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第三章 逆乱
凶弾
しおりを挟むクラリックとナローは麻袋を被せられ、処刑の庭に跪いていた。
後部車両から引き出された二人は、そのまま死を待つ身となった。運命はベイリーに委ねられた。どれほど信頼の厚い上官だからといって、この状況で安穏としていられるほど肝は太くない。ありていに言って、クラリックは小便を漏らし、ナローは今にも思いつく限りの神の名を叫び出しそうだった。
二人は、霧を駆逐した灰色の煙に燻されているほかない。
城砦の火は燃え上がったが、血盟団の数人は、二人を解放するでもなく、処刑を断行するでもなく、ただ曖昧に動静を決めかねていた。
「やっちまおう。そんでズラかろう」
「城の中はどうなってる?」
「首領は? 生きてんのか? おれたちはどうなる?」
「あの人が死ぬかよ。たとえベイリーが相手でもな」
団員は三名。
クラリックとナローを捕えたはいいが、手柄を持ち帰るべき城砦は焼け落ちる寸前だ。もし血盟団が敗北必至であれば、ここで余計な罪科を積むべきではない。いや、後顧の憂いを絶つためにも、ここで息の根を止めておくべきかも、とも考えられる。顔を見られたからには捕虜は殺しておくべきだ。
「やめろ、やめてくれ。頼む。選択を誤るなよ」
ナローは息苦しい麻袋の中から訴える。ベイリーは慈悲深いが、仲間を傷つけた者には容赦しない。呵責なき裁きを下すだろう、とまんざら嘘でもない説得を試みる。
――ガキッ!
頭蓋骨に衝撃が走る。たぶん、殴られたのだろう。
「てめえにゃ聞いてねえよ! 黙れ!」
血の臭い、いや味だ。縛られた手では出血箇所を確かめることもできない。ナローは呻いた。クラリックは生きて隣にいるのか。それとも死体となって転がっているのか。麻袋の粗い繊維の隙間から外を覗き見ようとする努力は徒労に終わる。
「ボスは死んじゃいねえ、もうすぐ命令が下るさ。てめえらを優しくぶっ殺すか、ただぶっ殺すかってな」
団員たちは、それが気の利いたセリフだったかのように小刻みに笑うが、どことなくぎこちない。追い詰められた者のやせ我慢、その寒々しさが目立った。
「殺すな。戦いはもう終わる。これ以上、血は……もう」
クラリックだった。博愛主義者の命乞いは自分のためか、他者のためか、見分けがつきにくい。クラリックを殺すことで殺されることになる団員を慮っているのかもしれなかったが、そんな言葉は処刑者たちを逆なですることにしかならない。
「黙れっつってんだよ!」
痩せさらばえた木の根にクラリックはしたたかに後頭部をぶつけた。ハァ、ハァと荒い呼吸が聴こえる。わずかな体罰で息を弾ませるのはすでに煙に巻かれているからに違いない。
煙の中から、何かが転がって、いましがたクラリックを殴打した団員の足元に触れる。
「命令を待っているのか。ならば耳をそばだてろ。首ひとつになっても、何か言うかもしれぬぞ」
団員たちにとっては聞き慣れぬ声だったが、クラリックとナローにとっては神よりも待ち焦がれた声だ。
「だ、誰だ?」
団員のひとりが足元を確認しつつ誰何する。
眼に飛び込んできたのは、人間の頭部だ。それを誰だか認識するのに要した時間はほんのわずかだったが、彼にとっては妙に間延びしたものに思えた。
「――ボス! ひぃっ!」
団員は首領の一部から飛びのいた。
「見た通りだ。おまえたちの首領は死んだ。右腕の預言者とやらは、ここにいる」
煙に咳き込むネイロパを大地に転がして、ベイリーが処刑の庭に戻ってきた。メリサとルゴーも一緒だ。
「私の部下が無事だったのは、貴様らにとっても運がよかったぞ」
「おまえらは……?」
「重ねて言う。マイルストームは死んだ。灼熱の血盟団は今夜限りだ。煙に紛れて消えろ。追いはしない」
たった三人の登場に団員たちは恐慌をきたし、我先にと逃げ出した。
ルゴーは、双子の兄弟とクラリックの麻袋を外し、縛めを解いてやった。
「ベイリー様!」
「大将!」
解放された二人は手を取り合って喜びと煙とに激しく咽ぶ。
「間に合ってよかったね。死に損ねた気分はどう?」
メリサがウィンクするとナローが肩をすくめた。
「遅いぜ。まったく遅すぎる!」
「ゼロッドはどうしたんですか?」
クラリックが言えば、
「それについては」「後でゆっくり、だ」
とメリサとベイリーがほどんど同時に答えた。
いぶかしげな様子のナローとクラリックだったが、おとなしく口をつぐんだ。
「ともかく、長い夜だったが――これで終わりだ」
夜戦の終結を、レヴァヌの解放を、騒乱の収束を、ベイリーを宣言した。
ただ、その背中にはどこか重苦しい影が差していた。オアシスは炎の明るさに照らし出されたから、住民たちは本当の日の出に気付くのが遅れた。
悪魔の中指の搭乗員たちは、晴ればれとした顔を互いに見合わせた。
「勝ったぞ」
「生きてる。……兄貴、膝、ずっと震えてるぞ」
「バカ、これは疲れただけだ」
「ルゴー、あんたが子犬みたくブルってたのに気づいてないとでも?」
「……皆、無事でなによりだ。本当によくやってくれた」
ベイリーが皆をねぎらうと、大きな獣の死骸に似て不動となった装甲車が朝陽に浮かび上がる。ネイロパがひとり何かを口走ったのに気づいた者はいなかった。うわごとめいた声は耳に届いてはいたが、その意味を解した者はなく、また理解した時にはすべてが遅すぎた。
「来るぞ、狙ってる。まだだ。死神の息がかかる……逃がしてくれ、死にたくない」
解放の弛緩のうちで誰もがこれ以上になく無防備だった。ネイロパだけが、迸る呪力の兆しを感じることができた。
灯台から最後の凶弾が放たれ、ナローのこめかみが貫かれた。
それは、銃弾に撃たれたというよりも、まるで内側から弾け飛んだかのように映った。装甲車を陥没させる威力が人体に及ぼす効果は、悲劇というよりも喜劇的で、非現実的な光景でしかない。
「……ナロー」
歯止めの利かない虚脱とでも言うべき、数瞬が過ぎた。
誰ひとりとして動けなかった。
「逃げろ、狙撃手は灯台だ! 遮蔽物へ飛び込め!」
ようやくベイリーが叫んだ。
よろよろと粘着性の高い液体の中を泳ぐような体感の中を走った。
一向に進まない距離と時間はもどかしく、そして恐怖だった。物陰に身を潜めながら、誰もがすでに手遅れであるナローに駆け寄りたい衝動と戦うことになった。
「弾は尽きた。死神は、ヴェローナは去った!」
その場に置き去りにされたネイロパは恨みがましい大声で呼ばわった。
「終わりだ。これで本当に終わりだ。頼む、終わりにしてくれ」
ネイロパは誰にともなく懇願するが、ルゴーの喉を裂くような慟哭が迸りはじめた時、この夜が決して終わらないことをベイリーたちは悟った。
これからも何度も太陽は昇るだろう。だが、この夜の体験に彼らは繰り返し投げ込まれ、引き戻され、逃れ出ることはできないだろう。
メリサは双子の兄に、クラリックはその弟に、それぞれ寄り添い、静かに瞑目するのだった。
× × ×
「煙と逆光で見えないけど、手ごたえあり。ひとり、死んだ」
硝煙のにおいに包まれてヴェローナは華奢な身体を震わせる。
寒さと空腹が彼女を苛立たせ、同時に安らぎを与えていた。それは慣れ親しんだ感覚。どこにも帰属することのないヴェローナ・リジュイーが立ち返る場所といえば、夜の砂漠の差し込むような寒さと、甘ったるい飢え、それに全能なる殺意だった。
「……弾が尽きるまで殺せなかった相手はベイリー、あなたがはじめて。最後の一発で死んだのがあなたじゃないなら、だけど」
ヴェローナは銃弾が恋文のように接吻のように相手に届くと信じている。
隔たったふたつの点を結びつけるものが狙撃の射線だ。それだけが彼女にとって愛に酷似した何かであり、教育を受けなかった彼女が知る唯一の幾何学だった。
「次は死んでね。あたしも殺すから」
灯台を降りたヴェローナは、死の穢れを払い落すかのように衣服をパンパンと叩く。ものものしい武器を抱えていなければ、洗濯屋の娘か、旅芸人の女にでも見えたかもしれない。
数時間後、解放の歓喜に沸くレヴァヌの街に彼女の姿はないだろう。それどころか彼女の容貌や声ですら、誰の記憶にも残らない。
残された死だけが、彼女の足跡として刻まれるのだが、それとて砂の上の儚い押し絵であり、やがて海から吹く風に吹き消されるに違いなかった。
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