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第9章 薬師と次女妃と思い出の薬

第3話 薬は治療だけとは限らない?

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「「『健康な時に飲んだ薬』の再現?」」


王都に返る馬車の中で、わたしはせがまれるままサーシャ妃殿下のお願いごとを伝えた。
良い声が重なるとさらに良い。天は人に二物を与えないというが、間違いなく嘘だ。


『いつ飲んだか覚えていらっしゃいますか?』
『確かわたしとカナリスが結婚式をする3年くらい前だったかしら。
たまたま王城に泊まる日だったから遅くまでカナリスとチェスをしていたのだけれど、急に席を外したと思ったら専属の医師と薬師が来て、その場で飲むように言われたの』

「そうすると13年前か。クリード、同じような状況で薬を飲んだ記憶は?」
「ない……と思う。疫病が流行ったころではないし、王族全員が飲んだわけではないかもしれない」
「そのころはカナリス殿下もサーシャ妃も体調に問題はなかったはずだ。健康のときに同時に飲む、というのが引っかかるな」


『どのような味がしましたか?』
『不思議な味だったわ、甘くて少し苦くて、飲んだら少し体が温まったの』
『甘い、ですか……』
『ええ、砂糖のような加えられた甘さではなくて、もっと柔らかな、自然の甘さだったと思うわ』

「私もたくさんの薬を飲んできたけれど、甘くて苦い薬で思い当たるものはないな……。そもそも、具合の悪いときの薬の味なんてあまり感じ取れないからね。苦いのだけは鮮明に覚えているけれども……」


『ほかに何か覚えていることはございますか?』
『そうね……急だったわ。特に細かい説明も受けられないまま飲めといわれて……馴染みの信頼できる薬師だったから戸惑いはなかったの』
『ちなみにその薬師のお名前はわかりますか?』

『ええ、リズ・テラー魔法薬師よ』

「リズ殿か。困ったな、彼女はもうこの世を去っている」


ローレンス様は頭を振った。
わたしはかつて自分の病を治すために尽力してくださった憧れの女性の名前が出て、戸惑っている。
今思えば納得だけれど、王族の調合も担当していたんだな。


「メイシィ」
「あ、はい!」
「薬を調合しただろう本人は聞けないが、代わりに聞ける人がいるんじゃないかい?」


隣で隙あらばくっつこうとしてくるクリード殿下は、わたしを見てにこりと笑った。


「ミカルガ・テラー1級魔法薬師、当時の薬師院の院長で、彼女の夫だよ」



――――――――――――――――――――



「申し訳ありませんがそのような薬は聞いたことがございませんな」


薬師院に戻ってすぐに事情を話すと、ミカルガさんは羽角《うかく》を弱らせて告げた。
そうですか、とクリード殿下が力なく返事をすれば、わかったことがあればお伝えしましょうと申し出てくれる。


「ひとまずわたしはしばらく文献を探します。クリード殿下、ローレンス様、ご助力いただきありがとうございました」
「知りたいことがあれば何でも聞いてくれ」
「メイシィ……あまり根を詰めすぎては駄目だよ。期限はないんだ、いいね?」
「はい、ありがとうございます」
「約束だからね?少しでも無理をしたら私が毎日見に来るからね?はぁ……心配だ、目覚めから眠りにつくまで見守りたい」
「やめてやれ」


おふたりを見送ったときにはもう、空は赤く染まっていた。


「健康な時に飲む薬、か」


存在しないわけではない。一般的ではないから医師と薬師の間にしか知られていない種類のものだ。
さっそくミカルガさんがいた執務室に戻ったわたしは、すぐに1冊の本を手にした。


「『免疫薬』か」


カリカリと文字を書く目線をそのままに、ミカルガさんはわたしに言った。

免疫薬。
疫病や季節性の病が流行する際に作られる特殊なもので、あらかじめ飲んでおくことで病の予防、症状の緩和ができる薬だ。
実際は病のもとになるものを魔法で弱らせ、体内に入れることで身体の免疫機能に覚えさせるのだけれど、高度な技術が必要なのに1つの病に1つの免疫薬しか作れない。

その効率の悪さのせいで、王族など一部の人間にしか提供されない珍しい薬になっている。
クリード殿下がすぐに疫病という発想に至ったのは、王族だからこそだ。


「薬を飲んだのは13年前だそうです。でもその頃は疫病が流行った記録がないと聞いています」
「そうだな。同意見だ」
「栄養剤とも思ったのですが、それだと状況に矛盾がありすぎるんです」
「ふむ……」


もうひとつ、健康な時に飲む薬といえば栄養剤だ。貧血になる前に飲む鉄剤あたりが有名だけれど、美肌を保つ薬なんかもこの部類に入る。
だけれど、別に深夜に部屋に押し入ってまで飲ませるようなものではない。


「あの、ミカルガさん」
「なんだ?」
「リズ・テラー1級魔法薬師には得意な薬があったりしましたか?」
「む?そうだな、どれも上手かったから印象に残っているものはないが……強いて言うなら調合の速さはピカイチだった」
「速さ……?」
「ああ、彼女は魔法が得意だったんだ。だから調合にできる限りの魔法を使うことで効率的に進められたのだろう。
あれより速い調合ができる薬師は見たことがない」


速さに自信がある薬師が深夜に慌てて作って飲ませる……か、思ったより緊急事態が起きていたのかも。


「あと、ミカルガさん、さっき何でも協力してくださるって言ってましたよね?」
「そこまではっきり言ってないが……まあそうだな」
「でしたら、お願いしたいことがあるのですが」
「む?」


その後にわたしが口にした言葉は、ミカルガさんの羽角をピンと立たせることになった。


――――――――――――――


あれから1週間が経った。
手掛かりは見つからず、クリード殿下とローレンス様が目の前で熱い議論を繰り広げるのはもう3回目になる。


「サーシャ妃の持病は特に……」
「なら何で薬を……」


このふたり、性格こそは違うけれどなかなか気が合うらしい。
幼馴染というのもあるだろうけれど、おそらく教養や知識の質が一緒だからなのだと思う。
そしてお互いに異なる分野で突出した知識を持っているのも一因かもしれない。
歴史や政治に対して草花、全く持って別分野だ。


「リーファの花の根が有名だが、季節によって遅効性の毒が発生する植物もいる。それにふたりが触ってしまった可能性があるかもしれないな」
「13年前は異常気象が目立った記録が残っているが、ほとんどクリードが原因だっただろう。時期と王城の植物の関係性を考えると可能性は低いと考えられる」


……さらっと物騒な言葉が聞こえてきた気がする。
わたしはそのふたりの声を右から左へ流しつつ、10冊の本に没頭していた。


カナリス殿下の服薬記録だ。
ミカルガさんに多大な苦労を負わせてしまった貴重な逸品ともいう。
午前中は心を込めて肩こりの薬を作るためにカカーランの実を砕き続けていたので、早々の筋肉痛を感じながらページをめくっている。


「クリード、カナリス殿下は本当に病の予兆もなかったんだな?」
「間違いなくなかったよ。サーシャ義姉上と遠乗りに行けるくらいの体力はあったはず。頻繁過ぎて怒られるくらいにね」


カナリス殿下の服薬記録は、サーシャ妃との婚姻まで気になる記述はなかった。
幼少期は耐性のために服毒していた。種類や量をみても妥当だし違和感はない。
……服毒自体に違和感はあるけれど、王族の通る道にケチをつける立場にない。

逆に結婚後の記録は恐ろしいものだった。亡くなるまで8冊分もあるのだから相当の努力が見える。

身体の一部から固まったように動けなくなり、四肢や臓器がひとつずつ機能を失っていく。
恐ろしい症状だった。

対症療法しかなく、最期は痛みを取るだけの状態だったみたいだ。
薬師だからこそいろいろな知識が心を締めつけてくる。読み進めるだけで身体が震えて泣いてしまいそう。


「ん?」


ふいに背中の違和感に気づいて顔を上げた。
向かいのローレンス様は気にしていないようだけれど、いつのまにか後ろに手が回っている。
クリード殿下、ついにセクハラを……?

と思ったけれど、その手は少し震えていた。


ああ、気づかれてた。
少年だった殿下は兄夫婦のすべてを間近で見ていたはず。どんなことが書かれているか想像に難くないんだろう。
無理はしないでほしいと優しい声が聞こえた気がして、わたしはふっと口角が緩むのを感じた。

思えばクリード殿下はいつもそうだった。
自分が弱ることの方が多いけれど、わたしが弱るときは強くあらんとしてくださる。

こういうところはよくわかるのに。


「はあ……」


『健康な時に飲む薬』は、今日もさっぱりわからない。


「そういえば、クリード殿下」
「なんだい?」


いつのまにか腰に回った手で引き寄せられたわたしは、密着したまま感情もなくローレンス様の眉間の皺を見つめた。


「13年前に異常気象が起きたのは殿下が起因したとお話ししてましたが、当時何かあったのですか?」
「ああ……15歳くらいのとき、ちょっとあったんだ」
「ちょっとだと?あれがちょっとと言えるのか?」


あ、眉間の皺が深くなった。


「バリストラ男爵令嬢の黒魔術事件だろう。クリードに惚れた令嬢が起こした人騒がせな事件だ」
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