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第20話 いいよ
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時は流れ、世界は変質していく。
遠い出来事であった戦争は激化の一途を辿り、それに合わせて技術も発展していく。5年前までは考えられなかったような強力な魔法生物と魔導兵器の登場で、戦火は土地を侵食し、人の住める場所は減っていた。
かといって、そんなことは私のような一般人にはほとんど関係のない話ではある。遠くの地で戦争が起きていようと、私はこの家から出ることはないのだから。
そう、あの赤く染まる教室からは10年が経っていたけれど、未だに私はこの家から出れてはいない。私は本当に何も変わってはいない。彼女によれば、私の寿命は残り15年ほどしかないようだけれど、でも、そんなことは考えられない。
何かをしたいとも、何かをしようとも思えない。未だに世界への破壊衝動は消えないけれど、でも、そのために何かをできるほど私は強くない。私はただ、彼女を眺めることしかできない。
ユキは学校を卒業し、起業し、今はどこかの社長になった。親の企業を乗っ取ったとかなんとか。何をしているかはあまり知らないけれど、情報番組や、広域情報網でも彼女の名や顔を見かける回数は明らかに増えている。
元々彼女は、美しく清い存在なのだから、そういった露出が増えるだけで、人望は増えていく。世間でも彼女は人気者になっている。それは当然のことなのだろうけれど。でも、ほんとに遠い存在になったようで……少し、苦しい。
いや、元々遠い存在ではあった。彼女の周りには最初から無数の人がいて。無数の人を惹きつける人であったのだから、私のような者が近づける人ではなかった。
それに彼女の周りにどれだけの人が増えても、ほぼ毎日この家へと帰ってきてくれる。疲れているだろうに、私と関わる時間を残してくれる。彼女のいない夜を過ごしたことは数回しかない。
でも確実に私といる時間は減っている。
それは同時に彼女の社会的立場の上昇を示している。関わる人が増え、やれることが増え、後のためにやらなければならないことをが多くて、帰る時間はどんどんと遅くなっている。
だから、必然的に私が独りでいる時間も増えていく。この広い家で独りでいるのは、寂しくて、何もすることはなくて、ただ悲しいだけなのだけれど。
でも、それも全て私達の願いである人類殲滅計画のためであることを知っているから、何も言わない。何かを言える立場に私はいない。
どちらかとえいば、変わらなくてはいけないのは私の方なのだろう。彼女が私のために動いているのだから、それに不満を覚えるのはおかしな話なのだから、私は変わらなければいけないのだと思う。現状を変えたいのなら、私が変わるべきなのだと思う。
けれど、それは無理なのだろう。
だから、私は世界を変えたくて仕方がないのだろう。壊したくて仕方がないのだろう。
そのための人類殲滅計画なのだけれど、そちらも着々と準備は進んでいるらしい。時折、彼女が計画を話してくれるけれど、あまり理解はしていない。とにかくいくつかの案を用意して、そのいずれか又はその全てで、計画を達成する予定、らしい。
魔力爆弾を起爆剤とした地脈活動の暴走。
魔力生成器を利用した魔力濃度上昇による魔力汚染の拡大。
魔導兵器の思考回路汚染による暴走。
魔法生物群全体を操る魔法生物の暴走。
大規模水源の魔力汚染。
上空からの天罰を利用した文明の破壊。
などなど。様々な事を言っていた。正直、どれも夢物語に過ぎないと思うのだけれど、彼女の手にかかれば、それは可能な事になるのだろう。あとどれぐらいでできるのかはわからないけれど、あとは実証を行うだけとは言っていた。
それはいいのだけれど。
それは素晴らしいのだけれど。
でも、最近のユキはなんだか本当に私から離れていく気がする。いや、わかっている。彼女は元々私とは遠い世界に住んでいるのだから、それが当然なことぐらいは。離れている方が自然なことくらいは、わかっている。
でも、私といてくれると約束したのに。
もしかして、そろそろなのだろうか。私の恐れる事態が来るのは。
私の恐れる、彼女の気づきの時期が来るのは。
外で多くの関わりを持っているようだから、気づいてしまったのだろうか。
私という存在の醜さに。いや、気づいてはいたはずだ。私は彼女に全てを見られているのだから。けれど、彼女の中に比較対象がなかっただけなのかもしれない。関わりが増え、他の人と関わった彼女からすれば、私など取るに足らない存在であると気づいてしまったのかもしれない。
彼女は私を捨てるかもしれない。私など、嫌われても文句などは言えないのだから。私はただの、彼女の足枷に過ぎない存在なのだから。
信じたくはない。
信じてなどいない。
でも、心のどこかで思ってしまう。
不安になってしまう。思わずにはいられない。
ユキが私を見捨てるのではないかと。
そして、ある夜。
私は独りだった。
彼女は嵐で帰れなくなったと語り、私は独りで夜を過ごすことになった。
こんなことは初めてではない。様々な事情で、彼女が帰れなくなるのは。
でも、ここ数年はなかったことで。
彼女が学校を卒業してから初めてのことでもあった。
私は、独りで泣くこともせず、ただ暗い壁を見つめていた。
こうしてこの広い家で独りでいると、本当に独りになっている気がする。彼女にも捨てられ、この広大で窮屈な世界で、ただ独り。
強い風と雨が、窓を揺らす。
遠くで雷の鳴る音が微かに聞こえる。
もしも。
もしも、彼女が帰ってこなければ。
そうなれば、どうしたらいいのだろう。
軽く視界を振り、脳裏に焼き付く不安を払い落とそうとするけれど、そんなことをできるはずもなく、私は絡み合い、混ざり合った不安と恐怖と、そして怒りの中に囚われたまま。
そんな私を支えるのは、結局のところ彼女の言葉ではある。
私が好きだと、私を愛すると、私に全てを捧げると、彼女はそう言った。そのはずなのだけれど。
本当に、そうなのだろうか。
これは私の妄想でしかないのだろうか。
私は未だに寒く小さいあの家で、名も忘れた同級生に殺されそうになっているのではないだろうか。そして、彼女は私の死体を見て笑う……いや、彼女は私のことなど気にもかけず、数日もすればすべて忘れ、普段通りの生活へと戻っていく。
それよりも前からかもしれない。
彼女と休日に出かけたことも、彼女と屋上で話したことも、彼女に好きだと言われたこともすべて……私の思い込みでしかないのではないだろうか。
もしもそうなのなら、もしも感じていることが全て夢だとしたら。
その考えを否定するものはない。否定することなどできない。
でも、それなら夢から覚めなければいい。ずっと夢の中にいればいいのに。私は目覚めようとしているのだろうか。どうすれば、夢の中で終われるのだろう。
結局、私は一睡もできず、彼女の帰宅時間になった。
彼女は静かに家の中へと入ってきた。まだ寝ているかもしれない私を気遣っているのだろうということはわかっていたはずなのだけれど、その時の私には隠れているようにしか感じなくて。
「あ、ミリア、起きてたんだ。早起きだね。それとも、起こしちゃった?」
私は寝床の上で座り込んだまま、彼女に視線を向ける。
彼女の薄っすらと赤くした鼻は、外の寒さによるものだろうか。それとも、もっと別の熱を持つものによってだろうか。
「そうだ、何か作ろうか。暖かいものとか」
私の思考はだんだんと濁っていく。
眠っていないからだろうか。
自分でもあまり何も考えているかわからない。
荒れた波の音が聞こえる。海など遥か遠くなのに。
「これ、貰ったんだ。人気のお菓子らしいよ」
彼女が机に置いた小さな箱は随分と豪勢な装飾の施されたもので、彼女に気がある人が贈ったものなのであることは、簡単に想像がついた。
それを見て、私はゆっくりと立ち上がり、彼女へと歩み寄る。
雷の光が見える。もう嵐は過ぎ去っているのに。
「みんな、みんなから貰ったんだね。ユキは……」
「どうしたの?」
一歩ずつ暗がりの寝室から、明るい彼女のいる部屋へと歩みを進める。
「ユキはいつも。いつもみんなと仲良くできて。私は、私はずっと独りなのに。もう私なんて、要らないくせに。必要じゃないくせに。ずっと外に行って」
「大丈夫? 何かあった?」
彼女は心配そうに私を見る。
けれど、それも今の私には何かを取り繕ったものにしか見えなくて。
「私なんて……私のことなんて好きじゃないくせに」
「み、ミリア……? どうしたの?」
私はもう自分を制御できていなかった。
またしても私は自分の精神を制御できない。
溢れ出る悪感情に私は呑まれていた。
視界が暗くなる。
けれど、どうしてか彼女だけは正確に視認できて。
「殺す!」
彼女の美しい首に手をかけ、全体重とともに彼女を押し倒した。
大きな音と共に、机が倒れ、お菓子の箱が潰れる。
そのまま、腕に力をかけ、首を絞める。
「み、みり……あ……?」
「殺してやる! 私から逃げるなら! 私から離れるなら! また独りになるぐらいなら、殺してやる! 私を独りにするなら、殺してやる! ユキが悪いんだから! ずっと、ずっと一緒にいるって言ったのに! だから! それなら! 私を嫌いになるなら! 殺してやる!」
私は叫んで。
そして、力を込めた。
彼女の冷たくか細い首はどんどん押し込まれる。
小さな息が。彼女の次第になっていく息が。
薄っすらと聞こえて、同時に私は喉を傷めながら、荒い息を吐いていた。
「み」
彼女は何かを言おうとしたようだけれど、苦悶に表情を歪めるだけで、何も言わない。言えない。息ができないのだから、言葉が出ないのだろう。
それでも彼女の手が私の腕を優しく撫でる。抵抗ではない。ただいつものように、優しく熱を伝えるように、私を撫でる。
それで気づく。
彼女の苦し気な表情の奥にある許容に。
「いいよ」
それは言葉にはならなかったけれど、彼女はそう語っていた。
もう10年も彼女のことばかり見ていたのだ。それぐらいは、鈍感な私でも察することができる。それがわかれば私は。
「ぁ……」
それに気づけば、私の力は抜け、ただ崩れ落ち、座り込むことしかできなかった。力を込めすぎて痛む腕をぶら下げながら、彼女の方を見る。
「こほっ……」
彼女は咳き込みながらも必死に息をしていた。
その首は絞殺の痕で赤く染まっていて、その痕を彼女は幸せそうに撫でている。
「……なんで、受け入れたの? 殺されるのを……」
彼女は私に殺される気でいた。何故という疑問は見えど、同時に私を受け入れる心が見えた。見えてしまった。だから私は冷水をかけられたようになった。
冷静になれば、彼女が本気で抵抗すれば、私など簡単に振り払うことなどできたはずなのに。彼女は私の凶行を受け入れていた。
「ごほっ、ミリアに殺されるなら、いいかなって。もちろん死にたいわけじゃないけれど……でも、私、ミリアになら、殺されてもいいよ」
彼女はそんなことを軽く話してしまうのだから、そんな彼女なのだから、不自然なほどに美しく綺麗に見えるのだろう。私の醜さを照らすように。
「ごめん……ごめんなさい。本当に……私……」
涙が溢れ出る。
私がすべて悪いというのに、私は被害者のような面で涙を流す。本当に醜い。醜悪で、害悪で、劣悪で、邪悪な……
「ううん。いいよ。私は気にしてないから。それよりもミリアは大丈夫? 何かあったんだよね?」
私はその言葉に首を横に振る。
「ち、違う……何も、何もなくて……ただ私が、私が弱いから……私は……私はなんで、こんな。こんなこと……したいわけじゃ……私は、私は違う、もう全部……違う、私、私なんて……も、もう嫌いになったよね……ううん、当然だよ。殺そうとしたんだから……私は、私は本当にユキを殺すところだったんだから……私なんか……本当に私なんか消えちゃえばいいのに……」
まただ。
また私は、彼女の顔を見れない。
ユキがどんな顔をしているのか確認したくない。
私を嫌い、敵視する表情をしているかと思えば、私は視界を下げるしかなくなる。
「これぐらいで嫌いにならないよ。なるわけない。好きな人に触れられて、嫌なわけないよ」
でも、いつもユキは私の欲しい言葉をくれる。
本当は私の心も読めるのではないかと疑ってしまうほどに、私の求めている言葉とそして温もりをくれる。今まさに彼女を殺そうとした私を抱きしめ頭を撫でてくれる。
「どうしたの? また不安にさせちゃった? 大丈夫だよ。嫌いになんてならないから。ずっと大好きだよ」
目を開ければ、視界はぼやけたままだった。いつまでも、私は泣いている。私は本当に身勝手だ。私が傷をつける側だというのに、私はまたしても傷をつけた彼女に慰めてもらっている。彼女の優しさに甘えている。
「ゆ、ユキが……どこかに行くのが怖くて……私を、私を置いていかないで……独りにしないで……私以外に笑いかけないで……どこかに行っちゃやだ……私の、私のそばに……私の心の傍にずっといて……どこかにもいかないで。外なんか、外なんか行かないで。私、私と一緒にいて。誰かに、誰かにとられちゃう。私、私以外の人を好きになっちゃうなんて、嫌だ……嫌だから、私の傍にずっといて……私を、私以外の人を見ないで……」
私の不安から生まれた、本当に身勝手すぎる要求に、彼女は告げる。
「わかった」
遠い出来事であった戦争は激化の一途を辿り、それに合わせて技術も発展していく。5年前までは考えられなかったような強力な魔法生物と魔導兵器の登場で、戦火は土地を侵食し、人の住める場所は減っていた。
かといって、そんなことは私のような一般人にはほとんど関係のない話ではある。遠くの地で戦争が起きていようと、私はこの家から出ることはないのだから。
そう、あの赤く染まる教室からは10年が経っていたけれど、未だに私はこの家から出れてはいない。私は本当に何も変わってはいない。彼女によれば、私の寿命は残り15年ほどしかないようだけれど、でも、そんなことは考えられない。
何かをしたいとも、何かをしようとも思えない。未だに世界への破壊衝動は消えないけれど、でも、そのために何かをできるほど私は強くない。私はただ、彼女を眺めることしかできない。
ユキは学校を卒業し、起業し、今はどこかの社長になった。親の企業を乗っ取ったとかなんとか。何をしているかはあまり知らないけれど、情報番組や、広域情報網でも彼女の名や顔を見かける回数は明らかに増えている。
元々彼女は、美しく清い存在なのだから、そういった露出が増えるだけで、人望は増えていく。世間でも彼女は人気者になっている。それは当然のことなのだろうけれど。でも、ほんとに遠い存在になったようで……少し、苦しい。
いや、元々遠い存在ではあった。彼女の周りには最初から無数の人がいて。無数の人を惹きつける人であったのだから、私のような者が近づける人ではなかった。
それに彼女の周りにどれだけの人が増えても、ほぼ毎日この家へと帰ってきてくれる。疲れているだろうに、私と関わる時間を残してくれる。彼女のいない夜を過ごしたことは数回しかない。
でも確実に私といる時間は減っている。
それは同時に彼女の社会的立場の上昇を示している。関わる人が増え、やれることが増え、後のためにやらなければならないことをが多くて、帰る時間はどんどんと遅くなっている。
だから、必然的に私が独りでいる時間も増えていく。この広い家で独りでいるのは、寂しくて、何もすることはなくて、ただ悲しいだけなのだけれど。
でも、それも全て私達の願いである人類殲滅計画のためであることを知っているから、何も言わない。何かを言える立場に私はいない。
どちらかとえいば、変わらなくてはいけないのは私の方なのだろう。彼女が私のために動いているのだから、それに不満を覚えるのはおかしな話なのだから、私は変わらなければいけないのだと思う。現状を変えたいのなら、私が変わるべきなのだと思う。
けれど、それは無理なのだろう。
だから、私は世界を変えたくて仕方がないのだろう。壊したくて仕方がないのだろう。
そのための人類殲滅計画なのだけれど、そちらも着々と準備は進んでいるらしい。時折、彼女が計画を話してくれるけれど、あまり理解はしていない。とにかくいくつかの案を用意して、そのいずれか又はその全てで、計画を達成する予定、らしい。
魔力爆弾を起爆剤とした地脈活動の暴走。
魔力生成器を利用した魔力濃度上昇による魔力汚染の拡大。
魔導兵器の思考回路汚染による暴走。
魔法生物群全体を操る魔法生物の暴走。
大規模水源の魔力汚染。
上空からの天罰を利用した文明の破壊。
などなど。様々な事を言っていた。正直、どれも夢物語に過ぎないと思うのだけれど、彼女の手にかかれば、それは可能な事になるのだろう。あとどれぐらいでできるのかはわからないけれど、あとは実証を行うだけとは言っていた。
それはいいのだけれど。
それは素晴らしいのだけれど。
でも、最近のユキはなんだか本当に私から離れていく気がする。いや、わかっている。彼女は元々私とは遠い世界に住んでいるのだから、それが当然なことぐらいは。離れている方が自然なことくらいは、わかっている。
でも、私といてくれると約束したのに。
もしかして、そろそろなのだろうか。私の恐れる事態が来るのは。
私の恐れる、彼女の気づきの時期が来るのは。
外で多くの関わりを持っているようだから、気づいてしまったのだろうか。
私という存在の醜さに。いや、気づいてはいたはずだ。私は彼女に全てを見られているのだから。けれど、彼女の中に比較対象がなかっただけなのかもしれない。関わりが増え、他の人と関わった彼女からすれば、私など取るに足らない存在であると気づいてしまったのかもしれない。
彼女は私を捨てるかもしれない。私など、嫌われても文句などは言えないのだから。私はただの、彼女の足枷に過ぎない存在なのだから。
信じたくはない。
信じてなどいない。
でも、心のどこかで思ってしまう。
不安になってしまう。思わずにはいられない。
ユキが私を見捨てるのではないかと。
そして、ある夜。
私は独りだった。
彼女は嵐で帰れなくなったと語り、私は独りで夜を過ごすことになった。
こんなことは初めてではない。様々な事情で、彼女が帰れなくなるのは。
でも、ここ数年はなかったことで。
彼女が学校を卒業してから初めてのことでもあった。
私は、独りで泣くこともせず、ただ暗い壁を見つめていた。
こうしてこの広い家で独りでいると、本当に独りになっている気がする。彼女にも捨てられ、この広大で窮屈な世界で、ただ独り。
強い風と雨が、窓を揺らす。
遠くで雷の鳴る音が微かに聞こえる。
もしも。
もしも、彼女が帰ってこなければ。
そうなれば、どうしたらいいのだろう。
軽く視界を振り、脳裏に焼き付く不安を払い落とそうとするけれど、そんなことをできるはずもなく、私は絡み合い、混ざり合った不安と恐怖と、そして怒りの中に囚われたまま。
そんな私を支えるのは、結局のところ彼女の言葉ではある。
私が好きだと、私を愛すると、私に全てを捧げると、彼女はそう言った。そのはずなのだけれど。
本当に、そうなのだろうか。
これは私の妄想でしかないのだろうか。
私は未だに寒く小さいあの家で、名も忘れた同級生に殺されそうになっているのではないだろうか。そして、彼女は私の死体を見て笑う……いや、彼女は私のことなど気にもかけず、数日もすればすべて忘れ、普段通りの生活へと戻っていく。
それよりも前からかもしれない。
彼女と休日に出かけたことも、彼女と屋上で話したことも、彼女に好きだと言われたこともすべて……私の思い込みでしかないのではないだろうか。
もしもそうなのなら、もしも感じていることが全て夢だとしたら。
その考えを否定するものはない。否定することなどできない。
でも、それなら夢から覚めなければいい。ずっと夢の中にいればいいのに。私は目覚めようとしているのだろうか。どうすれば、夢の中で終われるのだろう。
結局、私は一睡もできず、彼女の帰宅時間になった。
彼女は静かに家の中へと入ってきた。まだ寝ているかもしれない私を気遣っているのだろうということはわかっていたはずなのだけれど、その時の私には隠れているようにしか感じなくて。
「あ、ミリア、起きてたんだ。早起きだね。それとも、起こしちゃった?」
私は寝床の上で座り込んだまま、彼女に視線を向ける。
彼女の薄っすらと赤くした鼻は、外の寒さによるものだろうか。それとも、もっと別の熱を持つものによってだろうか。
「そうだ、何か作ろうか。暖かいものとか」
私の思考はだんだんと濁っていく。
眠っていないからだろうか。
自分でもあまり何も考えているかわからない。
荒れた波の音が聞こえる。海など遥か遠くなのに。
「これ、貰ったんだ。人気のお菓子らしいよ」
彼女が机に置いた小さな箱は随分と豪勢な装飾の施されたもので、彼女に気がある人が贈ったものなのであることは、簡単に想像がついた。
それを見て、私はゆっくりと立ち上がり、彼女へと歩み寄る。
雷の光が見える。もう嵐は過ぎ去っているのに。
「みんな、みんなから貰ったんだね。ユキは……」
「どうしたの?」
一歩ずつ暗がりの寝室から、明るい彼女のいる部屋へと歩みを進める。
「ユキはいつも。いつもみんなと仲良くできて。私は、私はずっと独りなのに。もう私なんて、要らないくせに。必要じゃないくせに。ずっと外に行って」
「大丈夫? 何かあった?」
彼女は心配そうに私を見る。
けれど、それも今の私には何かを取り繕ったものにしか見えなくて。
「私なんて……私のことなんて好きじゃないくせに」
「み、ミリア……? どうしたの?」
私はもう自分を制御できていなかった。
またしても私は自分の精神を制御できない。
溢れ出る悪感情に私は呑まれていた。
視界が暗くなる。
けれど、どうしてか彼女だけは正確に視認できて。
「殺す!」
彼女の美しい首に手をかけ、全体重とともに彼女を押し倒した。
大きな音と共に、机が倒れ、お菓子の箱が潰れる。
そのまま、腕に力をかけ、首を絞める。
「み、みり……あ……?」
「殺してやる! 私から逃げるなら! 私から離れるなら! また独りになるぐらいなら、殺してやる! 私を独りにするなら、殺してやる! ユキが悪いんだから! ずっと、ずっと一緒にいるって言ったのに! だから! それなら! 私を嫌いになるなら! 殺してやる!」
私は叫んで。
そして、力を込めた。
彼女の冷たくか細い首はどんどん押し込まれる。
小さな息が。彼女の次第になっていく息が。
薄っすらと聞こえて、同時に私は喉を傷めながら、荒い息を吐いていた。
「み」
彼女は何かを言おうとしたようだけれど、苦悶に表情を歪めるだけで、何も言わない。言えない。息ができないのだから、言葉が出ないのだろう。
それでも彼女の手が私の腕を優しく撫でる。抵抗ではない。ただいつものように、優しく熱を伝えるように、私を撫でる。
それで気づく。
彼女の苦し気な表情の奥にある許容に。
「いいよ」
それは言葉にはならなかったけれど、彼女はそう語っていた。
もう10年も彼女のことばかり見ていたのだ。それぐらいは、鈍感な私でも察することができる。それがわかれば私は。
「ぁ……」
それに気づけば、私の力は抜け、ただ崩れ落ち、座り込むことしかできなかった。力を込めすぎて痛む腕をぶら下げながら、彼女の方を見る。
「こほっ……」
彼女は咳き込みながらも必死に息をしていた。
その首は絞殺の痕で赤く染まっていて、その痕を彼女は幸せそうに撫でている。
「……なんで、受け入れたの? 殺されるのを……」
彼女は私に殺される気でいた。何故という疑問は見えど、同時に私を受け入れる心が見えた。見えてしまった。だから私は冷水をかけられたようになった。
冷静になれば、彼女が本気で抵抗すれば、私など簡単に振り払うことなどできたはずなのに。彼女は私の凶行を受け入れていた。
「ごほっ、ミリアに殺されるなら、いいかなって。もちろん死にたいわけじゃないけれど……でも、私、ミリアになら、殺されてもいいよ」
彼女はそんなことを軽く話してしまうのだから、そんな彼女なのだから、不自然なほどに美しく綺麗に見えるのだろう。私の醜さを照らすように。
「ごめん……ごめんなさい。本当に……私……」
涙が溢れ出る。
私がすべて悪いというのに、私は被害者のような面で涙を流す。本当に醜い。醜悪で、害悪で、劣悪で、邪悪な……
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私はその言葉に首を横に振る。
「ち、違う……何も、何もなくて……ただ私が、私が弱いから……私は……私はなんで、こんな。こんなこと……したいわけじゃ……私は、私は違う、もう全部……違う、私、私なんて……も、もう嫌いになったよね……ううん、当然だよ。殺そうとしたんだから……私は、私は本当にユキを殺すところだったんだから……私なんか……本当に私なんか消えちゃえばいいのに……」
まただ。
また私は、彼女の顔を見れない。
ユキがどんな顔をしているのか確認したくない。
私を嫌い、敵視する表情をしているかと思えば、私は視界を下げるしかなくなる。
「これぐらいで嫌いにならないよ。なるわけない。好きな人に触れられて、嫌なわけないよ」
でも、いつもユキは私の欲しい言葉をくれる。
本当は私の心も読めるのではないかと疑ってしまうほどに、私の求めている言葉とそして温もりをくれる。今まさに彼女を殺そうとした私を抱きしめ頭を撫でてくれる。
「どうしたの? また不安にさせちゃった? 大丈夫だよ。嫌いになんてならないから。ずっと大好きだよ」
目を開ければ、視界はぼやけたままだった。いつまでも、私は泣いている。私は本当に身勝手だ。私が傷をつける側だというのに、私はまたしても傷をつけた彼女に慰めてもらっている。彼女の優しさに甘えている。
「ゆ、ユキが……どこかに行くのが怖くて……私を、私を置いていかないで……独りにしないで……私以外に笑いかけないで……どこかに行っちゃやだ……私の、私のそばに……私の心の傍にずっといて……どこかにもいかないで。外なんか、外なんか行かないで。私、私と一緒にいて。誰かに、誰かにとられちゃう。私、私以外の人を好きになっちゃうなんて、嫌だ……嫌だから、私の傍にずっといて……私を、私以外の人を見ないで……」
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