秘色のエンドロール

十三不塔

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第一章 火炙りと賭け金

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 勝負は再開された。
 二度の役満を喰らって奥村は持ち点がマイナスになっていた。銅音は辛うじてプラスのままだが、限りなくゼロに近い。それでも女子高生の狂熱に飲まれたのか、それからのグリーン夫人と辻堂は精彩を欠いた。
「ロン、混老頭、三色同刻、対々和、ドラ3、奥村さんこれって?」
 と銅音。点数計算すらおぼつかない。
「倍満だ、16000点」
 夫人から直接削り取る高目の手が続くが、夫人の表情は変わらない。きりりと背筋の伸びた姿勢が微動だにしないのは天晴れと言いたいところだが、銅音に言わせれば、それは物理的な強制によるものだという。
「まだ、もっともっと叩かないと」
「熱くなりすぎると墓穴を掘るぜ」
「問題ない」奥村の忠告を一顧だにせず、グリーン夫人を挑発する。
「全部、緑に染めるんじゃなかったんですか、
 夫人のサングラスの奥に殺気の火花が踊る。まるでその火花でもって着火したかのように赤々と燃えるパイプから吸い上げた煙を手牌に吹きかける。
「そうすっと牌が化けるのかい?」
「まあね」サングラスをしていなければ、グリーン夫人のウィンクが見られたかもしれない。軽口を叩く奥村に銅音は舌打ちをし、
「冗談なんかじゃない」
 そう叫ぶなり、濃密な煙の中に手を突っ込んだ。
「あなた何を? 離しなさい! 無礼よ!」
「いやだ。離さない」
「滅茶苦茶よ」
 煙の中で、銅音はグリーン夫人の手を掴んでいた。
 巻き起こった騒ぎに注目が集まる。やめろ、と奥村が銅音を取り押さえようとするが、噛みつくような目つきで制する。
「わたしをこてんぱんにして放り出すのは、全部を見てからにしてよ」
 やがて煙が晴れると、二人の手と倒れた夫人の手牌が現れた。
 そこには奇妙な牌があった。
「なんだこれは? 八索か。しかしこれは……?」
 まるで制作途中で中断されたように牌の模様が途中で途切れていた。
 ここへ来て夫人の顔付きに変化が生じる。フゥフゥと荒くしながら、サングラスを外し粘つくような憎悪の視線を四方に放つ。
「白の牌を彫って八索にしてたの。たぶん、あのでっかい爪の下にはマイクロレーザーカッターが仕込まれてる。精確に小さな図を彫り込む自動印刻装置オートマーカー付き」
 麻雀牌には、白という無地の牌が四枚含まれている。それを彫ることで望む牌を作り出すとは大胆にもほどがあった。
「まさか」奥村が唸った。手の込んだイカサマだった。ここまでするのか、と感心してしまう。辻堂は眠気が吹き飛んだようだ。ぱっちりと両目を見開いて女たちを凝視した。
「ピカピカ光る爪は怪しすぎるからこそ、サインに使われないと知れば、むしろ無警戒になった。すべてに意味がある。あからさまな無意味にすら意味が」
「――小娘が」グリーン夫人が怒気を漲らせる。
「レーザーの熱がわずかに煙を出す。それをカムフラージュするためにたっぷりの煙を吹きかけてた。そうでしょ?」
「ボクたちの負けだよ」白旗を上げたのは辻堂だった。その態度からは、眠気の欠片も感じさせない。
「このオバサンは、本当に牌を緑に染めてたんだよ。文字通り」
「でも」と奥村が残る疑問を吐き出す。「新しい牌を作り出せば、白が減り、別の牌が増える。それが露見しないわけがない」
 そうだ、麻雀において同じ牌が五枚以上になることはない。場に五枚の同じ牌が見えれば、それは、とりもなおさず異状の証左となる。このようなアクシデントはしかしプロ麻雀の公式試合でも実際に起こったうえ、何局もゲームを経てようやく気付かれたのだった。
「辻堂さんが、うまく調節してたんだよ、辻堂さんは増えすぎた牌をもう一度白に戻すことができた」
「どうやって?」
「嘘でしょ? ここまで来てわかんないの? やっぱり飲みすぎだよ」
 チクリと嫌味をぶつけてから、銅音はさらに敵の手管を解説する。
「牌の模様を白く埋めてしまえば、白の牌ができる。レーザーカッターまで持ち込んでるってことはさ、少量の補修用のパテくらいあっても不思議じゃない」
「しかし、どこでそれを――あっ、あのガムか!?」
「気付くの遅い」呆れかえった銅音に、奥村はバツの悪そうな顔を見せる。
 辻堂が眠気覚ましのためと言いながら、ひっきりなしに口に放り込んでいたガム、あれのどれかが特殊な保護色パテであったとしたら? 水分と反応して周囲の色に溶け込む超速乾性の素材なら、壁やタイルの補修箇所が目立たないので重宝するというので奥村だって使ったことがある。
「つまりこういうことか。必要とあらば、夫人は必要牌を彫り、辻堂は白く埋めていたと」
「だから言ったでしょ。夫人が緑に染めるように、辻堂さんは白く染めてるって。そっちがグリーン夫人ミセス・グリーンならこっちはホワイト氏ミスター・ホワイトね」
「こんな大がかりな技とても頻発できないだろう?」
「そう、使ったのは今回の前に一度きり。それも半分ってとこだね。二度目の緑一色のみ。辻堂さんが送り込む牌をわたしが先にポンで何度も掠め取った。痺れを切らした夫人は、ついにこの技を使おうとしたの、そうでしょ?」
 まんじりともしなかった夫人がついに口を開き、
「お見事だわ。とっても忌々しいことですけど」
 パチパチと気だるげに手を叩く。
 賞賛と呪いが同じ分量だけ込められた拍手。
 こいつらはもう稼げない。日本中の賭博場に顔と名前が出回り、出入り禁止になるだろう。いや、腕の一本も折られても文句は言えないはずだ。それにしても……奥村は不正が露見したギャンブラーの行く末を知っていた。
 顔認証の発達した現代では、賭場を変えることも容易ではない。〈相乗り〉オムニバスが厳しくチェックされるのは、こういう輩を排除するためでもあるのだ。
 ――居眠りとガム、サングラスと煙。
 たったそれだけの材料ですべてを見抜いたとしたら、この小娘はもしかして、とんでもない逸材かもしれない、と奥村は思う。
「でも、まだ信じられないわ」
 ぬらぬらした猜疑心が夫人の口ぶりからにじみ出る。
「最初に変だと思ったのは、二度目の緑一色の手牌を見た時だった。妙な感じだっ
た」
「あの時レーザーは使っていない」辻堂が言った。
「そうパテだけね」
 そこで「待て待て」と奥村がしゃしゃり出てくる。「レーザーで白を彫ってしまうから、それをパテで戻すんだろ。レーザーカッターを使っていないのにどうしてパテで埋める必要がある?」
「本当に冴えないよね、おじさん。この二人のイカサマは、彫って埋めるだけじゃない。もっと応用が利く」
「それはつまり?」
「牌の一部を埋めるだけでも別の牌を作り出せる。たとえば六索は真ん中の二本の棒だけをのこして左右四本の棒を消してしまえば?」
「そうかっ! 二索になる」顎が外れそうな勢いで奥村が叫ぶ。
「やかましいなぁ、もう」
(授業中もうっさい森下みたいだ。男なんて歳食ってもこんなもん?)
「あの時、グリーン夫人の手牌には四索の暗刻があった。でもね、同じ四索なのに三つの牌は微妙に違って見えたんだ」
「なぜだ?」奥村の横で辻堂の顔が青ざめる。銅音の尋常でない洞察力に竦み上がっているのだった。
「夫人」と辻堂が言った。「ボクたち厄介な相手と事を構えてしまったのかもしれません」
「待て待て、俺を置いて納得するな」
 だからぁ、と銅音は面倒臭そうにする。三人の理解に奥村だけが、追いつけていない。
「その違和感の正体に気付いたのはもう少し後だった。わかったのよ、四索のひとつが他のふたつより絵柄の竹棒の間隔が微妙に広かったんだって」
「わずか数ミリに過ぎないはずだ」と辻堂。「この娘は、五索の真ん中の棒を埋めて偽造した四索と本物の四索との違いを見破ったんですよ」
「そ、すぐにじゃないけど、気付いた」
「バカな」
 そう言いつつ、奥村は五索と四索をつまみ上げてそれぞれを見比べてみる。
 索子は竹の棒をモチーフにした絵柄の牌で、最大九本までの棒の数で区別される。四索は牌の四つ角に沿うように竹を模した棒が配置されており、五索はそこに加えて真ん中にひとつ竹棒が刻んである。ただし、五索の左右の竹棒同士の幅は、四索のそれよりにわずかに広く取られていた。間近で凝視してようやくわかる微妙な差異。
「この二人は絵柄に手を加えることができる。だとしたら……」
 絵柄を消せる、という観測結果から、銅音は逆算したという。
「だったら書き加える技だってあるんじゃないかってね」
「それだけのヒントからすべてを組み立てたってのか」
「ううん、これだけの材料があれば十分」
 自信と覚悟に満ちた銅音。年少者に言い草に奥村は腹を立てる気にならなかった。闘志を通り越して狂気の域にまで達した銅音に倍以上の年齢の男が臆したのだった。
(たった一晩で、いや数時間であの少女がこんなに変わるものか)
「わたくしたちの負けです。どうぞお好きになさって」
 尾羽打ち枯らした夫人が最後の気概を振り絞った。
「続けようよ。ただし、イカサマなしでね」
 辻堂と夫人は、銅音のこだわりのなさに毒気を抜かれたようだった。
 いくらかのペナルティを課したものの、それ以上に銅音は二人を追い詰めようとしなかった。罪を憎んで人を憎まずとは言うが、彼女にとって不正さえ糺されてしまえば、人間にいかなる感情も抱かないのだった。
「いいんですか」
 辻堂が上目遣いで銅音を見れば、勝利に貢献したわけでもない奥村が辻堂をやりこめる。
「この娘がガキだからってもうナメた真似するなよ。次はないからな」
「わかってますよ。この娘の裏をかけるなんて、金輪際考えやしない」
 ペロリと舌を出す辻堂にグリーン夫人がふん、と鼻息を吐いた。
「銅音さん、化粧室でコルセットを外してくださらない? どうせならのびのびと楽しみたいわ」
 遊戯は、骰子は、回り続け、
 ――そうして、彼らの勝負は夜が明けるまで続いた。
「やつらを出し抜いた気分はどうだ?」
「最高の手前くらい」銅音と奥村はB1のバーに戻った。
「本当にいいのか。君の分け前は――」
 高校生にとっては呆れるほどの多額の金を二人は勝ち取った。
「いらない。賭博なんてしない」
 精も根も尽き果てた面持ちの銅音がいた。
「あれだけやっておいて、よく言うぜ」
 ひっきりなしに飲み続けた奥村でもさすがにこれ以上アルコールを摂取する気はないらしい。勝利の美酒でなく、冷えた炭酸水で喉を湿らせることにしたようだ。
「あれからバカヅキだったな。まるで夢みたいだった」
「確かに勝ちまくったね。わたしたち」
「ああ、正々堂々ってやつだ」
 それは奥村にとって気後れせずには使えないはずの言葉だった。
「正義は勝つ。当たり前じゃん」
 奥村は複雑な表情でこう言った。
「今夜のところはそうしておこう。なぁ、また組めるか? 君とならもっと楽しめる。もしかしたらあの部屋でだって戦える」
 背徳の間、奥村が言うのは、それのことだった。
「お断りです。友達の手がかりもなかったし、もうこんなとこには来ない。寝て全部忘れることにします」
「そうか。それがいい」奥村は嗄れた声で頷く。
「明日から、いや今日から日常に帰ります。学園祭の準備をして、放課後にチョコミントのアイスを食べて、進路調査票をテキトーに埋める……」
「ああ、そうしなよ」
「しますよ」
 銅音の口ぶりは、自身でさえ信じていない者のそれだった。この場所で味わった刺激と狂熱は他のどこにもないことを薄々感じ取っていたから。
 グレープジュースの最後の一滴を飲み干すと、銅音はふしだらで汚濁に満ちた悪場所を惜しむように周囲を見回した。
 すると、一度も口を開かなかったバーテンダーがうっそりと言った。
「またのご来店をお待ちしています」
この夜の体験を銅音は、結局のところ持て余すだろう。
 分かち合うべき誰かはいない。家族にも友人にも、軽率に話すわけにはいかなかった。罪を犯したのではなかったけれど、罪の只中に身を置いたのは間違いなく、そのことに銅音は大きな後ろめたさを抱えることになる。
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