異世界パピーウォーカー〜イケメン獣人預かり〼〜

saito

文字の大きさ
上 下
9 / 54
マメ柴のシバ

電車に飛び込みたくなる。

しおりを挟む
次の朝、意外にもシバはあっさりとさゆりを見送った。

昨日来た長谷川を憲兵だと思い込んだシバは、長谷川が自分と対面しようとしていることを理解して外に出るのは危険だと判断したらしい。
シバを置いてくんだね、と言わんばかりの恨めしそうな涙目で、鼻をキュワンキュワンかき鳴らしていたが。

昨日は悔し涙で枕を濡らしたさゆりだったが、ここに来てのシバの態度に、「長谷川グッジョブ!」と掌を返した。
久々の、暴君に邪魔されない時間である。
これまでは憂鬱でしかなかった月曜日が、素晴らしいとすら思った。

さゆりは一日ウキウキで仕事をこなした。
「機嫌良いね。彼氏でもできた?」
などと聞いてくる、職場のしおれたおっさんの有力セ・リーグ選手らしい暴投も、難なく見送れた。

そしていつもは待ちわびる退社時刻を複雑な思いで迎え、与謝蕪村がドヤ顔で頷くレベルにのたりのたりと緩慢な動きで帰宅して打ちのめされた。

帰宅後のシバの熱烈歓迎ぶりに。

さらに言えば、失禁に。

少し前、玄関のドア前に立った時点で、ドアの向こうからドタドタという移動音がしていたため、シバが待ち構えていることは分かっていた。
さゆりが開けると、少年が飛びついて来た。

「さゆりさゆりさゆりさゆり!おかえりー!おかえりー!」

身体中でがっつりさゆりをホールドしたシバはそう叫んで、さゆりの顔面に自分の顔を近づけ舐め回す体制に入った。
さゆりはそれを右手でいなし、玄関に押し込みながらも、うっかり思ってしまったのだ。

「そういえば、お帰りって言われたの久しぶりだな。」

なんてセンティメンタルなことを。
更にはシバの必死に縋り付いてくる様子から、「寂しい思いをさせたかな?」なんて余計な仏心まで沸かせてしまい、すると彼をカケラも気にかけず働いていた昼間の自分にほのかな罪悪感まで抱く始末だった。

結果やらかしてしまった。

縋り付くシバの、上半身で唯一犬らしい耳を揉むように撫で、
「ただいま。1人にしてごめんね。」
と声をかけてしまった。

シバは、それを受けて更にテンアゲした。

「さゆり!さゆり!さゆり!」

と叫んでグイグイ体をさゆりに押し付けた。
ちょっとうっとおしすぎる。
さゆりが後悔し始めたとき、シャーという液体の噴出音が下半身の方からした。
遅れて、生暖かい液体がパンツスーツとストッキングを軽く超えてさゆりの太ももを濡らす感触がした。
何事かとシバを押し返して下を見ると、グレーのパンツの右足の付け根から太ももにかけてグッショリと濡れている。

シバが粗相をした。

そう理解したさゆりは軽くパニックになった。

「ぎゃあ!あんた何してんの!!」

感情に任せてそう叫び、シバを突き飛ばして風呂場に向かった。
脱衣所でパンツとストッキングを慌てて脱ぎ捨て、風呂場のシャワーで濡れた部分をゴシゴシと洗い流す。

一通り流した後は、犠牲になったズボンとストッキングをまとめてビニール袋に入れてきっちり口を縛った。
念のために二重で。勿体無かったが、当然二度と着る気にはならない。
それくらいさゆりにとってシバに嬉ションをかけられたことはショックだった。

ただ不思議なことに、汚染された衣服からも玄関の床からもアンモニア臭はせず、むしろバニラに近い甘い香りがしていた。
みつるは異世界は物理法則から違う、と言っていたが、その影響なんだろうか、なんて掃除中気を紛らわすために考えていた。

結論から言えば、それからは地獄だった。帰宅時のシバの嬉ションが、恒常化したためである。

ふざけんな…

さゆりは率直に思った。

しかしさゆりが帰宅する度に、シバは興奮し、興奮のあまり失禁する、と言うのが常態化した。
初日以来さゆりは撫でていないし、ネット記事では犬を落ち着けるために無視しましょうと書いてあったので二回粗相された3日目以降は完全に無視している。
それでも、さゆりが玄関から入っただけでシバは感極まって漏らすのだった。
そこで慌てて声をかけると、構ってもらえたと勘違いするとも記事には書いてあったので、さゆりはそれを無言で片付けるようになった。
最初は甘い香りがしていたシバのそれも、食事のせいか段々と刺激臭がするようになってきたため、より苦痛度が増した。
姿を見ただけで発射する、というのは溺愛レベルで言えばクライマックスに近い状態だろうが、時折ご都合主義のいちゃラブ系ロマンス小説を嗜むさゆりですら、流石にこの類の溺愛はカケラも刺さらない。

さゆりがシバを無視していると、シバは焦れて騒ぎ出す。
そこで相手をすると構ってもらうために騒ぐようになると犬のしつけの本には書いてあるので、ぐっと堪えて無視する。
更に騒ぐ。
長谷川が脅しにやってくる。
長谷川に金を渡す。
長谷川にビビったシバが大人しくなる。

これを、かれこれ1週間続けている。

あの駄犬は海馬を故郷に置いてきたのだろうか。
そもそも無いのか。人体構造が違うから。
そう頭を抱えたくなるくらいはこの1週間なんの成長もシバは見せなかった。

かく言うさゆりも、数々のしつけテクニックを実践してもなんの成果も得られていないので、巨人と戦う某武力集団よろしく、緑のマントを羽織って咆哮を上げなくてはならない状況かもしれないが。

とはいえ、それをするにはさゆりは些か心を折られ過ぎた。
連日の汚物処理とゆすりへの対応、全裸の男と暮らす違和感。
1週間でそれらは確実にさゆりの精神を追い詰めた。

そして金曜日である。
無理やり残業を入れて帰宅を遅らせた結果、同じようにクタクタに働いて疲れた顔と、早々に週末を謳歌したほろ酔い顔が混在する駅のホームにさゆりはいた。

日々の対応に精一杯で、土日の予定も入れ損ねた。
電車を待ちながら、明日からシバとまた2人だと思うと、電車が来るタイミングでホームからダイブしたくなってくる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います

霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。 得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。 しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。 傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。 基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。 が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。

ファンタジー
〈あらすじ〉 信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。 目が覚めると、そこは異世界!? あぁ、よくあるやつか。 食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに…… 面倒ごとは御免なんだが。 魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。 誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。 やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第三章フェレスト王国エルフ編

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あなたは異世界に行ったら何をします?~良いことしてポイント稼いで気ままに生きていこう~

深楽朱夜
ファンタジー
13人の神がいる異世界《アタラクシア》にこの世界を治癒する為の魔術、異界人召喚によって呼ばれた主人公 じゃ、この世界を治せばいいの?そうじゃない、この魔法そのものが治療なので後は好きに生きていって下さい …この世界でも生きていける術は用意している 責任はとります、《アタラクシア》に来てくれてありがとう という訳で異世界暮らし始めちゃいます? ※誤字 脱字 矛盾 作者承知の上です 寛容な心で読んで頂けると幸いです ※表紙イラストはAIイラスト自動作成で作っています

【本編完結】転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
ファンタジー
転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

処理中です...