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第二章 迷宮顛倒変

万死

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 ※残酷描写あり

 ぼとり、ぼとり、と炎の中に八つの手首が落ちた。

 斬られた当人たちは、俺の白刃が翻るさまを見取ってはいない。〈省略《せいりく》〉の効いた挙動は速度は鈍くとも、記憶に残らぬものである。対応もまた至難であった。

「あれ?」破落戸《ごろつき》どもはきょとんと顔を見合わせた。
 噴き出す血。しかし、それを受けても火勢は弱まらぬどころか一層激しさを増すようである。火中にくべられた手は色づいた紅葉の葉のようで秋の深まりを想わせる。

「さすがにあんたは躱《かわ》したか」
 遅れて溢れ出るのは浪人どもの悲鳴である。馬鹿どもの苦痛は耳に心地いい。弟の視線に憧憬と嫉妬とが――さらには嫌悪も――入り混じるのを感じる。

「ほぉ、いい太刀筋だ」と野々目がにやりと口の端を持ち上げるが、そこに先程までの余裕は微塵も見当たらぬ。内心の恐懼《きょうく》がとめどなく漏れ出ている。

「だろう? さてもう一手」
 ひらりと俺は焚火を飛び越えて野々目に迫った。受けやすいよう、あえて〈省略《せいりく》〉を使わない凡庸な斬撃を繰り出してみせる。

 ――キンっ!

 案にたがわず野々目は床に置いた刀を拾って鞘から抜かぬまま、迫りくる刀勢を受け切ったかに見えた。これを食らうようではお話にならぬ。

「がぁ」
 刃は身に届いてはいないというのに、野々目は呻き、がくがくと痙攣するが、倒れることもままならないようだ。石のように硬直したまま動かない。

「迷宮仕込みの呪剣仕の剣を不用意に受けるとは。ど素人が」
 貫電法。刀に雷に変換した呪力を流し込んでおいたのである。通電する物体で受ければ、もちろん電撃を浴びる羽目になろう。怒張した一物がいまだ勢いを失わないのは見事というべきか。

「兄上! これは神技に類するものだ!」
「馬鹿、大げさだ。こんなもん。ただの手慰みさ」
「たった一瞬で、こんなにあっさりと――」

 弟の子供じみた興奮には付き合っていられぬ。
 迷宮にはもっと化け物じみた連中がいると教えてやるつもりもない。

「殺していいのなら、もっと簡単だったぜ」
 俺は事実を言ってのけた。

 屋敷の床には女が横座りになって、俺と野々目を空虚な眼差しで交互に見比べている。事の顛末に思考が追いつかないでいるらしい。濡れた唇がわなわなと震えた。

「あんた。散々いたぶられたのだろう。こいつはしばらく動けやしない。仕返しもさせやしない。どうだい? ひとつ刀でこいつの一物をぶった切ってみねえか?」

 白痴のようにこくこくと女は頷いた。と思えば、ふるふると首を振る。

「こいつらは悪党だ。俺たちがもっと悪党じゃないって保証はないが――それでもあんたは自由になった。振るうべき剣もある。さて、あとは好きにしな」

 幽鬼じみた女の裸体が立ち上がった。
 不動の金縛り状態にある野々目の戴く鞘から刀身を引き抜いた。

「兄上!」
「黙ってろ。復讐は痛みを和らげねえが、次の痛みを振り払う気概にはなるだろうさ」

 ――やめろ。やめてくれ

 野々目が視線で懇願した。
 女は不格好に刀を振り上げた。

「ぎゃああああああ!」
 野々目の一物は無事だったが、睾丸の片方が削ぎ落された。

「狙いは外したが上出来だ。さぁ、行きな。こいつは死ぬ。夢に出てきたら、夢の中でまた斬り殺してやればいい」

 女は野々目の打掛を剥ぎ取って身にまとったと思うや、脱兎の如く駆けだしたのだったが、門を出たあたりでおもむろに振り向くと、こちらにぺこりと頭を下げた。

「おい、雪之丞見てたんだろう。出てこいよ」
 と俺は言った。

「あららら。バレてたか。窮地になったら物陰から射かけてやろうかと思ってたんだけど、必要なかったな」

 ひょいと門柱から顔を出したのはうちの弓術仕であった。どうやら御守を振り切ったらしい。

「どうしてここに?」
「家に行ったらさ、殺気立った二人が出かけるところだったから、面白そうなんでこっそりついてきたってわけ。にしても伍長。外で派手に暴れ過ぎじゃないか。迷宮に余力を残しといてくれよ」

 雪之丞はニヤニヤしながら、酸鼻を極めた惨状を見回す。成り行きは理解しているらしい。こいつらに同情の欠片も見せないし、この程度の地獄絵図は慣れっこであろう。

「迷宮では加減が難しくて試せない技をな、この馬鹿どもで試そうとしたんだが、その前にこんなザマだ。こんなもん、余興にもならねえ」
「そうかい。おっと弟さん、お久しぶりだな」

 久兵衛と雪之丞は顔見知りであった。

「はぁ、ご無沙汰してます」と久兵衛は気の抜けた返事をする。
「で、どうするんだ? こいつらの始末は?」

「ああ、まずはてめら」と俺は焚火の周りの雑魚どもに告げる。「死にたくなかったら、うちの看板を拾いな。足蹴にしたら容赦しねえ。心を込めて丁寧にな」

「意地悪だね。こいつらの手なら、樋口さんが叩き切ったろうが、どうして拾えるんだ?」
「へへ、そうかよ。だったら犬のように咥えてくるんだ。逃げたら殺す」

 野々目の門弟どもは、這いつくばって火に頭から突っ込んだ。
 さっきまで図に乗って吠えていた連中がこうして火中のボロ看板を競うようにしてまさぐっている様を見るにつけ、まったく世の無情さを感じざるを得ない。顔も髪も着物も炎に炙られて黒焦げ、少なく見積もっても死に体である。

「‥‥ゆ、許ひてくらはい」
「死んじまうぅ、死んじまうよぉ」

 さっきまでの威勢はどうしたと尻を蹴り上げる。別の看板を咥えて出てきたり、炎の中に落とした己の刀に触れて傷を負ったりと、まったく滑稽なほどに忙しない。

「っはっはっはははははははははは!!!」
 俺は哄笑した。腹がよじれるほどに敵を笑いのめす。愉快千万であった。

「なぁなぁ、どこの漁村から繰り出して来たか知らねえが、どこをどう履き違えてうちに喧嘩を吹っかけたんだ? 郷里じゃ、おつむに湧いた蛆虫で食いつないでたのか? ひ弱な屑が背伸びしたばっかりに人生お釈迦じゃねえか。須磨なんたら流ってのも一代こっきりの短い寿命だったな。まったく救えねえ。救えねえ。そっちの玉無しもなぁ!」

 尊大な仕草で野々目を指差すと、奴はまるで火矢に打たれたように身を竦ませる。完全に心が折れてしまっているのである。

「ま、まったくもって身の程知らず……このあたりで堪忍してくれねえか。詫びならいくらでも。ご、後生だ」
 股間を抑えてうずくまるしかない野々目であった。
「そうだ。弱い。弱いくせして口だけは一丁前にベラベラと。片玉になる未来を予見してたら、あんな余裕かませねえもんな‥‥ぐふっ!」

 またもや俺は痙攣したようにげらげらと笑い転げる。こうなると止まらない。思い出す、そうだ俺はかつて冷酷無比な人喰いだったのである。

「あんたの兄貴。悪辣だな」と雪之丞。
「身内として恥じ入るばかり」弟が申し訳なさそうに肩を落とした。「それにしても兄上は強くなられた。粗暴さは変わらずだが」

「近頃、迷宮でいろいろ虐げられてたからな。そのお門違いの意趣返しだろう」 
 野々目の手下どもはようやくうちの看板を炎の中より取り出したが、すでに半分以上は焼けてしまっている。

「もう要らねえ。ご苦労さん」
 これだけ焼けたら使い物にはならぬ。新しく拵えた方がいいんだろう。苦々しく弟も同意した。久方ぶりに弱者を苛む喜びに耽溺していた俺であったが、すりすりと弟がにじり寄ってくるのに気付いて身を引いた。

「兄上!」
「なんだよ?」
「お願いがございます」

 久兵衛はぎこちなく平伏した。

「なんだよ改まって、気持ち悪ぃな」
「改めて願い申す、わたしを迷宮へ連れていっては頂けぬものか」
「それなら前に断ったろうが」
「許しを頂くまでは諦めぬ。此度のような不甲斐ない事態になるのならば、命がけでも迷宮に潜ってでも上達の活路を見出したい」

 鬱陶しいほど真剣な眼差しであった。

「やだっての。伍は足りてるし、おまえは迷宮にそぐわねえ」
 けんもほろろに再びの拒絶。

 業を煮やした弟は白刃を抜いて腹を切る構えを見せる。どうせ脅しだろうが、雪之丞の手前もあって「派手に散れ」とも言いにくい。

「ならば、覚悟を見せろ。いいか。お前はこいつらに『万死に価する』と言ったな。そして俺はこいつらに宣言した。お前の言葉通り、貴様らを数限りなく殺してやる、と」
「ああ、言いました。喰らってやる、とも」

「武士《もののふ》なら言《げん》をたがえてはならぬ」
 お仕着せの台詞を口にしてみるが、慣れない物言いに鼻先がむずむずする。

「前置きが少し長くなるが聞くか?」
「はい」いつになく弟は素直だった。
「迷宮のことを少し教えてやる」

 迷宮のいろは、だ。俺は迷宮における死の意味を概説した。俺もかつて廻鳳から学んだ又聞きである。弟は話の行方が掴めずおたおたする。いいから黙って聴け、俺はそう目配せをした。

「いいか。迷宮での死は絶対じゃねえ。呪法、あるいは呪物を使えば、一定の見込みで蘇ることができる。これにしくじると屍体は屍礫《しれき》という石ころになる。だが、まだすべての機を失したわけじゃあない。さらに一度蘇生を試みることができる。そうだな雪之丞先輩?」
「その通りだ。だが二度目の蘇生の失敗からは何ものも救い出せない。この死によって魂さえも打ち砕かれるという話もあるが、さて真実の程はわからないな」

 迷宮では地上より死の値段は安くなる。この事実は、人をして安心させるよりもむしろ不安にさせるものだ。復活はキリシタンの救い主の専売特許である。凡夫である我々にとって死は一度きりでなくてはならぬ。

「一方、最初の失敗によって得られる屍礫《しれき》は露禅丹という万能の妙薬の原料となる」

 ここまで語ると、俺の形相は凄愴の色を帯びたであろう。弟の顔は紙の如く白くなる。

「――ということは、その露禅丹という薬は、人の命から作られているということになる」ようやく弟は理解したらしい。かつて俺も経験した、忌まわしき理解であった。

「まさしくそうよ。大抵の怪我ならこれで一発で快癒する。迷宮の外でも取引されているのさ。かなりの高値でな。もちろん探降者とっては尚更に有り難い代物だ。かくいう俺も何度か命を救われた。使ってよし、商ってよしの万能薬さ」
「あ、兄上はそれで何を?」
 
 緊張のために呼吸を詰まらせながら弟は訊ねる。
 辿り着くべき真意はもうすぐそこにある。
 物分かりの悪い振りをするな、と俺はため息をついた。

「だからよ。もうわかってるだろ。この馬鹿どもを屍礫《しれき》にするのさ。殺さずに活かしておいたのはそのためよ。瀕死のまま迷宮に運び入れたうえで殺す。そして蘇生させる。失敗して屍礫《しれき》になればよし、もし蘇生に成功するならば――」
「もう一度殺す? 殺し続ける?」
「そうだ。飲み込めてきたようだな。こいつらはまだ若い。術師の腕が良ければ最初の蘇生の見込みは七割程度だろうさ。この場合蘇生の成功はある意味失敗だがな。要するにだ。屍礫を得られるまで殺し続ける。殺し尽くす」
「なんというおぞましい」
「おまえが言ったのだぞ。『万死に価する』ってよ。こいつらはおまえの言ったことを何かの喩えか言葉の綾かと甘く見やがった。だから俺は――樋口の次男は決して虚言妄語の類は言わぬ、と念を押したのだ。それなのにこいつらときたら……救いがたい盆暗の鈍物だぜ」
「わ、わたしにそれをしろ、と?」
「これが覚悟だ。半端な心積りなら迷宮には一歩も踏み込むな。探降者だったら一度は露禅丹の世話になったことがある。そうさ、救えたかもしれぬ誰かの命で拵えた薬を服す。俺も雪之丞もそれをした。とっくに俺たちは人喰いなんだよ! おめえは人喰いになる気構えがあるのか? ねえなら引き返せ」

 厳しい物言いをしたが、嘘はひとつとしてない。ここならまだ間に合うのだ。
 迷宮におぞましい魔物が巣食っているとしたら、そこを経巡る人間もまたある種の物の怪である。物の怪になるのが恐ろしいなら足を踏み入れるべきではなかった。

「一番恐ろしいのはね」ひっそりと雪之丞が説いた。「殺されることじゃないんだ。死の領域――いや、あれは生と死の狭間、中有《ちゅうう》と呼ばれる魂の辺境――そこから娑婆へと引き戻される瞬間なんだ。あれは何度味わっても馴れることがない。汚泥のような己の自我の吹き溜まりから乱暴に掴みだされるんだ。それは五臓六腑を裏返しにされるような心地だよ」

 ゾッと身を震わせたのは弟よりもむしろ野々目とその一党であった。
 己の軽挙妄動が招いたこととはいえ、なぜそこまでの仕打ちをされねばならないのか。納得いかぬ様子である。罪と罰との帳尻が合わぬ、こいつらは全身でもってそう叫んでいた。

 とはいえ、手のない腕では拝み伏すことすらできない。幼児のように願い訴えるだけである。俺も大概の馬鹿野郎だが、こいつらは馬鹿の上に運がない。人生万事塞翁が馬。大抵の不運なら見方を変えれば、己の糧ともなろう。しかし、隔絶の凶運だけはどうにも手の施しようがないのだ。

「てめえらが悪党なのを咎める気はねえさ。具合が悪いのは、てめえらが半端な悪党だったってことだ。ツキのねえおまえらは虎の尻尾を踏んじまったのさ。いや、時には、尻尾の方から踏まれに飛び込んでくるってこともある」

 野々目らは涙と小便と涎をまき散らしながら哀願したが、俺は黙殺した。

「ふん、どうする? お前が決めろ久兵衛」

 ようやく燃え尽きようとする焚火を凝視しながら、弟はついに言った。

「やらせて、ください。兄上」
 その双眸には暗い火が燃え移っていた。
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