秘色のエンドロール

十三不塔

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エピローグ 銅音と星南

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〽ザクリナーエザクリトーヤ 今にとぐ米でヨー
   お酒ナーエ造りてヤチョイト 江戸に出すヨ
     芽出度芽出度の若松様よ 枝も栄えて葉が繁る
              ――稗貫郡酒屋米とぎ唄


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 最初の場所はここだった。秘色のエンドロールを飲んでみたいと銅音に打ち明けた、はじまりの廃墟、あのガソリンスタンドで二人は差し向かいになって言葉を交わす。
「首輪は?」
「外れた」
 そう、と銅音は俯いてはにかんだ。星南のセーラー服姿は久しぶりだった。最後に会ったのは病院で、ジャージの上下を着ていたのをおぼえている。
――STAKE
 壁面には、複雑に組み合わされた立体的でソリッドな筆致のグラフティがある。傑作Pieceには至らないが、秀作Burnerと呼べそうな出来栄え。賭け金stake火柱刑stake。かつて二人はたやすく燃え上るものについて語り合ったことがあった。有機溶剤の臭いはすでにないし、ガソリン臭さも感じない。ここで、かろうじて可燃物といえるのは、銅音と星南の二人だけだった。
「首輪も鎖もそれを握る誰かの手もない」
「勝ったよ、わたしたち」
 信じられないけれど、と星南は言いかけたが、銅音に思い切り抱きつかれて声が出ない。肺が潰されてしまいそう。空気を求めて銅音の肩越しに首を伸ばす。見上げる空は深く澄んでおり広大だ。漆間は、銅音の体内にあった液状記憶媒体から取り出した映像――安心院の遺志――が流失したことによってあえなく失脚した。おぞましい品行は世間の知るところとなり、政治家生命を失った上、外も歩けないほどの汚名を着た。のみならず資産の大半が消えたのだから、半分以上は死んだも同然だ。〈相乗り〉オムニバスを悪用した余罪も次々と露見し、政治家お馴染みの緊急入院で世間から雲隠れしているものの逮捕は時間の問題だと見なされている。
「佐倉結丹は?」
「彼女は戻れなかった」と星南は痛ましい口ぶりで言った。
 同じセーラー服姿の二人だったが、その印象は対照的だった。入院中に伸び放題だった髪をカットした星南は、小顔の美人にしか似合わないと銅音が信じるベリーショートになった。首輪が外れたことで自己保存本能を適度に抑制できる。ピアスもタトゥーも思うがままだったが、あとしばらくは校則という制限を贅沢として楽しむ、と彼女は言った。少しだけ痩せた銅音は、生まれてはじめてマニュキュアをしてみた。青磁の肌のような褪めた青。酒姫(サーキィ)の指先を彩る十枚の秘色の貝殻。
「奥村さんは無事。もうかなり具合もよくなったみたい」
「感謝してる」と星南。
「うん、伝えとく」
「違う、あなたによ。銅音。わたしを解放した」
「星南がやったんだ。わたしは一緒に戦っただけ」
「卑屈になんないで。謙虚もやめて。銅音がいたから跳べた。いつの日か、あなたのためにわたしも何かを賭ける。いかなる時と場合であってもわたしたちは〈相乗り〉オムニバスだよ。たとえ沈みかけた船でもあなたが乗ってるならわたしもいっしょに沈む」
「馬鹿だよ、そんなの」銅音は星南の語気に気圧されながら、照れ笑いを浮かべた。
「そう馬鹿だった。銅音は」
 そうだ。佐倉結丹は共に戦う相手がいなかった。それが敗因だとは思わないけれど、しかし自分ならひとりじゃ戦えなかった、と銅音は考える。
「自由。これがそれなんだ、って毎朝、夢のように思う」
「うん」
「わたしは銅音みたいに誰かをこっちに連れ出せるかな。自由の場所へ」
「もちろん」
 星南なら本当にそうするだろう。高揚と並んで強い決意が漲っている。誰かに自由をもたらした。そう考えるのは気分がいいものだが、同時に銅音は苦い解放感と向き合うことになった。
 ――正当性と緊急性があれば、わたしは法を破る。
 そんな自覚が銅音を苛むことがある。奥村が言った通り、法の外にふと正邪を問えぬ何かが見え隠れすることがある。本来、法を破ることに正当性があるはずがなかった。とはいえ銅音は飲酒をし、多額の金が動く賭博に挑んででも成し遂げたいことがあった。数か月前の自分なら決して許容できない愚行を犯し、彼女は彼女自身の矜持を貶めたはずだった。でも、そこに不思議と後悔はない。
 奥村なら手短に「大人になったなお嬢ちゃん」と一笑するだけかもしれない。
「かもね」と独り言を呟く銅音に「そういえば」と星南が切り出した。
「進路調査票どうしたんだっけ?」
「星南は?」
「わかんない。まだ未来を考えることに慣れなくて。銅音ちゃんは?」
「わたしは――」
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