疾走する玉座

十三不塔

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第三章 逆乱

娼館と淑女

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 チンチロリン、大小《シック・ボー》、ロープ&スネイル、どぼん、碰和《パンウ》。

 世に賭博は数あれど、必ずガラッドは勝利を引き寄せた。ガラッドはあらゆるゲームに精通していたし、はじめてのゲームであっても勘所を押さえるのに時間はかからなかった。血盟団のゴロツキたちからかなりの額を巻き上げたが、それもぼちぼち飽きてきたところだ。

「いい加減にしないとバレますよ」

 ジヴが釘を差すのはもちろんイカサマのことだったが、露見する不安などなかった。ましてや後ろめたさなど。バレたイカサマだけが恥ずべき行為であって、疑うことのない間抜けこそがガラッドに言わせれば救われない恥知らずなのだった。

「血盟団そのものが、大がかりで馬鹿げたイカサマさ。もともとすっかり騙されてやがる阿保どもだ。俺のささやかなやり口に気付くかよ」

 心底軽蔑しきった口調というよりは、同情半分、からかい半分というふうにガラッドは言う。二人のお揃いの腕章には灼熱の血盟団の印(あの素敵な入れ墨の意匠だ)が刺繍されていた。

「僕はネイロパとナドア族の集落へ行くことになりました」
「護衛か。好かれたものだな」

 せんだっての大立ち回り以来、シヴは団員たちに一目置かれるようになったのみならず、参謀であるネイロパの信頼も勝ち得ることになった。

「例の件ですが」とジヴは切り出す。「北通りの娼館の主が支援者《パトロン》だという線が濃厚かな。金の出所としては唯一のものでないにしろ、相当な大口なのは確かです」

「何者だ?」
「没落した貴族だという噂です。隠し財産でもあったんですかね。娼館のあこぎな支配人に収まっているとか」
「血盟団はそいつのひもがついてるってわけか」
「後押しの条件として何かあるはずですがね」

 ジヴは周囲に気を配りながら、堅牢な酒蔵の柱にもたれかかった。

 密談にはちょうどいい暗がりだった。お馴染みになった酒蔵の隅には、没収された大喰いラ・グーリュの姿も見える。オアシスならまだしも、砂漠へ出れば役立たずな代物だ。

「ベイリー……奴を倒すなんて気炎を上げちゃいたが、そいつは果たしてマイルストーム自身の欲望か?」
「吹き込まれたってことですか?」

「さあな」とガラッドは曖昧な返事をし、大喰いに覆い被さった麻布をどける。「随分とまぁ変わり果てちまったこと」

 取り上げられた大喰いは、血盟団の勝手な趣味によって大きく塗装を塗り替えられていた。スレートグレーだった車体は鮮やかなカナリアイエローに上書きされている。ガラッド商店の屋号のステンシルもきれいにさっぱり消されていた。

「なんですかね。目玉が描いてある」

 車体に吊り上がった眼と避けた口が大きく描かれている。コミカルな画風で愛嬌がある。勢いに任せたように見えてなかなか丁寧な仕事だった。

「砂漠の鷹らしいぜ」
「突進するモグラかと」情けないような口惜しいような微妙な面持ちのジヴ。

 ガラッドは言い聞かせる。
「空をゆこうが地を這おうがいいさ。へたどりつけるならな」
「ガラッドさんが、ひとまず足を運ぶのは宵の蜃気楼エスタージュ。でしょう?」

 それが件の娼館の屋号だとガラッドはあらためて記憶に留めた。

「最近見た女といえば北の白狼ぐらいだもんな。もっと色気のある女に触れとかねえといざってぇ時に役立たずになっちまうかもしれねえ」
 身震いしながらガラッドはそう嘆いた。

 くせっ毛を無造作にまとめて天辺で結い上げたジヴの頭をポンポンと叩き、「気をつけろ。ネイロパの野郎は危なっかしいからな」

「はい。わかってます。やつは虎の威を借る狐、しかし、いまや自分を虎だと思い込みつつある」

 マイルストームという堅固な土台があってこそネイロパは向こう見ずに踊ることができる。しかし、見方によっては、マイルストームとて揺れる神輿に過ぎない。いまや時代は大いなる泥濘だ。ぬかるみから抜け出すためには誰かを踏み台にし、疾走《はし》る玉座へ飛び移るしかない。

「マイルストーム、ベイリー・ラドフォード。踏み台が多いほど人は高く登れる」 
 ジヴには、暗がりの中でガラッドがどんな顔で笑ったのかよくわかっていた。

× × ×

 娼館は、レヴァヌの多くの家々と変わらぬ石造りの簡素な建物だった。さすがに大きさは周囲の建物から頭ひとつふたつ抜け出てはいるが、豪奢というよりは重厚な印象で、そこが娼館だとは言われなければわからないだろう。

「ようこそいらっしゃいました」

 錬鉄の門をくぐり、館のドアをノックすると、みずぼらしい女が出てきた。まさかこれが館の主人ではあるまい。ましてや、ここの売り物だなんて冗談はなしだぜ、とガラッドはひとりごちる。少女といえるほど女は若かったが、まとっているものといえば、すっぽりと頭からかぶるフード付きの貫頭衣《ワーブ》で、身体の線を強調する娼妓の衣装ではありえない。

「いらっしゃるのは、はじめてでしょうか?」

 ガラッドは目くばせで答えた。終始うつむき加減の少女は、地味でいじけた印象でありながら、そのくせどこか尊大な感じも受ける。右足を引きずって歩くのは、怪我の後遺症か。

 通された部屋には、豪華なソファと精緻な細工を施されたテーブルがあり、ガラッドは勧められるまでもなく乱暴に腰かけた。外観から想像したよりは贅沢で金がかかっている。調度はレヴァヌのものというよりも王都の当世風の趣が強い。

「わが宵の蜃気楼エスタージュでは多くの美姫がお客様をお待ちしております。肌の色も言葉も手並みもとりどりでございます。いかなる快楽をご所望でしょうか。きっと、お客さまのご要望に沿えるかと」
「そうだな」

 思案にふけるフリをしながら、ガラッドは館の様子を探る。これといって気になるところはない。二階建てで多くの個室がある。部屋を出入りする娼婦たちの姿もちらほらと見える。

「では、百聞は一見にしかず、自慢の品ぞろえ、ご覧にいれましょう」

 少女は、パンパンと手を叩く。するとぞろぞろと十数人もの女たちが出てきて、立ち並び、おのおのが得意なポーズでしなを作った。色鮮やかなドレスの胸元はどれも露骨に開き、白やオリーブ色の肌がのぞいている。

 クリームやオイルに似た滑らかな色と質感。それらは、ガラッドの欲望を掻き立て、泡立て、ぐるぐると混ぜ合わせた。

「さぁ、誰にいたしますか?」
 ガラッドは少女を指さすと告げた。

「決めた。君にしよう」
「……わ、わたしは売り物ではありません。とても値がつくような……」
「値がつけられないほど高値の花かい?」
 
(悪いが、賑やかしの種にさせてもらうぜ)

 少女の戸惑いが怒りに変わるのに時間はかからなかった。

「この身体ですから」
「かまわないさ」ガラッドはじれったそうに言う。
「顔だって」

 ようやく顔を上げると、その半分が麻痺したように歪んでいた。

「“いかなるご要望にも沿う“と言ったぞ。俺はおまえのような女を抱くためにここへ来た。醜くて、みじめで、みすぼらしい女を。がっかりだな。噂に名高いレヴァヌの宵の蜃気楼エスタージュもこの程度か」

 少女は喉を鳴らし、くぐもった声で「……誰がおまえなどと」と言った。

「ん? 何か言ったか?」

 その時、二階の、おそらく執務室だろう一室から、鶴のようにほっそりとしたシルエットの女がスカートの裾をひるがえし、颯爽と現れた。

「なんですか。騒がしい」
 さっと一瞥をくれると、女は事態をおおむね把握したようだ。

「さぁ、おまえたち戻りなさい」

 たった一声で女たちは散っていった。階下に残ったのはあの少女とガラッドだけだ。

「当店の従業員に不手際があったようですね。ゆっくりお話を拝聴したく存じます。どうぞ二階へ」

 こいつが支配人か。ガラッドはその姿を眼に焼き付けた。骨と皮がドレスをまとっている、そんな感じだ。落ちくぼんだ眼窩より、疑い深そうな光を放っている。

「いいぜ」
 ガラッドは、少女に先導されて、階段を上った。
 やはり、彼女は窮屈そうに足を持ち上げる。半身に軽度の不随が見られる。

「紅茶でよろしいですか。お掛けになってどうぞ、ごゆるりと」
 少女はそれだけ言うと隣室へ這入っていった。

「さて」と支配人は言った。「お騒がせ致しました。至らぬ点があれば、遠慮なく仰ってください」

「騒ぎ? ああ、面倒な客だよな……ああ、しかつめしい会話な苦手だ。ざっくばらんにどうだい?」

 支配人が微笑を浮かべた気がしたが、あまりに表情に乏しいので、表情筋の震えのようにも取れる。

「血盟団の方?」
「まだ日は浅いし、近いうちに抜ける」

 ポケットに入れてある腕章をあえて見せはしなかった。

「あの方たちの入店はお断りさせておりますの。他のお客様が怖がりますので。どうして……マゴットね、まったくしょうがない娘」

 嘘をつけ、とガラッドは思う。血盟団とはズブズブの関係なはずだ。他人行儀におさまりかえってるということこそが関係の根深さを予想させた。それに血盟団はレヴァヌの実質的な支配者だ、並の店であれば、立ち入らせないなどと指図できようはずもない。

「あの娘には悪いことをした。タダじゃあんたに会えないかと思ったんでな」
「あなたも女郎屋でゴネるタイプには見えませんものね」

 売春宿の女主人なら腐るほど見てきたが、ガラッドのよく知るタイプとは、この支配人は違っていた。がめつい因業ババアというより、規律に厳しい家庭教師のような印象だ。女郎屋、といった口調にはどこかこの稼業を軽蔑している響きがある。

「わたくしはシュローク。宵の蜃気楼エスタージュの支配人しております」

 ひっつめた白髪に金縁眼鏡。言葉遣いもドレスも着こなしも貴族の出にふさわしいと信じられた。

「で、ご用件は?」
「単刀直入に言う。マイルストームとネイロパを見限れ。負け馬にベットしても見通しは暗いぜ」

 前置きなしに切り出すのも取引の呼吸のひとつだ。意表をついて、出鼻を挫く。

「いったい何を――」
「ベイリー・ラドフォードを倒せるのはやつらじゃない。まぁ、力を削ぐくらいはやれるだろうが。あんたが拵えた預言者も竜紋《サーペイン》とやらもまがい物だ。そうだろ?」
「お待ちください。おっしゃってる意味がわかりません」
「じゃ、もっと言ってやろう。おまえらはマイルストームに深酒でもさせて眠っている間にあの無様な入れ墨を彫ったのさ。一服盛った可能性もある。おめでたいマイルストームは一夜にして自分の肌に浮き出た模様に舞い上がり、へっぽこ占い師に神託を求めた。そしたらこう言うじゃないか。『これは竜から授かった王者の証。どうやらあなたの名はあらかじめ歴史に刻まれておるようですな。これは神意。間違いありません。さぁ、兵を募りなさい。旗揚げです』とな。おそらく、入れ墨を彫った人間はすでに始末されてる。余計なことを漏らす前にな。違うか?」
「……なかなか面白い話ですね」

 眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げる挙措も堂に入っている。しかし、レンズの奥の瞳はやや凄愴の色を帯びた。

「だろう? なんたってあんたの筋書きだからな」

「あなたは……」とシュロークが口を開きかけた時、マゴットが盆に紅茶を載せてやってきた。足のせいでバランスが悪いし、歩くスピードを遅い。なぜ、シュロークはマゴットを使用人として使っているのだろうか。

 ガラッドの顔色を読んだのだろう、シュロークが説明した。

「この子は名家の出なのですけれど、幼い時の高熱でこのような身体になってしまいました。これでは結婚も望めません。ですからわたくしのもとで働いてもらっているのです」
「確かにあんたら二人は、さぞ貴い身分だったんだろうさ。どうして落ちぶれたか知らないがな」
「わたくしどもが世を恨んでいるとしても、大それた計画を目論むような気持ちは誓って持ち合わせておりません。わたくしどもはこの地でこの因果な商売を細々と続けていくだけございます」
「シラを切りとおすつもりなら構わない。ただ、これだけは覚えとけ、あんたのあり余った金を有効に使いたいなら、この俺とガラッド商会に乗り換えるべきだ。似非預言者と王様気取りの田舎者じゃ悪魔の中指ミドルフィンガーの相手にゃ役不足だ。あんたがまんまと仕立て上げたコンビは下手な漫才師にもなれねえ」

 もうこれまで、とガラッドが勢いよく立ち上がると、マゴットは驚いて紅茶のカップと落としてしまう。カップが床で砕け散り、紅茶の雫の一滴はガラッドの額に飛び散った。

 すくみ上がるマゴットを押しのけてシュロークが身を乗り出す。

「何をしているんです? さっさと片付けなさい。まったく」

 ガラッドはじっと湯気の立ち上るカップの破片を見つめた。この光景のどこかに心がざわめいている。ガラッドが内省に落ち込む間もなく、シュロークが言った。

「ひとつお聞かせください。わたくしたちがあなたの仰るとおりの者だったとしましょう。そしてあなたに全面的に肩入れするとします。では、あなたたちなら救国の英雄ベイリーを倒せるのですか?」

 ちらりとガラッドはカップの破片を拾うマゴットに視線を泳がせる。貫頭衣《ワーブ》の内側にたくし込んでいたらしい大ぶりのペンダントが揺れている。感情を揺さぶられたときに取り出して触れるのだろう、山吹色の珍しい石だった。

 もう一度、それを握りしめたマゴットは果敢にも引きつった顔でガラッドの無遠慮な視線を受け止めた。

 それが、うつむきがちな少女とはじめて眼が合った瞬間だった。

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