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十三不塔

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エピローグ 銅音と星南

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「警察になるだと? ダメだ、ダメだ」
 違法酒場ではなくなった〈パラドクサ〉の場所にはカフェができた。奥村がそこに銅音を呼び出したのはあの夜から三週間も過ぎた頃だった。奥村が酒以外のものを飲んでいるのを銅音ははじめて眼にした。
「へえ、抹茶ラテ飲むんだ。ラテをねぇ。退院祝いに奢ってあげる」
銅音はニヤニヤしながら言った。
「やめろ。女子高生にたかるなんて見栄えが悪い。パパ活以下かよ」
ようやく復調しかけた奥村はあからさまにイヤな顔で銅音を避けようとした。仕事でもないのに女子高生と遊んでるなんて、どんな噂が立つがわからない、とげんなりした顔だ。
「いーじゃん、入れてくださいよケーサツ。ケチケチしないで」
「そんなに好きなら勝手に入れよ」奥村はにべもない。
「うん、そうする。どしどしアドバイスしていいからね。今後ともよろしく」
「バカか。俺たちの関係はこれっきりだよ。今回のことはだな――」
「聞きましたか! わたしたちの関係はこれっきりだそうです。みなさーん。わたし捨てられます」と銅音は聞えよがしに喚いた。狼狽した奥村は「バカ、声がでかい」と銅音の口を塞ぐと、小声で忠告する。
「いいか。警察はリサイクルショップじゃねえんだ。おまえみたいな不器用で報われねえ正しさに取りつかれた疫病神に懐かれちゃ身の破滅だ。一生使いきれねえ金だってあるんだし働かなくたっていいじゃねえか。こっち来んな」
 しっしっと手を振る奥村をジッと見つめて、
「奥村さんみたくスーパーハードボイルドな部署に配属お願いします」
「話聞いてんのかよ」
「よく見るとカッコいいですね奥村さん」
「だから聞けよ」奥村は顔面をひくひくさせながら繰り返す。
「どうしてもダメ?」
「だから警察に興味があるなら好きにしろって。ただし俺も含めて今回のことは忘れちまえっての」
「あんなに身を粉にして働いたのに! 警察に協力したら感謝状とか貰えるんじゃないの」
「わぁったよ」と言いながら奥村はボールペンでナプキンに『ありがとさんきゅう』と殴り書きをして銅音に押し付ける。女子高生ナメてますか、と銅音は鬼の形相になる。
「はじめてここで会ったとき、あなたは言いました。社会見学だって。なら――」
「お巡りさんのお仕事を見ろってことじゃねえよ」
「マジな話、あんな体験して、普通の生き方できると思います?」
 銅音は本音を言葉にした。世界に張り巡らされた無数の見えないライン。それをひとつひとつ超えていくような体験は他ではできない。そしてそのラインの意味は跨ぎ超えたあとでないと理解できないのだ。不謹慎だが、それはたとえようのないスリルだった。
「できるさ。どんなひどい目にあったって誰だって日常に帰るんだ」
 いやだ、いやだ、いやだ、と銅音の中で何かが叫んでいた。
「どんな厳しい訓練にも耐えます。もう普通には戻れない」
「クラスメイトを逮捕しなきゃならないこともあるんだぞ。おまえが思っているよりも何倍も厳しい訓練がある。機動隊特練を鼻歌気分でこなすような連中ばかりがウチにはいる。昨日まで女子高生だったお嬢ちゃんには絶対に無理だ」
「絶対に無理だなんてのを受け入れるの無理です」
 銅音は強情に粘った。
 激しい試練なら歓迎だ。大きな試練の火で自分を焼き尽くしたい。ガソリンにアルコールにハーブ。どれも銅音を焼き尽くすに足りない。森下のこともある。もう銅音はアルコールを闇雲に敵視することはできない。酒を悪と断じるには、あまりに歴史を知らな過ぎたし、いまもまだ無知のままだ。知ったのはただひとつ。真実に触れるためには、危地に踏み込む必要があるということ。わたしの無知はいまだ度し難い。
「森下の酒は美味かった」信仰告白をするように奥村は言った。「しかし、ただ家業の誇りを取り戻したい、奴がそんな純朴なタマだと思うか」
「どういうことですか?」
「森下はアルコール合法化を押し進めてた漆間の一派ではなく、ただの同級生に過ぎない君に助力した。無償の友情だと信じたいよな。自分の悲願を枉げてまで君たちに手を貸したと? 悪いけどな、俺たちはまったくそんなことを信じていないんだ」
「あいつにだっていいところはあるよ」
「そういう甘さが問題なのさ。警官になるだけならいい。しかし俺たちと肩を並べて仕事するならそれじゃ甘すぎる。習ったろ、かのアル・カポネは酒が禁じられていたからこそ勢力を拡大できたんだ。ギャングたちはいつもそうさ。法はやつらの足かせじゃない。むしろそれこそがやつらに利益を生み出す。非合法ながら独占的に酒を扱っていた森下が本当にアルコールの合法化を望むだろうか」
「ああ」銅音は返す言葉がなかった。そうだ、わたしは森下の一体何を知っているというのだろうか。戦いを終えたいまでさえ、銅音は自分が無知な女子高生だと思い知る。ハードな訓練よりも何よりも奥村が一番案じているのはそこなのだろう。
「この話はここまで。それより〈相乗り〉が禁止されるって聞いたか?」
 奥村は強引に話を変えた。
〈相乗り〉はその使用を疑問視され、法規制の対象とすべきか活発に議論されている。いまだ判明されていない副作用あるいはシステム上の欠陥があると見なされたのだ。漆間のように不当に他者の身体を占有する者が現れる、危険なテクノロジーであるのは間違いなかったが――「どうして?」
 奥村はややためらったのち口を開いた。
「本当のところはできなくなっちまったんだよ。おまえたちの勝負の夜が開けた途端にな」
 考えられる可能性は多くない。たとえ馬鹿げて見えても他に考えようがないのなら、突拍子もない可能性であっても受け入れるしかないだろう。
 おそらく、と奥村は言った。
「佐倉結丹が干渉してる」
「あの子は死んだんじゃ?」
「いや、自発呼吸ができず医療器具に頼っているが命に別状はない。ただ、のための古い素子を取り出してみたが、その能力はまだ失われていないらしい。デバイスを補助輪のようにして彼女は〈相乗り(オムニバス)〉を学習・獲得したと考えるほかない。そいつがリキュールの副作用からくる意識の拡張作用が混じり合って、手に負えない微妙なバランスを形成している。特別な意識領域に留まっている彼女を殺すつもりならともかく、そうでないなら安易に触れてはいけないらしい」
「離魂状態?」
「ああ。彼女は自分の身体から離れ、かといって冥途の世界にも旅立てず、中途半端な中間世界を漂っていると考えられる。かつての科学では脳死と判定されるべき症状だが、現代では微細な活動を装置によって感知できる。具体的には脳量子の特殊な励起状態を捕捉するんだそうだが、ま、ちんぷんかんぷんだね。雨知のやつなら詳しいんだが。近年開拓されつつあるそのゾーンは、S5ステートフィイブあるいは、チベット仏教の用語にちなんで中有帯域バルド・バンドと名づけられた。そこでは意識が世界内に偏在し、すべての事象を観測できるのみならず、ある一定の確率で現実と関わることもできる」
 あの世とこの世の狭間に留まるなんて、それって未練を残した幽霊じゃないか。銅音の言わんとしていることを奥村は察したが、ゆっくりと首を振って否定した。
「肉体に戻る可能性があるうちは幽霊とは言えないだろ。とはいえ何年もこの状態で保つとは考えにくい。そう遠くないうちに肉体は朽ちるだろうよ。したら今度こそお陀仏ってわけだ」
「その佐倉さんが、どうやって〈相乗り〉を妨害してるって?」
「〈オムニバス〉する二人以外の第三の存在が、割り込んでくるらしい。おまえたちには愛がないと」
「……え?」銅音はしばし絶句した。
「冗談さ。ただアイと呟く」
「アイ」ゲームの最後に佐倉結丹がそう言い残すのを銅音は確かに聞いた。また佐倉の過去にアイという名の象が居たことを観た。幽霊は、聞き取れぬほどの虚ろな声でアイと呟く。アイを殺した慙愧の念がそう言わせているのだろうか。それとも――?
「オムニバスをした人間の眼には、サーカス芸人の恰好をした少女の姿が見えるそうだ。恨めし気な少女の存在に驚いて皆〈相乗り〉を解く。というか半ば強制的に解除される」
「本当に怪談じみてきたね」
「しかし、これはおまえが佐倉の過去を幻視したように情報を読み取っているに違いない。幽霊は外側ではなく、相乗りをする人間の精神内部へ複製子として送り込まれていると考えたほうが合理的だ。佐倉結丹は自らの複体をバラまいて何かをしようとしている」
「規制は必要ないのかも」銅音には佐倉結丹の思惑がわかるような気がした。「佐倉さんは〈相乗り〉の検閲機構になったのかもしれない。信頼と絆のない者同士にそれを許さない。〈相乗り〉を支配と従属の道具にさせないために。そして――だからアイを問う」
 そんな――と奥村が息をのんだ。
「彼女はいまや軛そのもの。あるいは美しい境界条件となった」
 銅音の声色が変わる。
やや低く憂いを帯びてはいるが、歯切れのいい口調――これは星南だった。
「わたしたちは、ほら、邪魔されることはない」
「おまえらまだリンクしたままだったのか?!」
 奥村は、ビクリと肩を震わせ、眼を丸くして星南に応じる。普通、〈相乗り〉の遠隔神経接続は使用時以外では切っておくものだ。瞬時に星南に入れ替わった銅音はいまや接続された意識の背景幕となって相乗りをサポートしているはずだ。操縦桿を星南に譲っても銅音の存在はエンジン音のように力強くそこにある。
「ほら、いまや鹿野銅音と織臥星南は、世界でも貴重な相乗りが可能な人材となった。奥村映而、あなたの部下になってあげるから二人分の給料をよこしなさい」
「む」と奥村は黙り込む。上司に対する言葉遣いとしては見過ごせないが、星南の見解はもっともだ。これまで捜査でも使われていた〈相乗り〉ができなくなれば、不都合な局面も出てくるに違いない。犯罪者側にも使用されないという意味では、パワーバランスが急変することはないとしても、あらかじめ強力なカードを掴んでおくに越したことはないだろう。
「わたしたちを使いなさい」
 少女たちは繰り返した。
「いい線いっているが、まだだ。理由が弱い。おまえのような少女を特別に精鋭部隊に引き入れる理由としてはな。もっとマシな理屈を持ってこい」
「あのキスの責任はどうしてくれるの?」と銅音。
「ば、バカ、あれはそっちが」とまたもや奥村は慌て始める。
 臥織星南がもう一度出てくる。
「違う。これは推測ですが、安心院の遺骨から取り出した記録には、漆間のものだけでなく、もっと膨大な政財界のスキャンダルが収められていた。液状記憶媒体は知ってのとおり、生体の体液の中で保存される。おそらくわたしたちがしたようにあなたは自分の身体の中に無数の記録を取り込んだのではないですか?」
「‥‥だとしたら?」奥村は何かに気付いたようだ。
「あくまで仮定ですが、あのキスであなたの中の危険な記録は体液を通してこの身体の中に複製された。何人もの権力者を失脚させられる危険なデータが鹿野銅音の血管ヴェインを流れてる。森下はわたしたちを取り込もうとあの手この手で接触を図ってくるでしょう。警察としてはわたしたちを常に手の届くところに置いておくべきじゃないかしら」
 天を仰いだあと、奥村は煙草に火をつけようとしたが、このカフェのどこにも喫煙席がないことを思い出して、クソっと舌打ちをした。
「ついてねえな」
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