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第5章 隣国王子と病み王子とクッキー薬師

第5話 甘い夢には毒の出会いが

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その明後日は、アヒドの実を削っていたらすぐにやってきた。
ミカルガさんは出勤せず不在のまま、私とマリウスはいつも通り依頼のあった薬を作っては瓶に詰めていた。

外での昼食は、パスカ龍王国側の使用人を含む関係者がちらほら歩いているからと、みんな自粛している。
そのため部屋でお弁当を食べた私は、いつもの薬師の白衣を着て、ぺしゃんこにくたびれた革のバッグを手に取った。


「じゃあ、マリウス、温室行ってくるね」
「あれ、夕方行くんじゃないの?まだお昼過ぎだよ」
「そうしようと思ってたんだけれど、早く採取してミカルガさんに薬を作っておきたいなって」


そもそも今回はたくさん採取するつもりだから、夕方に作業が終わると思う。
それから薬を作れば、ちょうどミカルガさんが帰ってくる夜には完成品を片手に出迎えられるだろう、という計画だ。


「なるほど、じゃあ器具用意して待ってるよ」
「ありがとう!助かるよ」


金色が少し剥げたドアノブを手に扉を開けながら、私はマリウスに背を向けた。




第一温室までの道も、室内も、誰もいなかった。
予定通り午前中に訪問が終わったんだろう。
いつも通りの色とりどりの空間を眺めて、私は白衣を脱いで紺のワンピース1枚になる。


「よし、やるか」


相変わらずぶかぶかの軍手をはめて、私は低いコレクト草たちに手を伸ばした。




―――――――――――――



採取結果は上々だった。
温室にも関わらず、この暑い時期は魔力のせいか大半の植物の活動は活発だ。
どの子も生き生きと輝いて見え、むしろ日差しが足りないところは枯れてしまうからどんどん間引いてくれ、なんて言われているような気がするほど。
ぺしゃんこだったバッグはもういっぱいいっぱいになっている。

特に小さな黄色い実のカカーランはたくさん採れた。
ミカルガさんの湿布作りだけでなく、筋肉疲労に関わる諸症状の薬に使われるカカーラン種の実は、収穫後も日持ちがよいのでいくら採ってきても無駄にならない。
他の薬師たちにも配ってこようかな。

土がついた軍手を抜いてひっくり返しバッグのなかにしまう。
膝下のスカートを払って土ぼこりを払い、温室の鍵を手にとってバッグを持ち上げようとしたそのときだった。


ガシャン、と温室に誰かが入ってくる音がした。

……前にもこんな時があったなあ。
その時はクレアを連れたクリード殿下が来たんだっけ。
今回もそれかな、と振り返った私は――――――――固まった。


真っ赤に燃えるような髪、同じ色の瞳の瞳孔は細く縦長。
他人を威圧しそうな強い色なのに、その顔は甘く丸顔で、爽やかな印象を受ける。
背丈はクリード殿下よりも高く、体格はアンダンさんほどがっしりはしていない。
とある国では地位の高い色と聞いたことのある藍を纏うその姿は、誰が見ても正体に気づいてしまうだろう。
それはわたしも例に漏れることがなかった。

自分でもびっくりするほど一瞬でそのお方に向かって片膝をついた。
頭を下げて、相手の気配を探す。
ザリザリという足音が止まった。
目下の者から話しかけることができないため、わたしは下を向いたまま彼の言葉を待つ。


「勤務中にすまない。人がいると思わず来てしまった。君はここの薬師だな?」


少し高めの声。
わたしは頭を下げたまま口を開いた。


「はい。2級魔法薬師をしております」
「そうか」


足音は聞こえない。
どうやらわたしの前から動いていないみたいだ。
止まる会話にわたしの冷や汗が流れる。


「君は、兎人《とびと》族?ではないんだよね?」
「はい、ヒューマンでございます。兎人《とびと》族の祖母から白髪と赤い瞳を継いでおります」
「瞳……ああ、そうか」


足音が聞こえた。
いなくなるのではなく、明らかに近づいてくるその音。
ううう、やめてくれ、好きにそこらへん歩き回ってていいから!好きに見学しててくれていいから!
わたしには構わないでー!


「俺の名前はリアム・レファーミス・ヴァン・パスカ。君の名前は?」


ああああああ
やっぱりそうだった!
先日いらっしゃったパスカ竜王国の第一王子だった!

名前を求められれば名乗らなければいけないのが貴族社会のしきたり。
よく知っているそのルールに、わたしは頭をぐりぐりと左右からいじられている気分になった。


「メイシィと申します」
「メイシィさんだね、よろしく」
「はい、リアム王太子」


少し汚れた白衣の摘まんで一礼する。
一般階級の人間が行うもっとも経緯のある礼法であれば粗相はないだろう。
ちらりとパスカ王太子の顔を盗み見れば、彼は朗らかな表情でこちらを見つめていた。


「温室に御ひとりでいらっしゃったようですが……いかがなさいましたでしょうか」
「ああ、俺は昔からこの温室が好きでね。午後少しだけ時間が空いたから来たんだ」
「左様でございましたか」


知らなかった。
というか、他国の城内をひとりふらふらできるとは。まあ、昔から何度も来ている友好国の人間だし、そこまで気を使われないのだろう。
……と、いうことにしておこう。


「君は薬草の採取を?」
「はい。薬に必要な薬草を収穫しておりました」
「そうか、どんなものか見せてもらっても?」
「え、ええ」


わたしは慌ててバッグを大きく広げた。
自然に隣へ来たリアム殿下は、距離感を気にせずそのバッグをのぞきこむ。
ずいぶんと気さくな方だなぁ。

ひょろひょろな1本を取り出すと、殿下は興味深そうに眺めていた。


「これはどんな薬草なんだい?」
「コレクト草と申します。様々な効能の薬草を繋ぐ役割を持っておりまして、1つの薬を作り上げるのによく使われる薬草でございます」
「へえ、午前中に見学したときは見つけられなかったな」
「日光が当たらない時間帯がある場所に植えておりますので、少し奥まったところにございます」
「なるほど、それで目に入らなかったのか」


なんだかずいぶんと興味津々だけど、なぜだろう。
不思議に思ったことが伝わったのか、赤い髪をさらりと揺らして、リアム殿下は爽やかに微笑んだ。


「パスカ竜王国は名の通り竜人族が8割を占める国だからね。怪我や病気、毒に強いせいで医療や薬に関する技術は他国に劣るんだ。
花を愛でる文化も盛っていないから、ここまで大きな温室が建てられることはない。
だからこそミリステアの温室は好きで、薬草にも興味があるんだ」
「そうでしたか」
「ねえ、メイシィさん」


リアム殿下は、クリード殿下とはまた違ったキラキラした瞳を私に向けて口を開いた。


「また来るよ。
もしパスカの女神が君と縁を祝福し、出会うことができたなら、また薬草のことを聞かせてくれないだろうか」
「え、ええ……かしこまりました」
「ああ、ありがとう。
美しい髪と瞳をもつ君に出会えたことを、女神と君自身に感謝しよう」


さらさらと砂糖が降り注ぐ言葉になんとか対応しながら、わたしは前に読んだ本を思い出した。

竜人族は愛情表現が激しい。
結婚すれば離婚することは少なく、どのような経緯で別れたとしても再婚することはほとんどないという。
大切な人には言葉で愛する。息を吸っては砂糖を吐き出すような言い回しが文化として根付いているという。

わたしのような恋愛に縁のなかった人間には刺激が強い。


「わ、わたしも殿下と貴重なお言葉を交わすことができ、大変光栄でございます」
「どうもありがとう。ああ、もしかして、ちょうど温室を出るところだったかな?」
「はい、左様でございます」
「それは失礼したね。俺はもう少し見学していくから、君は下がると良い」
「ありがとうございます。それでは失礼します」


膨らんだバックを持ち上げ、
右足から前に出し、
頭を下げながら王太子の隣をあるき、
それはもう足早に温室を出る。

必死に身体を動かすわたしはきっとぎこちないなんてものじゃなかっただろう。
内心笑われていた気がする。


温室から脱出して歩くこと3分。
ようやくわたしは肺いっぱいに息を吸い込むことができた。


「き、緊張した……」


自国の王族……クリード殿下は除いて、謁見することすら緊張汗が止まらないというのに、他国となれば一歩間違えただけで国際問題作り放題。
そんな不名誉は嫌だ。


はあ、さっさと帰ろう。
ミカルガさんの薬を作るんだ。無心で作るんだ。

まるで今の記憶が夢の中であったかのように。無心で。


そう思っていた矢先、わたしはついに胃薬に手を出すことになった。
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