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第12章 長女と天才と薬師の狭間

第2話 国に入っては国に従えなんて

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あれから、わたしの朝は早い。
始業の1時間前に極国《きょくごく》の歴史書を読み(独自の言葉が多くて医学書に見えたのは秘密)
昼休みはミロクさんから講義を受けていた(実はミロクさんの本名は彌《み》 麓《ろく》だったことを知った)

そして各々の仕事が終わったら、ミカルガさんに許可をもらった会議室でマナーの授業だ。

極、極、極の文字だらけで渡航前からお腹いっぱいである。


ミロクさんの講義は現地の生活を想定したものだった。
極服《きょくふく》と呼ばれる袖が大きい一般服の纏《まと》い方、歩き方、そして手を重ねた礼の仕方。
全く違う文化に戸惑う反面、面白さを感じる。
楽しそうで何より、とミロクさんにも伝わるほどだった。



ある夜、早めの講義が終わって夕食を食べたあと。
わたしはもう少し本を読もうと薬師院の書庫へ向かっていた。

薬師院の書庫は、王立図書館と比べ物にならないほど小さいけれど、巨城の敷地内では4番目を誇る。
魔術、医術に次いで知識を先人の知恵に頼る職業だから、どこもかしこも脚立がないと届かないほど本で埋め尽くされている。


少しだけ極国の薬草事情について読んでおいてもいいかもな。とミカルガさんの助言をもとに、書庫を歩き回ってお目当ての棚を探す。

本の匂いが溢れる空間は、もう点々と垂れ下がる灯の力なくしては何も見えないほどうっそうとしていた。


「ここかな」


脚立を持ってきて、ぐらつきを確認し、上る。
頂点でそれっぽいタイトルの本を取り出して、反転すると腰かけてそのまま表紙を開く。


「ほこりかぶってる……」


適当に床をめがけてほこりを落とし、膝の上に置いた。
目次を開き、わたしは気になる項目を探し始めた。



―――――――――――――――――


どれくらい経ったのかはわからない。
2~3人いたはずの薬師の気配がいなくなって久しいころ、ふと右の太ももに何かが当たる感触がした。

眺めていた活字には、白い花びらが降り注いでいる。

なんだろう、と思って本から視線を外せば、目に飛び込んでくるのは金色のふわっとした頭。


「……?」
「やあ、メイシィ」


わたしの肘辺りにいる頭がこちらを向く。クリード殿下だった。
いつから!?


「極国の薬草図鑑かな?熱心だね」
「で、殿下、こんばんは。気づかず申し訳ございません」
「いいや、じっくりと君を見つめていられた。とても良い時間だったよ」


やってしまった。顔が青くなるを感じてしまうほど血の気が引いていく。
王族に対して気づかず読みふけるなんて何て失礼なことを!

けれど、クリード殿下はとても穏やかに微笑んでいた。
病みそうな雰囲気が欠片もない。なんだか珍しい。


「あともう数日か、君が極国に行ってしまうのは」


殿下は少し寂しそうな顔をして、わたしを見上げていた。



1週間後に出立する。
その話はすぐにクリード殿下に伝えらえた。
ローレンス様曰く、すぐに嬉しそうな顔をして『メイシィには伝えた!?』と聞いてきたらしい。


もちろん、というと悲しい表現だけれど、クリード殿下は今回の極国への渡航は控えることになった。
前回は友好国のパスカだったけれど、今回はまともな国交すら結べていない未知の国。
各国を大きく刺激してしまうのは、誰が見ても明白だった。


巨城の中であってもわたしの居場所が掴めないだけで病むくらいなのに、長期間会えないとどうなってしまうのだろう。

なんだか申し訳ない気持ちはあるので旅立つ前まではいつもより甘やかそうと思っていたのに、殿下は不思議とわたしにあまり声をかけることなく、休憩のたびに遠くから眺めに来ては公務に戻っているという。

なので、こうしてふたりでゆっくり話すのは珍しく久しぶりだった。


「はい。準備に忙しいですが、かの国でも粗相がないようすべきことをして向かいたいです」
「君らしくてとても良い。……とても良いんだけれど」


いつも見上げていたクリード殿下の顔が自分の下にある。
綺麗な青い瞳がわたしだけを映していて、もったいないほどの輝きを放っている。
なんだかどきどきしてしまう。


「少しだけ、少しだけ構ってくれないか?」
「!」


殿下の細い声は耐え切れず零れ落ちてしまった本音のようだった。
今までどんどんと距離を縮めてきたけれど、わたしの夢のために今は見守るべきだと思っていたのだろう。
我慢が苦手なのに精いっぱい抑えてくれていたのだろう。

はあ、わたしはいつのまにかとことん甘くなってしまったらしい。
クリード殿下ってわたしより年上で立派な男性なのに、おねだりが上手すぎて断り切れず受け入れてしまう。
いつも世話を焼かれているような気がするから、やり返したい、って気持ちもあるけれど。


「……どうぞ、殿下」
「嬉しい、ありがとうメイシィ」


わたしは読みかけの図鑑を閉じて棚に戻し、脚立を降りた。
いつも通り殿下を見上げる形で視線を向ければ、殿下は嬉しそうに頬を染める。

そしてかがんだと思うと、あっというまにわたしを抱き上げた。


「なっ、殿下!?おおおおおお降ろしてください!?」
「嫌だ。ソファまで待てない。構ってメイシィ」
「ま、まったく殿下は……」


仕方ないのでバランスを取るために殿下の方に身体を預けた。
今日の殿下は妙に薄着な気がする。いつもと同じ服装なはずなのに。
朝練で鍛えている胸板は固く、ぬくもりを感じて恥ずかしさがこみ上げる。

書庫の中央にはソファと机がまとまって置かれている。
その中のひとつに殿下は腰掛け、わたしはそのまま膝の上で向かい合うように座るよう抱き留められてしまった。
横ならともかく、正面は刺激が強すぎる……!
どこを見ても、眩しいっ。


「殿下、この体勢はちょっと……人に見られたら困るのでは」
「人払いしてるから大丈夫だよ」
「えっ」


さっそく片手でわたしの頭を撫で始めながら、殿下はいじわるな顔をして言った。
この時間帯ならさほど迷惑はかけないだろうけれど、そこまでするなんてやっぱり相当我慢していたんだろうなあ……。


「恥ずかしそうだね、メイシィ」
「それはそうですよ……この体勢もそうですし、ふたりきりなのは珍しいじゃないですか」
「はは、そうだね。人がいようと僕は気にしないけれど」
「気にしてください」


ミカルガさんの引いてる顔すごいんだから。そう言いたかったけどきっと頷いてくれないので諦める。
かわりにじっと殿下の顔を見つめれば、恥ずかしがらせることに成功した。


「……久々に近い距離でメイシィを見るのは心臓によくないらしい」
「ふふ、今のうちに見ておいてくださいね」
「きっと半年近くは帰ってこないのだろう?」
「そうなると思います。往復だけで時間がかかりますから」
「……そうか」


小さくつぶやくと、ギュッと抱きしめてきた。
付き合ってすらいないのに殿下は相変わらず大胆だ。
わたしが抵抗してこないのを確信している。本当は恥ずかしくて一刻も早く離れたいことも、ついつい甘やかしが勝ってしまって、どうとでもなれと思考を放棄することも知っているのだ。
わたしも良くないのはわかっているのだけれど、つい。


「メイシィに伝えたいことがあるんだ」
「はい、なんでしょう」

「僕と結婚してほしい」

「……え?」


いつぞやの告白と同じくらい突発的な言葉だった。
思考が停止する。今まで散々匂わせてきたのに、言葉にされるとなぜだか身体が固まってしまう。


「僕は妖精たちの大きな加護を受けて、魔力も無尽蔵で、感情で多くの人々に迷惑をかけるし、他国には化け物呼ばわりされる世界の敵だ」


抱きしめていた腕を解いて、殿下はわたしをソファに座らせた。
そして目の前で片膝をつき、わたしの左手を両手でしっかりと握りしめ、まっすぐに見上げてくる。

まるで物語の王子様のように。


「そんな僕に一目惚れの美しさを、恋をする楽しさを、人に触れる温かみを、
黒薔薇も枯れそうな嫉妬を、醜く甘美な独占欲を、愛することの幸せを教えてくれた」


だんだん、物騒。


「ありきたりな言葉だけれど、もう君なしでは生きていけなくなってしまった。
だから、どうか、メイシィ、僕の願いを叶えてくれないだろうか」
「クリード殿下……殿下とわたしでは身分に差がありすぎます。
国中から批判を受けてしまいます」
「構わない」
「構います。わたしのせいで王家の権威に傷が付きかねません」
「僕の結婚はラジアン兄上やカナリス兄上とは違う。多少の批判はあるだろうけれど、すぐに止むよ」


クリード殿下はそう言うと、目線をわたしの膝まで落としてひとりごとのように言葉をこぼした。


「世界中の為政者は、『世界の脅威に首輪が付いた』と喜ぶだろう」
「そんなことをおっしゃってはいけません。
わたしはそういう言い方が嫌いです。」



間髪入れずにわたしは殿下の言葉を否定した。
事実、きっとその言葉に誤りはないのだろう。レヴェラント家の滞在中に嫌と言うほど知ったのだから。

それでも、殿下は心を持った人間であることに変わりない。
誰かを頼り、頼られながら、多くの人と関係を持って生きていくひとりの人間。


「メイシィは、やっぱり優しいね」


殿下はわたしを眩しそうに見つめていた。


「ともかく、わたしではクリード殿下に釣り合わない人間です。殿下の枷《かせ》にはなりたくありません」
「なら、もし君が僕の身分と釣り合っていたら、どう答えてくれる?」
「え……それは、その」


思わず言葉に詰まってしまった。心のどこかで言葉の歯止めがかかり、逃がしはしないと抵抗している。
無言でいてはいけないのに。わたしに今伝えられる言葉が何もない。

勇気が、ない。


「求婚の答えは、君が帰って来てから聞かせてくれる?」


殿下はわたしの手を開放すると、するりと頬を滑らせてきた。
くすぐったくてびくりと反応すれば、片手が不意に頭の後ろに回り、捕らえられる。

だんだんと近づくクリード殿下の美しい顔。

え、この流れ、近い、え、なに、キスでもするつもり!?


だらだらと心に滝のような汗をかき始めたわたしをよそに、クリード殿下の顔はすっと離れていった。


「帰ってきたらまた君に同じことをする。もしこれから一生を共に過ごしてくれるなら、口づけを受け入れてほしい」
「な……な……」
「はは、メイシィ、顔が真っ赤だよ。
まるで答えが透けて見えるようだ、試しに一度してみる?」
「ち、違います!そういう意味じゃ!」


わたしだって顔がいい人に近づかれたらドキドキする!当たり前でしょう!?
べつにクリード殿下だからってわけじゃ、ない!


「か、考えさせていただきます!お断りする可能性だってあるのを忘れないでくださいね!?」
「そうしたら受け入れてくれるまでこうして待ってようかな」
「わあああ後ろに手を持ってこないで掴まないでください近い近い近いです!」
「ははは!」


楽しそうな声を上げる殿下。
わたしの隣にぴったりと腰掛ければ、体重を乗せてわたしをからかってくる。
慌てて倒れないように堪えると、更に楽しそうな声を上げてまた抱きしめてきた。




「気をつけて行って来てね、メイシィ。ずっと君を待っている」


しばらくして、その言葉に頷いてみせる。
クリード殿下は幸せそうな表情でわたしを見つめていた。
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