疾走する玉座

十三不塔

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第三章 逆乱

潰走

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 破壊されたバルコニーから伸びた亀裂は、王の居室にまで及んだ。
 バルコニーの手すりにかぶりついていたマイルストームの部下のひとりが木っ端みじんになって城壁の染みとなると、ネイロパは息をするのも忘れて青くなった。

 それでもマイルストームは上機嫌だった。

「これだぜ。こういうのをずっと求めてたんだ。なぁネイロパ」
 マイルストームはネイロパの手を自分の股間に当てがった。

「タマが縮みあがってやがる。生きてる実感てやつだ。いろいろ修羅場はくぐってきたがよぉ、最高潮はいまここだ。まるで昨日までの人生が夢か幻だったみてぇじゃねえか」

 夢は夢でもこれは悪夢だ、とネイロパは言いかけたが、口をつぐむ。あと二、三発あの砲撃を食らえば、こんな城砦など跡形も残るまい。

「これぞ求めてた死地じゃねえか。こいつを潜り抜けたところに王の座がある。そうだろう?」

 コクン、コクンとネイロパは壊れた人形のように頷いた。

「なぁ、いい加減、腹をくくれよ、ネイロパ。おまえが見出したんぜ、この俺を。たとえ、行く先が地獄でも俺はおまえの恨んだりしねえ。だからおまえも笑え」

 豪華な食事が並ぶテーブル。そのわずか先には切り取られた虚空の断崖がある。マイルストームに頭を揺さぶられ、ネイロパは笑おうと努力した。

「ガラッドのやつはうまくこなせそうか?」
「おそらく」ひきつった笑いさえ浮かべられず、ネイロパの表情は硬直する。
「そうかい。姫はどうしてる?」

 マイルストームは酒杯を立て続けに三杯煽った。部下たちの中にはこの光景に恐れをなすものもいたが、マイルストームの衰えぬ自信に支えられ恐慌の手前で踏みとどまったようだ。

「どちらの姫で?」
宵の蜃気楼エスタージュの方さ。もうひとりの姫は心配ねえだろ」
「あれを姫と呼ぶのは貴方だけですよ」
「どちらも可愛いじゃじゃ馬だろう。手放すには惜しい別嬪だ」

 灯台に詰めているのは、むしろ死神だ。ナドアの民が黒い摂化力《ゾーナム》と呼ぶものを弾丸に込めて敵を射る魔弾の射手。ネイロパはあんなものを懐に抱え込んでおくマイルストームの神経がわからなかった。

「彼女には味方という概念がありません。あるのは敵と障害物だけ。己の射線上にあれば味方でも構わず撃ち抜きます」

 とはいえ、この場においては、何よりも頼りになる戦力であるのは間違いなかった。

「勇ましいじゃねえか。ちと若すぎるが、あと三年もすりゃいい女になる」
「彼女の射撃が放たれたのをました」

 その口ぶりからはおぞましさがにじみ出ていたに違いない。マイルストームは眉をひそめる。
「そうか。おまえには視えるんだったな。ヴェローナの弾丸の軌跡が」

 ヴェローナ・リジュイー。死神と呼ばれる傭兵。流浪の戦闘狂。あの女はマイルストームの志に共鳴しているわけじゃない。ただ血を求めてレヴァヌに流れてきたに過ぎない。

「娼館の方は」とネイロパは話を戻した。「たぶん問題ありません。必ずベイリーを殺せとのお達しです」
「俺たちの大切な太客だからな。せいぜいご要望にお応えしようぜ」

×  ×  ×

 ガラッドは蒸気鋸《スチーム・ソー》をかついで悪魔の中指の後部に飛び移った。
 火砲を放つために停止したのと、呪力弾が到達した衝撃とで、思わぬ隙ができたのだ。

「ガラッドさん、気をつけて。死神の弾に当たらないでくださいよ」
 ジヴが忌々しそうに街の外れの灯台を眺めやった。

「ああ、きっとうまくいく。おまえもこんな場所で死ぬのは許さねえからな」

 ガラッドが取り付くと同時に血盟団の射撃が止んだ。手筈通りだ。あとは装甲車の連結部までたどり着いて、ぶった切ればいい。そうすれば悪魔の指を詰められる。問題はヴェローナには撃つのは止める気がないということだ。

(あんな射撃を食らったら、たとえ親でも見分けがつかないくらいバラバラになっちまうからな)

 ――そこへ、恐れていたものが到達する。

 夜気を貫いて風切り音が走り、ついで重く鈍い音がして後部車両が陥没する。

(くそったれ、スレスレじゃねえか)

 まさにガラッドの鼻先一寸の場所に着弾した。大きく車体が揺れる。吐き気を催すほどの威力だった。死神の吐息がうなじに触れた。ガラッドは恐怖のあまり全身が震えるのを必死に抑えながら、装甲車の側面を伝っていく。

 蒸気鋸を作動させ、連結部のカバーごと切れ込みを入れていくのだが、ようやく動き始めた装甲車に重心が振られ、ミレット合金の刃が定まらない。

 ――イイィィィィィィーン!

 火花を顔に浴びるのも構わず、背中に死神の圧力を感じながら、ガラッドは作業に集中した。後部車両のハッチがわずかに開いて、銃口がガラッドを狙う。ガラッドは身をよじり車体の死角に身体をねじ込む。じれったいほどゆっくりと刃が連結部に沈んでいく。

 血盟団の犠牲者は夥しい。腰かけの仲間とはいえ、見知った顔もある。こいつをやり遂げなければ、奴らも浮かばれないだろう。

(もう少しだ。悪魔の指を切り落として、この物騒な夜ともおさらばだ)

 連結部に切れ込みが入っていくにしたがって、後部車両が揺れはじめ、じっとしているのが難しくなっていく。

 唐突に手応えがなくなり、連結部が切断されると、分離した後部車両の横滑りにガラッドが放り出される。

「よし、やったぞ」
 地面に転がりながらガラッドは叫ぶ。

 そこへジヴが手を差し伸べながら走り込んで、ガラッドを拾い上げる。装甲車の後部車両は駆動力を失って、完全に動きを止め、そこへ団員たちが殺到してくる。砂糖にたかる蟻のように人が真っ黒に密集していく様はガラッドをして恐怖を覚えさせた。憎悪に駆り立てられた荒くれ者たちに引っ張りだされれば、骨も残らないほどの目に合うはずだ。まさしく、ここは処刑の庭だ。

「よくやったジヴ。最高のタイミングだぜ。このまま前部車両を捉えるぞ。マイルストームのやつの悪運もまんざらでもないな。ひょっとすると勝つぜ、俺たち」

 ウェスの分析通り、前部車両は砲台の長さのせいで、おそろしくバランスが悪く、前のめりになり履帯の後半部分が浮いてしまっていた。前後に重心が定まらず、まるで尺取虫のようにぎこちなく進むことしかできない。

「悪魔の中指もこうなっちゃ、走る棺桶だな」ガラッドは勝ち誇った。

 一方、城壁で高見の見物を気取っているマイルストームとネイロパには憎らしい感情が沸く。追い打ちをかけるようにヴェローナの呪力弾が次々と撃ち込まれる。内部の混乱はいかほどのものだろう。片側の履帯が弾け飛び、まっすぐ走行するのもままならない、深手を負った獣のごとく装甲車はよろめき進んだ。王都の最新鋭の蒸気式装甲車をここまで追い詰めるとは……我ながらよくやったもんだ、と自賛しかけてガラッドは首を振る。

(恐ろしいのはあのウェスってガキか。あいつがこのデカブツの急所を掴んだんだからな。余計にうちに欲しくなったぜ)

「さぁ、ベイリーのほえ面を拝みに行こうぜ」
 威勢よくガラッドが言うのにジヴは沈黙で応じた。

 装甲車の前部車両は、情けなく背走していく。スピードは老いたラクダと大差ないだろう。ゆっくりとまるで我が身を恥じるように旧市街の方へ退いていく。

 もはや急ぐ必要もない。やつらは装甲車から出るも残るも地獄でしかない。できることと言えば、あの棺桶の中で、名誉ある死を選ぶことくらいだ。

(救国の英雄の哀れな末路か)

「ガラッドさん、まさか同情してるんですか?」
「よせよ。やつらはドッジの森で俺たちに仕掛けてきたんだ。こうなる運命だったのさ」

 やがて装甲車は、市街地に近い、石積みの枯れ井戸に車体の腹が乗り上げてしまい停止した。空転する車輪と履帯、そして漏れ出る蒸気が、末期の呻きのように映った。

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