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第8章 試練の薬師と志の王子
第3話 高くて深くて遠い溝
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「まっっっっったくどういうことなんだっ!」
1時間後。
クリード殿下の執務室に来たローレンス様は、扉が閉まるなり声を荒げた。
そしてわたしたちを見て目を開く。
「……お前たちはどういう状況なんだ?」
「あ、ああ、あはは……お見苦しいところを……申し訳ございません」
わたしとクリード殿下が執務室に戻ってからすぐのことだった。
手を引かれて座らされて抱きしめられてから、微動だにしなくなってしまった殿下。
リアム王太子にクッキーをあげてしまった『クリード殿下のお膝の上事件』の再演である。横抱きにされている。
最初は恥ずかしかったのだけれど、あまりに悲惨な表情で抱き着かれたので居直ってしまった。
ちゃっかりと自分の頭を擦りつけてくるのでくすぐったい。
もう!どうにでもなれ!
「まったく、そろそろ切り替えたらどうだ、クリード」
「ローレンス様がいらしてます。殿下、一度お隣に座りますね」
試しに足を地面に置いてみると、抵抗されることなく殿下の腕から脱出できた。
あまりに生気も力もない。この状態で妖精たちが黙っているのだからよほどの事態みたいだ。
「別に絶対に結婚できないわけではないだろう。やりようはあるかもしれない。俺は絶対に手伝わないがな!」
「そうですよ殿下、前向きに考えましょう」
「なんでお前が言うんだ」
「あ、つい」
結婚するとなると薬師の職も辞さないといけなくなるし、さすがにねえ。
とは思いつつうっかりクリード殿下を焚きつけてしまった。
落ち込んでいる姿は似合わない。早めに立ち直ってほしい。
できればわたしと正しい距離を保ってくれる、ちょっと元気ないくらいの殿下に。
「……」
「……まあいい、先にメイシィへ試験の委細について説明しよう。ラジアン殿下と父のユーファステア侯爵から話を聞いて来た」
「はい、よろしくお願いいたします」
ローレンス様は対面のソファで紅茶を飲むと、真剣なまなざしでわたしを見つめた。
「そもそもユーファステア侯爵家は代々王家の側近を務める名家だ。
戦争が続いた時代では辺境伯として国土の前線を守っていたのだが、統治力の高さを認められて第2の都市 グランデルンと昨年発生した大規模火災の被災地、ミケを統治している」
「はい」
「当代の侯爵には6人の子供がいる。俺と5人の姉妹だ。この話は君でも聞いたことがあるんじゃないか?」
「ええと……それぞれ貴族の枠に囚われない自由な生き方を許されていると……」
「至極良い表現をするならそうだな。遠慮なく言えば俺以外の5名は自由奔放なトラブルメーカーだ」
一般国民の間でもユーファステア侯爵家の名前は有名だ。6人兄姉妹たちのいろいろな噂が広まっている。
ただ、それは物語のような話。
目の前にローレンス様がいてようやく実在したんだと感じる人がほとんどだろう。
「今回、メイシィの課題は俺以外の5人の姉妹たちに会い、願いを叶えることだ。
長女は ユリリアンナ・緑青妃・極国
次女は サーシャ・ファン・ミリステア
三女は ナタリー・レヴェラント
四女は セロエ
五女は メリアーシェ・ユーファステア
国外に嫁いだ者もいる。順番に指定はないから簡単に会える者から優先すべきだろうな」
クリード殿下がぴくりと反応した。
「わかりました。どなたからお会いするのが良いでしょうか」
「サーシャ、セロエ、ナタリー、ユリリアンナ、メリアーシェの順だな。連絡が取りやすくここから近いところにいる者と考えると順当だろう」
「セロエ様が先かと思っていました。たしか侯爵家を出て一般国民として過ごされていると聞いています」
「ああ、本当は国内にいて立場上の制約がないセロエとメリアーシェが早いように見えるが、セロエは旅人だから捕まえ……見つけるのに時間がかかる。
メリアーシェは……そうだな……彼女は最後にすべきだ。事情がある」
ローレンス様はそう言ってわたしを悲しげな表情で見つめた。
彼女は巷では名前だけ知られた秘匿のご令嬢だとか。それなりの年齢のはずだけど社交界に顔を出すこともなく誰も会ったことがないせいで、実在すら疑われているらしい。
深くは聞かないでおこう。家族の事情に首を突っ込むほど野暮ではない。
「面会の調整はすべて俺とクリードが引き受けよう」
「よろしいのですか……?」
突然の申し出に、わたしは驚いて口を開いてしまった。
あれだけ厳しいことをわたしに言ってきたから今回も関わりたがらないと思っていたのに。
「ああ、ユーファステア侯爵家の次期侯爵としての立場もあるが、奔放すぎて連絡ひとつ寄こさない姉妹たちに説教ができるからな」
「なるほど……」
5人のご令嬢たちに嬉しくない一喝が届くことになるのか。
妙に罪悪感があるのはなぜだろうか。
「わかりました。巻き込んでしまい心苦しいのですが、よろしくお願いいたします」
とりあえず試験をどうこなしていくか方針を決めることはできた。
あとは隣でうなだれている人をどうにかしなければ。
「クリード殿下、わたしが1級魔法薬師になるのはお嫌ですか?」
「……そんなことはないよ」
返ってこないと思ったらちゃんと返事が来た。
背中を丸めてうつむいたままの殿下に少しだけ近づいてあげて、見えない表情を想像しながら声をかけてみる。
「1級魔法薬師はわたしの夢なのです。幼いころから持っていましたが……クリード殿下と出会ってより叶えたいものになりました」
「……私と?」
「ええ。1級になればわたしはクリード殿下に薬の調合ができるようになります。
初めてお会いした日は汗をぬぐうことしかできなかったわたしが、殿下を治すことができるようになるんです」
「……」
反応がなくなってしまった。どうやら殿下に響かなかったらしい。
……なんだかむしゃくしゃしてきた。どういう事情があるにせよ、自分の夢にここまで応援してくれないとは思っていなかった。
「なるほど、殿下はわたしの薬を飲みたくないのですね」
「そんなことは……」
「解熱剤も胃腸薬も、剣の稽古で受けた痣も、魔法の稽古で受けた火傷も、わたしの薬は嫌なのですか?」
「そんなことは……」
「わたし、1級魔法薬師になったらバラのハンドクリームをお作りして差し上げたかったのに……」
「それはほしい!」
食いついた!
「薬師は患者がしっかりの服薬してくださるのを見守るのも仕事です。どうしてもクリード殿下の手荒れが酷いのであれば、わたしが手ずから塗って差し上げられますね。
殿下は手が大きくていらっしゃるので、少し時間がかかるかもしれませんが」
「!」
「でも殿下は協力しないとおっしゃるのでしょう?つまり……その日は来ないということですね。
悲しいです。殿下のお望みのこと、なんでもして差し上げられたのに」
「なん……でも……!」
カチャカチャとソーサーがまた騒ぎ出した。
さっと自分のティーカップを持ち上げると、ほぼ同時にローレンス様がクリード殿下の分まで回収する。
迷っている。心の動きがとてもわかりやすく現れている。
そしてローレンス様が妖精の暴走に慣れすぎている。
「わかった……手伝うよ、メイシィ」
「ありがとうございます!殿下」
「ローレンスの言う通り、私の望みの叶え方はいくらでもあるからね」
クリード殿下はにやりと笑う。
その表情はラジアン殿下そっくりでぞくりと震えた。
「私は諦めないよ、メイシィ……ふふふ」
怖い。
「……リアム王太子が陛下の御前でメイシィ嬢に言及しなければここまで大事にならずに済んだのだがな……。
他国のけん制に囲い込み、といったところか」
ローレンス様の深いため息が部屋に響き渡っていった。
そんな声など聞こえないとでもいうように、クリード殿下はにっこりとまんべんの笑みを浮かべてわたしと距離を詰めてこようとしてくる。
気合いで口角をあげながら、わたしはじりじりと後ずさっていった。
「ひとまずメイシィは通常勤務に戻ると良い。何かあれば薬師院に顔を出そう」
「え、あ、わたしがローレンス様の執務室にお伺いします。わざわざお越しいただくのは」
「気にしなくて良い」
ローレンス様は立ち上がると、近づいてくるクリード殿下の肩を押してわたしから離し、ふっと微笑んだ。
いつも険しい顔をしてらっしゃるのに、こんな表情もする人なのか。
この方も顔が良いだけに少し緊張する。
「君は君のやるべきことをするんだ。それが試験の合格のカギになる」
「……わかりました。ありがとうございます」
深く頭を下げれば、また小さな笑い声が聞こえた。
試験の準備を始めよう。
今のわたしがやれることは、きっと薬師としての技術、経験を積むこと、それだけだ。
「それでは俺はこれで失礼する」
「はい。お時間をいただきましてありがとうございました」
そうだ、ローレンス様が薬師院を訪れた時に5人の姉妹についてもう少し詳しく聞いてみよう。
人となりからどんな願いをおっしゃるのか予想がつくかもしれない。
『遠慮なく言えば俺以外の5名は自由奔放なトラブルメーカーだ』
……ちょっと、難しそうな気がしてきた。
1時間後。
クリード殿下の執務室に来たローレンス様は、扉が閉まるなり声を荒げた。
そしてわたしたちを見て目を開く。
「……お前たちはどういう状況なんだ?」
「あ、ああ、あはは……お見苦しいところを……申し訳ございません」
わたしとクリード殿下が執務室に戻ってからすぐのことだった。
手を引かれて座らされて抱きしめられてから、微動だにしなくなってしまった殿下。
リアム王太子にクッキーをあげてしまった『クリード殿下のお膝の上事件』の再演である。横抱きにされている。
最初は恥ずかしかったのだけれど、あまりに悲惨な表情で抱き着かれたので居直ってしまった。
ちゃっかりと自分の頭を擦りつけてくるのでくすぐったい。
もう!どうにでもなれ!
「まったく、そろそろ切り替えたらどうだ、クリード」
「ローレンス様がいらしてます。殿下、一度お隣に座りますね」
試しに足を地面に置いてみると、抵抗されることなく殿下の腕から脱出できた。
あまりに生気も力もない。この状態で妖精たちが黙っているのだからよほどの事態みたいだ。
「別に絶対に結婚できないわけではないだろう。やりようはあるかもしれない。俺は絶対に手伝わないがな!」
「そうですよ殿下、前向きに考えましょう」
「なんでお前が言うんだ」
「あ、つい」
結婚するとなると薬師の職も辞さないといけなくなるし、さすがにねえ。
とは思いつつうっかりクリード殿下を焚きつけてしまった。
落ち込んでいる姿は似合わない。早めに立ち直ってほしい。
できればわたしと正しい距離を保ってくれる、ちょっと元気ないくらいの殿下に。
「……」
「……まあいい、先にメイシィへ試験の委細について説明しよう。ラジアン殿下と父のユーファステア侯爵から話を聞いて来た」
「はい、よろしくお願いいたします」
ローレンス様は対面のソファで紅茶を飲むと、真剣なまなざしでわたしを見つめた。
「そもそもユーファステア侯爵家は代々王家の側近を務める名家だ。
戦争が続いた時代では辺境伯として国土の前線を守っていたのだが、統治力の高さを認められて第2の都市 グランデルンと昨年発生した大規模火災の被災地、ミケを統治している」
「はい」
「当代の侯爵には6人の子供がいる。俺と5人の姉妹だ。この話は君でも聞いたことがあるんじゃないか?」
「ええと……それぞれ貴族の枠に囚われない自由な生き方を許されていると……」
「至極良い表現をするならそうだな。遠慮なく言えば俺以外の5名は自由奔放なトラブルメーカーだ」
一般国民の間でもユーファステア侯爵家の名前は有名だ。6人兄姉妹たちのいろいろな噂が広まっている。
ただ、それは物語のような話。
目の前にローレンス様がいてようやく実在したんだと感じる人がほとんどだろう。
「今回、メイシィの課題は俺以外の5人の姉妹たちに会い、願いを叶えることだ。
長女は ユリリアンナ・緑青妃・極国
次女は サーシャ・ファン・ミリステア
三女は ナタリー・レヴェラント
四女は セロエ
五女は メリアーシェ・ユーファステア
国外に嫁いだ者もいる。順番に指定はないから簡単に会える者から優先すべきだろうな」
クリード殿下がぴくりと反応した。
「わかりました。どなたからお会いするのが良いでしょうか」
「サーシャ、セロエ、ナタリー、ユリリアンナ、メリアーシェの順だな。連絡が取りやすくここから近いところにいる者と考えると順当だろう」
「セロエ様が先かと思っていました。たしか侯爵家を出て一般国民として過ごされていると聞いています」
「ああ、本当は国内にいて立場上の制約がないセロエとメリアーシェが早いように見えるが、セロエは旅人だから捕まえ……見つけるのに時間がかかる。
メリアーシェは……そうだな……彼女は最後にすべきだ。事情がある」
ローレンス様はそう言ってわたしを悲しげな表情で見つめた。
彼女は巷では名前だけ知られた秘匿のご令嬢だとか。それなりの年齢のはずだけど社交界に顔を出すこともなく誰も会ったことがないせいで、実在すら疑われているらしい。
深くは聞かないでおこう。家族の事情に首を突っ込むほど野暮ではない。
「面会の調整はすべて俺とクリードが引き受けよう」
「よろしいのですか……?」
突然の申し出に、わたしは驚いて口を開いてしまった。
あれだけ厳しいことをわたしに言ってきたから今回も関わりたがらないと思っていたのに。
「ああ、ユーファステア侯爵家の次期侯爵としての立場もあるが、奔放すぎて連絡ひとつ寄こさない姉妹たちに説教ができるからな」
「なるほど……」
5人のご令嬢たちに嬉しくない一喝が届くことになるのか。
妙に罪悪感があるのはなぜだろうか。
「わかりました。巻き込んでしまい心苦しいのですが、よろしくお願いいたします」
とりあえず試験をどうこなしていくか方針を決めることはできた。
あとは隣でうなだれている人をどうにかしなければ。
「クリード殿下、わたしが1級魔法薬師になるのはお嫌ですか?」
「……そんなことはないよ」
返ってこないと思ったらちゃんと返事が来た。
背中を丸めてうつむいたままの殿下に少しだけ近づいてあげて、見えない表情を想像しながら声をかけてみる。
「1級魔法薬師はわたしの夢なのです。幼いころから持っていましたが……クリード殿下と出会ってより叶えたいものになりました」
「……私と?」
「ええ。1級になればわたしはクリード殿下に薬の調合ができるようになります。
初めてお会いした日は汗をぬぐうことしかできなかったわたしが、殿下を治すことができるようになるんです」
「……」
反応がなくなってしまった。どうやら殿下に響かなかったらしい。
……なんだかむしゃくしゃしてきた。どういう事情があるにせよ、自分の夢にここまで応援してくれないとは思っていなかった。
「なるほど、殿下はわたしの薬を飲みたくないのですね」
「そんなことは……」
「解熱剤も胃腸薬も、剣の稽古で受けた痣も、魔法の稽古で受けた火傷も、わたしの薬は嫌なのですか?」
「そんなことは……」
「わたし、1級魔法薬師になったらバラのハンドクリームをお作りして差し上げたかったのに……」
「それはほしい!」
食いついた!
「薬師は患者がしっかりの服薬してくださるのを見守るのも仕事です。どうしてもクリード殿下の手荒れが酷いのであれば、わたしが手ずから塗って差し上げられますね。
殿下は手が大きくていらっしゃるので、少し時間がかかるかもしれませんが」
「!」
「でも殿下は協力しないとおっしゃるのでしょう?つまり……その日は来ないということですね。
悲しいです。殿下のお望みのこと、なんでもして差し上げられたのに」
「なん……でも……!」
カチャカチャとソーサーがまた騒ぎ出した。
さっと自分のティーカップを持ち上げると、ほぼ同時にローレンス様がクリード殿下の分まで回収する。
迷っている。心の動きがとてもわかりやすく現れている。
そしてローレンス様が妖精の暴走に慣れすぎている。
「わかった……手伝うよ、メイシィ」
「ありがとうございます!殿下」
「ローレンスの言う通り、私の望みの叶え方はいくらでもあるからね」
クリード殿下はにやりと笑う。
その表情はラジアン殿下そっくりでぞくりと震えた。
「私は諦めないよ、メイシィ……ふふふ」
怖い。
「……リアム王太子が陛下の御前でメイシィ嬢に言及しなければここまで大事にならずに済んだのだがな……。
他国のけん制に囲い込み、といったところか」
ローレンス様の深いため息が部屋に響き渡っていった。
そんな声など聞こえないとでもいうように、クリード殿下はにっこりとまんべんの笑みを浮かべてわたしと距離を詰めてこようとしてくる。
気合いで口角をあげながら、わたしはじりじりと後ずさっていった。
「ひとまずメイシィは通常勤務に戻ると良い。何かあれば薬師院に顔を出そう」
「え、あ、わたしがローレンス様の執務室にお伺いします。わざわざお越しいただくのは」
「気にしなくて良い」
ローレンス様は立ち上がると、近づいてくるクリード殿下の肩を押してわたしから離し、ふっと微笑んだ。
いつも険しい顔をしてらっしゃるのに、こんな表情もする人なのか。
この方も顔が良いだけに少し緊張する。
「君は君のやるべきことをするんだ。それが試験の合格のカギになる」
「……わかりました。ありがとうございます」
深く頭を下げれば、また小さな笑い声が聞こえた。
試験の準備を始めよう。
今のわたしがやれることは、きっと薬師としての技術、経験を積むこと、それだけだ。
「それでは俺はこれで失礼する」
「はい。お時間をいただきましてありがとうございました」
そうだ、ローレンス様が薬師院を訪れた時に5人の姉妹についてもう少し詳しく聞いてみよう。
人となりからどんな願いをおっしゃるのか予想がつくかもしれない。
『遠慮なく言えば俺以外の5名は自由奔放なトラブルメーカーだ』
……ちょっと、難しそうな気がしてきた。
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