのも困難な嵐の中で港の方角も分かりゃしない。船べりを越えた波が足元に深い水溜まりを作るのを見て、彼はついに船が沈むのを悟った。己は船諸共に海の藻屑となるのだと。
轟々と唸る天を見上げながら、想うのは家に残してきた妻子の顔だ。まだ幼い子を抱え、妻はこれから如何程の苦労をするものか。押し潰されそうな彼の心に、ふっと焔が立ち上る。
「神よ御仏よ!」彼は風雨の彼方へ声を張り上げた。「このままでは俺は生きて帰ることは叶わない!日頃あれ程に信心してきた俺を哀れに思うお心があるのなら、今こそお助け願いたい!」さもなくばこれまでの信仰をすべて捨ててやる!とね。いやはや恐れ入る!まさか神仏にこんな啖呵を切ろうとは。実に面白い男だよ彼は。
そうして雨ざらしの船上でじっと宙を睨み据える目に、突然光が届いた。まるで灯台から放たれる閃光のように、真っ直ぐ伸びる白い光が。
直感って言うのだろうね。光を辿れば港へ戻れると、急ぎ船を進ませた彼は本当に無事港へと帰り着いたそうだよ。もう港は上を下への大騒ぎさ。だってねぇ、嵐の中を沖から戻って来れるなんて、誰も思ってなかったんだもの。小さな船だ、とっくに引っ繰り返って沈んだと思うだろ?けれど彼の妻だけは漁師仲間に諭されても諦めきれず、雨に震えながら船着き場で夫の帰りを待っていたというから泣けるじゃないか。
誰が灯台に灯りを点けたのかって?ふふ、そんなモンありゃしないよ。小さな小さな港町だったんだ、作業小屋の他にはいくつかの漁具が置かれてるだけの、岩と砂浜が続く町だった。だからこそ不思議に思った漁師連中は長いこと、この姿なき灯台の話で持ちきりだったらしい。まこと神仏の御加護があったか、妻の祈りが通じたか、はたまたこれまで救い上げてきた亡者の恩返しか、なんてね。答えは一体どれなのやら。
・・・おや、本当だ。波の音が聞こえる。そこはかとなく潮の匂いもするような。おかしいね、海を土で埋めちまって久しいってのに。
もしかしたら、元の姿形は失っても、この土地は海があったことを覚えているのかも知れないねぇ。そんなら今宵尋ねてみようか。
あの時の光の正体を。
世間では荒くれ者が多いなんて言われる漁師たちだけど、本当のところはそうでもない。ちょいと言葉がキツイだけ。浜言葉って言ってねぇ。なぁに、慣れりゃあ小気味の好いモンさ。
それでね、アタシの知る連中に一人、驚く程信心深い男がいたんだよ。朝起きては神仏に家族の無事と大漁を祈願し、日中は真面目に働いて、眠る前には一日の恙ない終わりを感謝してまた祈る。まったく絵に描いたような気真面目さだろう?見習え?いやだなぁ、なんで弟と同じこと言うんだい。
まぁ彼も漁師だからね、船に乗って沖へ出れば・・・憚られるけれども、時折そういったモノにも出くわすんだ。ほら、あの、うん。海で命を落とした・・・そう、それ。薄暗い空の下、たぷたぷと揺れる黒い海面に浮かんでるんだと。ゆらりとね。
彼は哀れな者たちを見つけるたびに、必ず船へと引き揚げた。もう大丈夫、きっと家族の元へ帰してやるからな。そう声をかけて。そうするとね、物言わぬ冷たい身体から、何故だか一筋の血が流れる。口からだったり、鼻からだったり。どういうことわけがあるのやら、アタシにはさっぱりさ。でもねぇ、彼にはそれが言葉なき返事に思えたそうだよ。性根のやさしい人間だったんだろうなぁ。
ある日いつものように漁へ出た時のこと。時化る前触れなんてこれっぽっちもなかったのに、突然海が荒れ出した。運悪く彼の船だけ岸を遠く離れていたせいで戻るにも時間を食っちまう。見る間に空は厚い暗雲に覆われ、大粒の雨が激しく身体を打ち始めた。風も強いもんだから、木の葉もかくやと船は揺れに揺れた。目を開けるのも困難な嵐の中で港の方角も分かりゃしない。船べりを越えた波が足元に深い水溜まりを作るのを見て、彼はついに船が沈むのを悟った。己は船諸共に海の藻屑となるのだと。
轟々と唸る天を見上げながら、想うのは家に残してきた妻子の顔だ。まだ幼い子を抱え、妻はこれから如何程の苦労をするものか。押し潰されそうな彼の心に、ふっと焔が立ち上る。
「神よ御仏よ!」彼は風雨の彼方へ声を張り上げた。「このままでは俺は生きて帰ることは叶わない!日頃あれ程に信心してきた俺を哀れに思うお心があるのなら、今こそお助け願いたい!」さもなくばこれまでの信仰をすべて捨ててやる!とね。いやはや恐れ入る!まさか神仏にこんな啖呵を切ろうとは。実に面白い男だよ彼は。
そうして雨ざらしの船上でじっと宙を睨み据える目に、突然光が届いた。まるで灯台から放たれる閃光のように、真っ直ぐ伸びる白い光が。
直感って言うのだろうね。光を辿れば港へ戻れると、急ぎ船を進ませた彼は本当に無事港へと帰り着いたそうだよ。もう港は上を下への大騒ぎさ。だってねぇ、嵐の中を沖から戻って来れるなんて、誰も思ってなかったんだもの。小さな船だ、とっくに引っ繰り返って沈んだと思うだろ?けれど彼の妻だけは漁師仲間に諭されても諦めきれず、雨に震えながら船着き場で夫の帰りを待っていたというから泣けるじゃないか。
誰が灯台に灯りを点けたのかって?ふふ、そんなモンありゃしないよ。小さな小さな港町だったんだ、作業小屋の他にはいくつかの漁具が置かれてるだけの、岩と砂浜が続く町だった。だからこそ不思議に思った漁師連中は長いこと、この姿なき灯台の話で持ちきりだったらしい。まこと神仏の御加護があったか、妻の祈りが通じたか、はたまたこれまで救い上げてきた亡者の恩返しか、なんてね。答えは一体どれなのやら。
・・・おや、本当だ。波の音が聞こえる。そこはかとなく潮の匂いもするような。おかしいね、海を土で埋めちまって久しいってのに。
もしかしたら、元の姿形は失っても、この土地は海があったことを覚えているのかも知れないねぇ。そんなら今宵尋ねてみようか。
あの時の光の正体を。
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