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第12章 長女と天才と薬師の狭間
閑話 執務室で瓶が揺れる
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「ありがとう、クレア」
メイシィが極国《きょくごく》へ旅立って1週間が経った。
まだまだ道中で馬車の揺れに苦労しているだろうと想像しながら、私は空になったカップに紅茶を注ぐ。
私の主、クリード殿下はひとことお礼を言うと、すぐに手を伸ばした。
今までより少し濃いめ。それは殿下がパスカのレヴェラント領から帰国した後に変えた淹れ方だ。
メイシィにとっての紅茶はおやつの口直しと勉強中の眠気飛ばしで飲むもの。
無意識が働いたのか、レヴェラント家滞在中にクリード殿下に淹れていたものは予想通りの味だったらしい。
昨日また嵐になったので、試しに彼女の癖の話をして濃いめの紅茶をお渡ししたら、すぐに止んだ。
あの子はひとつのことに夢中になると周りが見えなくなるし、人となりを知れば知るほど行動パターンがわかりやすい。
クリード殿下がきっかけで5年ぶりに再会したというのに、あまりに変わっていなくて、思わず笑ってしまったことを思い出す。
「クレア、今日はもう面会予定はなかったね?」
「はい。本日は会食のご予定もございません」
「そうか。なら夕食前に研究室に行く」
「かしこまりました。そのまま研究室で召し上がりますか?」
「いや、読みたい資料を持ってくるだけだ。30分後に出ようと思う」
「かしこまりました。時間になりましたらお声がけいたします」
「ああ」
クリード殿下はこちらを向くことなく、手元の紙にペンを走らせていた。
メイシィがいないときの殿下はとても寡黙で、必要なことすら最低限の言葉しか紡がない。
目が合うことなんてほとんどないに等しい。
それは殿下が幼少期のころに染みついた癖だと、カロリーナ妃殿下がおっしゃっていた。
目が合えば惚れられる、人の表情から読み取ってしまう余計な感情に心を乱される。
言葉を紡げば相手からたくさんの言葉が返ってくる、裏の意図に気づいてしまって心を乱される。
私、クレアが侍従に抜擢されたのは、クリード殿下に惹かれなかっただけではない。
無駄に感情のない冷淡な言葉や態度がとれるから、というのもあった。
「殿下、ひとつご相談がございます」
「何だろうか」
「薬師院のミカルガ様より、先日行われたメイシィ様の報告会の議事資料がまとまったと連絡がございました。竜人族に対する投薬文化の件でございます」
何を伝えても動き続けていたペンが止まった。
視線は落ちたままピクリとも動かず、続きを促されていると察して口を開く。
「彼女が手ずからまとめたものではございませんが、もしご入用でしたら資料をご提出いただけるようです。いかがなさいますか?」
「ぜひ拝読したいと返してくれ」
「かしこまりました」
即答だ。
そうだろうな、今の殿下にとって少しでもメイシィを感じるものは興味があるはずだから。
「そうおっしゃるかと思いましてもういただいております。こちらに置きますのでお時間がある際にご覧ください」
「ありがとう、さすがだ」
万一にもないと思うけれど、いらないと言われたら私が読もうと思っていた。
侍従として殿下が見たこと聞いたことは把握しておきたかった反面、これからのことを考えてメイシィの言動も頭に入れて損はない。
殿下のことだから、読み終わったら私にも閲覧許可をいただけるだろうし。
「では、失礼いたしま」
一礼している私に、コンコン、と扉を叩く音が聞こえて口を閉じた。
振り返り扉を開くと、珍しい人物が見えて慌てて距離を取り扉を開く。
その人物が部屋に入ったのを雰囲気で確認し、わたしは扉の傍で頭を下げた。
「やあクリード、邪魔するよ」
「ラジアン兄上!」
がたんと椅子が動く音と、クリード殿下が近づいてくる足音。
下を向いて空気になっている私には、あまり様子がわからない。
「メイシィがいなくなって愛しの弟が寝込んでないか確認しに来たんだ~」
「兄上……正直寝込みたいですが研究者としての仕事が許してくれないのです」
「気を紛らわしたくて仕事に構い倒してるの間違いじゃないか?はは」
「まあ、おっしゃる通りではありますね」
メイシィとクリード殿下が出会ってからもう数年。このご兄弟は随分と親しくなられた。
以前は仲が悪かったわけではないけれど、この国の王太子は普通の人間とは一線を画した存在。
弟にとっても兄の存在感は大きく、感情豊かな姿に距離を置きがちだった。
今となっては共通の話題ができて会話に花が咲きやすくなったのだろう。
「ユーファステア侯爵家の訪問はどうだった?」
「用件は無事伝えました」
「ほう、反応は?」
「良くも悪くも、といった印象を受けました。ただ有難いことにとても真摯に向き合ってくださいました」
さすがユーファステア侯爵家だな。とラジアン殿下が穏やかに微笑んでいらっしゃった。
王族として貴族に肩入れしすぎるのは良くないものの、ここは私的な場。
頭の上がらない妖精使いの孫たちを各々思い浮かべているのだろう。
「さて、今日は寂しんぼうの君にプレゼントを持ってきたんだ」
「プレゼントですか?」
クリード殿下がちらりと私を見たのを気づき、席を外そうと一礼する。
けれど、ラジアン殿下が首を振った。
「ああ、君はいてくれていいよ。秘密なことでもないし。すぐに出るからお茶もいらないよ」
「かしこまりました」
クリード殿下がラジアン殿下を執務机の前のソファに案内する。
大きな動きで緩く腰かけたラジアン殿下は、机の上に音を立てて何かを置いた。
ガラスの小瓶。中身に入っているのはさらさらしている水色の液体。
ユーファステア侯爵家の次女 サーシャ様の件でメイシィが渡した薬と同じ小瓶だ。
中身がわからないご様子で首をかしげるクリード殿下に、ラジアン殿下はにやりと笑いかけた。
「惚れ薬だ」
「なっ……!?」
物語でしか見たことのない代物だった。クリード殿下は目を丸くしていらっしゃる。
「詳しい仕組みを説明すると微妙に意味合いが違うんだが、自分の血を混ぜて相手に飲ませれば特別な感情を呼び起こせるという奇跡の薬だよ。
意外と作ろうとする人間がいなくていつの間にか調合方法の存在を忘れ去られていたらしい」
「……それを私にプレゼントしてくださる意図はなんでしょうか」
「何って、もちろん君とメイシィのためだよ~!」
「最終手段として、私に彼女を無理やり惚れさせろとおっしゃるんですか?」
クリード殿下は眉間に皺を寄せた。美人の怒りは怖い。
メイシィの前では見せない凄みのある表情にラジアン殿下はやれやれと余裕な態度をとっていらっしゃる。
「メイシィが本当に1級魔法薬師になれば、いよいよ婚姻は厳しくなる。君は彼女の決断を待っているようだけれど、もし断られたとしても今のような関係を続けるのは難しいだろうね」
「……」
「1級魔法薬師の仕事は多い。ただ薬師院で日々の業務をこなすことはないだろう。
会える頻度が減るだけじゃない、彼女はより多くの人々と出会うことになる。
その中に、将来を誓う人が出てきてもおかしくない」
「それは……」
「王族は、国のために人生をかける存在であらねばならない。それは時として望む未来を捨てる選択をとらされる。
けれど、問答無用で愛する人と生きる道を諦めろというのは違うと思わないか?」
「ええ、おっしゃる通りです」
「クリード、君はずっと辛い思いで生きてきた。その君がようやく見つけた安らぎを、俺は諦めてほしくない」
ラジアン殿下が弟たち――クリード殿下へ心を砕いている話は誰もが知っている。
弟とは逆に意識的に距離を置くことはなく、大切に扱い、蔑《さげす》む者には容赦なく外聞《がいぶん》通り『冷酷』そのものになると。
ラジアン殿下の妃がアーリア様に決まるまで泥沼の大混乱が起きたのは、実は『クリード殿下が心を許せる相手か』という条件を絶対に譲らなかったから。
城勤めの人間しか知らない語り草になっている。
とまあいろいろあって少々発想に問題がある気がするけれど、この方のご家族への気持ちは本物でいらっしゃる。
弟として兄を十分に理解されているのだろう。クリード殿下からは戸惑いの雰囲気を感じ取れた。
「あくまでこれは最終手段だよ。クリード。使わないことにこしたことないさ。
これを持っているだけでも安心できないかい?どんな形であろうと、君がメイシィを手に入れる確約を手に入れたのだから、ね」
「……ありがとうございます、兄上。遠慮なくいただきます」
「うんうん、この薬は今は色がついているけれど、君の血を混ぜれば無色無臭の透明になる。確実に相手に飲ませられる逸品だから、安心して使うといいよ。
ちょっと副作用はあるらしいけど。それじゃあね、愛しの弟」
弟の言葉に満足したのか、ラジアン殿下は足早に執務室を去っていった。
外に従者がいなかったのを見ると、じきにいつも通り行方不明の指名手配者として、ローレンス様を中心に多くの人々に探されるのだろう。
誰かが来たらしっかりと行方を伝えておかなければ。
「……クリード殿下」
殿下は微動だにせず、じっと瓶を見つめていた。
無表情で感情を読み取れなくても、数年の付き合いである私ですらわかる。
捨てるべきかと葛藤している。
この方のお心には、きっと応えてくれると彼女を信じる天使と、確実な手段は取るべきだと言う悪魔がいるんだろう。
いや、妖精かしら?
どちらにしろ、大切な人からの答えを待つ不安な人間に、これはあまりに劇薬だ。
「しばらく保管されてはいかがでしょう?」
「クレア、君は捨てろと助言しないんだね」
「まさか、そのようなことは申しません」
おもむろに窓に雫が付いた。ぽたりぽたりと拭いたばかりの窓を濡らしていく。
私はただ首を横に振ることしかできなかった。
「毒と薬は紙一重とメイシィ様に伺ったことがございます。その小瓶はきっと彼女には毒でしょうが、今のクリード殿下にとっては間違いなく薬でございます」
「薬……」
根拠などないけれど、あの子の親友として想い願う。
彼女はどの道を選んだとしても、ちゃんとクリード殿下と向き合い、心から大切にしてくれるだろう。
きっと、この薬が使われることはない。そう信じている。
あれから、クリード殿下は小瓶を見つめながら眠るようになられた。
暗い部屋に小さな灯で小瓶を照らし、眺め、気づいたら夢の中へ落ちていく。
寝息を聞きながらこっそりと灯を消して、私は今日も殿下の安らぎを願う。
1か月ほど経つ頃には、その小瓶は透明な液体を揺らしていた。
メイシィが極国《きょくごく》へ旅立って1週間が経った。
まだまだ道中で馬車の揺れに苦労しているだろうと想像しながら、私は空になったカップに紅茶を注ぐ。
私の主、クリード殿下はひとことお礼を言うと、すぐに手を伸ばした。
今までより少し濃いめ。それは殿下がパスカのレヴェラント領から帰国した後に変えた淹れ方だ。
メイシィにとっての紅茶はおやつの口直しと勉強中の眠気飛ばしで飲むもの。
無意識が働いたのか、レヴェラント家滞在中にクリード殿下に淹れていたものは予想通りの味だったらしい。
昨日また嵐になったので、試しに彼女の癖の話をして濃いめの紅茶をお渡ししたら、すぐに止んだ。
あの子はひとつのことに夢中になると周りが見えなくなるし、人となりを知れば知るほど行動パターンがわかりやすい。
クリード殿下がきっかけで5年ぶりに再会したというのに、あまりに変わっていなくて、思わず笑ってしまったことを思い出す。
「クレア、今日はもう面会予定はなかったね?」
「はい。本日は会食のご予定もございません」
「そうか。なら夕食前に研究室に行く」
「かしこまりました。そのまま研究室で召し上がりますか?」
「いや、読みたい資料を持ってくるだけだ。30分後に出ようと思う」
「かしこまりました。時間になりましたらお声がけいたします」
「ああ」
クリード殿下はこちらを向くことなく、手元の紙にペンを走らせていた。
メイシィがいないときの殿下はとても寡黙で、必要なことすら最低限の言葉しか紡がない。
目が合うことなんてほとんどないに等しい。
それは殿下が幼少期のころに染みついた癖だと、カロリーナ妃殿下がおっしゃっていた。
目が合えば惚れられる、人の表情から読み取ってしまう余計な感情に心を乱される。
言葉を紡げば相手からたくさんの言葉が返ってくる、裏の意図に気づいてしまって心を乱される。
私、クレアが侍従に抜擢されたのは、クリード殿下に惹かれなかっただけではない。
無駄に感情のない冷淡な言葉や態度がとれるから、というのもあった。
「殿下、ひとつご相談がございます」
「何だろうか」
「薬師院のミカルガ様より、先日行われたメイシィ様の報告会の議事資料がまとまったと連絡がございました。竜人族に対する投薬文化の件でございます」
何を伝えても動き続けていたペンが止まった。
視線は落ちたままピクリとも動かず、続きを促されていると察して口を開く。
「彼女が手ずからまとめたものではございませんが、もしご入用でしたら資料をご提出いただけるようです。いかがなさいますか?」
「ぜひ拝読したいと返してくれ」
「かしこまりました」
即答だ。
そうだろうな、今の殿下にとって少しでもメイシィを感じるものは興味があるはずだから。
「そうおっしゃるかと思いましてもういただいております。こちらに置きますのでお時間がある際にご覧ください」
「ありがとう、さすがだ」
万一にもないと思うけれど、いらないと言われたら私が読もうと思っていた。
侍従として殿下が見たこと聞いたことは把握しておきたかった反面、これからのことを考えてメイシィの言動も頭に入れて損はない。
殿下のことだから、読み終わったら私にも閲覧許可をいただけるだろうし。
「では、失礼いたしま」
一礼している私に、コンコン、と扉を叩く音が聞こえて口を閉じた。
振り返り扉を開くと、珍しい人物が見えて慌てて距離を取り扉を開く。
その人物が部屋に入ったのを雰囲気で確認し、わたしは扉の傍で頭を下げた。
「やあクリード、邪魔するよ」
「ラジアン兄上!」
がたんと椅子が動く音と、クリード殿下が近づいてくる足音。
下を向いて空気になっている私には、あまり様子がわからない。
「メイシィがいなくなって愛しの弟が寝込んでないか確認しに来たんだ~」
「兄上……正直寝込みたいですが研究者としての仕事が許してくれないのです」
「気を紛らわしたくて仕事に構い倒してるの間違いじゃないか?はは」
「まあ、おっしゃる通りではありますね」
メイシィとクリード殿下が出会ってからもう数年。このご兄弟は随分と親しくなられた。
以前は仲が悪かったわけではないけれど、この国の王太子は普通の人間とは一線を画した存在。
弟にとっても兄の存在感は大きく、感情豊かな姿に距離を置きがちだった。
今となっては共通の話題ができて会話に花が咲きやすくなったのだろう。
「ユーファステア侯爵家の訪問はどうだった?」
「用件は無事伝えました」
「ほう、反応は?」
「良くも悪くも、といった印象を受けました。ただ有難いことにとても真摯に向き合ってくださいました」
さすがユーファステア侯爵家だな。とラジアン殿下が穏やかに微笑んでいらっしゃった。
王族として貴族に肩入れしすぎるのは良くないものの、ここは私的な場。
頭の上がらない妖精使いの孫たちを各々思い浮かべているのだろう。
「さて、今日は寂しんぼうの君にプレゼントを持ってきたんだ」
「プレゼントですか?」
クリード殿下がちらりと私を見たのを気づき、席を外そうと一礼する。
けれど、ラジアン殿下が首を振った。
「ああ、君はいてくれていいよ。秘密なことでもないし。すぐに出るからお茶もいらないよ」
「かしこまりました」
クリード殿下がラジアン殿下を執務机の前のソファに案内する。
大きな動きで緩く腰かけたラジアン殿下は、机の上に音を立てて何かを置いた。
ガラスの小瓶。中身に入っているのはさらさらしている水色の液体。
ユーファステア侯爵家の次女 サーシャ様の件でメイシィが渡した薬と同じ小瓶だ。
中身がわからないご様子で首をかしげるクリード殿下に、ラジアン殿下はにやりと笑いかけた。
「惚れ薬だ」
「なっ……!?」
物語でしか見たことのない代物だった。クリード殿下は目を丸くしていらっしゃる。
「詳しい仕組みを説明すると微妙に意味合いが違うんだが、自分の血を混ぜて相手に飲ませれば特別な感情を呼び起こせるという奇跡の薬だよ。
意外と作ろうとする人間がいなくていつの間にか調合方法の存在を忘れ去られていたらしい」
「……それを私にプレゼントしてくださる意図はなんでしょうか」
「何って、もちろん君とメイシィのためだよ~!」
「最終手段として、私に彼女を無理やり惚れさせろとおっしゃるんですか?」
クリード殿下は眉間に皺を寄せた。美人の怒りは怖い。
メイシィの前では見せない凄みのある表情にラジアン殿下はやれやれと余裕な態度をとっていらっしゃる。
「メイシィが本当に1級魔法薬師になれば、いよいよ婚姻は厳しくなる。君は彼女の決断を待っているようだけれど、もし断られたとしても今のような関係を続けるのは難しいだろうね」
「……」
「1級魔法薬師の仕事は多い。ただ薬師院で日々の業務をこなすことはないだろう。
会える頻度が減るだけじゃない、彼女はより多くの人々と出会うことになる。
その中に、将来を誓う人が出てきてもおかしくない」
「それは……」
「王族は、国のために人生をかける存在であらねばならない。それは時として望む未来を捨てる選択をとらされる。
けれど、問答無用で愛する人と生きる道を諦めろというのは違うと思わないか?」
「ええ、おっしゃる通りです」
「クリード、君はずっと辛い思いで生きてきた。その君がようやく見つけた安らぎを、俺は諦めてほしくない」
ラジアン殿下が弟たち――クリード殿下へ心を砕いている話は誰もが知っている。
弟とは逆に意識的に距離を置くことはなく、大切に扱い、蔑《さげす》む者には容赦なく外聞《がいぶん》通り『冷酷』そのものになると。
ラジアン殿下の妃がアーリア様に決まるまで泥沼の大混乱が起きたのは、実は『クリード殿下が心を許せる相手か』という条件を絶対に譲らなかったから。
城勤めの人間しか知らない語り草になっている。
とまあいろいろあって少々発想に問題がある気がするけれど、この方のご家族への気持ちは本物でいらっしゃる。
弟として兄を十分に理解されているのだろう。クリード殿下からは戸惑いの雰囲気を感じ取れた。
「あくまでこれは最終手段だよ。クリード。使わないことにこしたことないさ。
これを持っているだけでも安心できないかい?どんな形であろうと、君がメイシィを手に入れる確約を手に入れたのだから、ね」
「……ありがとうございます、兄上。遠慮なくいただきます」
「うんうん、この薬は今は色がついているけれど、君の血を混ぜれば無色無臭の透明になる。確実に相手に飲ませられる逸品だから、安心して使うといいよ。
ちょっと副作用はあるらしいけど。それじゃあね、愛しの弟」
弟の言葉に満足したのか、ラジアン殿下は足早に執務室を去っていった。
外に従者がいなかったのを見ると、じきにいつも通り行方不明の指名手配者として、ローレンス様を中心に多くの人々に探されるのだろう。
誰かが来たらしっかりと行方を伝えておかなければ。
「……クリード殿下」
殿下は微動だにせず、じっと瓶を見つめていた。
無表情で感情を読み取れなくても、数年の付き合いである私ですらわかる。
捨てるべきかと葛藤している。
この方のお心には、きっと応えてくれると彼女を信じる天使と、確実な手段は取るべきだと言う悪魔がいるんだろう。
いや、妖精かしら?
どちらにしろ、大切な人からの答えを待つ不安な人間に、これはあまりに劇薬だ。
「しばらく保管されてはいかがでしょう?」
「クレア、君は捨てろと助言しないんだね」
「まさか、そのようなことは申しません」
おもむろに窓に雫が付いた。ぽたりぽたりと拭いたばかりの窓を濡らしていく。
私はただ首を横に振ることしかできなかった。
「毒と薬は紙一重とメイシィ様に伺ったことがございます。その小瓶はきっと彼女には毒でしょうが、今のクリード殿下にとっては間違いなく薬でございます」
「薬……」
根拠などないけれど、あの子の親友として想い願う。
彼女はどの道を選んだとしても、ちゃんとクリード殿下と向き合い、心から大切にしてくれるだろう。
きっと、この薬が使われることはない。そう信じている。
あれから、クリード殿下は小瓶を見つめながら眠るようになられた。
暗い部屋に小さな灯で小瓶を照らし、眺め、気づいたら夢の中へ落ちていく。
寝息を聞きながらこっそりと灯を消して、私は今日も殿下の安らぎを願う。
1か月ほど経つ頃には、その小瓶は透明な液体を揺らしていた。
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