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第6章 隣国兄妹と嫉妬王子に挟まれ薬師

第3話 紡ぎ損ねた油断と過糖

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1時間後。
一部の調度品が散乱しているクリード殿下の執務室。

満足げに紅茶を飲む部屋の主と、
ほっとした様子で皿を片付ける侍従 クレアと、
あまりこっちを見ないように警護するアンダンさんと、

げっそりとソファに沈むわたしがいた。


パスカの王太子 リアム殿下の口は軽かった。
昼食と時の会話にクッキーの話が出たらしく、クリード殿下の察知能力が発動しすぐに委細を調べたらしい。
最終的には同席したリアム殿下の侍従に、いわゆる顔面の力で聞きだした薬師の外見がわたしと一致したという。

案の定病みだした殿下に対してアンダンさんは調度品たちに魔法をかけて被害を最小限に抑え、クレアはわたしのもとへ直行。
連れてこられたわたしは殿下の膝の上から一歩も動くことができず、クレアがわたしの自室へひとっ走りしてくれたおかげでようやく解放されたところだった。


「大変すばらしい味だったよ。メイシィ。あのリーファの蜜をここまでしっとりとしたクッキーに仕上げてくれるなんて、さすがだ」
「ありがとうございます、殿下。お許しいただき感謝申し上げます」
「ん?」
「え?」


訂正、許してない。
瞳の光が戻ってきていないことに気づき、わたしは即ソファから降りて頭を下げる。


「先に試食をお願いせず大変申し訳ございませんでした」


悪いのはわたしだ。先手必勝、許してもらえるまで謝ろう。
これで殿下のご機嫌を損ね、妖精のご機嫌も損ね、ついでに世界のご機嫌も損ねたらすぐさまスパッと首が飛ぶ。


「反省してくれメイシィ、私は本当に傷ついた。これはどんなに立派な薬師でも治せない深い傷だ」
「申し訳ございません……」
「この傷跡は一生消えることがないだろう」
 

なんということ。王族に消えぬ傷を与えてしまった。
断頭台が笑顔で一歩近づいてきた気がした。
さすがにまだ死にたくはない。震えながら地面を眺めていたら、視界の隅で足が組まれる。


「だが、ひとつお願いを聞いてくれたら許してあげようか」


お願い!?まだ断頭台回避の可能性がある!?


「わかりました!なんなりと!」


……ん?
お 願 い ?
クリード殿下のお願いをわたしが聞く?
なんでも!?

ハッと気づいてちらっとクレアの顔を盗み見た。
両手を握り、どこか遠くを見つめている。
その口の動きは何を示しているかすぐにわかった。

『あなたがどうなろうと私はあなたの友よ……』

やめて。
まだ何も起こってないから不吉な祈りやめて。


「あっははは!」


突然耳に飛び込む大きな笑い声。
クリード殿下は口を開けて笑うと両手で自らの両頬を覆った。
恍惚《こうこつ》な表情である。


「メイシィが私の、私のお願いをなんでも叶えてくれるなんて!なんて幸せなんだ!あっははははは!!」


怖。今までの殿下で一番怖い。
身目麗しい王子の悪党の如き高笑いがより恐怖を駆り立てている。
あまりにご機嫌すぎて若干気持ち悪いのが唯一の救い。


殿下は何をお願いするのだろう。
一般の価値観の人間であれば、一緒にお茶をするだのデートするだの、ある程度相手の地位立場を考慮して小さなものを選んでくれるだろうけれど、彼はそうはいかない。

リーファの蜜のクッキー関連なら安泰だ。もっと作ってほしいとか一緒に食べたいとかならいくらでも付き合う。

もうすぐ開催される舞踏会に参加するのも妥協だ。わたし色のハンカチを見せびらかした殿下だからあり得る選択肢だと思う。

ドレスもなければダンスも踊れないし、教養もないけど叩き込めばなんとか形にはなるだろう。
クレア、あなたがどんな苦労をしようとわたしはあなたの友よ。


「まずクレアとアンダンは下がってくれ、今日はもう良い」
「で、ですが、クリード殿下」
「……」
「……かしこまりました。失礼いたします」


最も嫌なパターンは、優しく言えば『鳥籠』だ。
わたしは鈍感な人間ではない。あれだけ好意を寄せられていたら交際、結婚、隣室への強制居住、今までぶつぶつと並べてきた言葉たちが本心である以上、選択肢にないわけがない。
薬師と個人の2つの人生一気に終了、様変わりだ。

それだけは嫌だ。視界がにじむ。
わたしはどうしても1級魔法薬師になりたい。
リズさんのように、わたしは誰かの人生を支えたい。


「メイシィ……っ?」


ここでわたしの努力は水の泡になってしまうのだろうか。


「……おいで、メイシィ」


頭の近くでソファを叩く音がした。
顔を上げると、いつもの柔らかな表情が飛び込んでくる。
いつの間にか戻った瞳の光が暖かい。

わたしはおずおずと隣に腰掛けると、すぐに手のひらが頭の上に置かれた。


「ままならないな、本当に」


その手はわたしの目尻に伝い、湿り気を奪い取った。


「怖がらせて悪かった」
「え……?」


ひらりと花びらが落ちてきた。
1つ、2つと殿下の髪を撫でて地面に落ちていく。
わたしの周りにいる花の妖精は喜びに反応するけれど、今のわたしにはそんな感情はない。
ミリスリスの一件で大量の花びらが降ったのを思い出す。

ああ、これはクリード殿下の仕業だ。
彼の悲しみの感情だ。


「私は王族だ。言葉ひとつで他人の人生を容易に変えてしまう。
君は常に私の言葉を命令と受け止めなければならない。私たちはそういう立場だ」
「……そう、ですね」
「言葉には責任が伴う。わかっていたけれどつい嬉しすぎて言い過ぎてしまった。何をされるかわからず怖かっただろう」
「……申し訳ございません」
「君が謝ってはいけない」


もう一度謝罪の言葉が出かけて飲み込む。
花びらはソファに積まれていく。心が痛いほどに。


「お願いを聞いてもらおう、もう一度膝に乗ってくれ」
「は、はい」


それはクレアがクッキーを持ってくる間に捕まっていたときの体勢だった。
一度立ち上がり、クリード殿下の膝に座ろうとしたら腰を掴まれくるりと回転する。
横抱きになり腰を支えられたのを感じて顔を上げれば、至近距離で金色の髪が額をくすぐった。
ああ、近い。本当に近い!我慢我慢!


「ありがとう」


殿下はそう言うと、わたしの頬に顔を寄せた。
表情は見えない。だけど身体を支える腕が、わたしの手を掬《すく》う掌《てのひら》が、どうしようもなく優しい。


「好きだ。メイシィ」


彼の小さな小さな言の葉に、全身が火照った。


「この想いが君の未来を邪魔するとわかっているつもりだ。そして君がこの感情に気づいていることもわかっている。
そしてこの想いに応えられないことも、せめて大きく膨らまないよう立ち回ってくれてくれていることも十分に理解している」
「……殿下……」
「わかっている、わかっているのに。君の言動ひとつひとつが、暖かい優しさが、頭からつま先まですべてが、どうしようもなく愛おしいんだ」
「っ!」


驚きに自分の指がぴくりと反応した。
彼の掌をなぞってしまった気がして、思わず彼から手を放す。


「そうしてほしい。私の手を握らないでいてくれ、いつか諦めがつくその日まで」
「……」
「……あはは、いつ来るんだろうね、そんな日が。
むしろ自制を失う日が来るんじゃないかと、君に何かしてしまわないか怖いくらいなのに」


何も言い返せなかった。言い返せるわけがない。
わたしの言葉ひとつで、彼の望む日がまたひとつ遠ざかるのを知っているから。

花びらがわたしの頭を撫でて落ちていった。



「さて、これでお願いは終わり。ありがとう、メイシィ」
「はい……」


ティースプーンを回すような軽さでくるりと膝から降ろされた。
立ち上がるなりわたしの腰に手を添えたクリード殿下は、出口に向かって歩くよう促してくる。


「今日はもう遅い。すぐに部屋に戻って休むと良い。
また……お菓子を持ってきてくれ。楽しみにしているから」
「は、はい。それでは失礼いたします」


ぐいぐいと押されるまま歩き出すとあっという間にたどり着く。
豪奢な扉の前で、わたしはふと立ち止まった。
リアム殿下との会話を思い出したのだ。

『あの、それなら想像だけでも王子の道から外れてみるのはどうですか?』


「あの、クリード殿下」
「なんだい?」
「ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ。君のためなら何でも」


殿下の手から離れて向き直る。


「もし殿下のお立場を考える必要がないとしたら、わたしにどんなお願いをしようと思ったのですか?」


クリード殿下はきょとんとした後、ふふと小さく声を出し爽やかに笑った。


「ああ、実はこの部屋、ベッドと机が置けるちょうど良い大きさの隠し部屋があって」
「あ、もういいです!失礼しました!」


聞いて損した!!
脱兎のごとく扉の隙間から出ていくわたし。


背後からはくすくすと心地の良い笑い声。
花びらはもう降っていなかった。
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