疾走する玉座

十三不塔

文字の大きさ
上 下
4 / 58
第一章 追跡者たち

ガラッド・ボーエン

しおりを挟む
 すべてを奪われた農奴にも奪われなかったものがある。

 それは歌だ。
 ガラッドは美声の持ち主というわけでなかったが、その声はよく通り、不思議な魅力があった。

 汗ばんだ浅黒い喉から発せられるのは「稲扱《いねこ》きの歌」と言われるものだ。脱穀の時に合唱される素朴な歌であり、労働の辛苦を少しでも忘れられるように工夫された陽気な調べである。

 ガラッドの父も祖父もみんなこの歌を歌った。教えられるまでもなく、ガラッドもこの歌をおぼえた。

 だが、この歌を歌うのも、もう俺の代までかもな、とガラッドは思う。

 それにはふたつの理由がある。
 ひとつはもう脱穀を手作業で行う時代ではないこと。南西部の穀倉地帯にも機械化の波が押し寄せているのだった。農作業の大部分は機械がやってくれる。

 ふたつ目の理由は、ガラッドの一族が奴隷の身分を返上したからだ。もはや彼も彼の子供たちも奴隷ではない。自由民として己の才覚のみを頼りに生きていける。

 これははじまりに過ぎない、とガラッドは知っている。

 上り詰めるのは、ここからだ。
 金さえあれば貴族の称号でも買うことができる。いや、いまやどうだろう、王の座さえも競りにかけられているじゃないか――。

 シェストラの初代王ハゼムが海の巨獣ウィースガムの腸より取り出したという赤い石。伝説の語るところによればそれが歴代の王の座す玉座へと変化したのだという。

 眉唾もののおとぎ話を信じてはいなかったが、その価値は認めざるを得ない。あれは王のための椅子ではなく、あれに座ったものが王となる、そんな魔法の座だ。

 奴隷から身を起こしたガラッドが西南部の商工会議所の親方衆のひとりとして活躍するのを分不相応の出世だと陰口を叩く者がいる。ならば王になればいかほどの非難と誹謗が渦巻くことだろう。

「高く飛ぶ鳥は堕ちる。下らない諺だな」
「いいえ、その諺は正しいっす。ただ続きがありますよ。『高く飛ぶ鳥は堕ちる。さらに高きを飛ぶ鳥は竜となる』ってね」
「聞いたことがないな。おまえの創作だろう?」
「バレましたか」

 屈託なく応えたのはジヴという若者だ。量の多いくせ毛が盛り上がって彼の頭を妙ちきりんなシルエットにしている。青草に映じられた影はまるで絵本に出てくるドジな食人鬼のようだ。

 ガラッドはジヴの主人に金を払い利発なジヴを農奴から解放してやったが、新しい所有者然と振る舞うことはない。
 
 ジヴはガラッドに忠誠を捧げているものの、二人の間柄は気がねの要らぬ友人もしくは相棒といったふうに見える。

「ガラッドさん、王様になったらどうすんですか?」
「まずはおまえを大臣に任命するな」
「そりゃいい」
「次に国中の美女を集めてハーレムを作る」
「名案です」
「奴隷を解放してやってもいいな」

 ガラッドは三度目に本心を漏らす。ジヴはそのことをよく知っていた。

 もちろんはじめのふたつの冗談が実現しないと言う意味ではない。神が許せば、それだって叶うかもしれない。ただ、真剣に願っているのは、ついでのように口にした最後のひとつなのである。

 眠たげな目付きをしているジヴだったが、ガラッドの真意を聞き違えることはない。

「奴隷たちは解放されたがっちゃいませんよ。少なくとも僕たちのようには」
 
 その反論には力がなかった。それどころかいくぶん悲し気であった。

 ふん、とガラッドは鼻息を荒くする。

「そうさ、だから自由を与えてやるってのは間違ってる。王の権限において押し付けてやるんだよ。望まぬ自由をな」
「ずっと思ってたけれど、ガラッドさんて残酷ですね。んで優しいですね」
「自由もまた苦役だ。俺の王国においてはすべての国民に味わってもらうさ」

 値を支払い、己を買い戻したガラッドだけが知る苦渋が横顔に滲んだ。

大喰いラ・グーリュの原型は小さな芝刈り機だった。そいつはお粗末な代物だったが、改良したら生まれ変わった。草だけでなく稲を刈れるようになった。百姓どもはこぞって俺の稲刈り機を求めた。やつらの労働時間は短縮され、自由な時間が増えた」
「ええ、やつらときたらせっかくの余暇を酒か賭け事に使っていますがね」
「それもまた自由さ。重要なのは、やつらの自由ってのが、もともと俺の頭の中から生まれたってことだ。元奴隷の俺の頭の中からな」

 ガラッドは誇らしげに胸を張った。
 元農奴の頭の中から生まれた最大の成果である大喰いラ・グーリュは、グラハ草原を快適に貪欲な巨獣のように走る。

 この獣は、ガラッドの意志の具現化だ。通り道にある植物を根こそぎ食い、咀嚼するそばから走るエネルギーに変えていく。植物を高効率でエネルギーに変換する機構はガラッド商会の企業秘密である。また、それは満たされることのない平等への飽くなき切望でもある。

「ガラッドさん、東の方角を見てください!」

 ジヴが何かを見つけたようだ。

「あっちで煙がたなびいてます。きっと蒸気式装甲車9型デビルズ・ミドルフィンガーです」
「おっかねえ名前だなしかし。煙なんて見えねえが」
「ご主人は眼が悪いから」
「馬鹿、おまえが良すぎるんだ」

 ジヴを今回の旅に同行させて間違いなかった。
 ジヴは大食いのシステムを知り尽くしているうえ整備だけでなく、地図と星を読む旅の指南者としても力を発揮した。

「やつらも同じものを追ってるはず。ついていけばきっと玉座を拝めますぜ」
「俺たちは追い付けるのか」
 
 ガラッドは率直に不安を口にした。
 西南部の穀倉地帯を出発して十七日目、ようやく掴んだ目標の尻尾だった。もとはといえば大喰いラ・グーリュの性能試験とその喧伝が目的だった王座奪還の旅だったが、いまや、ガラッドは王になるのも悪くないと考えていた。

「ここから先はドッジ森林地帯に入ります。込み入った地形では、蒸気式より我々の大喰いの方が走破性において勝ります」
「それは心配してねえさ。追いつかなくちゃいけねえのは本命だ。つまるところ、だ。突っ走る玉座をとっつかまえられんのか?」
「わかりませんよ。古代機械なんて代物のことは。一度お目にかかってみないと」

 ジヴもまた率直だった。

「ふぅん」ガラッドは楽しそうに口元を歪める。

 この先には想像もつかない何かがある。
 とうとうやってきたのだ。ここから本当の人生が始まる。機知と才覚を試すには、この捕り物レースは絶好の舞台だった。

 農奴の身分から己を解放した、あの瞬間に味わった自由の感触を忘れることはない。あの瞬間のために農奴であったことに感謝するほどに。

 ――だが、この先で俺は知るのだ、とガラッドは大喰いの咆哮に震えながら思う。

 さらなる自由と解放の味を。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

完結【真】ご都合主義で生きてます。-創生魔法で思った物を創り、現代知識を使い世界を変える-

ジェルミ
ファンタジー
魔法は5属性、無限収納のストレージ。 自分の望んだものを創れる『創生魔法』が使える者が現れたら。 28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 そして女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 安定した収入を得るために創生魔法を使い生産チートを目指す。 いずれは働かず、寝て暮らせる生活を目指して! この世界は無い物ばかり。 現代知識を使い生産チートを目指します。 ※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。

処理中です...