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第11章 三女の宝と国境の薬師

第2話 依頼の前のひと悶着

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クリード・ファン・ミリステアは生まれた時からすべての妖精の加護を受け、感情により多くの現象を引き起こしてきた。
それは他国からすれば生きる兵器そのもの。彼に嫌われるだけでその国は一瞬にして灰燼《かいじん》に帰す。
世界にとって平和の敵といっても過言ではない存在。

セロエがわたしに何度も言っていた声が、頭の中に再現されている。
日に日に疲弊していくローレンス様を見ていたら、思わずそうなってしまった。


クリード殿下の海外訪問。それはあっという間に話題になったらしい。
殿下が動けば世界が注目する。下手したら戦争準備ではないか、なんて勝手に想像されてしまいかねない。
それに加えて10年ぶりであることや事前に噂すら流れなかったことで急速に広まり、人々が大きな関心を寄せてしまった。

けれどそれも数日だけ、すぐに落ち着いた。
ローレンス様の必死な印象操作はもちろんのこと、訪問先が友好国かつ『レヴェラント領』であることが良い影響をもたらしたという。



今日はいつものお茶会――――だけでなく、わたしはクリード殿下にパスカに関する講義を受けていた。
王族付きの薬師兼侍従として訪問するわたしにレヴェラント領の歴史も作法も叩き込むなら適任よ。とカロリーナ王妃がおっしゃったらしい。

それもそのはず、クリード殿下が最後に往訪した場所こそレヴェラント領、そして世界中に賞賛される功績を残したからだった。


「昔、パスカ龍王国の3代目国王がドラゴンゾンビとなって封印されていたんだけど、それを解いて還したことがあったんだ」


遠い遠い昔、パスカが世界中と終わりの見えない戦争を繰り広げていた時代。
腐敗体《ゾンビ》となり理性を失う呪いを受けた当代の国王が、国民を守るために大きな山に自らを封印した。
それでも王の身体に染み込んだ類《たぐい》まれな魔力は封印から漏れ出し、山全体を侵《おか》して魔物の一大拠点を築いてしまった。
そうして1000年もの間、国家問題として頭を悩ませてきたという。

それを聞いた隣国ミリステアがクリード殿下の派遣を提案。妖精の力でドラゴンゾンビを霧散させ、殿下曰くついでに3000m級の山全体の浄化もしたらしい。

ついでって、何。


素晴らしい功績だけれど、クリード殿下の表情は暗い。
良い思い出ではないのだろう。
1000年の苦しみを解放した英雄は今、わたしの白衣の裾をぎゅうぎゅうに握り締めて逃がさないようにしている。

そんな話で殿下を恐れて距離を取ったりなんかしないのに。
仕方ないので少し近づいて座りなおしてあげる。


「…っ! だからレヴェラント家は私に大きな恩があるんだ!あれから一度も叶わなかった現地の経過観察を実現させたいってことにしたら話が早かったよ!
私の機転のおかげで早くナタリーと面会できそうだね、メイシィ!」
「はい。ありがとうございます、クリード殿下」


わたしはそれだけ言うと、おいしいです、と久々のミリスリンゴのパイを頬張った。
殿下は満足げに手中にあった裾をしわくちゃの状態で開放し、頭を撫でる動きに変える。
……まあ、妥協としよう。


「そういえば殿下、今日は作法についても教えていただけると伺いましたが?」
「ああ、ローレンスに頼まれてね。君にこれを」


わたしに渡してきたのは緑色の装丁がされた本だった。
クレアに借りたナタリー様の本に比べると半分ほどの薄さで、パスカ龍王国の名前が刻まれている。


「礼節指南《マナー》本だよ。王族と辺境伯以上の高位貴族に特化しているから読んでおくと良い、だそうだ」
「ありがとうございます。王立図書館で探したのですが良いものがなかったので困っていたのです」


パスカは隣国という土地柄ミリステアと階級や礼節に大きな差はない。
ただ竜人族の国なので特異な風習が存在するので、油断ならない。
自国でさえ完ぺきとは程遠いのだから、できる限り頭に叩き込まないと。

試しにぱらぱらと捲《めく》ってみると、図解が多くわかりやすそうなページが並んでいた。


「私も読んだことがあるよ。幼いころに初めてリアム王太子に会った頃だったと思う」
「…っ!?」


そうですか、と顔を上げると至近距離でクリード殿下が本を覗き込んでいた。
相も変わらず仕上がっている肌に長いまつげ、青い瞳がわたしに気づいてこちらを向く。
どきりと胸が高鳴った。そのままどくどくと全身の血が駆け巡り顔に集まるのを感じる。

吸い込まれそう。動けない。わたしとは違って殿下は微笑みながらじっとこちらを眺めている。
初めて近距離で見つめ合ったからかもしれない。いつもの暖かい光の奥、何かうごめくものに気づいてしまった。

ああ、殿下の『病み』はここに潜んでいたのか。
微笑みの奥から虎視眈々《こしたんたん》とわたしを絡めとろうと狙っているような。

きっと数秒、体感数分。
はっと我に返って距離を取ろうとしたけれど、いつの間にか殿下の片腕がわたしの肩に乗っていて少しも動けなかった。


「……殿下、近いです。離れてください。重いです」


いろんな意味で。
できる限り冷たい声で言うと、クリード殿下はなぜか目を細めた。


「メイシィが」


言葉を切る。


「最近を意識するようになってくれて、嬉しいんだ」
「~~~!!」


不敬なんかどうでもいい!!
わたしは本を両手に抱えてソファから飛び出した。
机に脚をぶつけながら立ち上がり、3歩4歩と離れて殿下をキッと睨む。
殿下はわたしを追いかけることなく、足を組んでこちらに笑顔を向けていた。


「わたしを諦めるよう努力するのではなかったのですか!」
「君に告白した時のことだろう?」
「そっ…………そうです」


最近のクリード殿下は積極的すぎる。前の言葉は嘘だったのだろうか。
釘を刺してやろうと蒸し返してみたのに、殿下はさも気にしない態度だった。


「確かに言動が一致していない自覚はあるよ。でも君だって同じだと思わないか?」
「は……わたしがですか?」
「そういうところだよ。かわいいね」
「わあ!?」


クリード殿下は左のてのひらを宙に向け、上に持ち上げた。
わたしの足は地面から離れていき、感じていた体重を失う。
浮いていく本を抱きかかえつつ、なんとかバランスを取らないと……ひっくり返る!


「殿下、断りもなく人に魔法を使うのは……っ、失礼です……!」


反転してスカートがひっくり返るものなら恥ずかしくて死んでしまう!
殿下を強く睨んでも笑みを深くするだけだった。
わたしがむっとすればするほど、殿下を喜ばせている気がする。


「甘いお菓子にすぐ釣られるところ。夢中になると何されても気づかないところ。異性にも無自覚で甘やかすところ。それでいて甘えるのが上手なところ」
「何なんですか急に!」
「あとは――――僕だけの秘密だ」
「早く!おろしてください……!」
「これで杖を持って戦えるのだから恐ろしい子だよ……社交界に出てこなくてよかった」


ひとりでぶつぶつ何を言っているのだろう……。
ようやく前傾姿勢でバランスが取れたころ、顔を上げるとクリード殿下が目の前に立っていた。


「誰かに見つかる前に囲わないと」
「ええっと……?」
「とういうわけで前言撤回しよう。メイシィ」


クリード殿下は眩しい笑顔を浮かべて、空中に浮いたままのわたしから本を取り上げて放り投げた。
わたしに渡したものになんて扱いを――――と思ったけれど、その本まで重力を失っているらしい。
落ちることなくゆっくりとわたしたちから離れ、机の上にぽとりと着地した。

その姿に気を取られていると、両手に少し固い感触。
目線を手元に戻せば、クリード殿下に握られていることに気づいて飛び上がるほど驚いた。
いつもは見上げる整った顔が、さっきと同じくらい近い距離でこちらを見つめている。
ひどい違和感に襲われた。こうべを垂れるべき相手が、同じ高さで目の前にいる。


「僕は本気で君と結婚するために動くことにする」
「はい!?」
「もちろん試練の手伝いはするよ。最後に決めるのは君だからね」
「え……え!?」
「外堀には気をつけるんだよ、メイシィ。君には……厳しいかもしれないけれど」
「な!?」


衝撃だった。まさかクリード殿下がここまではっきりと自分の意思を伝えてくるとは。
今まで匂わせてくることはあったけれど、あの告白でさえ『どうしたいか』は言わなかった。

当時の人々が言っていた『感情を表に出さないよう隠れて我慢していた』殿下はもういない。
わたしが1級魔法薬師になりたいように、殿下も望みを見つけてしまった。

どうしよう。
ひとまず距離を置くべきかな……。


「僕から逃げるのも手だけれど、ミリステアがしばらく大嵐になっても問題なければいいよ」
「!」


国王陛下とカロリーナ王妃が、今まで出会った人々の笑顔がちらつく。
世界の平和のため、私情でそんなことをするわけにはいかない。
ひ、卑怯だ!


「僕は、君との穏やかな日々がほしいんだ。同じものをおいしいと思い、美しいと思い、君に触れ、こうして見つめ合っていたい」


いつのまにかまた頭を撫でられている。
逃げ出していた視線を向けると、クリード殿下は優しい声色でおっしゃった。
丁寧に慎重に言葉を選んでいるのが感じ取れる。


「僕の妻と薬師の道、どちらの選択も僕は受け入れよう。ただし、全力で君を愛すから覚悟するんだ」
「え……あ……」
「……ごめんね。許してくれ。
初めてなんだ、自分のために何かしたいと思ったのは。だから、力の限り挑んでみたい」


クリード殿下の指で、好き放題手入れされているわたしの白髪が躍る。
……そこまで言われたら、わたしの答えなんてひとつしかないじゃないか。


「わかりました。頑張ってください、クリード殿下」
「はは、君はまたそうやって僕を甘やかす。
……頑張るね、メイシィ」


無反応な態度に良しと思ったのか、両手でわたしの髪を撫でまわしながら、殿下はまた嬉しそうな表情をした。


ナタリー様との面会はもうすぐ。
今度はクリード殿下と共に、様々な想いが交差しながら、試練に挑むことになるだろう。


「じゃあまずはもういちど一緒に本を読もうね」
「そ、その前に降ろしてください」
「…………」
「殿下?」
「その……もうちょっと……眺めていたいなあ……なんて」
「……メイシィ、殿下ノ隣デ読ミ聞カセシテホシカッタノニナー?」
「ウッッ可愛い今すぐ降ろすねっっ」


曇天を映していた窓から光が差し込み、わずかな埃がきらきらと舞い始めていた。
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