疾走する玉座

十三不塔

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第三章 逆乱

鳩どもの家

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「まるで埋もれた遺跡だな」
 ナローの軽口はどこか精彩を欠いた。

「我らが悪魔の中指ミドルフィンガーも焼きが回ったな」
 ルゴーは何度目かになる天を仰ぐ仕草をした。

 猛烈な砂嵐の中でベイリーたちは玉座どころか前方視野を丸ごと失って砂丘の窪みにはまり込んだ。容赦なく吹き付ける砂塵に抗すすべはなく、一行はただ自然の猛威が過ぎ去るのを待った。

 ようやく嵐が去ってみれば、彼らの家であり足である蒸気式装甲車《スチームタンク》は砂に覆われ、表面に露出している部分はわずかだった。
 
 そこで上のナローのセリフが出てきたというわけだ。

 ベイリーたちは総出で悪魔の中指ミドルフィンガーを掘り出す羽目になった。

「ちっキリがねえ」
「掘り出すそばから砂が吹きつけてきやがるもんだから、これじゃ俺たちまで埋まっちまうぜ」

 ブツブツ言いながらスコップを振るう双子をメリサはどやしつける。
「口より手を動かしな。日が暮れたらますます動けなくなるよ。クラリック、車内に這入り込んだ砂は?」
「あらかたは掃き出したよ」
 物静かな操縦手兼医師はうっそりと答える。

 ゼロッドはと言えば、彼の持ち場である旋回式火砲から砂を取り除く作業に一心不乱の様子だ。

 完全に埋もれてしまった片側の履帯を、まるで考古学者のように入念に掘り出しているのはベイリーだった。人手が足りなければ、最寄の補給地から人員を呼び寄せるのだが、現在のレヌヴァにそれを期待することはできない。また、肝心の連絡手段にも問題が生じていることが後に判明する。

「よし、エンジンをかけろ!」

 蒸気エンジンの弱点は一度エンジンを切ると、再び動かすのに時間がかかることだ。なおかつ今回は砂の影響でまともにエンジンがかかるのかもわからない。

「大将、なんとかなりましたぜ!」
「よし、ここから這い出せるか?」

 鉄の塊は喘ぐように蒸気を吹き出し、じわりじわりとその巨体を砂の海より浮上させていく。

「やった!」
 全員が喝采を叫んだ。

 ひとり残らず汗だくで砂まみれ、その上何日も風呂に入っていない。

「水を浴びて汗と砂を落とす。それだけのために灼熱の血盟団とやらを皆殺したって構わない。そんな気分」

 メリサは何やら物騒なことを漏らしたが、誰ひとりたしなめる者はない。

「被害状況は?」
 各所の点検を終えた頃、ベイリーが全員を見回した。

「ボイラーですが、ちょいとばかり損傷してます。ま、問題ないでしょう」
「機銃も外してメンテすれば、なんとか」
「右前の装甲がガタついてます。応急処置はしましたがどうなるか」

 口々に報告が飛ぶものの、ダメージは全体としては軽微と言えた。
 ベイリーはホッと胸を撫でおろす。

「大将、お疲れさまでした。これ飲んでくだせえ」
 そう言ってルゴーが気兼ねない動作で水筒を放って寄越す。ゼロッドが睨みつけたとしても、肩をすぼめて、それだけだ。

「……ベイリー様?!」

 慌ててゼロッドが駆け寄ってくる。ベイリーが水筒を取り落としたのだ。眩暈と痺れ、ただの疲労ではない。先日からの悪寒に続く、正体不明の症状だった。あの気味の悪い紋様のせいだろうか。

「問題ない。大げさにするな」
 ふらつく上官にゼロッドが肩を貸そうとするが、ベイリーは謝絶した。

「本当に?」とメリサがベイリーの顔を覗き込んでくる。
「ああ、少し休めば治るさ」
「あんたらはもう少し仕事を続けな」

 メリサは指令を下す。このメンバーでメリサの階級は決して高くはないが、男勝りな性格と荒っぽい気性とで、なぜかナンバー2という感じのポジションを得ていた。

 男たちは車内に戻っていった。
 空気の淀みやすい車内ではなく、新鮮な外気の元でベイリーは休むことにした。もちろん砂粒の飛んでこない装甲車の陰でだが。

 メリサは薄荷の匂いのする巻きタバコに火をつけた。

「そういえばベイリー様。もうひとつ被害が」
「なんだ?」横たわったままのベイリーが問う。
「鳩が一羽。死にました」
「鳩が? いつだ? この砂嵐のせいで?」
「それは不明です。発見はさっき。環境の変化がストレスだったのか。生き物の急死は珍しくありませんが」
「そうか。ルディの鳩が」

 悪魔の中指には、六羽の伝書鳩が持ち込まれていた。
 まさに今回のような窮地のさい、救助を求めるためにだった。鳩は手紙を携えて王都にも飛ぶ。王都を任せてあるベイリーの盟友であるルードウィンに現状を報告するためだ。そのルードウィンに託されたものが鳩たちでもあった。武官としては珍しくルードウィンは鳩の飼育が趣味だった。

「残念だったな。あいつも悲しむだろう」
「あの方が手塩にかけた鳩でしたものね」
「他の鳩に危害を加えられたのだろうか?」
「いえ、外傷はありませんでした」
「クラリックには見せたのか?」

 クラリックにしたところで獣医ではないが、素人よりはきっとマシだろう。

「……クラリックは動物が好きでしたから」メリサは首を横に振った。

 動物だけでなく子供もだ、とベイリーは思う。そんなクラリックに子供の処刑を命じたのは他ならぬベイリーだった。

 あれ以来、クラリックの魂のどこかは強張ったままだ。持ち前の快活さは影を潜め、命令に忠実なだけの機械のようになってしまった。

「弔ったのか?」ベイリーは苦く唇を噛む。

「はい。ゼロッドが埋めたそうです」
「鳩たちに病が蔓延しているといかん。クラリックに見せるべきだったな」
「申し訳ありません」
 メリサがポトリと吸い殻を砂に落とす。

 鋼鉄の装甲が砂をはじくパチパチという音が鳴りやまない。このまま留まっていればまた砂に埋もれてしまいそうだ。

「よし、出るか」
「具合はもういいので?」
「ああ」ベイリーは嘘をついた。

 それを聞いたメリサは「先にお戻りになってください」と言った。「私はもう一本吸ってから戻ります」
「わかった。ほどほどにしろよ」

 ベイリーが車内に戻った後も、しかしメリサは二本目の煙草に火をつけなかった。
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