大江戸大迷惑〜迷宮無頼剣〜

十三不塔

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第二章 迷宮顛倒変

面と蛮刀

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 むっとする異臭。
 廻鳳のもうひとつの部屋は、凄惨な有り様であった。
 
 血と臓物には馴れている俺であってさえ――眼を覆う、とまではいかぬが、眉をひそめるほどの光景がそこには拡がっていた。

「おまえ、ここで化け物の腑分けをしているのか」

 血塗れの寝台には無数の得体の知れぬ化け物どもがバラバラにされて並んでいた。

「ええ、中身を知るには覗くのが一番ですから。そして中身を覗くには覆いを取り払ってしまうのが手っ取り早い。なんでも機人の眼は肌を切り裂かずとも内側だけを見通すことができるらしいですが、わたしたちはまだこれに頼るほかないですね」

 体液を拭ったばかりの刀子を廻鳳は掲げて見せた。

 この部屋は休息を取るには相応しくない。血臭の中で人は安らげぬ。瓶詰になった臓物の間をぎこちなく立ち尽くむ俺に、迷宮の本草学者は湯気の立つ茶碗を差し出した。

「警戒しないでください。わたしは師匠とは違います。大丈夫、普通の茶です」
 おずおずと俺は茶碗に口をつける。

 麟堂に得体の知れない飲み物を押し付けられたことがあったのを思い出す。その麟堂に師事しているのであるから、俺と廻鳳は兄弟弟子ということになるか。考えてみれば奇妙な縁である。

「大丈夫、大丈夫、グッと一息に」
 どことなく悪意と好奇心がちらつく笑顔であった。

「擬頭摸《ぎずも》の胞子を排出させる成分が入っています。ずっと幻に翻弄されていたいのですか」
「わかった。……にして、ひどい味だな」
 これは婉曲で控えめな表現であった。舌に焼き鏝《ごて》を押されたかの如き強烈な刺激に俺はもんどり打ちそうになるのを必死に堪えたのである。

「さすが樋口さんですね。その茶を平然と飲み干せるとは」

 期待していた見世物が不発に終わったがっかりの表情を廻鳳は露骨に浮かべた。
 どうもこの女ははじめの印象とはかなり違っている。麟堂の薫陶を受けて心根がねじ曲がってしまったのかも知れぬ。学問が人を訓育するなどひどい嘘っぱちだ。

「師匠からの文《ふみ》、確かに拝受しました。こんなところまで足をお運びくださり感謝致します」
「いや、そこに書いてあるかもしれねえが、こっちはこっちで野暮用があんのさ。それにおまえにゃ恩がある。礼には及ばねえ。返信はどうする。地上まで持ってこうか?」
「いえ、こちらから地上への便りは、簡単な方法があります」
「機人か」

 すべからく機人は地上を目指して這い上ってくる。このあたりの階層まで辿り着いた機人であれば、損傷の程度によるが、おそらく無事に地上にまで到るであろう。機人たちは麟堂のお膝元の機人街へ収容される仕組みであるから、奴らに託せば、自然と麟堂のもとへ便りは届くということになる。

「その機人、おまえから預かった喜兵衛のことなんだが――」
「それもここに書いてありました。中に赤子が入っていたと」
「ああ、まったく驚いたぜ。おまえ知ってたわけじゃあるまいな」

「いいえ」と廻鳳は言い切ったが、しばしの沈黙を経て付け加えた。「ただ、彼らが何かしらの荷物を運んでいることはわかっていました。子供に限らず、未知の植物の種子や生き物の卵やなんかをね」

「からきしわからねえ。それはつまりどういうことなんでぇ」
「わたしにも本当のところはわかりかねます。そういった諸々を突き止めたくて迷宮に暮らしているんです。ただ、推測ならあります」

 廻鳳の声色がふっと低くなった時、化け物どもの骸が、俺たちの会話に耳を聳《そばだ》てている、そんな錯覚に襲われた。無数の眼と耳がこの部屋にはあって、それらはいずらも死に切れぬまま、生の温もりを嫉《そね》んでいるに違いない。あるいはこれも醒めぬ幻の類か。

「聞かせろよ」
 俺の声音もまたがらんどうの冷たさを帯びた。

「機人たちが運んでいるのはいずれも命の種子です。それも、この国にはないものばかり。それらが育てば、地上の様相はガラリと変わってしまう」
「つまりは」
「機人たちは世の中を作り変えようとしているのです。学問や政道によらず、もっと具体的に根本的にね。わたしたちの物の見方や習わしは、どれもこの土地の山川草木の中より育まれてきたものでしょう。しかし、それが一変したら?」
「何もかもが変わっちまうかもな」

 二人の間に沈黙が落ちた。
 あれこれと論じてみても真相は得られぬ。破れた天を補ったという女媧ほどに壮大稀有な物語をこの薄暗い地底で突き詰めたところで何になろう。地上を這う一匹の虫である俺の望みともいまのところ関係がない。俺たちは機人の謎についての話を打ち切った。

「ただ、あんたから預かった喜兵衛が――ま、あんたの知ってる喜兵衛とはかなり違うとはいえ、どこかへ逃がしちまったのは申し訳ねえと思ってる」
「あらましは読みました。樋口さんの魄《はく》を吸って成長した幼児が身を晦《くら》ませた。それはそれで自然の成り行き。むしろ迷宮の子らを囲い込んでおくべきではないのかもしれません」
「だといいがな」
「樋口さん、あなたが意外と義理堅いのに驚いています」
 こそばゆい誉め言葉をさらりと受け流して俺は話題を変えた。
「師匠の文に何もかも綴ってあるなら。俺のこともあるだろう。どうやら俺は人間じゃねえらしい」

 難訓《なんくん》。檮杌《とうこつ》。それが俺の本当の名である。

「そんなことなら、はじめから知ってましたよ。迷宮に長らく棲《す》んでいれば、人と人ならぬものの別くらい見分けられるようになります。あなたは初めから人とは違う匂いがした」
「どうでぇ、廻鳳。俺を切り刻みたくてぇか。中身を覗き見たくねえかよ」

 挑発とも取れる持ち掛けに廻鳳は、くっくっくと籠るような笑いをした。
「見たいですねぇ。腸《はらわた》を裏返して底の底までじっくりと拝見したいです。生き物の身体ってのもまた一つの迷宮です。あなたのはとびきり複雑で奇怪な迷宮でしょう。行き惑うのも一興。しかし偽ってはいけません。それをしたいのはあなた自身のはず。己を引き裂き、抉り出し、その本性の奥の奥まで究明せずば安心できないのはあなたでしょう」

 ぞわりと迷宮が蠢いた気がした。

 濃密な瘴気《しょうき》が重しとなって俺を深みへと引きずり降ろそうとする。瓶詰の臓物が、晒された骸たちが、舌のない舌なめずりをする。そうだ。そうだ。恐いのは俺なのだ。封をされたままでは何者なのかもわからぬ。誰かに中身を覗いてもらわなければ、風を通してもらわなければ内側の湿った闇に耐えられぬ。

「あなたを切り刻むのはやぶさかではありません。死なないように処置をすることもできましょう。しかし、どこを切り開いたとて同じく迷宮に行き当たるのなら、あなたはこの迷宮の腸《はらわた》を探るべきでしょう。虚空権現という未知の心臓を握り潰すべきです」
「ああ、そうだな。血迷った事を言っちまったようだ。まだ、少し酩酊しているのかもな。さっきのクソ不味い茶は本当に効き目があるのかい?」

「もちろん」それだけ言うと少女は屏風で仕切られた奥の一角から、桐箱と布に包まれた細長いものを持ってきた。桐箱を縛る紐をするりと解いて蓋を開けると、そこから青白い顔の女が俺を見つめていた。
「こちらはさきほどわたしが被っていたのと同じ霊験のある面です。擬頭摸《ぎずも》の胞子はもとより、催眠や攪乱の呪言などから心を守ってくれましょう」

 俺はおそるおそるそれを手に取った。
 廻鳳の使っていた能面とは違う趣きがある。これは伎楽《ぎがく》面と呼ばれるより古式のものであろう。青白い顔をした女。結い上げた髪は大陸の宮女を連想させる。いや、連想といえばむしろ――。
「呉女の面です。額の部分に損傷がありますが、問題はありません」
「俺は知ってるぞ。この顔を。どこかで」
 閃くのに時間はかからなかった。

 この顔は瘡面羅刹女《そうめんらせつにょ》。あの曼荼羅の中で出会った女神の顔にそっくりだったのだ。帰依者を守るという荒ぶる女神。端正な面持ちの内には暴威が鎮静している。春雷を従え、豊穣と破壊とを束ねる踊り子にして審判者。

「ありがとよ、こいつは俺を待ってた。そんな気がする」
「もうひとつ」

 さらに残る品から覆いを取り除くと、それは異国の蛮刀らしい。脇差ほどの長さだが、鉈と刀の間ほどの形状をしている。刀身の反りから先端に近いあたりに膨らみがあり、重さをかけられるようになっている。

「これは南島の蛮族が別の部族の首を狩る時に使用したものです」

 “セデックの蛮刀”と廻鳳はそう呼んだ。

 魂と魄を離断し、首と胴を分割する、それは並外れた呪具でもある。彼らは狩り取った首を朋友《とも》として遇するという。

「これは実体を持たない敵を討つためのものです。迷宮にはこれから刃物や拳では対峙できないモノたちが出てきます。呪法の使えぬ状況ではこのような武器が重宝します」
「雲外鏡って物の怪はどうだ?」
「やつは実体を持ってますが、物の力では倒せぬのは同じです。水面や鏡に事物が反映するという現象そのものが化したのが雲外鏡なのです。呪法か呪力の宿る武器を使うしかありません。でもなぜ?」
「そいつを叩き殺して蝋鉄《ろうてつ》を持って帰らなきゃいけねえのさ」
 忌々し気に俺は吐き出した。

 鳥山石燕描くところの雲外鏡は鏡の化生であったが、絵師の想像と実際とは往々にして食い違う。地下七階層に出現する雲外鏡だけが石動御守の望む蝋鉄を体内に含み持つという。駆け出しの呪剣仕には過ぎたお遣いである。得意の剣に頼れぬとなれば、拙い呪法を頼りにする他ない。あの絡繰り六部、石動御守は俺の地力を見抜いた上で難題を吹っ掛けたと見える。油断ならない性根の悪さであった。

「ならば、お会いできてよかったです。この面と刀があれば必ずや形勢は樋口さんへ傾くでしょう。前にお会いした頃と比べて見違えるようです」
「最近まで伏せってたんだぜ。喜兵衛の奴に喰われ過ぎてな。本調子にゃほど遠い」
「いえ、あえて性向を変じたのですから感覚も変わりましょう。以前の状態を念じていてはなりませぬ。生まれ変わったと思って新たな力を探るべきです」
「ともかく、こいつでその化け物を屠ればいいのだろう」

 ぶんぶんと俺は手に馴染ませるために蛮刀を振った。

「でもよ、どうしてこいつを俺に?」
「師匠の文にあったのですよ。必要とあらばこれをあなたに渡せ、と。南蛮商人が持ち込んだ品らしいのですが、禍々しい因縁がこびりついていて普通の人間では所持できぬとあって寛永寺に預けられていたものです。樋口さんくらいの悪人に相応しい得物です。さすが師匠、これが樋口さんに入用になるとあらかじめわかっていたのですね」
「ふん、底知れねえジジイだ。しかし首狩りの刀ね。ぞっとしねえ」

 異国にも人斬りの気狂いがいたらしい。まさしくお似合いの一品と言えた。

「面の方は、まったく出所不明です。かの《両界侵犯》にともなって異なる世界から流されてきたとも言われています。あ、そうそう、気をつけてくださいね。面を被ると気分に影響が出ますから」
「確かにおまえも尉《じょう》の面をしていた時には様子が違ってたもんな」
「呉女の面を着けると泣き笑いしながら眼に映る何もかもを殺してやりたくなります。馴れるまでは長時間被らないようにしてください」
「なんだよそれ、おっかねえな」
「泣き笑いしながら殺す人になってしまえば平気になります」
「馬鹿いうな」

 廻鳳はいかにも楽しそうである。
 師に似てどこか螺子《ねじ》が外れている。半時ばかり休んでから迷宮に戻ると決めて俺は短い仮眠を取った。

 淡い夢に踏み入れば、呉女の面がふくふくと頬を膨らませて、小声で何かを囁いていた。

 耳を寄せて聞いてみると「人の顔なぞ、すべて面よ、面よ」といった意味のことを繰り返している。恐ろしくなって俺は己の顔に手を当ててみれば、果たしてふわりと外れるではないか。俺は面となった自分の顔を取り落として無貌の存在となった。人の輪郭をした黒々とした洞《うろ》がそこに在るに過ぎぬ。

 はっと身を起こすと、そこに廻鳳の姿はなかった。

 卓の上には、ささやかな料理と書置きがあった。書置きには「お口に合うかどうかわかりませんが、よければ召し上がってください。ご心配は無用です。精がつくと思います」とあった。見れば、素性の知れぬ肉塊が兎紺《うこん》色の汁の中で湯気を立てている。

 俺は食事に手をつけず部屋を出た。
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