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第三章 明和攪乱変

神州大日本聯邦

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「聞かせてくれまいか。備中でいかな禍事が起ったのですか?」

 寺田宗有は、船頭に扮した白焚乱《しらたきろん》に訊ねた。そして何故、我々を襲うような真似をしたのかと。

「腕に覚えのあるもんを探しておった。だらに党が息を吹き返すためにゃ新しい力がいる。やつらの抗うにはわしらの呪力じゃ追っつかねえ」

「回天楼」横合いから俺は口を挟んだ。動かしているのは口だけではない。白焚とやらの代わりに船を漕いでいるのだ。まったく渡し賃は返してもらうぞ。

「うん。あの男の剣は格別だ。火の女も」
「その女ってのは月の兎か?」
「名は知らぬ。江戸を焼いた女だという」

 間違いない。やはり月の兎は回天楼に加わっているのだ。仔細の知れぬ謎めいた伍・回天楼はかの漆羅漢と互角の戦いを繰り広げたという。

「あなたの仰る剣客とは誰なのですか?」

 御守は絡繰りの手入れに余念がない。潮風は絡繰りを錆びさせるので油を差すのであろうか。こうするうちにも船は桑名へ向かって進んでいくのである。こいつらは涼しい顔しているが、船が進むのは、俺の労苦のお蔭だということをてんからわかっていない。

「弥助。だんだらの羽織をまとったかの者は、仏頂寺弥助と呼ばれておった」
「仏頂寺弥助か」

 その名を聞いた瞬間に俺の胸の奥に激しい焔が生じた。赦し難い仇敵となる名だと直観が告げたのたのである。

「それほどの腕前なのか。ここにいる寺田よりも? 言いたくねえが、この防人の業前は尋常のものではないぜ」
「剣の窮理を求めて精進する一介の剣術家とは違う。あれは異端の剣よ。この世の、いやこの世界のものとは思えぬ。道理を捻じ曲げたような悪逆の業には我が党の呪術も太刀打ちできなんだ」

「ふーん」などと言っているうちに接岸した。「ともかくてめえが俺らを襲ったのは間違いねえ。せっかくいい加減に酔ってたのに醒めちまったよ。どう落とし前をつけんだ」

 船酔いを忘れてしまったのをいいことにそこを逆手にとって俺は因縁をつけた。

「わしらに助勢を願いたい」

 揺れる船底から、地べたに降り立ったとたん、白焚は伏して請うた。
 さすがの俺も毒気を抜かれ、おいおいと顔を上げさせた。五烈の一たる備中だらに党の長が頭を下げるなど前代未聞であろう。麟堂も、魑魅魍魎というに似つかわしい人外の五烈にあってだらに党だけはまともで信用に足ると言っていた。なるほどちったぁ人倫礼節をわきまえているらしいな、と俺が言えば「どの口でそれを言うんです」と御守がちくり嫌味を言う。

「彼奴等は突如として現れた。わっしらが居を定めた山城に火を放ち、呪剣の一閃で山肌をえぐり取った。だらに党の庇護を受ける領民たちをことごとく殺して回り、川を血で赤く染めたよった。仏頂寺とまみえて生き延びたは、わっしのみ」

 忸怩たる思い。癒えることのない悔恨の情が青白く男の全身を染め抜いている。一言一言に凄惨な痛みの記憶が響く。

「やつらの目的はいかなるものなので?」潮風が寺田の鬢のほつれ毛をなびかせる。

「わからぬ。回天楼はなんの言挙げもなしに途轍もない暴威のみを刻み込んだのだ」

「何し負う備中だらに党が手も足も出なかったとするならば――」御守は攻略を糸口を探ろうと視線を宙に泳がせる。しかし正体も目的も不明の無法者であるだけにどんなとっかかりも見えやしない。

「わっしの術を破ったあんたたちとなら、彼奴らに一矢報いることができるやもしれん。このまま西へ下るのであれば、案内人があって損はない。なにしろもうこの先は江戸とはまるで違う世間が広がっちょる」
「なんだいそりゃ」
「まもなく関所がある。その向こうは異界よ」
「異界なら慣れてる。何しろ俺らは迷宮潜りだからな」
「そうではない。知っておろう。江戸のその外では時の流れようがまるで違ったことを。江戸が停滞している間に、外では長い月日が流れたのだ。もはや江戸は文化の中心ではない。むしろ立ち遅れた未開地よ」

「へー」己がその原因だと知りつつも、まるでピンとこないまま俺は気怠く頷いた。

「この御仁を信用したわけではないが――この話には一理ある。我らが助力するかどうかは置いても、いったん道案内を頼むのは良策ではないでしょうか」と寺田。

「罠かも」御守は俺よりも慎重で疑い深い。

「いーじゃねーか。寝首を掻かれるかもしれねーが、迷宮でくたばる気分に比べりゃ地べたで死ねるならなんぼか幸せだぜ。まずは伊勢まで。それでどうだ?」
「決まりです」

 害意はないと見たのであろう、重々しく寺田が眼を細めた。
 御守はまだ何か言いたそうであったが、ひとまずこの場は収めることにしたようだ。それにまだ船酔いが残っているらしく、しつこく食い下がる元気もなさそうだった。

 四人となった一向は、街道をゆっくりと進んでいく。
 意外にも健脚だったのは御守で、全身を覆う絡繰りの大部分を取り外した簡素版とはいえ、それでも六貫もあろうかという装備を背負いながらの道中において、音を上げるどころか男たちの速度に決して遅れを取らなかったのだから大したものだ。

 生来、気さくで明るい質であろう白焚乱であったが、やはり大きな喪失のあとである、時折鬱屈とした面差しになることもあった。猪のような面相だったが、不思議と憎めない愛嬌がある。この男には、金九字の脊川黙雷にはない柔和な魅力があるのと同時に強者揃いの伍を従える威風も見えた。なによりあれほどの呪力を船の上で行使できるのである。底知れぬ実力者であるのは間違いない。そんな白焚に俺たちは道々西国の様子を訊ねがら、欠けている知識の外堀を埋めていくのであった。

「なんだ、この道は、こんなにがっしり圧し固めた道は江戸にもねえぞ」

 白焚からぶんどった握り飯を頬張りながら俺は言った。
 飛来する米粒を避けながら、白焚がこともなげに説明するには、これは舗装道路と呼ばれるものらしい。なんでも瀝青材料でもって道を固めているという。伊勢の国の石薬師宿を過ぎたあたりで道は閉ざされていた。

「ここから先は別の領域なんだ」
「なんだ、このギザギザの針金は?」
「鉄条網というものだ。この境界線は琵琶湖のほとりまで延々と続いておってな、外からも内からも出入りを禁じられてる。江戸とその周辺は災央圏と呼ばれ、迷宮を擁した未開地として忌み嫌われちょる」
「じゃあよ、外のやつらは己らをどう定めてんだよ」
「神州大日本聯邦。お主らは聯邦に属さぬ野蛮な旧民というわけよ」

 粗末な板塀と鉄条網で大地が切り分けられているのである。瀝青の道はその先へ続いているに違いないが、向こう側は見えない。これは恐ろしいことだ。天下の首府たる大江戸がこの国の最果て、辺境と見なされる時代が来るとは。

「どうやってあちらへ行くのですか?」

 御守が小首を傾げれば、寺田はむっすりと息を吐く。

「ふむ。腰のものでこじ開けてもいいが、それもいささか」
「心配すんねえ。あちこちに穴が空いてんだ。分りにくいが、そこから出入りできるって寸法よ。ここから塀沿いに北に向かえば――」

 言いかけた時だった。
 壁の向こうから轟轟と唸り声、獣のようでもあるその音が瞬く間に接近したかと見れば、一気に塀は破砕され、あちからより何かが飛び出してきた。

「なんだぁ?!」

 それは禍々しい鉄塊であった。
 突進してきた物体の青黒い横腹には土煙がたなびいて、はっきりしとした仔細はわかぬものの、空け放たれた彼方の風光は眼に新しい。

 かの迷宮とは異なっていたにしろ――そこは別天地であった。
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