上 下
10 / 97
第2章 病み王子と中級薬師の1ヶ月

第4話 叶えたければすり替える

しおりを挟む
マリウスが遠征から帰ってくるまで、殿下が最後に『病み』スイッチが入ったのは会話をしているまさにここ、薬師院の勤務部屋だった。


薬師は資格レベル階級によって、調合と提供ができる薬や相手が決まっている。
1級は王族と公爵家を含む全員に、禁忌以外の薬の調合が許される。
わたしのような2級は、侯爵以下が対象だけれど、基本的に貴族への調合は大体2級のベテランか1級の薬師が担当するから縁はない。

その日、わたしは常連さんたちがいる場所へ足を運んでいた。


「こんにちは。……随分辛いようですね」
「こほっこほっ、メイシィさんか、こんにちは……こほっ」


騎士寮の一室。
守衛さんに挨拶をして男だらけの廊下を突っ切り医務室に入ると、1人の騎士がベッドでわたしを迎えてくれた。


「薬、持ってきましたよ。マーサーさん」


顔を真っ赤にしたマーサーさんは、鼠人《そじん》族。
ネズミの耳と尻尾を持ち、ちっちゃくて素早い動きを得意とする。
だが今日はさすがにいつもの元気はなく、眉を下げてもう一度お礼を言うのがやっとのようだった。
わたしはさっそくカゴの中身を取り出しながら、話しかける。


「今回はどのような症状があって医者にかかったんですか?」
「熱と……鼻水と……咳があって、特に熱がなかなか収まらないんです……」
「なるほど……それで風邪と診断されたんですね」
「はい……」


担当医師から受けた処方指示と一致する。
それであれば問題ないだろう、わたしは小瓶と薬の包みを取り出した。




ミリステア魔王国の薬師の薬は特に質が高いと言われている。
それは様々な種族が平等に生きる国だからこそ、薬師に様々な知識と経験が必要になるからだ。
わたしたちヒューマンに効く薬でも、ミカルガさんのような梟人《きょうじん》族には毒薬だったりすることもあるので、慎重に扱う必要があり難しい。
だからこそ、この国で薬師をする意味があるんだけどね。


「マーサーさん、すぐに元気になると良いな」


薬の説明を終え昼の服薬を見届けて、わたしは騎士寮から熱い日差しの中に戻っていた。
長居する必要もないし、さっさと薬師院に帰ろう。



近道の鍛錬場の横を通り過ぎたその時、事件は起こった。




―――――――――――――――――――


「メイシィ!おかえ……り……」


薬師院の部屋に戻ると、クリード殿下がいた。
わたしがいると思って顔を出しに来ていたんだろう。白衣を着ているあたりミカルガさんに研究の助言を頼んでいたのかもしれない。

わたしの姿を見て殿下は急激に表情を変えていった。


「メイシィ、その姿は……!?」


簡単に言うと、わたしは噴水で水浴びでもしてきたんじゃないかくらい、びしょ濡れだった。


鍛錬場の横を通り過ぎた時、丁度魔法の訓練をしていた。
水の魔法と火の魔法がぶつかり合い、轟音を立てているのを見ながら柵の向こうを歩いていたら……


『危ない、お嬢さん!』
『え』


水の中に突き落とされたんじゃないかと思うほどの衝撃。
鼻の中にまで水が入り、思わず咳き込んでいると、数人の騎士がこちらに走ってくる。


『申し訳ありません!薬師殿!』
『お怪我は!?』
『い、いいえ……なにも……』

『おい!タオルを持ってきてくれ!』


模擬戦闘で跳ね返された水がわたしに直撃したらしい。
見事にびしょびしょになったのである。



「……誰が……」


もらったタオルと夏の日差しのおかげで髪はだいぶ乾いたが、わたしは殿下の顔を見て、着替えてから戻るべきだったと激しく後悔した。

ポンッ!


「うわ!」


ポンポンポンと蓋をしていない試験管が噴き出し始めて、マリウスの代わりに手伝ってくれているトカゲ頭の通り蜥蜴《トカゲ》族の薬師が慌てて封をして回る。
その反対側では運悪く蓋を開けていたインク瓶が小爆発を起こして、ミカルガさんの机を青黒く染めていった。
ガタガタガタと音が鳴りだしたと思って振り向けば、本棚の分厚い薬草図鑑たちがひとりでに震えている。


「誰がメイシィにこんなことを……」
「で、殿下!わたしの運が悪かったのです!騎士寮の鍛錬場の近くを通っていてたまたま」
「鍛錬場だと?そんな危険なところに何故いたのかな?」


ぼ、墓穴を掘ったー!
クリード殿下の表情に怒りが混ざりはじめた。


「クレア殿、そこの蝋燭の火を消してもらえるか」
「はい、ミカルガ様!」
「アンバーは他の液体の封を!火気のある薬草や機器はすべて箱に仕舞ってくれ」
「はい!」


怒りは火の妖精が反応する。
周りがバタバタと災厄に備える中、わたしはゆっくりと近づいてくる元凶から顔を背けた。


「メイシィ」
「は、はい……えと……薬師院に戻るには近道なので……」
「近道だからといって、危険な場所を通るのかい?
鍛錬場で魔法の模擬戦闘をしていたのであれば、近くにいることがどういう意味かわからなかったとでも言うのかい?」


まったくもって正論である。
わたしは何も言い返せず肩にかけていたタオルを握った。


「メイシィ」
「ひっ」


ガシャン、とガラス器具が落ちて割れる音がした。
クレアの悲鳴とアンバーさんの落胆の叫び声が響く。

だけれどわたしの視界には何がどうなったかわからない。
わたしはクリード殿下と扉に挟まれていた。

両腕が顔の左右に置かれて、眼前に胸板が迫る。
上を向けば、目の光どころか正常な顔色すら失った殿下の顔があった。


「やはり、君を自由に行動させるのは間違っていた。城内とはいえいつ何があるかもわからない。もし水でなく火や雷の魔法だったなら……ああ!考えるだけで恐ろしいよ!近道を通ってはいけない!騎士寮に行ってはいけない!わたしの目の届かないところにいかないでくれメイシィ!」


まずいまずいまずい。
どう返す、どう止める?
クリード殿下の向こうから更にガラスの割れる音がした。
本が落ちる音もする。ミカルガさんの驚いた声もする。


「殿下、殿下、近いです、離れてください!」
「聞いてくれメイシィ、わたしは真剣な話をしているんだ!」
「いいから離れてください殿下!」
「何故だメイシィ!そんなにわたしと離れたいのか…!」


あ!
そういえばこの前クレアに借りた恋愛小説で、ヒロインが嫌がらせでバケツの水をかけられた展開があったような。
その時は確か…。



「その……化粧が……」
「………ん?」


目を丸くしてこちらを見てくる殿下に、わたしは手で顔を覆った。


「化粧……落ちてしまっているので……お見せするわけには……」
「……なっ……」

大して化粧はしてないけど。
だが、クリード殿下のうろたえた声が聞こえたので、強行突破することにした。


「で、殿下はっ、濡れたとしてもより美しい御姿となりましょう!
ですがっ!わたしはより見目悪い女になってしまうのです!

メイシィは……っ、いつも綺麗な姿をお見せしたいのです……クリード様のために……っ!」

「っ」


ぴたり、とポルターガイストが止む室内。
ガタリと膝から崩れ落ち、耳を赤くしながら口を手で覆う殿下。

いや今の発言にときめくところある!?
普通ドン引くところでは??
わたしはうわってなったよ?あの本。あのシーン。


とりあえず手の隙間からかわいいだのなんだの聞こえてきたので、触れるのは止めた。


そしてわたしは、かなり苦しい方法と羞恥心を犠牲に、災厄を阻止したのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

新婚なのに旦那様と会えません〜公爵夫人は宮廷魔術師〜

秋月乃衣
恋愛
ルクセイア公爵家の美形当主アレクセルの元に、嫁ぐこととなった宮廷魔術師シルヴィア。 宮廷魔術師を辞めたくないシルヴィアにとって、仕事は続けたままで良いとの好条件。 だけど新婚なのに旦那様に中々会えず、すれ違い結婚生活。旦那様には愛人がいるという噂も!? ※魔法のある特殊な世界なので公爵夫人がお仕事しています。

溺愛の始まりは魔眼でした。騎士団事務員の貧乏令嬢、片想いの騎士団長と婚約?!

恋愛
 男爵令嬢ミナは実家が貧乏で騎士団の事務員と騎士団寮の炊事洗濯を掛け持ちして働いていた。ミナは騎士団長オレンに片想いしている。バレないようにしつつ長年真面目に働きオレンの信頼も得、休憩のお茶まで一緒にするようになった。  ある日、謎の香料を口にしてミナは魔法が宿る眼、魔眼に目覚める。魔眼のスキルは、筋肉のステータスが見え、良い筋肉が目の前にあると相手の服が破けてしまうものだった。ミナは無類の筋肉好きで、筋肉が近くで見られる騎士団は彼女にとっては天職だ。魔眼のせいでクビにされるわけにはいかない。なのにオレンの服をびりびりに破いてしまい魔眼のスキルを話さなければいけない状況になった。  全てを話すと、オレンはミナと協力して魔眼を治そうと提案する。対処法で筋肉を見たり触ったりすることから始まった。ミナが長い間封印していた絵描きの趣味も魔眼対策で復活し、よりオレンとの時間が増えていく。片想いがバレないようにするも何故か魔眼がバレてからオレンが好意的で距離も近くなり甘やかされてばかりでミナは戸惑う。別の日には我慢しすぎて自分の服を魔眼で破り真っ裸になった所をオレンに見られ彼は責任を取るとまで言いだして?! ※結構ふざけたラブコメです。 恋愛が苦手な女性シリーズ、前作と同じ世界線で描かれた2作品目です(続きものではなく単品で読めます)。今回は無自覚系恋愛苦手女性。 ヒロインによる一人称視点。全56話、一話あたり概ね1000~2000字程度で公開。 前々作「訳あり女装夫は契約結婚した副業男装妻の推し」前作「身体強化魔法で拳交える外交令嬢の拗らせ恋愛~隣国の悪役令嬢を妻にと連れてきた王子に本来の婚約者がいないとでも?~」と同じ時代・世界です。 ※小説家になろう、ノベルアップ+にも投稿しています。※R15は保険です。

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

悪魔だと呼ばれる強面騎士団長様に勢いで結婚を申し込んでしまった私の結婚生活

束原ミヤコ
恋愛
ラーチェル・クリスタニアは、男運がない。 初恋の幼馴染みは、もう一人の幼馴染みと結婚をしてしまい、傷心のまま婚約をした相手は、結婚間近に浮気が発覚して破談になってしまった。 ある日の舞踏会で、ラーチェルは幼馴染みのナターシャに小馬鹿にされて、酒を飲み、ふらついてぶつかった相手に、勢いで結婚を申し込んだ。 それは悪魔の騎士団長と呼ばれる、オルフェレウス・レノクスだった。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

処理中です...