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第二章 迷宮顛倒変
至福浄土
しおりを挟む基礎、連携、基礎と相も変わらず欠伸《あくび》が出るほど地味な修練を俺たちは続けた。ぢりぢりと舞台は迷宮の深みに下っていったが、やることは一向変わらぬ。
訓練からの帰りしなに俺たち歩きながら話すのだったが、御守や雪之丞が口を酸っぱくして言うことは大概同じだった。
「敵、そして味方との隔たりを把握することが大切です。武器と呪法の届く間合いを肌で憶えてください。あるいは迷宮の奥行きや幅、天井までの高さを常に意識してください。道場の強者や街の腕自慢はもちろん戦場の経験者であっても迷宮で辛酸を舐めるのは、生死の間合いを違える、それ故なのです」
俺の習得した朱雷吼《しゅらいく》という雷撃が迷宮内での使用が禁じられているのも、上の理由に深く関わる。威力の及ぶ範囲が大きすぎて味方を巻き込まずにいられぬからである。さらに呪力の操法にいっそう熟練すれば、その力を低減させぬまま狭い部分に集約できるのであろうが、いまの俺には夢のまた夢。地上で大暴れした分、窮屈な迷宮では己を殺して鼠の如く小さくこそこそと立ち回らねばならぬのが歯がゆかった。
「さて――じゃ次は」
「はいはい。隘路における陣形変化その参。だろ。はぁ」
「なんですかその顔。陰険無慈悲な面相に不満と鬱憤が加われば、これぞ見苦しさの極みってものです。捨てておしまいなさいそんな顔」
石動御守は滅茶苦茶を言う。俺に対する当たりは寒風に鉛が混じったような手厳しさが常である。俺とて我慢の限界、堪忍袋の緒が切れることもある。何度か勝負を挑んではみたものの、少なくとも迷宮ではまったくお話にならぬほど実力に懸隔がある。俺はボロ雑巾のようにされて、一度ならず露禅丹の世話になった。
「そして雪之丞様のような眉目秀麗な温顔をどこぞで拾ってきたらいいのです」
悔しいが御守の絡繰《からく》りはまさしく迷宮にぴったりの代物だ。迷宮の地勢・状況に合わせて柔軟にその形状を変えるのである。凡庸な絡繰り六部であれば、図体がでかすぎて通路に詰まったり、大仰な重みにそれを動かす呪力が土壇場で尽きたりするところを見事に解決している。まさに迷宮と絡繰りの両者を熟知した才女と――本人には口が割けても言わぬ――言えよう。
「でもよぉ」俺はぶすっとした。
「おう、樋口の。言うたれや」と絵師の三浦が加勢してくれる。この男も地味な修練に飽いているのである。
「なんですか?」と御守。
「……だからよぉ、もうそろそろいいんじゃないかって思うぜ。それなりに連携もこなれてきたしよ、はじめの頃に比べればずいぶんと見違えたんじゃねえの」
「ふん、本当にそんなことを思ってるんですか。あれだけ皆の足を引っ張ったあなたが、やっと多少は見られるようになったばかりだっていうのに、どの口でそんな――」
「うう。そらそうだけどよぉ」俺はしつこく愚図った。愚図りながら、飛び掛かってきた魍鬼をセデックの蛮刀ではたき落とす。
「それだけ言うのなら覚悟はできてるってことなんでしょうね」と御守が一呼吸分の不気味な溜めを作った。俺は御守の十倍返しに身構えた。機械の剛腕に備えた。
「――わかりました。基礎の修練はここ今日で終いです」
あっけなく御守は告げた。長かった下積みの日々が終わったのだが、俺は肩透かしを食った気分である。何か裏があるのでは、と疑心暗鬼になる。
「皆さんは充分に強くなりました。これからは実戦を通じて強くなって貰います。明日から本格的な迷宮の攻略に入りましょう。いままで受けていた奉行からの依頼の難度を数段上げます」
なんだなんだ、いままでが実戦じゃなかったみたいな言い方をするが、俺たちの訓練は迷宮のそこかしこで魔物や罠に脅かされながらの命がけのものであった。それも御守にとっては鼻歌気分だったのだとしたらなんとも面憎い。
「報償金も高くなるが、危険も増す」と雪之丞の眉目秀麗の温顔とやらが険しくなる。
「まず地下二十一階を目指す。そこに頭領は我らの隠れ里を作ろうとしていたのだ」
薊野の西瓜の眼窩の奥が炯炯と輝いた。
そういえば義賊鼬小僧とその一党は迷宮の淵に誰にも侵害されぬ自分たちの棲み処を造ろうと算段していたのである。慮傍《りょぼう》のみで結成された血狼煙という連中もまた己の国を築こうと目論んでいるらしい。しかし、彼らは鼬《いたち》小僧と違って権力の眼から逃れようとはしないであろう。五烈とはそんな可愛げのある手合いではない。奴らは血塗られた手で己らの領分をもぎ取るはずだ。国を盗《と》る。そうして地上に版図を拡げる腹積もりであろう。
「鼬《いたち》の野郎はどうしてそんな夢を見ちまったんだい? 山野に潜んで暮らすだけでも十二分にてめえらは自由気ままでいられたはずだろう」
「扶持や家を持って生まれたものにはわからぬ。流謫《るたく》の身として生まれたような我らのことはな。先祖より伝わった土地も家財もない。水面に揺れる枯葉の如く心許ない存在が抱く悲しみなど由緒ある武家の子が知るはずもない」
「ふん」と俺は鼻息を吹いた。「今日はえらく語るじゃねえか」
「昔、血狼煙に加わろうとしたことがあった。しかし、やつらの悪辣残忍さは樋口、お主とて足元にも及ばぬ。とりわけ首領の不知火流々《しらぬいるる》はまごうことなき天下の梟雄《きょうゆう》よ。やつの狂気に引き込まれれば身の破滅は必死」
そうであろう。千人斬りの脊川黙雷と渡り合ってる連中だ、それとおっつかの気狂いであろう。にしても寡黙な薊野がここまで言を費やすなど本当に珍しい。血狼煙に思うところがあるようだ。もしかしたら鼬の理想は、強行をもってする血狼煙の対置物として発案されたのかもしれぬ。同じ六道の者であっても施政者と融和・共生を目指す者もあれば、反対に暴力によって権利を切り取ってしまえばいいと前のめりに意気込む者もあろう。俺自身は血狼煙の急進さに心魅かれるのも事実だ。薊野は俺の気持ちを読み取ったのか、
「そう。我が弟も奴らの烈火に魅入られた」
「へぇ、じゃあんたの弟は血狼煙に入ったのかい?」
「うむ。いまでは不知火の右腕として有名だ」
――薊野良致《あざみのりょうち》。それはこいつの弟の名前らしい。瓜頭にとって兄弟とは同じ根から生まれた同胞《はらから》であって、俺たちの考える親類縁者とは風情が違うらしいが、そこに情愛が欠けているわけではない。それどころかもっと身近でかけがえのない間柄だと言う者もある。
「互いに弟には苦労するな」
「いかにも。強いても切れぬ腐れ縁とは厄介なもの」
静かな熱を帯びていた薊野の弁もやがて穏当になった。
「その地下二十一階にゃ何があるんだ? 鼬《いたち》の奴が何を企んでたのか知れねえが、やつは深手を負っててめえらの盗賊団は瓦解した。そうだろ?」
「ああ、頭領の意志を引き継いでわたしがそこに行きたいのは、そこが、この迷宮において……いやこの世界において唯一の至福浄土だからよ」
「知らないの? ったく樋口はこれだから」と御守が小馬鹿にした顔をしてみせる。
「だから、なんなんだよ!」
俺が肩をいからせれば、
「迷宮ってのは階層ごとにいろんな性質があるのは散々見てきただろ?」
なだめるように雪之丞が言う。
「風が吹いたり、床が傾いたり、川が流れてるのもあったな」
「そう。二十一階にあるのは肥沃な大地。そして非殺生の徹底」
「ん? 殺生が禁じられてる? この迷宮でか? そんなもんどうやって? 役人が取り締まってんのか。無理だろそんなもん。与力や岡っ引きが江戸中を駆け巡ったとて、刃傷沙汰は無くならねえ」
「そうではない。できないのだ。暴力そのものが二十一階ではいかようにも発動せぬ」と薊野がくぐもった声で言う。怒り憎しみに嫉み恨みなど暗い感情を抱かぬわけではない、ただそれが暴力として発露されぬ。殺意が具体的な行為に到ることがない。皆の発言をまとめると要するにそういうことらしい。
「得体の知れぬ魔力が、人の内側から暴力を封じ込めている」
それが地下二十一階の性質というわけか、だから――
「至福浄土なのだな」俺は納得した。
確かに平和な里を築くのであれば、そこはうってつけであろう。そこでは騒乱も内輪揉めも起こらぬ。いや、あったとしても流血沙汰に発展することがない。その上、外部から暴力が振りかかる心配もない。滋養溢れる果物がたたわに実り、心地いい楽の調《しらべ》は絶え間なく、乳と蜜の川が流れる。どこぞで聞いたようなそんな退屈な楽園を俺は夢見る。
「本当にそれがあるのなら一度拝んでみたいもんだ」
俺の口ぶりはどこか疑わし気であった。
かような場所なら、人が押し寄せるであろうが、迷宮二十一階という絶妙な深さが強者以外を遠ざけてもいる。まさに選ばれた者にしか門戸を開かぬ隠れ里、あるいは桃源郷といった趣きである。
夢想を打ち破って雪之丞が現実へ俺たちを引き戻す。
「じゃ、そこを目指すとして、ひとまずは手近に地下十三階にまつわる依頼がある。やってみるかい? こいつは前金で四両。成功したしたらその十倍が支払われるそうだ。なかなか気前がいいだろう」
「ほう」と俺は頬を持ち上げた。うちの伍の連中に金の嫌いな奴はいない。「鳩でなけりゃなんだっていいぜ」
「ほんなら決まりや」書き物の手を止めて三浦が言った。わかっているとも。この絵師も浄土になど興味はないのだ。この男の心を揺さぶるのは、どぎつくてぎらぎらとした灰汁《あく》の強いものばかりである。
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(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
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