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序章
めめんと・もり
しおりを挟む「どうも辛気臭ぇとこだね。まったく」
地下六階層に降り立った刹那であった。俺はすかさずケチをつける。文句ばかり言う拗《す》ね者は世間に肩身が狭くなるものであるが、もとよりここは娑婆ではない。魔性蠢く掃き溜めである。気兼ねをしてもはじまらぬ。
「はじめはおいらもそう思ったさ」
偉大なる先達雪之丞も賛同してくれた。なにしろ、至るところ墓石ばかりなのだから陽気にはなれまい。何も本当に骨の入っている墓ばかりではない。空っぽの墓石に名前だけが刻んであるものが大半だ。
「ここが分水嶺というわけ。地下七階より、迷宮は段違いに過酷になる。たとえ死して骨も残らぬ時でも、ここに還る場所があると思えば慰めになる」
「だから、こぞって墓を建てるわけか」
じっくりと観察すれば、墓石は天然の御影石である。荒く成形されてはいるものの、あまり手は施されていない。名を刻まれ供物がある墓もあるが、大方は無縁仏のように苔むしている。死してなお復活の手立てのある迷宮で墓を拵えるとは妙な感覚であったが、屍者の魂が迷宮に囚われると考えるなら、わからんでもない。ここに永の住まいが必要なのであろう。
「ふぅ、くわばらくわばら、面倒なく抜けられそうだな」
小鬼の大群を蹴散らしながら俺たちは進んでいた。知恵のなき矮躯の鬼どもは誰かを囮にして参集したところへ呪法を放ってまとめて屠るのが常道である。しかし、俺たちには呪法を使える人員はいない。雪之丞の弓箭で数を減らしつつ、俺が前に出て斬り伏せていった。九匹の小鬼はほとんどが俺の刀によって命の散らしていったが、俺の剣圏を迂回した数匹は喜兵衛の“しびれ縄”に触れて気絶した。喜兵衛が体内より繰り出す、金属を縒った縄は触れると電流が迸るのである。雪之丞を縄で囲んで敵を締め出し、俺が遊撃に打って出るというのが、小鬼どもに対する俺たちの必勝の戦術であった。
「水の音がするぜ」
「そうだ、六階には川が流れてんだ」
地下に水流があってもおかしくはない。耳に心地良い水音だったが、迷宮においてはむしろ恐怖である。賽の河原のように水際に石積みの塔がいくつもいくつも並んでいたことも手伝っていっそうの死の印象を刻む。
「水には寄るな。川にはガタロがいるからな。引きずり込まれるぞ」
「おう」俺は気を引き締めた。ガタロなるものはいわゆる水妖のことである。昔話にある河童の如くとぼけた性質ではなく悪辣粗暴であるらしい。
「あちらに橋があるが、おいらたちは渡らねえ。地下七階に降りないなら川に沿って行くだけだ。地下五階の別区画に上がる階段がそのうち見えてくるはず」
「なんだかどえらい場所だな」
「迷宮にはもっととんでもない場所がいくらもあるよ。もう少し行けば――きっと見物だぜ」
雪之丞はにやりとした。
ここはまさしく生死の境、幽冥境である。入り組んだ迷宮の川面にうっすらと霧が立ち込めている様は怪しくも美しい。あの川を渡ればまさしく生の域より乖離するのであろうと思わせる。
「ほら、ここだ」
雪之丞がおもむろに指差す壁面には想像だにしなかったものがあった。
「――!」
俺は絶句した。おいおい。なんだこれは。魔物の屍か。
はじめてこいつを見たら、誰でもそうなる、と訳知り顔で雪之丞が頷いた。
「古代の巨獣だよ。大昔にゃこんなのが地上をのし歩いてたんだとよ」
壁面に半ば埋もれて人に数倍する大きさの獣の骨がのぞけていた。肋骨一本にしても牙の一本にしても大木のごときそれらは、今にも動き出さんばかりの迫力がある。見る者の言葉と思考を奪い尽くす威容である。
「こいつも含めて、この地下六階は墓標なのさ」
「納得だぜ。死だ。死が溢れてやがる」
勇壮な死もあったものだ。こいつに比べれば、三千世界を我が物顔で行き来する人間などは塵芥同然である。河童の屁である。
「海の向こうにゃ、こんな言葉があるらしい。“めめんと・もり”とな。ふん、憎い野郎の受け売りだが。あんたも墓に名を刻んでおくかい?」
と雪之丞が持ち掛けたが、俺は鼻で笑ってやった。
「墓なら地上に菩提寺がある。親父殿が俺を墓に入れてくれるかは知らぬが」
「そうか」
「おまえはここに墓が?」
「ああ、ささやかなもんだけどね」
「では、一度、ここを出ても、また潜るのだな」
「おいらは諦めたりしない。あんたは――」
「真っ平さ。ここには二度と足を踏み入れぬ」
巨獣の屍を背にして俺と雪之丞が話し込んでいるところへ、喜兵衛が少しばかり間合いを置いたと見るや――出しぬけに閃光を放った。
俺たちは身をすくませた。
「喜兵衛? ど、どうしたってんだ」
「故障かい?」
俺たちの間抜けな心配顔などどこ吹く風、喜兵衛は腹の隙間から一枚の紙をひり出した。
「なんだい、機人ってのは、こんな薄っぺらい糞をするのかい」
と俺が問えば「知らねえよ」と雪之丞がかぶりを振る。
ぽとりと落ちた紙を触る気にも慣れずに遠巻きに眺めていた俺だったが、やがてその表面に絵が浮かび上がってきたことに驚いた。
「なんだいこりゃ、俺たちの姿じゃねえか」
「なんて精巧な絵だい。まるで眼で見たまんまだ」
そいつは迷宮を暗がりに浮かび上がる獣骨と俺たちの無防備な姿を見事に活写していた。喜兵衛は己のひり出した紙を拾い上げると雪之丞に渡した。
「おいらにくれるってのか? あ、ありがとうよ」
「お、おい。俺には?」
俺は羨ましくてたまらなくなった。
もう一枚ひり出さねえかと待っていたが、いっこうにそんな気配はない。売れば千金の価のするものだ。盗人どもに借金を背負わされた俺にこそ必要な品であったが、喜兵衛はなぜか俺ではなく雪之丞にくれてやったのだ。妬ましい。
「なあ、喜兵衛よぉ、そのあれかい。そいつはそれっきりなのかい? もう一枚振舞っちゃくれねえのか」
喜兵衛は沈黙の砦に立て籠ったまま出てこない。
「よぉ、喜兵衛」
錻力《ぶりき》色の胴を揺さぶってみるが駄目だ。死体の方がなんぼか精彩がある。
「ちっ、わかったよ」
俺は拗ねた。不貞腐れた。もともとひねくれた根性だったものが、迷宮でいっそうねじけて腐り果てたようである。
「今日この時の記念に写してくれたんだな。ありがとうよ」
雪之丞はほくほく顔である。ますます腹立たしい。
「ちぇ、面白くねえ。もういいぜ、行こう」
俺は不機嫌にやつらを先へと促した。
(カラクリのクセに女に甘い野郎だぜ。雪之丞も雪之丞だ、なんだ、だらしなくへらりへらりしやがって)
「よぉ、樋口さんよ、こっちだ。こっちが上への階段だよ」
俺は雪之丞の声を無視してずんずんと足早に歩いていた。おっかねえ形相の石像があったが、それには眼もくれず、足元の墓石を踏みつける。どうせ骨なんざ入っちゃいねえ。バチなんざ当たるわけがない。
「そいつは青面鬼《しょうめんき》さ。迷宮の深層部から術者が連れてきて石くれに変えたもんだ。墓守として置いてあんだ。墓の供物に手をつけると襲い掛かってくるからくれぐれも――」
俺は雪之丞の言葉を右から左へと聞き流し、墓前に落ちていた刀を拾い上げた。廻鳳に貰ったナマクラは豆腐も切れぬような代物だ。ここでもうちょっと頼りになる得物が欲しかったところだ。
――無忌斎《むいさい》、と墓には刻まれている。誰だが知らぬが、ちょっくら借りとくぜ。
「おい、何してんだ?!」
すかさず叱正が飛ぶが、俺はお構いなしだ。まこと、いい歳をして不貞腐れた男というものは厄介である。
「ふん、俺はこいつを頂いておこう。死んだ者に刀は不要であろう。俺のような腕利きに使われたほうが刀も浮かばれるというもの」
あつかましい釈明もそこそこに、いきなり襟首を捕まれて俺は引っ張られた。
「何すんでい?」
「注意したそばから、あんた馬鹿か。それとも死にたいのか。青面鬼が動き出すぞ!」
「ぬ?」ようやく事態の切迫に俺も気付いた。
青面鬼は動かぬ石であることを止め、身じろぎしつつあった。小鬼とは似ても似つかぬ強壮な体つきである。片手にはどでかいヤットコを握っているのだから恐ろしい。いや恐ろしさはその見てくれだけではない。全身から発する気の暴戻《ぼうれい》なること甚だしい。五階、六階あたりの雑魚どもとは桁違いである。
「あれ、どうもヤバイことになってんな」
「何を呑気に!」
「わぁったよ、戻すよ刀は戻す、それでいいだろ」
「手遅れだ。捨てても無駄だ。階段まで走るぞ。階層を跨いでまでは追ってこない」
石化の解けた青面鬼はすぐに標的の所在を掴んだ。怒髪天を突くとはまさにこのこと、逆立つ髪はまるで炎のようである。
「おいらたちじゃまだあいつには手も足も出ない。やり合おうなんて気は起こさねえでくれよ」
「わあってるよ」
俺たちは一目散に走った。
俺の意地汚さに端を発した危難である。抗弁しようもない。
「見えた、階段だ。上れ!」
雪之丞に続き、喜兵衛も階上に駆けあがった。
しかし、事ここに至って、俺の身の内に、むくむくと反抗心、あるいは好奇心の如きものが沸き上がったのである。一太刀、あの青い豪鬼に浴びせてからでも逃げるのは遅くはあるまい。迷宮で妙な山っ気を出すのは命取り。そんなことは百も承知なはずであったが、やはり俺は大馬鹿なのであろう。墓泥棒で手に入れたばかりの刀を抜くと青面鬼を待ち受けた。
(雪之丞。すまねえな。素直になれねえ馬鹿でよ)
きっと俺はあの写し絵を記念に欲しかったのである。認めたくなかったが俺は存外にこの迷宮行が気に入ってたのかもしれぬ。人斬りの外道にも思い出を愛でるほどの情念は残っていたようであった。
しかし、そんな感慨もすでに遠い。死という概念をそのままに凝り固めたような化け物が暴風のような殺意を向けてくるのだ。熟した実が落ちるように生死を分かつ瞬間がまもなく訪れる。
土壇場とは首切りの刑場のことである。
(だとすりゃここは、俺かおまえか、どちらにとってのそれだ?)
勝負は一瞬、居合の呼吸に意と気を収斂させてゆく。
「早く上がって来い! 何してる?」
上階でしびれを切らした雪之丞が叫ぶが、その声はもはや俺の耳には届かぬ。
青い腕《かいな》を振り上げて迫る凶相の鬼が間合いに入った刹那であった。
――刀はまるで生き物のように鞘から躍り出たのである。
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