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エピローグ 銅音と星南
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卒業式に森下は現れなかった。
退学処分になっただけでなく、その存在がまるではじめからなかったかのように校内では扱われた。アルコール・ギャングの首魁だったことを知ると、かつての友人たちは口々に森下にはどこか得体のしれないところがあったと身勝手に吹聴するのだった。
もちろん銅音がいくら訴えても森下が許されることはなかったし、そんなことをするつもりもなかった。凶悪な未成年ギャングの噂は一種の都市伝説となって葬られた。芙蓉祭で森下が制作した椅子だけが、校舎に残された。佐倉結丹も同様に存在が消えても省みられることがなく、急にどこかへ引っ越したのだろうと誰もが考えていた。
「わたしだってそうだった」と星南は言った。
学校という残酷なぬるま湯で誰の気にも留められないで生きてきた。星南はそう言いたかったのだろうし、事実そうだった。銅音がいなければ誰にも知られることもなく首輪に繋がれたままだったに違いない。
「でも、これからは違う。わたしが見つける」
「わたしたちが見つける」
体育館に足を踏み入れた銅音と星南は、そこに異様なものを見た。
妙に中膨れしたシルエット。なんだろう。舞台の前に置いてある。見慣れないその物体に教員たちも遠巻きに騒ぐばかりで、まるで時限爆弾でも仕掛けられたかのような怯えっぷりだった。樽酒よ、と星南が言った。あの中身に酒が入っている。
「でも誰にもその知識がない。なんでも知ってるはずの先生だって、ほらただ遠巻きに怯えてるだけ」
樽酒に熨斗紙が貼れないため、入山札という木札を立てるのだが、そこに「祝御卒業」という文言が見える。森下酒造。雄渾な書体の屋号が樽の腹には踊っている。樽の上には木槌があり、上蓋を割れと言わんばかりだった。
「鏡開きね」星南からまた知らない言葉が飛び出した。
「何それ?」
「日本の昔からの風習よ、一年の息災を祝う新年の行事なんだけど、後には祝い事全般のおける風物詩となったらしいわね。樽酒の上蓋は円満で欠けることのない鏡をあらわしてる。それを割ることで運が開けると言われてる。森下君の挑戦的で皮肉なお祝いね」
「木槌は二つ? 星南やってみる?」
近づくな、危ない、警察だ、警察を呼べと教員たちが喚いているのを二人は笑みを含んだまましずしずと歩み寄っていく。正しく、なんだって知っているはずの大人たちも、みんな酒が怖いのだ。あれを得体の知れない危険物だと思っている。蓋を叩き割ってやったらさぞかし気分がいいだろう。
たしか――狭霧。
森下の酒は、そんな名だったように思う。鏡のような丸い蓋を割れば、きっと美しい霧が立ち込めるに違いない。生徒たちはどよどよと体育館の外へと退避させられるが、二人は人の流れに逆らって舞台の方角へと進んでいく。
「銅音、何やってんのよ!」仲良しの麻美が銅音に呼びかける。その声は確かに聞こえていたが、もうクラスメイトたちの群れには戻れない、と銅音にはわかっていた。
もう、あそこは自分の居場所じゃない。いつからかそうなったのだ。
「早く、こっちおいでよ! それきっとヤバいもんだよ! 爆弾とか」
ヤバいもの? ただのお酒だよ。燃えたとしても爆発はしない。いや、この世界じゃ酒はヤバいものなのだ。醸造という魔法が穀物を美しく変容させる。誰もが魔法に憧れながら恐れている。樽の中身を恐れている。銅音は自分が随分と遠くまで来てしまったのだと違えようもなく認識する。はっきりとした断絶線が銅音とクラスメートたちの間に走っていく。錆びた稲妻のように。
「いくよ銅音」星南は木槌を握りしめて、目配せする。
「あれでよかったの星南? わたしと一緒に来るなんて」
ようやく自由を手に入れた星南にとって警察になるという決断は軽率なものではなかったのか。もっともっと愉快でおちゃらけた人生を過ごしてもいいはずだった。結局、奥村は少女たちを引き取ると約束しなかったが、ずっと連絡を取り続けることを受け入れた。
「何度も確かめなくていい。これからいくつ選択を誤ったとしてもあれだけは永遠に正しい」
「そう。わかったよ――せえの!」
二人の少女は力いっぱい鏡を叩き割った。
芳醇な香りが鼻腔を突き、少女たちは木槌を背後へ投げ捨てる。
かつて佐倉結丹が水晶球を背中越しに投擲したように。
森下のにやけ顔が眼に浮かぶ。悪くない餞別。けどね森下。いつかあんたを捕まえてやるからね。法がアルコールを悪と定める限り、わたしたちは相容れない仇敵として何度も対峙するだろう。思春期との甘い決別――ふいに訪れる、よろめきと身悶え。
「これがわたしたちの卒業」
恥ずかし気に囁く星南の頬は、少し酔ったみたいに朱に染まる。
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