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第12章 長女と天才と薬師の狭間

第9話 悪意は炎に滲む

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翌朝。
朝餉《あさげ》が終わったと聞いたわたしは、ユリリアンナ様の元に訪れた。
楽晴さんにも時間をもらえないかお願いして、3人だけになるよう人払いをお願いする。

昨晩のことを告げると、ユリリアンナ様は勢いよく立ち上がった。


「それは……ほんとうなの」
「しっかりと漢庸《かんよう》様のお声を聴きました。もし違う人物だったとしても、わたしの部屋に侵入しようとしたのは確かです」


朝一で自室の扉を確認したところ、こじ開けようとした跡があった。
間違いなくわたしの幻覚ではない。少なくともベッドの周りにたくさん落ちている花びらはそう証言してくれた。


「信じられないわ……」
「ユリリアンナ様……」


すとん、と力なく椅子に倒れこむユリリアンナ様。
気配も感じ取れなかった、とわずかに聞こえるので、わたしのバリアから発する魔力のゆらぎにも気づけなかったようだった。


「あまり大事にしたくはなかったけれど、天帝にもお伝えしなければ……」
「しかし、最近は公主様をお産みになったばかりの公英妃《こうえいひ》のご体調が不安定で、つきっきりでいらっしゃるとか」
「公英妃宮に行くのは得策ではないわね。とにかく明漣《めいれん》様をお呼びして」
「かしこまりました」


楽晴さんが足早に部屋へ出ていく。
ユリリアンナ様に名前を呼ばれて振り向けば、今日の皇子様との練習はこの部屋で行うよう命じられた。



――――――――――――――――――――



「漢庸《かんよう》様、なんということを……」


明漣様に事情をお話しすると、絶句した表情が返ってきた。

わたしは変わらず皇子様と手を繋いだり離したり、魔力を感じる練習を続けている。
たまにお互いの手を叩く不思議な踊りに付き合っているけれど、それもだいぶうまくなってきた気がする。
最初は遊びながら学ぶのが一番だ。
気落ちした心に最高の癒しが降り注ぎ、わたしは皇子様の存在に大いに救われている。


「私から主上へ必ずお伝えしましょう。手紙については、すでに国を出てしまったようです。大変申し訳ありません」
「ありがとうございます、明漣様。お調べいただいただけでも十分ですわ」
「メイシィ殿にはしばらく魔法で身をお守りいただけますでしょうか。主上がこの話を聞けばお怒りになられるはず、数日程度で事態は収まるかと思います」
「かしこまりました。ありがとうございます、明漣様」


わたしは感謝を込めて皇子様から手を放して立ち上がり、明漣様に一礼する。
ふと足に違和感がして見下ろせば、皇子様がギュっと抱き着いていらっしゃった。
かわいい。
すぐにしゃがんでお相手の続きを始めることにする。


「主上からミリステアへ婚姻取り消しの文をお送りいただきたいのですが、公英妃《こうえいひ》様のご体調はいかがでしょう?」
「……まだ何とも言えない状態です。落命の危機は去りましたが、かなりお辛い様子で主上はお傍を離れるつもりはないと」
「そうですか……いえ、今はそうすべきでしょう」
「ご厚情に感謝いたします、緑青妃」


明漣様が心底嬉しそうな表情をして、丁寧に一礼をした。
その態度にちょっとひっかかりを感じて思わずおふたりを見つめていると、様子に気づいたユリリアンナ様がくすりを笑った。


「公英妃《こうえいひ》様は明漣様の孫でいらっしゃるの」
「そうでしたか」
「ああ、そうだわ!あの方は少しだけ魔力をお持ちだったと聞いていますが、明漣様、間違いありませんか?」
「ええ、といっても小さな氷を生み出す程度ですが」

「それならメイシィ、魔力を持っているヒューラン向けの栄養剤を作れるかしら?
どうせ部屋に籠るなら、何か作業をしていた方がいいもの」
「はい、問題ございません。明日までに準備いたします」
「それは本当ですか!?」


明漣様の皺の多い顔が歓喜の表情に煌めいた。
孫が可愛くて仕方ないのかな。つられてわたしも笑顔がこぼれる。


「ぜひお願いいたします!メイシィ殿。材料は至急部下に持ってこさせますので!
ああなんて光栄なことか、この国でもミリステアの魔法薬師の技術は素晴らしいと言われているのですよ」
「こちらこそ、新たな命をお産みになった方のお役に立てるのは光栄でございます」


ナタリー様の姿がちらつく。果敢に戦った人々を癒すことこそ薬師流の敬意の表し方だ。
貴重な機会に役に立てるというのは、やっぱり良い。


「さて、皇子様。随分と上達されましたね」
「ほんとう!?もう治る!?」
「魔力の受け取り方は十分です。次はわたしに流し込む練習をしましょう」
「え!できるの?」
「はい、できますよ。頑張りましょうね」


コクコクと頷く皇子様。ときめくわたしの心はまるで可愛い矢が刺さったかのよう。
思わず胸を抑えると、いたいの?と覗き込まれてもう1本刺さった。

ふいに後ろからうめき声が聞こえたので振り返る。
老年の男性と母親がわたしと同じ動きをしていた。

かわいい。


――――――――――――――――


ミリステアから調合の機器を持ってきていた。
どれも小ぶりのものだけれど、机が埋まるほど大量の器具が一式揃っている。

明漣様の孫、公英妃《こうえいひ》様にお渡しする栄養剤の作成を始めて2日目になった。
夕方に明漣様が直接薬を受け取りにいらっしゃる予定だ。

調合の機器にはガラス製品も含まれるから持っていくこと自体諦めていたのだけれど、ローレンス様がやってきて、見た目に反して恐ろしい許容量の袋をくださったおかげで持ってくることができた。
見たこともない逸品に驚いてお礼を言えば、ずれていない眼鏡の位置を整えながらそっぽを向かれた。
それももう数か月前の出来事になっている。


ユリリアンナ様がいらっしゃる隣の部屋で黙々と作業をしていると、侍従たちが仕事の合間を縫って眺めにきたり、遠くに群生する薬草を持ってきてくれたり。
彼女たちは随分とわたしの見た目に慣れてくれて、今は同僚のひとりとしてお茶する仲になっていた。


「そういえばメイシィ、クリードとの仲はどうなの?」
「うっ!?」
「うふふ」


しばらく煮込むため手が空き、暇だからとふたりでお茶をしていたら、突然ユリリアンナ様が爆弾を投げ込んできた。
……手に何か持っていたらひっくり返していた!危ないよ!


「え、あ、いや、なぜご存じで?」
「天帝宛の手紙にクリードから私宛の手紙も混ざっていたのよ。あなたの話ばっかりで読むのに時間がかかったけれど」
「あ、ああ……」


パスカから来賓客が滞在していたころ、自室の扉の隙間から差し込まれてきた彼の手紙ですらあの量だったのだから、納得してしまう。
ミリステアの自室の大きな箱に眠る紙束たちを思い出す。


「結婚の申し込みをされているのです」
「えええ!?あのクリードが?何もしゃべらず人形ちゃんのクリードが!?」
「ふふ、今ではあの人形ちゃん、よく喋りますし行動力もすさまじいですよ」
「そうなの!?ふふふふ!」


わたしはしばらくの間、ユリリアンナ様にクリード殿下との思い出をお話しした。

出会いと病んだ時のエピソード、セロエの時の暴走やナタリー様の時の竜巻。

思い起こせばこの数年、本当にたくさんのことがあった。

悲しいことも辛いこともあったけれど、ほとんどが彼の笑顔と共に記憶に残っている。


「好きなのね」
「すっ!?」
「ふふ、とても楽しそうだもの。メイシィ」
「え、あ、ええと、その、そんな、そんなことないですよ!?
一級魔法薬師になれば殿下と一緒に過ごすことは難しいですし、だからといって諦められないですし」
「はは、そうね。どっちも諦められないわよね」


くすくすと楽しそうなユリリアンナ様。まるで少女の恋の話をするように目が輝いている。


「私、天帝が皇子様だったころ、彼がミリステアへいらしたときに出会ったの。魔力を持っていたから勉学のためって、1か月だけね。
お互いに一目惚れだったのよ。どうしても一緒になりたくて説得に1年もかかったわ」
「1年ですか……」
「極国は『手紙の届かない国』でしょう?だから行ってしまったら最後、もう家族には会うことも連絡を取り合うこともできない。死んでるか生きてるかすら、何もわからない。
どちらの愛を取るのか、本当に悩んだわ」
「ユリリアンナ様……」

「でもね、私は家族を信じることにしたのよ。きっと幸せで生きてくれるって」
「……」
「ねえ、メイシィ」


ぽんぽんと肩を叩かれて振り向くと、口に固い感触。
ぐりぐりと口の中に何かを入れられて混乱していると、あまいイチゴの味が広がった。
びっくりした顔がそんなに面白かったのかな、ユリリアンナ様がサーシャ様に似た綺麗で優しい顔をくしゃりとさせる。


「どっちも選んでもいいんじゃない?」
「……え?」
「やってみなさい」


クリード殿下との未来を、一級魔法薬師としての未来を、どちらも?


「方法はあるわよ。だけど教えてあげないわ」
「なっ、ユリリアンナ様」
「私の記憶は15年前で止まっているもの~
信ぴょう性のないことを言うほどいじわるなお姉さんではありませんよ~」
「……ふふ、はい、わかりました」
「……ふふふ」


薬がぐつぐつと完成の音を立てている。
それ以上に響く大きな笑い声は、侍女たち曰く、妃宮の隅々まで広がっていき。

数年ぶりに宮に太陽が昇ったと話題になったという。



―――――――――――――――――



明漣様に薬を渡した夜。
わたしはいつも通り部屋中に魔法をかけて、就寝していた。
ようやく落ち着いて眠れるようになってきたころ、こんこん、と小さい音が鳴る。


「はい」
「めいしー……」
「皇子様?」


外から皇子様の声が聞こえて飛び起きた。
魔力を見ても皇子様おひとりの様子だったので、慌てて魔法を解き扉を開けると、枕を握り締めた男の子がぽつんと立っていた。
月明りでよく見えないけれど、なんだか泣きそうな顔をしている。

……ん?何か鼻にツンとする匂いがかすめたような。

ひとまず部屋の中に入れて魔法で封じると、皇子様を部屋の中央へ呼んだ。


「どうなさったのですか?」
「めいしー、怖いよ」
「怖い?」


そういうと、枕を放ってわたしの体に抱き着いてくる。
思わず頭を撫でてしゃがめば、首にしがみついてきた。


「何か嫌な夢を見ましたか?」
「ううん、夢じゃないの。とてもいやなかんじがするの」
「嫌な感じですか?」

「うん、前にもあった変な臭い。怖いの」
「以前にも?」


皇子様は抱き着いていた両手を話して、わたしの赤い瞳を見た。


「いつも、このにおいの後、大きな音がした」
「大きな、お――――――


瞬間、外が急に明るくなる。
身の毛もよだつ強い悪寒が、わたしの視界いっぱいで現実のものとなった。

吹き飛んでいく窓。
広がる赤。


この部屋の魔法《バリア》は、爆発を防ぐことはできない。


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