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第一章 追跡者たち
ガラッド・ボーエン
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すべてを奪われた農奴にも奪われなかったものがある。
それは歌だ。
ガラッドは美声の持ち主というわけでなかったが、その声はよく通り、不思議な魅力があった。
汗ばんだ浅黒い喉から発せられるのは「稲扱《いねこ》きの歌」と言われるものだ。脱穀の時に合唱される素朴な歌であり、労働の辛苦を少しでも忘れられるように工夫された陽気な調べである。
ガラッドの父も祖父もみんなこの歌を歌った。教えられるまでもなく、ガラッドもこの歌をおぼえた。
だが、この歌を歌うのも、もう俺の代までかもな、とガラッドは思う。
それにはふたつの理由がある。
ひとつはもう脱穀を手作業で行う時代ではないこと。南西部の穀倉地帯にも機械化の波が押し寄せているのだった。農作業の大部分は機械がやってくれる。
ふたつ目の理由は、ガラッドの一族が奴隷の身分を返上したからだ。もはや彼も彼の子供たちも奴隷ではない。自由民として己の才覚のみを頼りに生きていける。
これははじまりに過ぎない、とガラッドは知っている。
上り詰めるのは、ここからだ。
金さえあれば貴族の称号でも買うことができる。いや、いまやどうだろう、王の座さえも競りにかけられているじゃないか――。
シェストラの初代王ハゼムが海の巨獣ウィースガムの腸より取り出したという赤い石。伝説の語るところによればそれが歴代の王の座す玉座へと変化したのだという。
眉唾もののおとぎ話を信じてはいなかったが、その価値は認めざるを得ない。あれは王のための椅子ではなく、あれに座ったものが王となる、そんな魔法の座だ。
奴隷から身を起こしたガラッドが西南部の商工会議所の親方衆のひとりとして活躍するのを分不相応の出世だと陰口を叩く者がいる。ならば王になればいかほどの非難と誹謗が渦巻くことだろう。
「高く飛ぶ鳥は堕ちる。下らない諺だな」
「いいえ、その諺は正しいっす。ただ続きがありますよ。『高く飛ぶ鳥は堕ちる。さらに高きを飛ぶ鳥は竜となる』ってね」
「聞いたことがないな。おまえの創作だろう?」
「バレましたか」
屈託なく応えたのはジヴという若者だ。量の多いくせ毛が盛り上がって彼の頭を妙ちきりんなシルエットにしている。青草に映じられた影はまるで絵本に出てくるドジな食人鬼のようだ。
ガラッドはジヴの主人に金を払い利発なジヴを農奴から解放してやったが、新しい所有者然と振る舞うことはない。
ジヴはガラッドに忠誠を捧げているものの、二人の間柄は気がねの要らぬ友人もしくは相棒といったふうに見える。
「ガラッドさん、王様になったらどうすんですか?」
「まずはおまえを大臣に任命するな」
「そりゃいい」
「次に国中の美女を集めてハーレムを作る」
「名案です」
「奴隷を解放してやってもいいな」
ガラッドは三度目に本心を漏らす。ジヴはそのことをよく知っていた。
もちろんはじめのふたつの冗談が実現しないと言う意味ではない。神が許せば、それだって叶うかもしれない。ただ、真剣に願っているのは、ついでのように口にした最後のひとつなのである。
眠たげな目付きをしているジヴだったが、ガラッドの真意を聞き違えることはない。
「奴隷たちは解放されたがっちゃいませんよ。少なくとも僕たちのようには」
その反論には力がなかった。それどころかいくぶん悲し気であった。
ふん、とガラッドは鼻息を荒くする。
「そうさ、だから自由を与えてやるってのは間違ってる。王の権限において押し付けてやるんだよ。望まぬ自由をな」
「ずっと思ってたけれど、ガラッドさんて残酷ですね。んで優しいですね」
「自由もまた苦役だ。俺の王国においてはすべての国民に味わってもらうさ」
値を支払い、己を買い戻したガラッドだけが知る苦渋が横顔に滲んだ。
「大喰いの原型は小さな芝刈り機だった。そいつはお粗末な代物だったが、改良したら生まれ変わった。草だけでなく稲を刈れるようになった。百姓どもはこぞって俺の稲刈り機を求めた。やつらの労働時間は短縮され、自由な時間が増えた」
「ええ、やつらときたらせっかくの余暇を酒か賭け事に使っていますがね」
「それもまた自由さ。重要なのは、やつらの自由ってのが、もともと俺の頭の中から生まれたってことだ。元奴隷の俺の頭の中からな」
ガラッドは誇らしげに胸を張った。
元農奴の頭の中から生まれた最大の成果である大喰いは、グラハ草原を快適に貪欲な巨獣のように走る。
この獣は、ガラッドの意志の具現化だ。通り道にある植物を根こそぎ食い、咀嚼するそばから走るエネルギーに変えていく。植物を高効率でエネルギーに変換する機構はガラッド商会の企業秘密である。また、それは満たされることのない平等への飽くなき切望でもある。
「ガラッドさん、東の方角を見てください!」
ジヴが何かを見つけたようだ。
「あっちで煙がたなびいてます。きっと蒸気式装甲車9型です」
「おっかねえ名前だなしかし。煙なんて見えねえが」
「ご主人は眼が悪いから」
「馬鹿、おまえが良すぎるんだ」
ジヴを今回の旅に同行させて間違いなかった。
ジヴは大食いのシステムを知り尽くしているうえ整備だけでなく、地図と星を読む旅の指南者としても力を発揮した。
「やつらも同じものを追ってるはず。ついていけばきっと玉座を拝めますぜ」
「俺たちは追い付けるのか」
ガラッドは率直に不安を口にした。
西南部の穀倉地帯を出発して十七日目、ようやく掴んだ目標の尻尾だった。もとはといえば大喰いの性能試験とその喧伝が目的だった王座奪還の旅だったが、いまや、ガラッドは王になるのも悪くないと考えていた。
「ここから先はドッジ森林地帯に入ります。込み入った地形では、蒸気式より我々の大喰いの方が走破性において勝ります」
「それは心配してねえさ。追いつかなくちゃいけねえのは本命だ。つまるところ、だ。突っ走る玉座をとっつかまえられんのか?」
「わかりませんよ。古代機械なんて代物のことは。一度お目にかかってみないと」
ジヴもまた率直だった。
「ふぅん」ガラッドは楽しそうに口元を歪める。
この先には想像もつかない何かがある。
とうとうやってきたのだ。ここから本当の人生が始まる。機知と才覚を試すには、この捕り物は絶好の舞台だった。
農奴の身分から己を解放した、あの瞬間に味わった自由の感触を忘れることはない。あの瞬間のために農奴であったことに感謝するほどに。
――だが、この先で俺は知るのだ、とガラッドは大喰いの咆哮に震えながら思う。
さらなる自由と解放の味を。
それは歌だ。
ガラッドは美声の持ち主というわけでなかったが、その声はよく通り、不思議な魅力があった。
汗ばんだ浅黒い喉から発せられるのは「稲扱《いねこ》きの歌」と言われるものだ。脱穀の時に合唱される素朴な歌であり、労働の辛苦を少しでも忘れられるように工夫された陽気な調べである。
ガラッドの父も祖父もみんなこの歌を歌った。教えられるまでもなく、ガラッドもこの歌をおぼえた。
だが、この歌を歌うのも、もう俺の代までかもな、とガラッドは思う。
それにはふたつの理由がある。
ひとつはもう脱穀を手作業で行う時代ではないこと。南西部の穀倉地帯にも機械化の波が押し寄せているのだった。農作業の大部分は機械がやってくれる。
ふたつ目の理由は、ガラッドの一族が奴隷の身分を返上したからだ。もはや彼も彼の子供たちも奴隷ではない。自由民として己の才覚のみを頼りに生きていける。
これははじまりに過ぎない、とガラッドは知っている。
上り詰めるのは、ここからだ。
金さえあれば貴族の称号でも買うことができる。いや、いまやどうだろう、王の座さえも競りにかけられているじゃないか――。
シェストラの初代王ハゼムが海の巨獣ウィースガムの腸より取り出したという赤い石。伝説の語るところによればそれが歴代の王の座す玉座へと変化したのだという。
眉唾もののおとぎ話を信じてはいなかったが、その価値は認めざるを得ない。あれは王のための椅子ではなく、あれに座ったものが王となる、そんな魔法の座だ。
奴隷から身を起こしたガラッドが西南部の商工会議所の親方衆のひとりとして活躍するのを分不相応の出世だと陰口を叩く者がいる。ならば王になればいかほどの非難と誹謗が渦巻くことだろう。
「高く飛ぶ鳥は堕ちる。下らない諺だな」
「いいえ、その諺は正しいっす。ただ続きがありますよ。『高く飛ぶ鳥は堕ちる。さらに高きを飛ぶ鳥は竜となる』ってね」
「聞いたことがないな。おまえの創作だろう?」
「バレましたか」
屈託なく応えたのはジヴという若者だ。量の多いくせ毛が盛り上がって彼の頭を妙ちきりんなシルエットにしている。青草に映じられた影はまるで絵本に出てくるドジな食人鬼のようだ。
ガラッドはジヴの主人に金を払い利発なジヴを農奴から解放してやったが、新しい所有者然と振る舞うことはない。
ジヴはガラッドに忠誠を捧げているものの、二人の間柄は気がねの要らぬ友人もしくは相棒といったふうに見える。
「ガラッドさん、王様になったらどうすんですか?」
「まずはおまえを大臣に任命するな」
「そりゃいい」
「次に国中の美女を集めてハーレムを作る」
「名案です」
「奴隷を解放してやってもいいな」
ガラッドは三度目に本心を漏らす。ジヴはそのことをよく知っていた。
もちろんはじめのふたつの冗談が実現しないと言う意味ではない。神が許せば、それだって叶うかもしれない。ただ、真剣に願っているのは、ついでのように口にした最後のひとつなのである。
眠たげな目付きをしているジヴだったが、ガラッドの真意を聞き違えることはない。
「奴隷たちは解放されたがっちゃいませんよ。少なくとも僕たちのようには」
その反論には力がなかった。それどころかいくぶん悲し気であった。
ふん、とガラッドは鼻息を荒くする。
「そうさ、だから自由を与えてやるってのは間違ってる。王の権限において押し付けてやるんだよ。望まぬ自由をな」
「ずっと思ってたけれど、ガラッドさんて残酷ですね。んで優しいですね」
「自由もまた苦役だ。俺の王国においてはすべての国民に味わってもらうさ」
値を支払い、己を買い戻したガラッドだけが知る苦渋が横顔に滲んだ。
「大喰いの原型は小さな芝刈り機だった。そいつはお粗末な代物だったが、改良したら生まれ変わった。草だけでなく稲を刈れるようになった。百姓どもはこぞって俺の稲刈り機を求めた。やつらの労働時間は短縮され、自由な時間が増えた」
「ええ、やつらときたらせっかくの余暇を酒か賭け事に使っていますがね」
「それもまた自由さ。重要なのは、やつらの自由ってのが、もともと俺の頭の中から生まれたってことだ。元奴隷の俺の頭の中からな」
ガラッドは誇らしげに胸を張った。
元農奴の頭の中から生まれた最大の成果である大喰いは、グラハ草原を快適に貪欲な巨獣のように走る。
この獣は、ガラッドの意志の具現化だ。通り道にある植物を根こそぎ食い、咀嚼するそばから走るエネルギーに変えていく。植物を高効率でエネルギーに変換する機構はガラッド商会の企業秘密である。また、それは満たされることのない平等への飽くなき切望でもある。
「ガラッドさん、東の方角を見てください!」
ジヴが何かを見つけたようだ。
「あっちで煙がたなびいてます。きっと蒸気式装甲車9型です」
「おっかねえ名前だなしかし。煙なんて見えねえが」
「ご主人は眼が悪いから」
「馬鹿、おまえが良すぎるんだ」
ジヴを今回の旅に同行させて間違いなかった。
ジヴは大食いのシステムを知り尽くしているうえ整備だけでなく、地図と星を読む旅の指南者としても力を発揮した。
「やつらも同じものを追ってるはず。ついていけばきっと玉座を拝めますぜ」
「俺たちは追い付けるのか」
ガラッドは率直に不安を口にした。
西南部の穀倉地帯を出発して十七日目、ようやく掴んだ目標の尻尾だった。もとはといえば大喰いの性能試験とその喧伝が目的だった王座奪還の旅だったが、いまや、ガラッドは王になるのも悪くないと考えていた。
「ここから先はドッジ森林地帯に入ります。込み入った地形では、蒸気式より我々の大喰いの方が走破性において勝ります」
「それは心配してねえさ。追いつかなくちゃいけねえのは本命だ。つまるところ、だ。突っ走る玉座をとっつかまえられんのか?」
「わかりませんよ。古代機械なんて代物のことは。一度お目にかかってみないと」
ジヴもまた率直だった。
「ふぅん」ガラッドは楽しそうに口元を歪める。
この先には想像もつかない何かがある。
とうとうやってきたのだ。ここから本当の人生が始まる。機知と才覚を試すには、この捕り物は絶好の舞台だった。
農奴の身分から己を解放した、あの瞬間に味わった自由の感触を忘れることはない。あの瞬間のために農奴であったことに感謝するほどに。
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