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第7章 仮面王子と踊れない薬師
第5話 きっと、大輪の花が咲く
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舞踏会3日目。最終日。
救護室は朝から晩まで騒がしい部屋となり果てていた。
さすがに1日中飲み食いダンス立ち話を繰り返していたら、身体にあちこち支障は出てくるものである。
色とりどりの種族の医者たちが慌ただしく歩き回っていた。
こんなに使うのだろうか?と思いながら作ってきた胃腸薬の液状薬《ポーション》は飛ぶように売れていく。
驚きながら管理簿に書き込むわたしに、ミロクさんはクスクスと笑っていた。
すでに枯渇してしまった青アザ用の塗り薬。
急いで新しいものを作り直すにも、素材たちは採集したてのまま。これは骨が折れそうだ。
急ぎだし魔法を使ってしまおう。と白い老木のような杖を顕現させたところで、室内中にどよめきが響いた。
またリアム殿下だろうか。それとも別の高位貴族か大怪我の患者か。
振りかえるとそこには、
「メイシィ!」
「フィクス殿下?」
少女がわたしの名前を呼んで嬉しそうに走ってくる姿が飛び込んできた。
真っ赤な髪を左右にまとめ、きらびやかな金色のリボンが揺れている。
わたしの肩より小さい彼女は、兄と同じ夜のきらめきのような紺色と金色のワンピースを身に纏っていた。
舞踏会の初日に遠くから見たフィクス王女だ。間違いない。
彼女はまんべんの笑みでこちらを見ている。頬が柔らかそうに丸くなっていてとてもご機嫌だ。
「失礼いたしました。フィクス殿下にご挨拶を申し上げます」
「ええ、こんにちは。メイシィ!」
「どうしてこちらにいらっしゃったのですか?」
丁寧に一礼してから用件を聞いてみると、愛らしい少女はあのね、と頬をかく。
もちもちの頬が指に深く沈んでいくのがとてもかわいい。触りたくなる。
「お友達になったミリステアの子が転んでしまったのよ。血が出ているようだから連れてきたの」
フィクス王女の視線を辿れば、赤いドレスを着た鼠人《そじん》族の女の子が手当てを受けている。
ドレスの隙間から細くて長い尻尾が力なく椅子から垂れていて、時折ぴくぴくと震え、痛みに耐えているようだった。
「ありがとうございます。フィクス殿下にお怪我はございませんか?」
「ええ、わたくしはないわ」
かわいらしい少女だが言動はしっかりとした王女様の風格がある。
不思議なギャップを感じながら、わたしは安心して笑顔を見せた。
「怪我の治療が終わるまでお待ちしますか?」
「ええ、どこでも良いから座らせていただくわ」
その言葉を待っていたかのように椅子が飛んできた。正しくは運ばれてきた。
竜人族の医者や薬師たちの動きの速さに面食らっていると、慣れてますとでも言いたげな微笑みを向けられる。
自由奔放な王女様の扱いに慣れているのだろう。あの表情を見るに、おそらく間違っていない。
「我が国の子供たちと遊んでいただきありがとうございます。ご迷惑はおかけしておりませんか?」
「ええ!ミリステアは他種族国家ですからたくさんの種族の子とお話しできてとても楽しいんですの!」
「そうでしたか。パスカ龍王国ではあまり小動物の種族の方はいらっしゃらないと伺っております」
「ええ、そうなの。竜人族はどうしても強さを重視してしまう種族だから、威圧感のせいで避けられてしまうことが多いのよ」
原種のドラゴンに対して原種の小動物が逃げ回るように、潜在意識で距離を置きたがるのはよくあることだ。
意外と子どものころは抵抗がないのだけれど、大人になるにつれ強くなる。
わたしは見た目こそウサギでもヒューマンなので、今でもあまり感じたことはないけれど。
「でもね。ミリステアの子供たちは気にしないでお話ししてくれる子がとても多いのよ。わたくしとても嬉しくって!」
「今手当てを受けていらっしゃる鼠人族の方でしょうか」
「ええ!わたくしが国に帰っても文通すると約束しましたの!もう楽しみでしかたないですわ!」
とても充実した日々を送っていらっしゃるようだ。ひとりのミリステア魔王国の国民として鼻が高い。
幾たびの対立と戦争を経て生まれた他種族国家であるミリステアの相互理解の精神は、多くの血と涙と想いで出来上がっているのだから。
「それにね。メイシィと出会えたのも嬉しかったのよ」
「わたしですか?」
「ええ、お兄さまがあんなに気が置けない様子を見るのは久しぶりだったわ。あなたは不思議ですわね」
「不思議……ですか?」
「ええ。少しの気品と着飾らない姿が自然そのもののようで、暖かく感じるの。あなた、親族に『妖精遣い』はいないかしら?」
「え……あ、いや……」
幼い口調のまま大人のような表現が飛び出し、思わず口ごもる。
しばらく返答のない私に、フィクス王女はわからないのだと判断したようだ。
「常に世界に1人か2人しか生存していないような方だもの。そうそう親族にいるわけではないわよね」
「そうですね……王女殿下はどうして『妖精遣い』のお話を?」
「そうねえ。昨日サフィアン様とお会いして、稀代の妖精遣いミリシア・ユーファステア様の肖像画を見たの。あなたと雰囲気がどことなく似ていらっしゃっただけよ」
「初めて伺いました」
「あら、そうなの!」
それからしばらく談笑すること30分。
どのような遊びをなさっていたのかお話をしている私たちの前に、作りの良い執事服を着たヒューマンの男性が声をかけてきた。
手当てを受けていたご友人が完治したという。いつもは本来の治癒能力に頼って数日かけるけれど、今は舞踏会の最中、短時間で完治させることを判断したらしい。
すぐに歩けるようになった鼠人族のお嬢様がこちらをみて手を振っている。
フィクス王女はそれに応え、椅子から立ち上がった。
「話に付き合ってくれてありがとう。メイシィ」
「いえ、こちらこそ貴重なお話をありがとうございました」
「もう帰国してしまうからあなたとはお別れね。ああ、そうだわ」
これをあげるわ。感謝の証よ。
自然な動きで水を掬うように両手を重ねる王女。
魔力が集まっていくのを感じたと思えば、ころんと小さな石が小さな掌に転がっている。
深緑色の小さな石をわたしの掌に置くと、彼女は微笑んだ。
「竜人族がよくやる占いよ。魔力で石を作って相手の掌に載せると、石が光ってこれからの運勢を色で教えてくれるの」
「いただいてよろしいのですか?」
「もちろんよ。……あら、その色は」
大人用の丸薬《がんやく》くらいの小さな石が、深緑からみるみるうちに変わっていく。
桃色に赤、橙色から緑、青になって、黒く染まり、やがて真っ白に色が抜けていく。
フィクス王女はその様子を見て目を丸くさせた後、おかしそうに声を上げた。
「波乱万丈が待っているようね!でも、最後はとっても幸せ!
ふふ!またね、メイシィ」
愛らしい見た目の少女の口から出てくる言葉じゃないと思うんだけど。
というか波乱万丈って……もうすでにそうなんだけど。
深く一礼をしながらぐるぐると考え込むわたしだった。
―――――――――――――――
無事に舞踏会が終わり、長い長い後片付けが終わった翌日。
わたしたちが気絶するように自室で休んでいる間に、パスカ龍王国からの来客たちは静かにミリステア魔王国を去っていった。
夕方ごろに薬師院を訪れたクリード殿下はまだ疲れが抜けていないような顔色。
ここに来る時間があれば休めば良いのに。と至極丁寧な表現で伝えると、いいやと殿下は首を振る。
「無事にやりとげたら私とお茶してくれると言ってくれただろう?いてもたってもいられなくてね」
「後日でも全く問題ありませんよ、クリード殿下」
「いいや、私はご褒美がすぐにほしいんだ」
「はあ……」
そんな無理して来なくても。と思うのだけれど。
とりあえず背を向けてミミィ茶を作ろうと一歩踏み出すと―――――がしっと腕を掴まれた。
振り返ってみれば、胡乱《うろん》な目をした殿下がいた。
あ、これは。
「どうして君はリアム王太子を口説いてしまったんだい?」
「え、くど……はい?」
わたしはリアム殿下と全く関係がないって言ったのに!
クリード殿下、信じてくださったのに!
殿下は腕を掴んでいた手をわたしの肩に移動して、真意を探ろうとする様子で見つめてきた。
「この国を去る直前、リアム王太子は陛下にいつかぜひ君にパスカへ来てほしいと直談判したんだ。名指しで、君を!」
「え、ええ!?」
「絶対に連れていくもんか……メイシィを口説くのは僕だ、僕だけでいい。パスカになんか渡すもんか……」
ぶつぶつと言い始める殿下、ちょっと近い。
口をはさむ隙間すらなくてただ様子を眺めていたら、ふいに右目に強い刺激を感じた。
ゴミが目に入ったみたい、痛いなあ。
「僕が忙《せわ》しなくしていたときに君は何回リアム王太子とお茶をしたんだい?何度会話を?何度その愛らしい笑顔を彼に向けて誘惑したんだ……」
「そんなことしてませんが……」
指先で目尻をつついても取れない。どんどん痛みが増す。
「ああわかっているさ。君の笑顔はいつでも小さな赤い花が咲くように可愛らしい。意識しなくても多くの男を虜にしてしまうのは認めざるを得ないだろう。ある程度我慢しなければいけないことはよくわかっている。君に惚れた者の宿命だからね」
「は、はあ……」
擦ると悪化するしなあ、どうしよう。
涙が出てしまいそうだ。
「だがリアム王太子は駄目だ。無意識とはいえあの方まで口説くのはさすがに我慢の限界を超えたよ。本気にされたらどうするんだ。そんなことになったら……そんなことになったら僕は……君を連れてなんかいかせない……腕の中に閉じ込めて……ずっとずっと一緒に……」
がたがたと今日も揺れる薬師院。
ごとりと落ちるのは桃色に赤、橙色に緑、青に黒の液体が入った薬瓶たち。
真っ白な顔をしたクリード殿下は今日も病む。
日常が返ってきたなあ……。なんだかほっとしてしまう。
わたしは痛みを我慢しながらいつも通り殿下に微笑みかけた。
「クリード殿下、わたしはリアム王太子と何もございません。信じてくださらないのですか?」
「うん……信じたい……信じたいけれど、不安が大きすぎて辛いんだ。こんな思いをさせるなんて、ひどい……ひどいよメイシィ……」
「殿下……」
なんだか、悲壮感漂う猫背にだんだん申し訳なくなってきた。
何か伝えたいけれどわたしの右目にため込んでいる涙は限界を迎えている。
まずい、落ちそう。
目の前には1秒たりともわたしから目を離さない殿下の綺麗な青い瞳がある。
「クリード殿下……ごめんなさい」
あ。
ぽろり、と右目から涙が落ちてしまった。
その瞬間、すっと失う痛みの感覚。
ゴミ、とれたみたい。やった。
「っ!!」
クリード殿下の目がまんまるになった。
そして深く眉間に皺を寄せて、拭いたかった悲壮感がひどく悪化していく。
背後で激しい雨の音が聞こえてきた。
「ごめんよメイシィ!!泣かせてしまうつもりはなかったんだ……!ああ、どうしたらいいんだ。泣き止んでくれメイシィ!!」
「泣いてないです……」
「僕が悪かったんだ!メイシィは確かにずっと王太子と何の関係も感情もないと言ってくれていた。それなのに信じなかった僕が悪かったんだ……!メイシィは僕だけ見てくれているのに!」
「いや別にそれは言ってな」
「許してくれメイシィ!」
肩を掴んでいた手が離れる。そしてクリード殿下が勢いよくわたしに抱き着いてきた。
厚い胸板に顔面がぶつかる。意外と筋肉質で固いそれは結構痛い。
ふごふご非難の声を出すも全然聞いてくれず、されるがままぎゅうぎゅう絞められている。
「許しますからクリードでんかっ、苦しっ」
「ああ、なんて慈悲深いんだ君は……やっぱり僕の女神だ」
「わかりましたらから離しっ」
「大好きだよメイシィ、離したくない……」
「今は離してほしっ」
「そこまでです、殿下。メイシィ様が窒息します」
それから。
実は後ろに控えていたクレアとなんとか殿下を引き剥がし、無理やり紅茶を出し、飲ませることにしたわたしたち。
高級すぎるハンカチで目元を擦り、ひたすらわたしの機嫌を取り、何度も何度も謝ってくるクリード殿下をなだめていれば、雨はいつの間にか止んでいた。
まったく、殿下はわたしに甘すぎる。
謝るべきはわたしだけのはずだったのに。
やがてご機嫌になった殿下のお姿を見ると、お伝えしようにもどうも力が抜けてしまうのだ。
わたしがクリード殿下に笑いかけるだけで、今日も大輪の花が咲くような笑顔を見せて、想いを存分に降り注がれる。
慣れるべきではないとわかっていながら、わたしは今日も甘受《かんじゅ》する。
この頃のわたしは、この嵐は去ったと安堵ばかりしていた。
このリアム王太子の発言が陛下に大きな決断をさせるなんて、思ってもいなかったのである。
救護室は朝から晩まで騒がしい部屋となり果てていた。
さすがに1日中飲み食いダンス立ち話を繰り返していたら、身体にあちこち支障は出てくるものである。
色とりどりの種族の医者たちが慌ただしく歩き回っていた。
こんなに使うのだろうか?と思いながら作ってきた胃腸薬の液状薬《ポーション》は飛ぶように売れていく。
驚きながら管理簿に書き込むわたしに、ミロクさんはクスクスと笑っていた。
すでに枯渇してしまった青アザ用の塗り薬。
急いで新しいものを作り直すにも、素材たちは採集したてのまま。これは骨が折れそうだ。
急ぎだし魔法を使ってしまおう。と白い老木のような杖を顕現させたところで、室内中にどよめきが響いた。
またリアム殿下だろうか。それとも別の高位貴族か大怪我の患者か。
振りかえるとそこには、
「メイシィ!」
「フィクス殿下?」
少女がわたしの名前を呼んで嬉しそうに走ってくる姿が飛び込んできた。
真っ赤な髪を左右にまとめ、きらびやかな金色のリボンが揺れている。
わたしの肩より小さい彼女は、兄と同じ夜のきらめきのような紺色と金色のワンピースを身に纏っていた。
舞踏会の初日に遠くから見たフィクス王女だ。間違いない。
彼女はまんべんの笑みでこちらを見ている。頬が柔らかそうに丸くなっていてとてもご機嫌だ。
「失礼いたしました。フィクス殿下にご挨拶を申し上げます」
「ええ、こんにちは。メイシィ!」
「どうしてこちらにいらっしゃったのですか?」
丁寧に一礼してから用件を聞いてみると、愛らしい少女はあのね、と頬をかく。
もちもちの頬が指に深く沈んでいくのがとてもかわいい。触りたくなる。
「お友達になったミリステアの子が転んでしまったのよ。血が出ているようだから連れてきたの」
フィクス王女の視線を辿れば、赤いドレスを着た鼠人《そじん》族の女の子が手当てを受けている。
ドレスの隙間から細くて長い尻尾が力なく椅子から垂れていて、時折ぴくぴくと震え、痛みに耐えているようだった。
「ありがとうございます。フィクス殿下にお怪我はございませんか?」
「ええ、わたくしはないわ」
かわいらしい少女だが言動はしっかりとした王女様の風格がある。
不思議なギャップを感じながら、わたしは安心して笑顔を見せた。
「怪我の治療が終わるまでお待ちしますか?」
「ええ、どこでも良いから座らせていただくわ」
その言葉を待っていたかのように椅子が飛んできた。正しくは運ばれてきた。
竜人族の医者や薬師たちの動きの速さに面食らっていると、慣れてますとでも言いたげな微笑みを向けられる。
自由奔放な王女様の扱いに慣れているのだろう。あの表情を見るに、おそらく間違っていない。
「我が国の子供たちと遊んでいただきありがとうございます。ご迷惑はおかけしておりませんか?」
「ええ!ミリステアは他種族国家ですからたくさんの種族の子とお話しできてとても楽しいんですの!」
「そうでしたか。パスカ龍王国ではあまり小動物の種族の方はいらっしゃらないと伺っております」
「ええ、そうなの。竜人族はどうしても強さを重視してしまう種族だから、威圧感のせいで避けられてしまうことが多いのよ」
原種のドラゴンに対して原種の小動物が逃げ回るように、潜在意識で距離を置きたがるのはよくあることだ。
意外と子どものころは抵抗がないのだけれど、大人になるにつれ強くなる。
わたしは見た目こそウサギでもヒューマンなので、今でもあまり感じたことはないけれど。
「でもね。ミリステアの子供たちは気にしないでお話ししてくれる子がとても多いのよ。わたくしとても嬉しくって!」
「今手当てを受けていらっしゃる鼠人族の方でしょうか」
「ええ!わたくしが国に帰っても文通すると約束しましたの!もう楽しみでしかたないですわ!」
とても充実した日々を送っていらっしゃるようだ。ひとりのミリステア魔王国の国民として鼻が高い。
幾たびの対立と戦争を経て生まれた他種族国家であるミリステアの相互理解の精神は、多くの血と涙と想いで出来上がっているのだから。
「それにね。メイシィと出会えたのも嬉しかったのよ」
「わたしですか?」
「ええ、お兄さまがあんなに気が置けない様子を見るのは久しぶりだったわ。あなたは不思議ですわね」
「不思議……ですか?」
「ええ。少しの気品と着飾らない姿が自然そのもののようで、暖かく感じるの。あなた、親族に『妖精遣い』はいないかしら?」
「え……あ、いや……」
幼い口調のまま大人のような表現が飛び出し、思わず口ごもる。
しばらく返答のない私に、フィクス王女はわからないのだと判断したようだ。
「常に世界に1人か2人しか生存していないような方だもの。そうそう親族にいるわけではないわよね」
「そうですね……王女殿下はどうして『妖精遣い』のお話を?」
「そうねえ。昨日サフィアン様とお会いして、稀代の妖精遣いミリシア・ユーファステア様の肖像画を見たの。あなたと雰囲気がどことなく似ていらっしゃっただけよ」
「初めて伺いました」
「あら、そうなの!」
それからしばらく談笑すること30分。
どのような遊びをなさっていたのかお話をしている私たちの前に、作りの良い執事服を着たヒューマンの男性が声をかけてきた。
手当てを受けていたご友人が完治したという。いつもは本来の治癒能力に頼って数日かけるけれど、今は舞踏会の最中、短時間で完治させることを判断したらしい。
すぐに歩けるようになった鼠人族のお嬢様がこちらをみて手を振っている。
フィクス王女はそれに応え、椅子から立ち上がった。
「話に付き合ってくれてありがとう。メイシィ」
「いえ、こちらこそ貴重なお話をありがとうございました」
「もう帰国してしまうからあなたとはお別れね。ああ、そうだわ」
これをあげるわ。感謝の証よ。
自然な動きで水を掬うように両手を重ねる王女。
魔力が集まっていくのを感じたと思えば、ころんと小さな石が小さな掌に転がっている。
深緑色の小さな石をわたしの掌に置くと、彼女は微笑んだ。
「竜人族がよくやる占いよ。魔力で石を作って相手の掌に載せると、石が光ってこれからの運勢を色で教えてくれるの」
「いただいてよろしいのですか?」
「もちろんよ。……あら、その色は」
大人用の丸薬《がんやく》くらいの小さな石が、深緑からみるみるうちに変わっていく。
桃色に赤、橙色から緑、青になって、黒く染まり、やがて真っ白に色が抜けていく。
フィクス王女はその様子を見て目を丸くさせた後、おかしそうに声を上げた。
「波乱万丈が待っているようね!でも、最後はとっても幸せ!
ふふ!またね、メイシィ」
愛らしい見た目の少女の口から出てくる言葉じゃないと思うんだけど。
というか波乱万丈って……もうすでにそうなんだけど。
深く一礼をしながらぐるぐると考え込むわたしだった。
―――――――――――――――
無事に舞踏会が終わり、長い長い後片付けが終わった翌日。
わたしたちが気絶するように自室で休んでいる間に、パスカ龍王国からの来客たちは静かにミリステア魔王国を去っていった。
夕方ごろに薬師院を訪れたクリード殿下はまだ疲れが抜けていないような顔色。
ここに来る時間があれば休めば良いのに。と至極丁寧な表現で伝えると、いいやと殿下は首を振る。
「無事にやりとげたら私とお茶してくれると言ってくれただろう?いてもたってもいられなくてね」
「後日でも全く問題ありませんよ、クリード殿下」
「いいや、私はご褒美がすぐにほしいんだ」
「はあ……」
そんな無理して来なくても。と思うのだけれど。
とりあえず背を向けてミミィ茶を作ろうと一歩踏み出すと―――――がしっと腕を掴まれた。
振り返ってみれば、胡乱《うろん》な目をした殿下がいた。
あ、これは。
「どうして君はリアム王太子を口説いてしまったんだい?」
「え、くど……はい?」
わたしはリアム殿下と全く関係がないって言ったのに!
クリード殿下、信じてくださったのに!
殿下は腕を掴んでいた手をわたしの肩に移動して、真意を探ろうとする様子で見つめてきた。
「この国を去る直前、リアム王太子は陛下にいつかぜひ君にパスカへ来てほしいと直談判したんだ。名指しで、君を!」
「え、ええ!?」
「絶対に連れていくもんか……メイシィを口説くのは僕だ、僕だけでいい。パスカになんか渡すもんか……」
ぶつぶつと言い始める殿下、ちょっと近い。
口をはさむ隙間すらなくてただ様子を眺めていたら、ふいに右目に強い刺激を感じた。
ゴミが目に入ったみたい、痛いなあ。
「僕が忙《せわ》しなくしていたときに君は何回リアム王太子とお茶をしたんだい?何度会話を?何度その愛らしい笑顔を彼に向けて誘惑したんだ……」
「そんなことしてませんが……」
指先で目尻をつついても取れない。どんどん痛みが増す。
「ああわかっているさ。君の笑顔はいつでも小さな赤い花が咲くように可愛らしい。意識しなくても多くの男を虜にしてしまうのは認めざるを得ないだろう。ある程度我慢しなければいけないことはよくわかっている。君に惚れた者の宿命だからね」
「は、はあ……」
擦ると悪化するしなあ、どうしよう。
涙が出てしまいそうだ。
「だがリアム王太子は駄目だ。無意識とはいえあの方まで口説くのはさすがに我慢の限界を超えたよ。本気にされたらどうするんだ。そんなことになったら……そんなことになったら僕は……君を連れてなんかいかせない……腕の中に閉じ込めて……ずっとずっと一緒に……」
がたがたと今日も揺れる薬師院。
ごとりと落ちるのは桃色に赤、橙色に緑、青に黒の液体が入った薬瓶たち。
真っ白な顔をしたクリード殿下は今日も病む。
日常が返ってきたなあ……。なんだかほっとしてしまう。
わたしは痛みを我慢しながらいつも通り殿下に微笑みかけた。
「クリード殿下、わたしはリアム王太子と何もございません。信じてくださらないのですか?」
「うん……信じたい……信じたいけれど、不安が大きすぎて辛いんだ。こんな思いをさせるなんて、ひどい……ひどいよメイシィ……」
「殿下……」
なんだか、悲壮感漂う猫背にだんだん申し訳なくなってきた。
何か伝えたいけれどわたしの右目にため込んでいる涙は限界を迎えている。
まずい、落ちそう。
目の前には1秒たりともわたしから目を離さない殿下の綺麗な青い瞳がある。
「クリード殿下……ごめんなさい」
あ。
ぽろり、と右目から涙が落ちてしまった。
その瞬間、すっと失う痛みの感覚。
ゴミ、とれたみたい。やった。
「っ!!」
クリード殿下の目がまんまるになった。
そして深く眉間に皺を寄せて、拭いたかった悲壮感がひどく悪化していく。
背後で激しい雨の音が聞こえてきた。
「ごめんよメイシィ!!泣かせてしまうつもりはなかったんだ……!ああ、どうしたらいいんだ。泣き止んでくれメイシィ!!」
「泣いてないです……」
「僕が悪かったんだ!メイシィは確かにずっと王太子と何の関係も感情もないと言ってくれていた。それなのに信じなかった僕が悪かったんだ……!メイシィは僕だけ見てくれているのに!」
「いや別にそれは言ってな」
「許してくれメイシィ!」
肩を掴んでいた手が離れる。そしてクリード殿下が勢いよくわたしに抱き着いてきた。
厚い胸板に顔面がぶつかる。意外と筋肉質で固いそれは結構痛い。
ふごふご非難の声を出すも全然聞いてくれず、されるがままぎゅうぎゅう絞められている。
「許しますからクリードでんかっ、苦しっ」
「ああ、なんて慈悲深いんだ君は……やっぱり僕の女神だ」
「わかりましたらから離しっ」
「大好きだよメイシィ、離したくない……」
「今は離してほしっ」
「そこまでです、殿下。メイシィ様が窒息します」
それから。
実は後ろに控えていたクレアとなんとか殿下を引き剥がし、無理やり紅茶を出し、飲ませることにしたわたしたち。
高級すぎるハンカチで目元を擦り、ひたすらわたしの機嫌を取り、何度も何度も謝ってくるクリード殿下をなだめていれば、雨はいつの間にか止んでいた。
まったく、殿下はわたしに甘すぎる。
謝るべきはわたしだけのはずだったのに。
やがてご機嫌になった殿下のお姿を見ると、お伝えしようにもどうも力が抜けてしまうのだ。
わたしがクリード殿下に笑いかけるだけで、今日も大輪の花が咲くような笑顔を見せて、想いを存分に降り注がれる。
慣れるべきではないとわかっていながら、わたしは今日も甘受《かんじゅ》する。
この頃のわたしは、この嵐は去ったと安堵ばかりしていた。
このリアム王太子の発言が陛下に大きな決断をさせるなんて、思ってもいなかったのである。
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