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最終章 五女と家族と妖精の薬
第9話 奔走せよ、最高の未来のために
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ユーファステア侯爵である父の計らいで、カーン陛下との謁見許可が下りた。
わたしが父にしたお願いではあったけれど、なんと明日らしい。びっくりだ。
両親や兄姉たちはさも当たり前とでも言いたいような顔をしていたので、この驚きをだれも共感してくれなかったけれど。
さてはラジアン殿下の差し金かな?
ラジアン殿下といえば、わたしのお願いごとについて2つとも快諾してくださった。
帰路の足取りはとても軽いご様子で、心から安堵してしまったわたしはその日の夜はぐっすりと眠るほどだった。
パスカのリアム王太子もそうだったけれど、王族と話すのって本当に疲れる。
クリード殿下はすっかり慣れたけれど。
「メイシィ」
「お母さま」
子ども用の調度品が並ぶ自室から出ると、後ろから声が聞こえて振り向く。
お母さまが侍従を連れてこちらへ向かってくるところだった。
わたしに用事があったのだろうか、すれ違いにならなくて良かった。
「……」
「お母さま?」
「あら、ごめんなさいね。この部屋からあなたが自分の足で出てくるのが見慣れなくて。
どこへ行くつもりだったの?」
「サーシャお姉さまのところだよ。わたしの作戦がうまくいけば、きっと明日から忙しくなるだろうから、今のうちにお茶をしたいって」
「そうだったの。じゃあ先に頼まれてもらえないかしら?」
「何を?」
首をかしげて見せれば、母はにっこりと笑顔を向けてからかうような顔をした。
「例のアレよ。最終確認のために試着をお願いしたいの」
「ああ……」
「張り切っちゃったのよ!だってこんなに素敵な魔法がかかったもの、めったにお目にかかれないわ」
「ふふ」
「ふふふ」
―――――――――――――――――――――――――
「サーシャお姉さま、いる?」
「どうぞ」
それからしばらくして、わたしは上の階にあるサーシャお姉さまの部屋を訪れていた。
返事を聞いてから扉を開ければ、紺色の落ち着いた空間がわたしを出迎える。
かつて、スタットの別邸で再会したときの部屋とよく似ている。
けれど、あの時鼻についた本の匂いは薄く、灯りには金色の装飾が目立ち、星が散りばめられた明るい夜空のように変わっていた。
「よく来てくれたわね。こっちに座って、メリアーシェ」
「うん」
サーシャお姉さまは相変わらず服装も落ち着いた青色で、緑青《ろくしょう》の瞳は今日も暖かい。
「あれ、その髪留めきれいだね」
「あら、そう?最近眠っていた髪飾りを引っ張り出しているの」
「似合うね」
「ありがとう、うふふ」
隠しきれていない照れ笑いを零しながら、サーシャお姉さまは手ずから空のティーカップに紅茶を注いだ。
わたしのために置いてあったらしい。誘われるまま椅子に座れば、爽やかな香りが鼻をくすぐった。
「いよいよ明日でしょう?今のうちに話しておこうと思ったの」
「話?」
「ええ、お礼が言いたくて」
お礼とは何だろう。試験が終わってからサーシャお姉さまとは特に連絡をとったことはなかったけれど。
そう考えていると、ことりと音を立てて机に何か置かれた。
濃い黄色の液体が入った小瓶――――わたしがあの日渡した濃いミミィ茶、免疫薬の偽物だった。
「思い出の薬を再現してくれて、本当にありがとう。
寂しい日はまだ続いているけれど、不思議とこれを見つめていると元気がもらえて、毎日が輝いて見えるようになったの。
それにね、ひとつ思い出したことがあったのよ」
「どんなこと?」
「クリードのこと」
殿下のこと?話の続きを待っていると、サーシャお姉さまは胸に手を当てて深呼吸をした。
前髪がさらりと揺れて、上品な美しさが妃殿下として歩んだ過去を滲ませる。
「昔ね、幼いクリードに聞かれたことがあったの。『愛とはどういうもの?』って。
ふふ、可愛いわよね。私ったら答えに困っちゃって大混乱したのよ」
「はは、急に聞かれて応えられるものじゃないよね」
「でもね、カナリスったらすぐに答えてしまったのよ。
『案外小さなものだよ』って、私の肩を抱いてね。さすがに照れちゃったわ」
「ふふ」
わたしにつられて微笑んでいたサーシャお姉さまは、ふと表情を固くした。
「クリードは今、その小さいものを見失ってしまっているわ。かつての姉として、このままで良いわけがない。
今度はあなたが答えてあげてね」
「……はい!」
サーシャお姉さまは笑顔を浮かべると、立ち上がってわたしの頭を撫でた。
苦しい時も、楽しい時も、本を読む時も、感じていた温かい手のひら。
思わず視界が滲んだ。
―――――――――――――――――――――――――
「おーい」
「セロエ?」
サーシャお姉さまの部屋を出てすぐ、わたしはセロエに呼び止められた。
旅の恰好ではないものの、いつでも街中に紛れ込めそうな恰好をしているセロエ。
今朝、ワンピースを着たくないと執事たちと喧嘩していたのを思い出した。
「ちょっと付き合ってくれよ」
「うん、どこに?」
「上」
「上?」
ここ、最上階だけど?
連れてこられたのはユーファステア侯爵家の屋上、屋根の上だった。
魔法で飛べるわたしたちにとってはなんてことないところだけれど、あとで侍従たちに気づかれたらひと騒動起きそうな気がする。
屋根の上に腰掛けて、魔法で安定させながらわたしたちは景色を眺めていた。
小高い丘の上にあるこの屋敷の頂上からは、少し遠くに広い街並みと、広がる草原と、遠い遠い透き通った空の青が広がっている。
綺麗だ。幼い頃には見たくても見れなかった景色だ。
「やっぱりあたしはせまっ苦しいところより外《ここ》だなー」
「セロエ、明日の謁見に同席するんでしょう?マナーの授業は終わったの?」
「やってねえ、知らねえ、めんどくせえ」
「ああ……」
「明日、あたしにできるのはただ黙ってることだけだ」
風が吹いた。鳥が飛んでいく姿をなんとなくふたりで見送る。
「本当はさ、試練で言いたかったあたしの願い、『メリアーシェと旅すること』だったんだ」
「旅!?」
「あたしの旅人の人生は『ベッドの上にいるメリアーシェに外の世界を伝えたい』っつー思いから始まった。でもいろいろあってこの数十年叶わなくて、ようやく会えた時、隣にあのクリードがいた」
「……」
「『あー、叶わねぇや、これ』って思ったよ。だからすげぇムカついて、クリードに嫌がらせしたらとんでもねぇ目にあった」
「はは……」
「あいつとは前から距離を置いてたんだ。自分を封じて籠に閉じこもるあいつが、自分と重なって嫌だったんだよ。
それに、籠から逃げ出すことが許されないあいつの境遇も、本当に嫌だった」
「セロエ……」
自分と一番年が近い姉は、確かに幼いころから誰よりも客観的に物事を見る人だった。
そして、誰よりも人を思いやる心を持っている。
ああ、わたしの知っているセロエお姉ちゃんだ。
「メリアーシェ、今度はお前があたしになれよ」
「セロエに?わたしが?」
「ああ、窓の外からしか景色が見れなくとも、外の世界を感じることはできる。あたしがお前にやったように、今度はお前があいつにたくさんの話を聞かせてやれ。
もう、薬がなくてもどこへでも行ける身体になったんだからさ」
「わかった。……セロエって本当に優しいね」
「やめろおー!そういうの柄じゃねえんだよ二度と言うな!!」
「あはは!」
「ほら、杖出せよ」
セロエはそう言うと、自分の杖を顕現させた。
白い光と共に現れるのは、大理石で作られたような杖。
先には灰色の石、絡んでいるのは無数の蔦《つた》。
わたしも手を掲げて魔力を集めれば、ひとまわり小さい同じものが現れた。
岩に蔦が絡む紋章はユーファステア侯爵家を表すものであり、わたしたち6人兄姉妹は全員同じ杖を持っている。
わたしたちの杖は、こつんと先を擦りあわせた。
魔術師が行う『約束』の印。
魔法的な拘束力はないけれど、戦場や大きな魔法陣を描くとき、互いの信頼を確かめ合うためにする行為。
「これからも、セロエの旅の話、聞かせてね」
「ああ、たっくさん聞かせてやるからな」
―――――――――――――――――――――――――
「メリアーシェ~~~!」
「ぐわ」
みんなで夕食を済ませたあと。声に振り返った瞬間柔らかい感触が顔面を覆った。
慌てて距離を取れば、お酒が入ってご機嫌なナタリーお姉さまだった。
顔は赤いけれど家族で一番お酒に強いので、酔っぱらっているわけではなさそう。
「私の部屋に来てくれない?渡したいものがあるのよ」
「え?ちょ、ちょっと」
ナタリーお姉さまは相変わらずマイペース。
呆れた顔をしながらも助けようしないセロエに見送られ、返事も聞かずにわたしの手をしっかりと握って歩き出してしまった。
ナタリーお姉さまの部屋は質素だった。
もともと槍を握る騎士だったから家に滞在することが少なく、ずらりと壁を覆い尽くした表彰状や盾が装飾代わりになっている。
天井に近いものはもはや何の表彰なのか読み取れない。
「その前にメリアーシェ、体調はどう?」
「体調?特に違和感はないけれど?」
わたしの魂が身体に戻ってからと言うもの、ナタリーお姉さまはしつこく体調に変化がないか聞いてくる。
熱も倦怠感もなければ、今まで魂が離れていたとは思えないほど違和感がない。
それなのにここまで頻繁に聞いてくるということは、ナタリーお姉さまには別の変化が見えているのかな?
「それならいいわ」
「ナタリーお姉さま、もしかして何か感じ取ってる?」
「ん?うん……そうねえ……ちょっと妖精の気配が増えた気がするわ」
「妖精が?」
「何か原因にこころあたりはあるかしら?」
ナタリーお姉さまの言葉に、わたしはついこの間の記憶を思い返した。
魂だったころ、色とりどりの光の塊に蝶のような羽を生やした形で妖精が見えていた。
思った以上に軽いノリで本を飛ばしたり雨を降らしたりしていたのはわかったけれど、身体に戻ったらさっぱり感じ取れなくなってしまった。
「特にないけれど、不思議な妖精ならいたよ」
「不思議?」
「1匹だけ、白くて細長くてウサギの耳みたいなものが生えてた妖精がいたの」
「……え?」
その妖精は黄色の光をまとっていたから、なんとなく光の妖精だった気がする。
魂の状態になってからずっとわたしにひっついて耳をぴょこぴょこ動かしていたっけ。
「身体に戻るとき、実はちょっとうまくいかなくて焦ったの。
今思えば、その子が最後の最後で押し込んでくれたから身体に戻れたと思う」
ナタリーお姉さまは大きく目を見開いた。そして涙をひとつぶこぼしてしまう。
慌ててハンカチを取り出すと、制止された。
『そう、よかったわね』と言って、それ以上は教えてくれなかった。
「渡したかったのはこれよ」
「手紙……この感触……もしかして」
「うん、ユリリアンナお姉さまの手紙。メリアーシェ、あなた宛てよ」
「え!?」
極国から帰るとき、わたしはユーファステア侯爵家の家族ひとりひとりに宛てた手紙を託された。
わたしが眠っている間にクレアが気づいて渡してくれたと聞いているけれど、直接会っているメリアーシェ宛ての手紙はないと思っていたのに。
「私の手紙の中に入っていたの。まったく、相変わらず怖い人。
メイシィ宛ではないのよ」
「……本当に怖い人だね」
極国で毎日のように触れていた紙の感触が指先から伝わる。
どうしてだろう、とても暖かく感じる。
この手紙は、部屋に戻ってからじっくりと読もう。
「メリアーシェ」
「うん」
「あなたはとても愛されていること、忘れないでね」
「急にどうしたの?」
「あなたが何を選んで何を失い、何を手に入れようと、みーんな支えてくれるってこと」
「ふふ、ありがとう、ナタリーお姉さま」
手紙を握り締めて、わたしはナタリーお姉さまの部屋を後にした。
わたしが父にしたお願いではあったけれど、なんと明日らしい。びっくりだ。
両親や兄姉たちはさも当たり前とでも言いたいような顔をしていたので、この驚きをだれも共感してくれなかったけれど。
さてはラジアン殿下の差し金かな?
ラジアン殿下といえば、わたしのお願いごとについて2つとも快諾してくださった。
帰路の足取りはとても軽いご様子で、心から安堵してしまったわたしはその日の夜はぐっすりと眠るほどだった。
パスカのリアム王太子もそうだったけれど、王族と話すのって本当に疲れる。
クリード殿下はすっかり慣れたけれど。
「メイシィ」
「お母さま」
子ども用の調度品が並ぶ自室から出ると、後ろから声が聞こえて振り向く。
お母さまが侍従を連れてこちらへ向かってくるところだった。
わたしに用事があったのだろうか、すれ違いにならなくて良かった。
「……」
「お母さま?」
「あら、ごめんなさいね。この部屋からあなたが自分の足で出てくるのが見慣れなくて。
どこへ行くつもりだったの?」
「サーシャお姉さまのところだよ。わたしの作戦がうまくいけば、きっと明日から忙しくなるだろうから、今のうちにお茶をしたいって」
「そうだったの。じゃあ先に頼まれてもらえないかしら?」
「何を?」
首をかしげて見せれば、母はにっこりと笑顔を向けてからかうような顔をした。
「例のアレよ。最終確認のために試着をお願いしたいの」
「ああ……」
「張り切っちゃったのよ!だってこんなに素敵な魔法がかかったもの、めったにお目にかかれないわ」
「ふふ」
「ふふふ」
―――――――――――――――――――――――――
「サーシャお姉さま、いる?」
「どうぞ」
それからしばらくして、わたしは上の階にあるサーシャお姉さまの部屋を訪れていた。
返事を聞いてから扉を開ければ、紺色の落ち着いた空間がわたしを出迎える。
かつて、スタットの別邸で再会したときの部屋とよく似ている。
けれど、あの時鼻についた本の匂いは薄く、灯りには金色の装飾が目立ち、星が散りばめられた明るい夜空のように変わっていた。
「よく来てくれたわね。こっちに座って、メリアーシェ」
「うん」
サーシャお姉さまは相変わらず服装も落ち着いた青色で、緑青《ろくしょう》の瞳は今日も暖かい。
「あれ、その髪留めきれいだね」
「あら、そう?最近眠っていた髪飾りを引っ張り出しているの」
「似合うね」
「ありがとう、うふふ」
隠しきれていない照れ笑いを零しながら、サーシャお姉さまは手ずから空のティーカップに紅茶を注いだ。
わたしのために置いてあったらしい。誘われるまま椅子に座れば、爽やかな香りが鼻をくすぐった。
「いよいよ明日でしょう?今のうちに話しておこうと思ったの」
「話?」
「ええ、お礼が言いたくて」
お礼とは何だろう。試験が終わってからサーシャお姉さまとは特に連絡をとったことはなかったけれど。
そう考えていると、ことりと音を立てて机に何か置かれた。
濃い黄色の液体が入った小瓶――――わたしがあの日渡した濃いミミィ茶、免疫薬の偽物だった。
「思い出の薬を再現してくれて、本当にありがとう。
寂しい日はまだ続いているけれど、不思議とこれを見つめていると元気がもらえて、毎日が輝いて見えるようになったの。
それにね、ひとつ思い出したことがあったのよ」
「どんなこと?」
「クリードのこと」
殿下のこと?話の続きを待っていると、サーシャお姉さまは胸に手を当てて深呼吸をした。
前髪がさらりと揺れて、上品な美しさが妃殿下として歩んだ過去を滲ませる。
「昔ね、幼いクリードに聞かれたことがあったの。『愛とはどういうもの?』って。
ふふ、可愛いわよね。私ったら答えに困っちゃって大混乱したのよ」
「はは、急に聞かれて応えられるものじゃないよね」
「でもね、カナリスったらすぐに答えてしまったのよ。
『案外小さなものだよ』って、私の肩を抱いてね。さすがに照れちゃったわ」
「ふふ」
わたしにつられて微笑んでいたサーシャお姉さまは、ふと表情を固くした。
「クリードは今、その小さいものを見失ってしまっているわ。かつての姉として、このままで良いわけがない。
今度はあなたが答えてあげてね」
「……はい!」
サーシャお姉さまは笑顔を浮かべると、立ち上がってわたしの頭を撫でた。
苦しい時も、楽しい時も、本を読む時も、感じていた温かい手のひら。
思わず視界が滲んだ。
―――――――――――――――――――――――――
「おーい」
「セロエ?」
サーシャお姉さまの部屋を出てすぐ、わたしはセロエに呼び止められた。
旅の恰好ではないものの、いつでも街中に紛れ込めそうな恰好をしているセロエ。
今朝、ワンピースを着たくないと執事たちと喧嘩していたのを思い出した。
「ちょっと付き合ってくれよ」
「うん、どこに?」
「上」
「上?」
ここ、最上階だけど?
連れてこられたのはユーファステア侯爵家の屋上、屋根の上だった。
魔法で飛べるわたしたちにとってはなんてことないところだけれど、あとで侍従たちに気づかれたらひと騒動起きそうな気がする。
屋根の上に腰掛けて、魔法で安定させながらわたしたちは景色を眺めていた。
小高い丘の上にあるこの屋敷の頂上からは、少し遠くに広い街並みと、広がる草原と、遠い遠い透き通った空の青が広がっている。
綺麗だ。幼い頃には見たくても見れなかった景色だ。
「やっぱりあたしはせまっ苦しいところより外《ここ》だなー」
「セロエ、明日の謁見に同席するんでしょう?マナーの授業は終わったの?」
「やってねえ、知らねえ、めんどくせえ」
「ああ……」
「明日、あたしにできるのはただ黙ってることだけだ」
風が吹いた。鳥が飛んでいく姿をなんとなくふたりで見送る。
「本当はさ、試練で言いたかったあたしの願い、『メリアーシェと旅すること』だったんだ」
「旅!?」
「あたしの旅人の人生は『ベッドの上にいるメリアーシェに外の世界を伝えたい』っつー思いから始まった。でもいろいろあってこの数十年叶わなくて、ようやく会えた時、隣にあのクリードがいた」
「……」
「『あー、叶わねぇや、これ』って思ったよ。だからすげぇムカついて、クリードに嫌がらせしたらとんでもねぇ目にあった」
「はは……」
「あいつとは前から距離を置いてたんだ。自分を封じて籠に閉じこもるあいつが、自分と重なって嫌だったんだよ。
それに、籠から逃げ出すことが許されないあいつの境遇も、本当に嫌だった」
「セロエ……」
自分と一番年が近い姉は、確かに幼いころから誰よりも客観的に物事を見る人だった。
そして、誰よりも人を思いやる心を持っている。
ああ、わたしの知っているセロエお姉ちゃんだ。
「メリアーシェ、今度はお前があたしになれよ」
「セロエに?わたしが?」
「ああ、窓の外からしか景色が見れなくとも、外の世界を感じることはできる。あたしがお前にやったように、今度はお前があいつにたくさんの話を聞かせてやれ。
もう、薬がなくてもどこへでも行ける身体になったんだからさ」
「わかった。……セロエって本当に優しいね」
「やめろおー!そういうの柄じゃねえんだよ二度と言うな!!」
「あはは!」
「ほら、杖出せよ」
セロエはそう言うと、自分の杖を顕現させた。
白い光と共に現れるのは、大理石で作られたような杖。
先には灰色の石、絡んでいるのは無数の蔦《つた》。
わたしも手を掲げて魔力を集めれば、ひとまわり小さい同じものが現れた。
岩に蔦が絡む紋章はユーファステア侯爵家を表すものであり、わたしたち6人兄姉妹は全員同じ杖を持っている。
わたしたちの杖は、こつんと先を擦りあわせた。
魔術師が行う『約束』の印。
魔法的な拘束力はないけれど、戦場や大きな魔法陣を描くとき、互いの信頼を確かめ合うためにする行為。
「これからも、セロエの旅の話、聞かせてね」
「ああ、たっくさん聞かせてやるからな」
―――――――――――――――――――――――――
「メリアーシェ~~~!」
「ぐわ」
みんなで夕食を済ませたあと。声に振り返った瞬間柔らかい感触が顔面を覆った。
慌てて距離を取れば、お酒が入ってご機嫌なナタリーお姉さまだった。
顔は赤いけれど家族で一番お酒に強いので、酔っぱらっているわけではなさそう。
「私の部屋に来てくれない?渡したいものがあるのよ」
「え?ちょ、ちょっと」
ナタリーお姉さまは相変わらずマイペース。
呆れた顔をしながらも助けようしないセロエに見送られ、返事も聞かずにわたしの手をしっかりと握って歩き出してしまった。
ナタリーお姉さまの部屋は質素だった。
もともと槍を握る騎士だったから家に滞在することが少なく、ずらりと壁を覆い尽くした表彰状や盾が装飾代わりになっている。
天井に近いものはもはや何の表彰なのか読み取れない。
「その前にメリアーシェ、体調はどう?」
「体調?特に違和感はないけれど?」
わたしの魂が身体に戻ってからと言うもの、ナタリーお姉さまはしつこく体調に変化がないか聞いてくる。
熱も倦怠感もなければ、今まで魂が離れていたとは思えないほど違和感がない。
それなのにここまで頻繁に聞いてくるということは、ナタリーお姉さまには別の変化が見えているのかな?
「それならいいわ」
「ナタリーお姉さま、もしかして何か感じ取ってる?」
「ん?うん……そうねえ……ちょっと妖精の気配が増えた気がするわ」
「妖精が?」
「何か原因にこころあたりはあるかしら?」
ナタリーお姉さまの言葉に、わたしはついこの間の記憶を思い返した。
魂だったころ、色とりどりの光の塊に蝶のような羽を生やした形で妖精が見えていた。
思った以上に軽いノリで本を飛ばしたり雨を降らしたりしていたのはわかったけれど、身体に戻ったらさっぱり感じ取れなくなってしまった。
「特にないけれど、不思議な妖精ならいたよ」
「不思議?」
「1匹だけ、白くて細長くてウサギの耳みたいなものが生えてた妖精がいたの」
「……え?」
その妖精は黄色の光をまとっていたから、なんとなく光の妖精だった気がする。
魂の状態になってからずっとわたしにひっついて耳をぴょこぴょこ動かしていたっけ。
「身体に戻るとき、実はちょっとうまくいかなくて焦ったの。
今思えば、その子が最後の最後で押し込んでくれたから身体に戻れたと思う」
ナタリーお姉さまは大きく目を見開いた。そして涙をひとつぶこぼしてしまう。
慌ててハンカチを取り出すと、制止された。
『そう、よかったわね』と言って、それ以上は教えてくれなかった。
「渡したかったのはこれよ」
「手紙……この感触……もしかして」
「うん、ユリリアンナお姉さまの手紙。メリアーシェ、あなた宛てよ」
「え!?」
極国から帰るとき、わたしはユーファステア侯爵家の家族ひとりひとりに宛てた手紙を託された。
わたしが眠っている間にクレアが気づいて渡してくれたと聞いているけれど、直接会っているメリアーシェ宛ての手紙はないと思っていたのに。
「私の手紙の中に入っていたの。まったく、相変わらず怖い人。
メイシィ宛ではないのよ」
「……本当に怖い人だね」
極国で毎日のように触れていた紙の感触が指先から伝わる。
どうしてだろう、とても暖かく感じる。
この手紙は、部屋に戻ってからじっくりと読もう。
「メリアーシェ」
「うん」
「あなたはとても愛されていること、忘れないでね」
「急にどうしたの?」
「あなたが何を選んで何を失い、何を手に入れようと、みーんな支えてくれるってこと」
「ふふ、ありがとう、ナタリーお姉さま」
手紙を握り締めて、わたしはナタリーお姉さまの部屋を後にした。
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