秘色のエンドロール

十三不塔

文字の大きさ
上 下
28 / 38
第三章 虹と失認

12

しおりを挟む


 ⒓



 あらゆるものが銅音の威光に恐れをなして縮み上がった。
 ソファーが、バーカウンターが、スロットマシンが――しゅるしゅると退縮してちびたミニチュアになる一方、部屋が巨人となった銅音を締め付ける拘束具となる。どんどんと四方の壁が迫ってくる。これもアリスの見た不思議のひとつだろう。距離感とサイズが狂ってしまえば、大きくなろうが小さくなろうがゲームには不利だ。いや、むしろ不可能だろう。
 小人となった佐倉結丹はどうだろうか。
 これは銅音の認識における変化だったにしろ、佐倉の心理状態を察知し、それを反映させた姿であることには間違いなかった。敵は縮み上がっている。それは確かだ。イカサマを喝破し、手の内を暴いたのだから。
(イカサマは露見したよ。もうわたしたちの勝ちでしょ)
『全然よ。まず、それを漆間が仕掛けたと証明することはできないし、奴は認めることもない。不正を取り除いてフェアな勝負にする。わたしたちはようやくそこにこぎつけたに過ぎない。フラットなスタート地点に戻ってきた。それだけ』
(たったそれだけ?)
 銅音は星南に内なる声を荒げた。星南は銅音の怒気を受け止めて、もつれた心の波長をまた鋭敏な集中力で取りまとめようとしてくれるが、いまでは、そのお節介が煩わしい。とはいえ、それは不可欠なフォローで、銅音の思念が横溢したあげくに暴走すれば、二人は断絶してしまう。〈オムニバス〉に熟練した星南がパートナーでなければ、とっくに銅音は敗北していただろう。
『もう思い切ったことはできないはず。ガラス片の散らばった卓上ではボールの挙動が読みにくい。下手すれば相手に与することにもなりかねないから』
「オーケー、あなたを信じるよ」声に出して銅音は言った。「このままで勝つ」
「やかましく騒ぎ立てたわりには、結局、なーんにもしないんだ」
 打ちひしがれた小人だった佐倉が、倒れ伏したままニタニタと笑いかける
 どうやら狸寝入りだったようだ。旗色が悪いと見せかけて、敵の油断と慢心を誘ったのか。漆間のやりそうなことだ。いや、これは虚勢だ、と星南は断じた。むくむくと佐倉は元のサイズに戻っていくが、部屋そのものはまだ小さく狭苦しい。まるで二人の少女が金庫のような箱に押し込められていると考えてもいい。汗の匂いと乱れた呼吸が間近に感じられる。
「遊んでないで投げなよ」
「言われなくたって」ふわりと重力を感じさせない身軽さで佐倉は起き上がると、新しい水晶を手にした。左手の肩がだらりと下がっている。倒れた拍子に打ちつけたのだろう。痛みを感じているのかいないのか、おそらく象への銃撃のショックで脱臼した肩が癖になっているに違いない。漆間は佐倉の身体を酷使し、すり減らすことを意に介しないが、それもまた心理戦の一部を成しているのだから心を揺さぶられてはならない。
佐倉には本当にリキュールの効果はないのか。そんなはずはないと星南は睨んでいた。たとえ、効果そのものに耐性があったとしても、それは効果を鋭敏に感じられなくなっただけで無害であることを意味しない。さっき佐倉の身体が巨塔のように見えていた時、銅音たちは彼女の膝の震えに気が付いていた。ヒールからのぞく足の甲は筋張って血の気を失っていた。物凄い力で、つま先が靴底を噛んでいるのがわかった。塔は揺らいでいただけではない。崩壊しかけている。アリス症候群のおかげで、普段であれば見逃してしまいそうな細部を間近に眺められた。
「強がらなくていいよ。佐倉結丹。あなたは酷使され続けてきた。期待に応え続けてきた。働き者のロバみたいに」
「あなたは口を動かしていればいい。わたしは勝負を動かす」
 佐倉ははじめて投擲を外した。球は落ちない。
 砂を噛むような味気のない表情。内側で漆間に責められているのか。しかし、それは両者の乖離が進めるだけだ。
「確かに――」と星南が意地悪く微笑む。「これで勝負が動いたかもね」
 ポーカーフェイス。こちらにも余裕などありはしない。ハッタリと虚勢で心理的優位を保ち続けるほかない。銅音と星南は、共有する一対の眼を塞ぐ。どちらにしろこの狂った距離感において投擲の成功は望めない。むしろ視覚情報を絶って、手と腕が記憶している距離感を信じたほうがいいだろう。
 漆間は怯えている。すべてを剥ぎ取られることに。
 佐倉は震えている。すべてが薙ぎ払われることに。
 ――どちらにしろ植え付けるのだ、奴らに恐怖を。
 部屋は縮んだというのに水晶は、地球儀ほども大きいままだ。銅音は手の内のそれに口づける。唇に伝わる温度に変わりはない。手の重みも。眼を閉じる。そうすればそこは静かな等身大の世界に還る。
 アリスは不思議の国を手中に収めつつあった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

【完結】ぽっちゃり好きの望まない青春

mazecco
青春
◆◆◆第6回ライト文芸大賞 奨励賞受賞作◆◆◆ 人ってさ、テンプレから外れた人を仕分けるのが好きだよね。 イケメンとか、金持ちとか、デブとか、なんとかかんとか。 そんなものに俺はもう振り回されたくないから、友だちなんかいらないって思ってる。 俺じゃなくて俺の顔と財布ばっかり見て喋るヤツらと話してると虚しくなってくるんだもん。 誰もほんとの俺のことなんか見てないんだから。 どうせみんな、俺がぽっちゃり好きの陰キャだって知ったら離れていくに決まってる。 そう思ってたのに…… どうしてみんな俺を放っておいてくれないんだよ! ※ラブコメ風ですがこの小説は友情物語です※

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

執事👨一人声劇台本

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
青春
執事台本を今まで書いた事がなかったのですが、機会があって書いてみました。 一作だけではなく、これから色々書いてみようと思います。 ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

鷹鷲高校執事科

三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。 東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。 物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。 各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。 表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)

リング上のエンターテイナー

knk
青春
私立高校を中心に部活としての女子プロレスが盛んになる中、公立高校で女子プロレス部を立ち上げた主人公・前田陽菜が仲間を集めて全国大会出場を目指す物語。

処理中です...