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第四章 遡航
三つの永遠
しおりを挟む「ねえ、どこへ向かっているの?」
サルキアは苛立ちを隠す素振りも見せず、しつこく言い立てる。
「知らねえよ、玉座に聞いてくれよ。俺らはあいつを追っかけてんだから」
「その玉座の行方もわかってないじゃないの。あななたちって行き当たりばったりでまるで計画性がないじゃない」
「うっせえよ。姫さまは大人しくしふんぞり返ってりゃいいんだ。ぎゃあぎゃあ耳元で喚かれると勘が鈍る」
「何度言えばいいの。姫ってやめてよ」
「いいじゃねえか落ちぶれたとはいえ姫は姫だろ」
売り言葉に買い言葉でガラッドは言い返す。
サルキアを乗せてからというもの、二人はずっとこんな調子だった。ジヴという緩衝材がなければとっくに二人は決裂していただろう。そのジヴも近頃ではすすんで二人の諍いを取りなしたりせず、ひどくこじれる手前まで放置しているようだ。
「お、落ちぶれ――ですって?!」
怒りのあまり息を詰まらせて、掴みかかるように前のめりになってサルキアは抗議の声を上げた。
「また浮かび上がろうってんだろ。失地回復に巻き返しさ」
「ホント、あんたってデリカシーゼロね。卑しい育ちだからって大目に見て来たけど」
「卑しいだと?」
「だってそうでしょ」
デリカシーと言えばサルキアとてそんなものはない。庶民の暮らしに身を沈めようとも無意識に刻まれた差別意識は取り除こうにも取り除けない。
ただし、今回の失言は故意によるものだとジヴにはわかった。だからこそジヴは腹を立てないのだし、反対にガラッドはあえて憤激して見せた。
「食ってクソする同じ生き物じゃねえか」
「それを言うなら動物だって同じでしょう?」
「屁理屈の達者な女だぜ」
大人気ないほど執拗にガラッドはサルキアに突き上げを食わせた。
それはガラッド自身の出自から来る鬱屈をぶつけているようにも見えたが、ジヴにしてみれば、権力者の傀儡でもなく、娼館も下女に扮した公女でもない、サルキアを年齢にふさわしいただの少女に戻そうという必死の試みと映った。罪のない口喧嘩をする相手がかつてサルキアにいたのだろうか? 剥き出しの自分に同じだけのエゴをぶつけてくる相手が?
(王族にはそんなものはいやしない。にしても面倒見のいい人だ)
リドワップ台地の美しい絶景に眼を細めながらジヴは思った。
大喰いは快調に草を食みつつ夕暮れの斜面を駆け上っていく。砂漠を引かせたラクダは途中で出会った行商人に安く引き取ってもらった。
どこまでもこの草の絨毯が続くなら――とジヴは胸が高鳴るのを覚えた。
(僕たちはどこまでも行ける。だが自由とはそれか?)
やがて、ジヴとサルキアの口論も下火になり、どちらからともなく空腹を訴えた。
「ねえ、あれは何?」
サルキアの見据える先には、規則的に並んだ立石があった。
「柱状列石さ。穀倉地帯にもある。こんな立派なのは珍しいが」
「すごい。どうやって……」
「わからねえ、こんな一文にもならねえものをどんなつもりで拵えたんだろうな」
大喰いを降り、毒舌を振いながらもガラッドでさえ圧倒されていた。立てた巨石同士の上にさらに別の石を渡してある。コレを建造するプロセスはいくつか想像してみることができるが、どれも割に合う仕事になるとは思えなかった。
「今日はここで野営しますか」
言うが早いかジヴはてきぱきと食事の準備をはじめる。火を起こし、水を煮立てれば、すでに世界が夜に沈みつつあると気付く。
(沸点が低い。標高が高いのか)
これは調理に支障を来すおそれがあるぞ、とジヴはしばし考える。
沸点が低ければ、いくら火をかけても、それ以上に水温が上がらず、食材を煮るにしろ、蒸すにしろ、熱が通りにくくなるという欠点がある。
(沸点が低いのは、この二人も同じか)
そんな憎まれ口も胸の内に収めておけるのがジヴの大人の節度だった。
前に調理を失敗してサルキアが「こんなの食べられない」と駄々をこねたことがあった。料理の腕に覚えのあるジヴは同じ過ちを繰り返す気はなかった。熱が通り切らないのなら蓋をして内部の圧力を高めればいいのではないか。浸透圧が食べ物をおいしくほくほくに仕上げてくれるかも、とジヴは閃いたアイデアを試そうかと算段する。
後年、ガラッド商会の芝刈り機につぐヒット商品である圧力鍋の原型にジヴは迫りかけていたが、隣から安らかな寝息が聞こえはじめるとそれも掻き消えてしまう。
「食事も取らないで、よほど疲れてたんですね」
「なーんもしてねーけどな。一日中、喚き散らすだけで」
「サルキア、幾分明るくなってきました」
「ふん、もとからこんなもんだろ」
やはり仕上がりがイマイチだったスープをかき込みながら、ガラッドは鼻息を吹いた。粗末なシュラフだけでは冷えると心配したのか、ジヴはサルキアに毛布をかけてやる。
二人の会話を意識の隅でぼんやりと聞いていたサルキアだったが、眠りが深まるにつれてそれも遠ざかっていった。
――やがて、霧が立ち込めるように夢のスクリーンが繰り延べられていく。
「ついに〈変成の器〉にたどり着いたぞ」
よく響く声だった。ガラッドにも似た野太い声。声の主は、カービングの美しい模様が彫られた革鎧を身にまとっていたが、歴戦のダメージによって鎧も中身の男もひどく疲弊して見えた。左右に控えるのは、背の高い仮面の男、そして対照的なほど小さな人影だった。
サルキアはその身体が眠りについたのと同じ柱状列石の内側に佇んでいた。夢の中で男たちはサルキアに気付いてはいない。ガラッドもジヴもそこにはいない。
リドワップ台地と思しき地形ではあったが、旺盛な植物が一帯を飲み込んでいた。見覚えのある石の配置がなければ、ここを噂に聞くドッジ森林地帯と勘違いしたかもしれない。
(これだけ植生が違うなんて、これはいつの時代なの?)
夢にしては冷静にサルキアは思った。
「こいつともこれでオサラバだな」
小さな人影は自分の頭の高さにまでランプを掲げたが、それとて長身の男の腰のあたりにしかならない。薄闇に浮かび上がった顔は、体躯とそぐわぬ大人の顔付きだ。とはいえ、先天的な侏儒症とも違う。刈り上げられた頭部のサイドに見慣れぬ紋様がある。だまし絵のような入り組んだ刺青。
おとぎ話の中に登場するハーフリングやグラスランナーに似た生き物にサルキアは不思議な感動を覚えた。
(やっぱりこれは夢なんだわ)
夢と知りながら夢を見る自覚夢の中でサルキアは興奮した。
「我ら三名の他に誰ぞいるのか」
長躯の男からはどことなく憂いを含んだオーラが漂う。鳥の嘴を模した顔半分を覆う仮面を装着し、肩からも羽毛を貼り合わせたマントのようなものをかけている。つばの広い帽子は黒く、型崩れを起こしてどこもかしこも折れ曲がっている。
のぞき見がバレたかとサルキアはおどおどしてしまう。
「〈変成の器〉を使うのは一大事だからなぁ。多くの存在たちが見守っているだろうよ」
「もとより身体を持たぬ存在でこの世は満ちている。時空を超えて参集した無数の存在たちが固唾をのんで見つめているのがわかる」
「手筈はどうだ?」
「わかってるさ、ワース」
鎧の男は仮面の鳥人を振り向いた。
夜明けにほど近い薄暮の大地で、この男の笑顔は眩しく輝いていた。
「候補者には順番がある。触れる順番によって変成のタイプが違ってくるからな。おまえからだ、ン=ネイ。しかし、本当にそれでいいのか?」
「ああ、最初はおれがいいだろう。ハゼム、次がお前だ」
矮人はカンテラを掴んだ短い腕を伸ばし、〈変成の器〉と呼ばれるものをはっきりと照らし出した。
(ハゼム?! それにこれって?)
意識だけの存在であるサルキアは、まざまざとソレを見た。王宮に住まう者であれば何度となく眼にしたことのあるもの。いまや、失われてしまったシェストラの心臓でもあるそれは――まさしく玉座に違いなかった。
(どうして玉座がここに?)
三人の異人と玉座に視線を繰り返し通わせるサルキア。
「最後がワース。あんたはそれでいいのか? この惑星に精神を射影《オーバーシャドウ》させるなんざ、正気の沙汰かい?」
鳥人は、皺だらけの手を〈変成の器〉へ愛おしげに伸ばした。
「我が望みはそれだけよ。自己意識を拡散させ、限りなく透明になる。煩わしい肉体を捨てて永遠を得る。大地と海の精霊たちの基源《ラディックス》として惑星の礎となれるのならば、天より下された我が運命は全うされるであろう」
理解できない、というように肩をすくめるのはハゼム、ン=ネイも頭を振って同意を示す。
「ン=ネイ。お主こそ、地上を永遠に彷徨するなど愚かな仕儀ではないか」
「俺は、死ぬのが怖くて怖くて仕方ないんだよ。とはいえ、ワース、あんたみたいに霧か霞かってほど手ごたえのない存在になっちまうのは嫌だしな。この肉体で、飯を食って女とまぐわう。そんな永遠が欲しいのさ」
「皮相な欲望をいくら満たしたとて何になろう?」
「どこまで行っても俺たちは平行線だよ、ワース」
そう口にするン=ネイは、ともあれ満足気だった。
「かもしれぬ、しかし、振り返ってみれば悪くない日々であった」
三人は来し方を振り返るように短い沈黙を味わう。竜紋《サーペイン》で繋がれた三者はお互いの重苦しい精神の闇を分有したはずだったが、それも終わりが来るとなれば、名残惜しいのかもしれない。
「ハゼム、三つの永遠のうち名の永遠ほど虚しいものはあるまい」
「どの永遠も要らないよ。どうしても分け前に預からなきゃならないなら、こいつでいいさ。一番面倒がなさそうだ」
(名の永遠? それが王になること?)
夢ではあり得ないほど忙しくサルキアは思考を巡らせた。この夢に何か意味があるのなら、見逃せぬ価値があるのなら、刹那たりとも取りこぼすわけにはいかない。
「よし、じゃ、ここらでお別れだな」
とハゼムがこだわりなく言った。
「きちんと間を空けて入力するのだぞ、同時にすれば効果が混ざる」
鳥人は、最後までしっかりと釘を差した。こんなふうに他の二人を戒めてきたのだろう。真面目で実直な人柄とみえる。
柱状列石の隙間から光線が漏れ出て、三人の身体を少しばかり温めた。身体のないサルキアでさえ、その温もりを感じた。
「俺から行くぜ」
ン=ネイはためらいなく玉座に左手を押し当てた。
玉座は内部から無数の回路状の模様を浮き立たせた。うごめく模様は、ン=ネイの身体を這い伝わり、頭部の竜紋と接続される。
玉座から太陽よりも何倍も明るい光芒が放たれ、視界を明るく塗りつぶす。
サルキアが、視力を取り戻した時、ン=ネイは死んだように横たわっていた。見れば紋様がきれいさっぱり消えていた。
(大丈夫なのかしら?)
「さぁ、ハゼム、お主の番だ」
重々しく鳥人が促す。
「楽しかったな、ワースプキル」
「うむ、よい旅であった。ハゼムよ、お主の王国が永く栄んことを」
「ありがとよっと」
威勢よくハゼムは玉座によじ登った。
破顔一笑、サルキアの立つ方向に向き直った。
「なぁ、そこに居んだろ――?」
先ほどと同じ現象が繰り返され、夥しい光の海に世界は溺れてしまう。
「――サルキア、今度の候補者たちにおまえが見繕ってやれ、お似合いの永遠を」
確かにハゼムは最後に自分に語り掛けた、そんな気がした。
(あなたが初代王ハゼムなの?)
「待ってハゼム!!!」
サルキアは追いすがるように叫びながら、飛び起きた。
すでにジヴは目覚めて大喰いの整備をしていたが、眼を丸くしてサルキアを見つめた。
「どうしたんです?」
「夢を……ハゼムが」眼を擦りながらサルキアは立ち上がり、玉座があった同じ場所まで裸足で歩き出し、地面を指差して主張する。
「あったのよ、ここに玉座が、それでハゼムたちが……」
「起き抜けからうるせえ女だな。静かになるのは死んだ時だけか」
騒ぎに眼を覚ましたガラッドがあくびをかみ殺す。
「ただの夢ですよ。きっと謎めいた遺跡で眠ったことで気分が舞い上がったんでしょう」ジヴは取り澄ました様子でサルキアをなだめるが、彼女は納得しない。あまりに鮮烈な夢だったから。
「ここなんだわ、彼らが、ハゼムが王になったのは……ううん、彼らが変成したのは」
「わけのわかんねーこと言ってないで、昨日晩飯食ってねえんだから、食っとけよ。ゆるふわ豊満ボディを維持できねえぞ」
サルキアはキッとガラッドに眼を剥いてから、昨日のパンをわしづかみにした。
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