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第8章 試練の薬師と志の王子
第4話 溝に残された悲しみは消えず
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あれから、薬師院の客人が増えた。
今まではクリード殿下と侍従のクレア、アンダンさんたち護衛隊が中心だったのだけれど、目の前でミミィ茶を嗜《たしな》んでいるローレンス様だ。
最初は一般国民御用達のミミィ茶が薄味だったようで不思議そうな表情をしていたけれど、しょっちゅう良いお茶は出せないので我慢してもらっている。
「ローレンス様、お忙しいところ今日もありがとうございます」
「構わない。むしろ仕事の邪魔を止めて申し訳ないくらいだ。時間をもらえて感謝している」
ローレンス様は、最初こそ印象の悪い言動が目立っていたものの、実際は礼儀正しい人物らしい。
最初はミカルガさんたちへお菓子の差し入れが多かったけれど、最近は巨城の図書館にある本に変わった。
王立図書館は階級や役職ごとに入れる区画が異なるのだけれど、たまたま新薬の開発に関わる薬師が探している本があり、ローレンス様なら借りられる代物だったらしい。
幸い又貸しする許可が得られたので、来訪するたびに本を交換するようになり、今では不思議と場に溶け込んでたくさんの薬師たちに囲まれている姿を見るようになった。
使いっぱしりにされているわけではない、たぶん。
実は本の交換相手は彼らだけではない。
「今日はこれだ。前回のは読んだな?」
「はい。ありがとうございます」
次はミリステア魔王国 建国以前の歴史書か……。
100年前の侍従が残した王家の記録本を机の上に置くと、ローレンス様は満足げにうなずいた。
勉強しておけと言うことで、図書館から一緒に借りてきた課題図書を渡されるようになってしまった。
読書は嫌いじゃないから苦ではない。
『教養』に関わるものばかり渡されるので、おそらくこれから会う令嬢たちに粗相がないよう彼なりの手助けだと思う。
どうやら彼はただの不器用だ。
「この本を読んでどう感じた?」
「王位継承権の争いが激化した時代でしたので、今とはかなり厳しい労働環境だと感じました。今の時代だったらわたしは確実に死罪ですね」
クリード殿下の口にクッキーをねじ込んだことあるし。
「そうだな。ひとつの所作で命にかかわるような時代だ。誰もが幸せになれない醜い争い、そういうものに関わる前に芽は潰すべきだろう」
「おっしゃる通りです」
「万一このような事態に巻き込まれることがあれば、すぐに逃げろ。クリードなど捨てるべきだ、いいな?」
「はは……いざとなったら考えます」
凄いこと言ってるよこの人。不敬罪を知らぬ存ぜぬだ。
このままだとローレンス様が罪人まっしぐらになりそうなので、話題を変えることにした。
「ローレンス様はユーファステア侯爵家のご兄姉妹《きょうだい》の中で3番目と聞いております。お姉さまはどのようなお方なのでしょうか?」
「ユリリアンナ妃とサーシャ妃か?」
そうだと頷くと、ローレンス様は思案顔をした。
眼鏡が光っていて直射日光に当たってしまっていることに気づく。近くで事務作業をしていたミロクさんが気づいてさっと薄いカーテンを広げる音が聞こえた。
「ユリリアンナ姉上は『天才』と呼ばれるにふさわしい人物だ。学術や魔術だけでなく、男顔負けの身体能力もあってできないことなど存在しない。それに人当たりも良い。兄姉妹《きょうだい》の中でも一番明るく、いるだけで場の雰囲気が良くなるような快活な人だ」
「そうですか、素晴らしい方ですね」
「……だが、大きな欠点がある」
「欠点ですか?」
「一度決めたことは曲げない頑固者だ。諦めないことは欠点ではないが、人間はかならず挫折を味わう生き物だ。折れるのが遅ければ遅いほど、立ち上がるのに時間がかかる」
はあ、とローレンス様が盛大なため息をつく。
尊敬半分、反面教師半分で、それなりに苦労したのかもしれない。
「サーシャ妃殿下はどのような方なのですか?」
「サーシャ姉上は知的で冷静、一途でお優しい方だ。本を読むのを好み、身体を動かすより静かに部屋に籠っている方を選ぶ。ユリリアンナ姉上と同じく頑固なところはあるが、あの多角的で理論的な攻め方は討論で勝てたことはない」
「素晴らしい方ですね」
深く頷くローレンス様の様子をみると、姉としてとても尊敬しているのが伝わる。
ちょうどクリード殿下から面会の申し出をしている方だったはず、お会いできるのが楽しみだ。
「ちなみに、三女のナタリーはサーシャ姉上に似ているが誰かを支える立場でこそ輝く人物だ。のんびりで穏やかで人を立てるのが得意だが、いざというときは槍を取るたくましいところもある。なにせ金貨騎士団の元副団長だからな」
「槍を握るのですか!」
「ああ、だが彼女は姉妹で一番頼りになる人だ。安心するといい。
武器を握るといえば、いちばん物騒なのはセロエだ」
唯一姓が省略された女性だったはず。一般国民になった話は聞いたことがあるけれど、いったい何があったのだろう。
「セロエは四女でユーファステア家を出奔したんだ。自分の意思で勝手に出ていったから支援はしていないが、ちゃんと自立して元気にやっているようだ。
だが旅人でどこにいるかわからない。面会はしばらくかかるだろうな」
「そうなのですか……」
世界中を旅する人と連絡をとるとなれば、この試験は長丁場になりそうだ。
今のところ面会が叶った人物から挑戦していこうと思っているけれど、すぐに悩みを解消できるとは限らないし、細く長くやっていかないと。
最後のひとりについて触れようとしたら、今度はローレンス様が遮《さえぎ》ってきた。
「ところでメイシィ、最近のクリードはどうだ?」
「殿下ですか?そうですね……以前の落ち込んだ姿などすっかり忘れたように積極的です」
あ、ローレンス様の眉間に皺が寄った。
詳しく話せと黒ぶち眼鏡の奥から睨んでくる。
「また執務室に呼ばれて自作のスイーツとご自身で淹れた紅茶をいただくようになりました。ほとんどは近況のようなとりとめのない会話ですが、1級魔法薬師の試験の話題が必ず出てきます」
「クリードは何と言っている?」
「各ご令嬢との交渉状況や、絶対に無理しないでくれと懇願されますね。最初はあのように落ち込んでいらっしゃいましたが、今はとても積極的に協力いただけるようになりました」
最近気づいたことだけれど、クリード殿下はわたしを着飾る話をすると喜ぶ。
婚姻に関する遠い問題から目を背けさせようと思って、わたしがご令嬢とお会いするときはどのような格好がいいだろう?と近い問題を挙げてみたら、
『私がドレスを決めてもいいだろうか!?』
『遠慮します!?』
とクレアに商人を呼ぼうとしたので慌てて止めた。
わたしはあくまで薬師なので、同じ令嬢の恰好なんてするわけにはいかない。
結局カーン陛下に謁見した時の白衣をいじることになったけれど、髪型だけ決めてもらうところに落ち着いた。
「ふむ……不穏なことを言っていなければ良い」
「不穏ですか?」
「ああ、クリードはお前のことになると病みがちだからな、お前が倒れたり怪我するようなことがあればどうなるか目に見えている」
「ローレンス様はどのような想像を……?」
眼鏡を持ち上げて侯爵家の子息は困った顔をした。
「ようするに世界中がめちゃくちゃになる、というやつだな」
ああ、久々に聞いたな、世界の危機ってやつ。
思わず遠い目をしてしまった。
沈黙の中、コンコンと扉を叩く音が聞こえる。
返事を待たず開かれた先には―――――クレアがいた。
「お話し中失礼いたします」
「クリードの侍従か。どうした?」
「クリード殿下より急ぎの連絡がありお伺いしました。殿下宛に例の手紙が届きましたので執務室にいらしていただけませんでしょうか?」
例の手紙?
「おそらくサーシャ妃殿下だな。メイシィ、先に行っていてくれ」
「まさか」
「ああ、面会許可の連絡だと思う。俺はラジアン殿下にもう少し時間をもらえるよう伝えてくる」
わたしは了承の返事をしてすぐに立ち上がる。
クレアはひとつ頷いてから、わたしを通すために扉を大きく開いた。
今まではクリード殿下と侍従のクレア、アンダンさんたち護衛隊が中心だったのだけれど、目の前でミミィ茶を嗜《たしな》んでいるローレンス様だ。
最初は一般国民御用達のミミィ茶が薄味だったようで不思議そうな表情をしていたけれど、しょっちゅう良いお茶は出せないので我慢してもらっている。
「ローレンス様、お忙しいところ今日もありがとうございます」
「構わない。むしろ仕事の邪魔を止めて申し訳ないくらいだ。時間をもらえて感謝している」
ローレンス様は、最初こそ印象の悪い言動が目立っていたものの、実際は礼儀正しい人物らしい。
最初はミカルガさんたちへお菓子の差し入れが多かったけれど、最近は巨城の図書館にある本に変わった。
王立図書館は階級や役職ごとに入れる区画が異なるのだけれど、たまたま新薬の開発に関わる薬師が探している本があり、ローレンス様なら借りられる代物だったらしい。
幸い又貸しする許可が得られたので、来訪するたびに本を交換するようになり、今では不思議と場に溶け込んでたくさんの薬師たちに囲まれている姿を見るようになった。
使いっぱしりにされているわけではない、たぶん。
実は本の交換相手は彼らだけではない。
「今日はこれだ。前回のは読んだな?」
「はい。ありがとうございます」
次はミリステア魔王国 建国以前の歴史書か……。
100年前の侍従が残した王家の記録本を机の上に置くと、ローレンス様は満足げにうなずいた。
勉強しておけと言うことで、図書館から一緒に借りてきた課題図書を渡されるようになってしまった。
読書は嫌いじゃないから苦ではない。
『教養』に関わるものばかり渡されるので、おそらくこれから会う令嬢たちに粗相がないよう彼なりの手助けだと思う。
どうやら彼はただの不器用だ。
「この本を読んでどう感じた?」
「王位継承権の争いが激化した時代でしたので、今とはかなり厳しい労働環境だと感じました。今の時代だったらわたしは確実に死罪ですね」
クリード殿下の口にクッキーをねじ込んだことあるし。
「そうだな。ひとつの所作で命にかかわるような時代だ。誰もが幸せになれない醜い争い、そういうものに関わる前に芽は潰すべきだろう」
「おっしゃる通りです」
「万一このような事態に巻き込まれることがあれば、すぐに逃げろ。クリードなど捨てるべきだ、いいな?」
「はは……いざとなったら考えます」
凄いこと言ってるよこの人。不敬罪を知らぬ存ぜぬだ。
このままだとローレンス様が罪人まっしぐらになりそうなので、話題を変えることにした。
「ローレンス様はユーファステア侯爵家のご兄姉妹《きょうだい》の中で3番目と聞いております。お姉さまはどのようなお方なのでしょうか?」
「ユリリアンナ妃とサーシャ妃か?」
そうだと頷くと、ローレンス様は思案顔をした。
眼鏡が光っていて直射日光に当たってしまっていることに気づく。近くで事務作業をしていたミロクさんが気づいてさっと薄いカーテンを広げる音が聞こえた。
「ユリリアンナ姉上は『天才』と呼ばれるにふさわしい人物だ。学術や魔術だけでなく、男顔負けの身体能力もあってできないことなど存在しない。それに人当たりも良い。兄姉妹《きょうだい》の中でも一番明るく、いるだけで場の雰囲気が良くなるような快活な人だ」
「そうですか、素晴らしい方ですね」
「……だが、大きな欠点がある」
「欠点ですか?」
「一度決めたことは曲げない頑固者だ。諦めないことは欠点ではないが、人間はかならず挫折を味わう生き物だ。折れるのが遅ければ遅いほど、立ち上がるのに時間がかかる」
はあ、とローレンス様が盛大なため息をつく。
尊敬半分、反面教師半分で、それなりに苦労したのかもしれない。
「サーシャ妃殿下はどのような方なのですか?」
「サーシャ姉上は知的で冷静、一途でお優しい方だ。本を読むのを好み、身体を動かすより静かに部屋に籠っている方を選ぶ。ユリリアンナ姉上と同じく頑固なところはあるが、あの多角的で理論的な攻め方は討論で勝てたことはない」
「素晴らしい方ですね」
深く頷くローレンス様の様子をみると、姉としてとても尊敬しているのが伝わる。
ちょうどクリード殿下から面会の申し出をしている方だったはず、お会いできるのが楽しみだ。
「ちなみに、三女のナタリーはサーシャ姉上に似ているが誰かを支える立場でこそ輝く人物だ。のんびりで穏やかで人を立てるのが得意だが、いざというときは槍を取るたくましいところもある。なにせ金貨騎士団の元副団長だからな」
「槍を握るのですか!」
「ああ、だが彼女は姉妹で一番頼りになる人だ。安心するといい。
武器を握るといえば、いちばん物騒なのはセロエだ」
唯一姓が省略された女性だったはず。一般国民になった話は聞いたことがあるけれど、いったい何があったのだろう。
「セロエは四女でユーファステア家を出奔したんだ。自分の意思で勝手に出ていったから支援はしていないが、ちゃんと自立して元気にやっているようだ。
だが旅人でどこにいるかわからない。面会はしばらくかかるだろうな」
「そうなのですか……」
世界中を旅する人と連絡をとるとなれば、この試験は長丁場になりそうだ。
今のところ面会が叶った人物から挑戦していこうと思っているけれど、すぐに悩みを解消できるとは限らないし、細く長くやっていかないと。
最後のひとりについて触れようとしたら、今度はローレンス様が遮《さえぎ》ってきた。
「ところでメイシィ、最近のクリードはどうだ?」
「殿下ですか?そうですね……以前の落ち込んだ姿などすっかり忘れたように積極的です」
あ、ローレンス様の眉間に皺が寄った。
詳しく話せと黒ぶち眼鏡の奥から睨んでくる。
「また執務室に呼ばれて自作のスイーツとご自身で淹れた紅茶をいただくようになりました。ほとんどは近況のようなとりとめのない会話ですが、1級魔法薬師の試験の話題が必ず出てきます」
「クリードは何と言っている?」
「各ご令嬢との交渉状況や、絶対に無理しないでくれと懇願されますね。最初はあのように落ち込んでいらっしゃいましたが、今はとても積極的に協力いただけるようになりました」
最近気づいたことだけれど、クリード殿下はわたしを着飾る話をすると喜ぶ。
婚姻に関する遠い問題から目を背けさせようと思って、わたしがご令嬢とお会いするときはどのような格好がいいだろう?と近い問題を挙げてみたら、
『私がドレスを決めてもいいだろうか!?』
『遠慮します!?』
とクレアに商人を呼ぼうとしたので慌てて止めた。
わたしはあくまで薬師なので、同じ令嬢の恰好なんてするわけにはいかない。
結局カーン陛下に謁見した時の白衣をいじることになったけれど、髪型だけ決めてもらうところに落ち着いた。
「ふむ……不穏なことを言っていなければ良い」
「不穏ですか?」
「ああ、クリードはお前のことになると病みがちだからな、お前が倒れたり怪我するようなことがあればどうなるか目に見えている」
「ローレンス様はどのような想像を……?」
眼鏡を持ち上げて侯爵家の子息は困った顔をした。
「ようするに世界中がめちゃくちゃになる、というやつだな」
ああ、久々に聞いたな、世界の危機ってやつ。
思わず遠い目をしてしまった。
沈黙の中、コンコンと扉を叩く音が聞こえる。
返事を待たず開かれた先には―――――クレアがいた。
「お話し中失礼いたします」
「クリードの侍従か。どうした?」
「クリード殿下より急ぎの連絡がありお伺いしました。殿下宛に例の手紙が届きましたので執務室にいらしていただけませんでしょうか?」
例の手紙?
「おそらくサーシャ妃殿下だな。メイシィ、先に行っていてくれ」
「まさか」
「ああ、面会許可の連絡だと思う。俺はラジアン殿下にもう少し時間をもらえるよう伝えてくる」
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