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第二章 迷宮顛倒変
鮨
しおりを挟むてんやわんやのあげく魍魎街へ戻ってみれば、雪之丞と弟の久兵衛が待ちくたびれていた。忘れちゃいけないのが廻鳳もそこに居たこと。それに見たくもねえ、むさくるしい面が三つほどある。
「おい。久兵衛。お前――」
俺の難詰の先手を取って、
「兄上。申し訳ございませぬ」
と旅籠兼居酒屋である鯨波の土間に滑り込むよう弟が土下座した。
雪之丞も廻鳳も冷たい眼差しを俺たち兄弟に注いでいる。傍に居並ぶは身の程知らず恥知らずの道場破りどもである。合計八つの眼が忙しなくハラハラと俺たちを交互に見やる。
「どうしてこいつらが生きてやがる。死礫になるまで何度でもぶち殺すって約束だったな。すり下ろして粉薬にするってよぉ」
ひぃいと浪人共の頭である野々目一刻が怯えた声を上げる。睾丸を切り落とされて瀕死の状態で迷宮に放り込まれたはずである。どうしてぴんぴんしてやがるかというと――
「廻鳳様の手を借りてこやつらを蘇生させました」
だろうよ。じゃなきゃこんなに元気なわけがねえ。
「蘇生に成功しちまったらまた殺す。失敗して死礫になるまで繰り返す。そうだったな」
そいつが弟を迷宮入りさせる条件であった。
「――わたしにはできませんでした」
土下座の状態からわずかに顔だけを上げて弟が言う。
「こいつらぁ、うちの看板を足蹴にしたあげく、芋といっしょに火にくべたんだぜ。てめえも武家の子なら誇りに泥を塗られた無念、晴らすためならこんな塵《ごみ》ども何遍殺しても飽き足らぬはずだ」
「はい。返す言葉もございません」
平身低頭。うやうやしい態度を決め込んでいる。
「何度も手にかけましたが、その度に彼らは首尾よく――いえ悪く、蘇り……その」
命を奪う感触に弟は戦慄いている。そうだ、それを知らねば迷宮に潜る資格はない。戦国は遠い昔、武士はその本分を忘れ、太平の世において形ばかりのものとなった武の上にあぐらを掻いてふんぞり返っている。白刃を佩いていたところで冷徹無比の殺意をもって抜くのでなければ、そんなものはただの棒切れに過ぎまい。
「殺しても殺しても蘇ってくるもんだから、ちょっと草臥《くたび》れちまったのさ」
と雪之丞が弟を庇った。
そうだ。町人の出で不本意にも女の身を受けて生まれた雪之丞の方がよほど武人の気概を持っている。すなわち、必要とあらば誰であれ殺せるのである。
「殺しても殺しても何度も、そのたびに喚き、罵り、抵抗し……しかし終いには、こいつらも生きる望みを断って、頼むから、もう二度を蘇らせないでくれと哀願された。それでもまたぞろ蘇り――」
無限地獄であったろう。殺す方も殺される方も。野々目一党はまるで別人のように驕りも猛りもない面付きである。三途の川で冷たい行水をしてきたのだ、生半可な我執は落ちてしまうであろう。
麟堂門下の俊英であるわたしにしくじりを期待されても困りますよ、と廻鳳が自慢含みで取りなした。どんな廃物でも使える程度には直してみせます、とかなんとか。
「ふん、万死に価すると気を吐いたのが、この体たらくか。まぁいいや。正味のところお優し過ぎるおまえにゃ期待なんざしてなかったしな。殺し尽くせなかったのは物足りねえが――」
と俺が獰猛に歯をむき出しにすれば、野々目たちは魅入られたかのように身を竦ませる。
「ま、この阿呆どもも二度と身の程をわきまえぬおいたはしねえだろーさ」
野々目の一党は俺の言葉に打たれたわけでもあるまいに、弟に後ろに同じく手をついて頭を地面にこすりつけて「御寛恕に感謝します」だの「この恩は一生」などと埒もない戯言を並べている。
「久兵衛。お前は俺の命を全うできなかった。よってうちの伍に加えることはできねえ。しかし、その手を血に染めたのも確か。股座のぬるい迷宮ならおまえを受け入れるだろうさ。それにこの犬畜生どもを冥途に届けられなかった責もある」
「つまり?」
「ふん、相変わらず察しの悪い野郎だ。おめえが伍長になってこの馬鹿どもと隊伍を組むんだよ。ひとりはどうした? 上がって来る途中でくたばったか? だったら丁度五人でぴったりじゃねえか。俺たち大江戸大迷惑が後見になってやらぁ」
最後の一言で、弟の顔に一抹の不安がかすめたのを俺は見逃さなかった。野々目たちは不穏な成り行きを見せる己の運命におろおろする。
「野々目一刻。それに穴子、ハゼ、平目」
魚そっくりの手下どもが呼ばれてびくりと震える。
「これから西瓜頭の呪禁仕と落ち合う。てめえらはうちの弟に許されるまで伍から抜けるのはまかりならん。薊野がてめえらにある呪《まじない》をかける。いいか。死ぬまで弟に尽くせ。でなければ、顔にお似合いの鱗だらけの魚人になるのだ。わかったか」
デタラメだったが、恐ろしい目に合った野々目たちは俺の虚言をあっさりと信じた。
職能をどうするかなど、いろいろ些末な手続きはあろうが、それはみんな麟堂に丸投げしてしまえばよかろう。そういえば廻鳳はどうしてこんな浅い場所まで上がってきたのであろうか。
「たまには地上の風に吹かれてみては、とおいらが引っ張ってきたんだ」
答えたのは雪之丞であった。見れば廻鳳もまんざらでもなさそうだ。どこかうきうきと楽しそうでもある。迷宮で化物どもを腑分けしたり、得体の知れぬ菌などを蔓延らせているだけでは年頃の娘としては不健全に過ぎる。雪之丞の判断はごく真っ当である。
「麟堂先生に久しくご挨拶を欠いておりますので」
そうかそうか。麟堂への尊敬篤い廻鳳である。此度の出戻りは麟堂に会うのが眼目なのであろう。
「先生はお元気でしょうか」
と訊かれて俺は言葉に詰まった。
「まぁ、それなりにじゃねえか」
俺のあやふやな言いぶりに廻鳳は怪訝な顔をしたが、追及はしなかった。
「震央舎で学んだ日々は楽しいものでした。ああ、麟堂先生の凛とした講義の声がいまも耳に蘇ります。お屋敷も第二の我が家のように親しんでいましたから、まるで里へ帰るような気持ちなのです。あのお庭。青龍の松。池の鯉たちもさぞかし大きくなったでしょう。朝夕に名前を呼んで餌を投げてやったものです」
ここへ来て俺の心は宇宙の彼方へ遊離する。
廻鳳が地上へ戻って拝むのは、半壊した屋敷と黒焦げになった庭である。おまけに険しい面付きで鼻息を出し入れする麟堂ももれなく付いてこよう。
「ええと、そ、そうだな。ゆっくりしてくるんだな」
「はい。楽しみで楽しみで逸る気持ちを抑えられません」
いまにも廻鳳は駆けだしていきそうであった。行っちまえ。
「では、我々も廻鳳様の後を追って地上へ出ます。兄上の仰る通り、我々で伍を組むにしても麟堂先生に一度お目通りしたほうがよろしいかと」
「ふん、久兵衛、で、迷宮はどうだった? 楽しめたか」
「ゾッとします。あんなものは正気の沙汰ではございません」
「でも潜るんだろ」
「はい。確かにここでなら何かを掴めそうな気が致します」
久兵衛並びに野々目たちはようやく上体を起こしたが、いまだ威儀を整えて正座のままであった。とっくり眺めりゃまこと魚じみた顔ぶれである。野々目の刻薄な人相は鮫を連想させるし、弟のふくれ面は昔から箱河豚のようだと思っていた。
「鮨三昧《すしざんまい》」
「兄上、それは‥‥?」
「何っておまえたちの隊伍の名前だろうが。俺が直々に名付け親になってやろうってんだから、ありがたく思えや」
「鮨三昧《すしざんまい》ですか。それはあまりにも」
「なんだよ、どこがいけねえ?」
本来なら柏手を鳴らして「いいぞ」などと喝采するところなのに、皆一様に錆びた鉄瓶さながらの仏頂面。どいつもこいつも俺の名付けの美学を理解しない鈍物たちである。
生臭い魚河岸のような面々であるから鮨三昧《すしざんまい》。いいではないか、どこが悪い? 響きよし字面よし意義よし。近江商人言うところの「三方よし」とはこのことだ。
「一応、麟堂先生にもお伺いを立ててみます」
おずおずと弟が言った。
しかし、その瞳の奥には決死の拒絶が見え隠れする。
「いいよ、んなもん。立てなくても」
「急くことはありますまい。こういった類の事は勢いだけではなんとも」
「なら、鮨郎《すしろう》にするか」
俺が新たな妙案を捻り出すと、もとより暗い迷宮がいっそう暗く陰鬱になった。
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