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序章
洗礼
しおりを挟むもの凄い握力であった。
床に拡がる泥濘から腕が生えたと見るや、左足首を掴んだのだ。身動きもままならぬ。眼前に迫る飛頭蛮どもは相変わらず意味を成さぬ喚きをまき散らしていた。
――るでぃいいいいやややぁあああああああ!
――じょいいんるぅぅうううううううううう!
――んぐううううぬぃいいいいいいいいいい!
俺は足をもぎ離そうと地団駄を踏む。泥の手、その付け根を片足で繰り返し踏みつけるが、敵は一向に痛痒を感じた様子はない。
「てめぇ、離しやがれぇ!」
泥の指が体内に食い込んでくる。そして何か根のようなものを肉の内に拡げていく。こいつは動物を喰らう植物らしい。根は足首から脹脛を伸び進み――そして俺の膝頭に蓮のような一輪の華が咲いた。馥郁たる芳香が迷宮中に放たれる。
――ガシュ! ガシュ! ガシュ!
香りに引き寄せられるように飛頭蛮は陶然した表情で俺の身体に喰らいついた。
「ぎゃあああああああ!」
気味の悪い中年と老人の頭部が俺の身体に夢中でかぶりついている様は、恐怖でしかない。悪夢でしかない。恐怖が激痛を凌駕したのは一瞬だけのことである。すぐに肉を噛み砕かれる痛みがやってきた。
「やめろ、やめてくれ」
これなら斬首によって死罪になったほうがいい。迷宮に放逐されることの残酷さとはまさにこのような目に遭うことなのだろう。俺はこの手で犯した多くの罪の贖いのためにこうして生きながらに喰われる羽目になったのであろうか。
(仕方がない。俺はやめられなかったのだ。俺は俺を止めることができなかったのだ。人を殺すこと。そして人を喰らうことを)
因果は巡る。それだけのことだ。
俺は体内に侵入した泥の蓮華が少しずつ痛みを消してくれていることを感じつつあった。芥子の汁のごとき麻酔成分がこの植物にはあるのであろう。俺はどんどん無感覚になってぶよぶよした寒天さながらに意識が鈍麻した。大量の出血もそれを手伝ったのであろう。人斬りだの人喰いだのといっても所詮は地上の狂気である。迷宮の非道さには及ぶべくもない。供養も墓もいらぬ。このまま野垂れ死なせてくれ。
犬にも劣る人斬りの――その涙と涎が迷宮を汚した。
最後の瞬間であった。
俺の中で何かが弾けた。
いや、俺を動かすカラクリの歯車がいちどきに組み替わったようであった。身体の底の底から抗う力が沸いた。溶岩のようにごぼごぼと滾るそれは、あくまでも死を拒絶せんと沸騰する。
「うがあああああああ!」
飛頭蛮の如く、俺は喚いた。この身に取り付いた物の怪を引きはがすのではなく、反対に身体に押し付けた。メリメリと圧搾して頭の鉢を砕いてやるのだ。どうせ痛みはないのだ。好きなだけ喰えばいい。そのかわり皆殺しにしてやる。俺は胸板で飛頭蛮を圧殺した。潰れてしまったソレをさらに床に叩きつける。
――ズチャ、と鈍い音がした。脳漿が飛び散る。
(ざまあねえな、化け物め)
俺は泥の華を床から引き抜こうと力任せに握りしめた。
メリメリと石の床から何かが引っ張り出されてくる。それは人の胎児のような姿の球根であった。腕だけが大人のように肥大化して足を掴んでいたのだ。よりによって胎児は俺の手にぶら下がったまま呪言を唱えた。
――莫囂圓隣之 大相七兄爪湯気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本。
すると業火が俺を包んだ。
発火の刹那、俺もまた何かを口走ったが、それは効を奏さなかったようだ。俺は転がり回って火を消そうと試みたものの呪火は容易に消えてくれない。残る二つの飛頭蛮が熱を嫌って逃げ去っていったのはよかったが、全身の傷と火傷は致命的である。
迷宮を一歩動けばこのザマでは、とてもではないが地上へ戻るなど夢のまた夢。認めなくてはなるまい。ここでは俺は喰われる側なのだ。俺は胎児の形をした球根を壁に叩きつけると、残った力でずるずると這い進む。
(刀だ、せめて刀があったなら)
そう刀がその手にあったのなら、このような最期は避けられたかもしれぬ。あるいはどのみち同じ結末になっていたであろうか。考えても詮なきことだ。間もなく俺は死ぬのだ。
――迷宮の糧となり消えていく。
それは人喰いの外道に相応しい末路と言えた。
兄も父も家名に泥を塗った愚かな俺が消えてせいせいするに違いない。恨み骨髄の遺族たちもいよう。そうだ、胸のすく思いがする大勢の人間がいる。
(唾を吐きかけられてやれなくて済まぬな。ここはどうにも深すぎる)
俺は半ば意識を失い、とうとう打ち捨てられた死骸のように動かなくなった。
四半刻も経たぬ頃、なにやら得体の知れぬモノがやってきて俺を見つけた。薄れかけた曖昧な意識の中で頭陀袋同然の身体が運ばれるのを感じた。そいつは何を思ったのか迷宮内を引き回すらしい。
一方、俺はと言えば、こんな地べたの底じゃ、見せしめにもなりゃしねえ、と力なき悪態をついた。
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