疾走する玉座

十三不塔

文字の大きさ
上 下
11 / 58
第三章 逆乱

十七歳の地図

しおりを挟む



 光走船は月明りの下を、数えきれない砂粒の上を滑っていく。
 砂丘のなまめかしく優美な曲面《カーヴ》を、気ままな風に吹き流されるように漂う。
 
 夜の砂漠は凍えるほど寒かったが、ウェスと道化猿はひたすら元気一杯だ。

「さぁ、覚えたか? もっかい歌うぞ。岩のは1、虹のは2だ」

 指で数を示すウェス。キキっと、元気よく返事する道化猿。

「おい。ウェス、俺ばっか漕いでんじゃねえか。猿の相手してねえで、ちったぁ手伝えよ」

 そうなのだ、太陽光というエネルギー供給を失う夜間にあっては、“漕ぐ”他に光走船を前に進める方法はない。なのにこの馬鹿は猿といつまでも遊んでやがる。

「スタンはムキムキだからな。漕ぐのにぴったりだ。なぁラトナ」
「……ちょっと待て、ラトナってなんだ?」
「こいつの名前さ。名無しじゃ呼びにくいだろ」
「それってまさか?」スタンは漕ぐ手を止めた。
「ラトナーカル。あの竜の名前さ」
「竜の名前を猿につけたのか?」

 スタンは唖然とした。
 聞けば、フランケル山脈を抜けた時点でこの猿はラトナーカルだったらしい。

「そだね」ウェスはあっけらかんと肯定する。
「ど、どうして?」
「別に意味ないけど。考えるの面倒だし、あの竜はもうこの世にいないんだったら、名前貰っといてやったほうが……草葉の影で喜ぶぜ。ダメだったかな?」

 ウェスの中で竜は死んだことになっているらしい。ま、構わないか、とスタンは思う。 

「まあいい。好きにしろ」

 スタンは深く追求せず、白い息を漏らす。ウェスの思いつきにいちいち目くじら立てていては身が持たない。呼ばれて反応しているところを見ると猿も気に入っているらしい。

 地図で言えば、ここらはもうフィンドール砂漠だ。オアシスの街レヴァヌで食料の買い出しをする必要がある。隙があれば、食い意地の張った猿を売っぱらってやろうかと密かに狙っているが、スタンの悪意を察したラトナーカルは、近頃あまり近くに寄ってこようとしない。

「どんどん賢くなってんな、この猿」
「僕の英才教育のおかげだよね」とウェスは自画自賛。

 確かにウェスはいろいろと教え込んでいる。

 いま取り組んでいるのは『鍛冶王ハゼムの数え唄』というものだ。
 シェストラの初代王ハゼムは鍛冶仕事が得意だったと伝承されている。そのハゼムが打った五本の名剣にちなむ数え唄は湖水地方では幼児教育の定番ソングと言える。

 ♪ ♪ ♪

 岩を削ってトンテンカン 母さん出てきて泡吹いた
 きらりと光る〈いやがらせヴェクサシオン

 虹を砕いてトンテンカン 父さん出てきて泡吹いた
 ぴかりと光る〈はた迷惑な微罪モレ・ステルペカ

 三日月叩いてトンテンカン 姉さん出てきて泡吹いた
 すらりと光る〈不愉快な概要デサ・グ・ラジェル

 死肉を炙ってトンテンカン 兄さん出てきて泡吹いた
 ぬらりと光る〈干からびた胎児セカンブリオン

 後妻を刻んでトンテンカン 誰も出てこず泡もなく
 〈神の赤い信条クレ・デジョーリョス〉に光なく。

 ラトナーカルは手を叩いて喜んでいる。そればかりか「トンテンカン」の部分は歯茎を剥き出して近い音を捻り出そうと苦闘している。

「うまいぞラトナ! そうだ! トンテンカン!」

 ――キキキッキー!

 確かに最近のラトナは発達著しい。道化猿の標準を大幅に上回る体格に成長したし、食性も変わった。本来、果物しか口にしない種であるはずなのに、ウェスたちとの生活に毒されたのか干し肉やパンも食べるようになった。爪と牙も発達し、どちらかというと肉食獣の風格を備えつつある。

「こいつ本当に道化猿だったんだろうか。変わり果てちまったな」
「環境のせいだよ。栄養のある食事と愛情込めた躾で猿もこうなるって見本だ」

 ウェスに賛同するようにラトナは甲高い声を上げる。
 人間の言葉も解し始めてる気配がある。

 こいつは侮れないかもな、とスタンは猿に危機感を憶えた。ウェスの相棒の座はもうすぐ猿の手に渡るかもしれない。

「よし、繰り返せ。ラトナ! これからの時代、猿だって数学くらいできないと!」
「無茶言ってんなぁ」
「微分積分三角関数!」
「数学より、船漕げるように躾けろよ」とスタンは嫌味を言うが、ウェスにもラトナにも聴こえていないフリをされた。

「母さん出てきて泡吹いた! きらりと光る〈いやがらせヴェクサシオン〉」

 ラトナの手拍子とウェスの熱唱が夜のしじまに溶けていく。

「ガキの頃はなんとも思わなかったけど、改めて聞いてみると、いかれた歌だな」

 スタンは懐かしく思う。ゆりかごの中でだって聞こえていたはずだ。
 内容はともかくクセになるメロディではある。

「僕は好きだよ。ずっと歌ってられる」

 ここに歌われているハゼム王の名高い愛剣のひとつ〈いやがらせヴェクサシオン〉は王都の宝物殿に収蔵されている。何千年も過去の剣がいまも現存しているかどうかは疑問だが――どうせ複製の複製の、そのまた複製だろう――古代のカラクリが玉座を誘拐したこのご時世、何があっても不思議ではない。

「難しい顔してんね、スタン」
「おまえがちっとも漕がないからだ」

 人力モードの光走船は鈍重だ。漕げども漕げどもオアシスの影も形の見えない。

「いいよ、じゃスタンがラトナの勉強を見てくれる?」
「……いや、もう少し漕ごう」

 スタンはラトナの世話を回避した。まだ心配の種がある。猿と遊ぶくらいなら船を漕いでたほうが気がまぎれる。

 言うまでもなく、悩みのひとつは竜紋《サーペイン》だった。

 こいつが浮かび上がってから身体の底から不思議な活力が満ちてくるのを感じる。一方で精神的には絶好調というわけにはいかない。フランケル山脈での邂逅から数日は控え目に言って地獄だった。ベイリーとレイゼルから距離を超えて伝わってくる強い感情に当てられてスタンは苦悶した。

「まるで汚水溜めになった気分だぜ」とスタンはウェスに竜紋《サーペイン》の影響がいかほどのものかを説明した。「他人の家の便器の水に顔を突っ込んだところを想像してみろ。ウェス、羨ましいなら代わってやる」

 それを聞いたウェスはぶるぶると首を振った。

「やめとく」

 竜紋《サーペイン》にまつわる伝承は多岐に渡る。が、そこに定型はない。ハゼムに始まり、乱世において王の資質を持つ者に竜紋《サーペイン》は現れたというが、どの物語も所有者を輝かしく描くばかりで不幸な副作用についての記述はない。

 それに親父に知られたら、とスタンは胃が痛くなる。彫り物スミなんざカタギの入れるもんじゃねえと、こっぴどく叱られるのが眼に見える。言い伝えにある竜紋《サーペイン》だと釈明したところで事態はさらに紛糾するに違いない。

「砂漠の月か。いいなぁスタン」
「おまえ、……人の気も知らないで」スタンは首を振るが、ウェスは遠慮なしでスタンの物思いに踏み入ってくる。

「そうそう。ここまでの旅で、たっぷりデータ取れた。光走船《ルカ》の改良点を思いついたんだ。まずはエアスカートだけどさ。形状をこうして……」
 
 ウェスの関心は目まぐるしく移っていく。
 さっきまで月に見惚れていたのに、今度はスケッチブックをひろげてガリガリと何やら描きまくるという具合。

「それよかさ。ウェス」
「ん?」
「古代機械の進路にアテがあるんだろ」
「ありゃ。言ってなかった?」
「おまえにしてはもったいぶってたからな、聞かなかった」
「んーそーだっけ。データが集まるまで時間かかったんだよね。もう十分さ。かなりの精度が見込めると思う」

 スケッチブックの別のページにはシェストラの地図があった。詳細だが、手描きのため、かすれている部分や、比率がいい加減な箇所がある。それでもシェストラの広大な版図を一望するには使い勝手がいい。

「この赤い鉛筆の線がこれまでの古代機械の進路ね」
「ふんふん」ぐにゃぐにゃした一筆書きだが、どこか奇妙な法則性と美しさがあるように感じた。
「で、これにこっちの薄紙をかぶせる」

 そこに半透明の別紙がぴったりと重ねられると、それに引いてある緑色のラインが赤の線と大まかに重なって見えた。

「これは?」
「王たちの遊歩道」
「なんだそれ?」
「サラハ朝時代の道路さ。シェストラ王国以前に造られた交通網としては最大規模だよね。文字通り王族の巡撫ルートだという説もあるけど、最近の学説じゃ一般的な街道だったとも物資の流通路だったとも言われてる。ただ、あの機械はもっと遥か大昔のとんでもない文明のものだ。それがなんで王たちの遊歩道を走ってるのか不明。ただ、基本このルートに沿って走ってるのは間違いない」
「ふーむ。ってことはだ。俺たちが追ってる玉座改め王様用ケツ乗せ台の次の行先は……ええっと。フィンドール砂漠を抜けて――」

 スタンはすうっと地図に視線を走らせた。

「――古代都市ロドニー」

 二人は同時に口にした。

「平滑道路の遺跡があるところだな」
「光走船《ルカ》の最高速タイムアタックしよう」

 二人の子供っぽい興奮に煽られたラトナ―カルは猿らしからぬ仕草で親指を立てた。

「それから?」

 スタンは古代都市ロドニーの遺跡からさらに先をながめ渡し、その一点を指さした。

「王たちの遊歩道は海に当たって途切れる。ここは、ええと千年海岸《ミレニアム・ビーチ》」
「千年海岸《ミレニアム・ビーチ》!」

 海と見まがうほど膨大な水に囲まれて育った二人にしても、本物の海を見たことはついぞなかった。すべての命がそこから生じたとい塩からい水たまり。

 ――そして、千年海岸《ミレニアム・ビーチ》こそ、海獣ウィースガムの腸からハゼム王が玉座を取り出したという場所であった。

 二人は顔を見合わせた。海に出られるのは飛びあがるほどうれしい。
 なにしろ彼らは――ひとりは竜に見初められ、ひとりはその血に革新の息吹を宿しているにせよ――ただの十七歳でもあったから。

 だしぬけにラトナーカルが空に向かって吠えた。

 月光は雫となって滴り落ちてきそうだった。
 星々は天使が踏み歩いた足跡のようだった。

 ウェスとスタンは、自分たちがあまりにも遠くに来てしまったことにいまさらながら落ち着かなさを感じた。ふいに襲ってきた子供らしい心細さに鳥肌が立った。

 しかし、それは一瞬のことですぐに世慣れたもうひとりの自分が戻ってくる。

 ラトナの遠吠えは警戒を促すものだとわかったからだ。
 前方、吹き溜まった砂の半分埋もれた人影があり、それは二人と一匹の脅威となる可能性があった。

「誰だ?」

 スタンは船体からオールを取り外した。ウェスと違ってスタンは櫂術《ゾ=ワート》の心得がある、半身の構えに隙はない。

「待て、助けてくれ」
 砂だらけの人影に近づくと、男の声でそれは訴えた。

「誰だ、あんた? ここで何してる?」
 警戒しつつスタンは訊ねる。

「殺されかけたんだ。あんたらが助けてくれなきゃ死ぬかもしれなかった」
「まだ助けるなんて言ってないぜ」
「……頼む、後生だから」

 必死に懇願するのだけれど、男の仕草はどこか冗談めいていて、警戒が解けたとしても同情してやる気は起きそうもない。

 男は両手を掲げ、無防備であることを示す。確かにここに置き去りにさればほどなく凍死するはずた。なにしろ、男の格好ときたら裸同然の薄着だった。

「いいだろう。乗りなよ」ウェスが言う。「でも、妙な事したら、この猿がおっさんをかみ殺すよ。ラトナは中年のおっさんが大好物なんだ」
 ウェスはガラス玉のような眼で言った。

 それは弱った男を怖がらせるに十分だった。

「で、おっさん、説明してくれよ」

 スタンはオールの片方を男に握らせた。ようやく得た労働力だ。遊ばせておくわけにはいかない。半裸の男が口を開く度に、たるんだ腹の肉が波打った。

「俺はダーシュワイ。わけがわからねえ。寝室で寝てたら、いきなり数人の男に押し込まれて、無理やり連れ去られたあげく、身ぐるみ剥がされて砂漠にポイって顛末だ」
「痴情の縺れってやつか」
「ちがわい」首がもげそうなほどダーシュワイは否定する。
「人妻を寝取ったか。故郷じゃ間男は湖に沈められる」
「怖ろしいこと言うない。そんなおぼえはねえ」

 今度はスキンヘッドを上気させて憤る。いちいち身振りが大げさな男だ。

「んだよ。心当たりもねえってのか?」
「ああ、俺は日々真面目に働いてたんだ。……そのあったけえ服ありがとよ。できれば酒があるとありがてぇんだが」
「ないよ。生業《なりわい》は?」
「古物商だ。……ただ、そっちの芽がなかなか出なくてな、別の稼業に鞍替えしようと思ってたんだ」
「次は何屋に?」
「彫り師だよ。刺青《スミ》を彫るのさ」

 ダーシュワイは言った。
 
 スタンはズボンをまくり上げ竜紋《サーペイン》を見せた。

「こんなやつか?」
「坊主、なかなか渋いのを入れてんじゃねえか。こんな繊細な細工は見たことがねえ。名のある彫り師の仕事かい?」
「ああ、片目で頬まで口の裂けた凄腕のやつさ。怒らせたらぶっ殺されること間違いなしだ」
「やべぇ、やばすぎんな。弟子入りしたいと思ったけどやめにしとくよ。……俺はまだ見習いよ。でも、こないだ記念すべき初仕事をしたんだぜ。眠ってる大男に刺青を彫るって妙な仕事だったけどな」

「へえ」とスタンは頷いた。「で、おっさんどうすんだ? 俺たちレヴァヌに行くんだけど」

「ダメだ。レヴァヌには戻れねえ。また捕まっちまう」

 どうやらダーシュワイはスタンたちが目指す場所から来たようだ。

「ならどこへ?」
 呆れてスタンは言った。

 地図を見ればわかるが、このあたりにはレヴァヌの他に街はない。
 昼の砂漠に灼かれて死ぬか、夜の砂漠に凍えて死ぬか、だ。

「いい考えがある」
 とダーシュワイは言った。
しおりを挟む

処理中です...