2 / 58
第一章 追跡者たち
レイゼル・ネフスキー
しおりを挟む北の凍てつく大地にも人は住まう。
シェストラの北限はつねに蛮族の脅威にさらされていた。北の歴史とはすなわち、侵攻と防衛の絵巻物であった。
ただでさえ日照時間の短い土地にはろくに作物が育たぬ。さらに害獣どもがなけなしの食いものを奪っていく。人は意気消沈し、暖かな土地を夢みるだろう。ここには、別天地を夢見ることを忘れた不器用な者たちだけが残った。
故にこの土地に踏み止まり、代を重ねた家族たちは、まるで鍛え抜かれた鋼のごとく強靭で我慢強い。
レイゼルの一族であるネフスキー家もまさにそんな鉄の一族だった。
「玉座が逃げた? 何の冗談だ。おとぎ話なら間に合っているぞ」
彼らがまとう毛皮とよく似た毛並みの銀髪の主は、堂々たる体格をしていた。それが女だとはにわかには信じがたい。逞しい筋骨は長い年月をかけて狩りと戦いで造られたものだ。
レイゼル。彼女こそが北の領主であり、ネフスキー家の頭首であった。
「バローキ。おまえが冗談を言うのを一度も聞いた覚えはない。すると事実か」
バローキと呼びかけられたのもまた巨漢の男である。その体躯の勇壮さに似合わず、落ち着き払った理知的な眼差しが印象的だ。
「ふもとの村の女たちが見かけたそうです。次に子供たちが。そして眼のかすんだ長老までも」
「イルムーサが失脚し、玉座が失われたのが本当であれば、王都を掌握しているのは?」
「ベイリー・ラドフォード。レザの紛争で戦功を残したクライス・ラドフォードの息子です。図に乗ったオカマの美容師を打倒し、王家の最後のひとりサルキア公女を保護したとの情報です」
これはすでに国中に広まっている事実と見てよい。
北の大地にニュースが届くのはいつも遅かったが、そのかわりレイゼルのもとに届く情報の確実性は折り紙付きだった。
レイゼルの瞳に常ならぬ光が宿っているのにバローキは気付いていた。バローキはネフスキー家の親戚筋にあたる男で、レイゼルの幼馴染であり、また信頼のおける右腕でもあった。
小屋《ロッジ》と呼ばれる屋敷の応接室で地酒を酌み交わす二人の間には不思議な熱気があった。
ちろちろと暖炉の火が揺れているが、熱はそこからだけ発しているのではない。
「わたしは玉座を追うぞバローキ」
決然とレイゼルは告げた。
長年の付き合いであるバローキにはわかっている。レイゼルには王になるというバカげた趣味はない。だが、玉座を取り戻し、王位継承権を持つ最後の人間であるサルキアにそれを譲れば、新王に貸しができる。
「我らが切願を果たすべき時だ」
北の民は虐げられている。幾世代にも渡って繰り返し北の領主が中央に反旗を翻したがために、いまも冷遇されているのだった。普段は北の大地に押し込められているが、いったん戦争があれば招集され、また大規模な土木工事があれば駆り出される。
レイゼルは、そんな北の民への扱いを自分の代で変えてやるつもりだった。
このたびの事態はまたとないチャンスなのだ。
疲弊と絶望に彩られたこの土地の人間たちの暮しに、もっと人間らしい慈しみと温もりとを添えてやる。大それた願いではない。自分が領主となったからには、それは必ず為さねばならない決定事項である。
「俺も同行します」とバローキ。
レイゼルは、しかし穏やかにそれを拒んだ。
「わたしの流儀を知っていようバローキ。狩りは単独でするものだ。……いや、兄妹同然の犬たちは例外だがな」
「獲物の臭いを犬たちは追います。玉座にはそれがありますか?」
「汚れた権力と腐敗の臭いがある。必ず追いつくさ」
――白狼号を準備しろ、続けてレイゼルは命じた。
それはネフスキー家に代々伝わる橇の名だった。レリーフの彫られた木と鉄の塊に過ぎないそれが、八頭のコギト犬に曳かせることで一陣の颶《ぐ》風なるのだった。
レイゼルの決意に呼応するようにして野外につながれたコギト犬たちが一斉に吠えた。
こうしてレイゼルは疾走する玉座への第一の追手となった。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説


セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる