破滅少女は溺れない

のゆみ

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第16話 深い闇の中

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 目が覚めると、同時に目に入ってきたのは妙に明るい真っ白い天井の下に私は寝かされていた。起き上がり、周囲を見渡す。そこは恐らく、病院の個室であった。点滴と思われるものが、私の腕に付けられている。
 どうして、こんなところにいるのだろう。いや、何があったのだろうか。どうにも記憶が曖昧で、うまく思い出せない。

 頭を抱えて、思い出す。
 あふれるばかりの敵意と、そして熱気と冷気。
 飛び散る肉片と、強烈な憎しみ。

 記憶が溢れ出てきて、思わず私はえずくけれど、何も戻りはしない。腹の中にはなにもないようだった。
 それで気づく。布団をぺらりとめくり見てみれば、腹も、足も、腕も、全てが随分と綺麗に存在している。

 あんなに痛めつけられたのだから、だめになっていてもおかしくはないと思ったけれど。まるで作り直されたような……いや、それどころか、私はあそこで死んでいてもおかしくはなかったはずだ。
 名も知らない女は、私への殺意をむき出しにしていたし、殺すためのものはすべてそろっていた。それを止めるものは何もなかったはずなのに。どうして私はまだ生きているのだろう。

 その疑問に答えるものはいない。白い部屋で一人、私はなんとなしに窓を見ていた。窓の外では、鳥が鳴いている。何も知らなさそうに。

 何をするでもなく、何をすればいいのかもわからず、ただそこにいれば、私の思考は、自然と直前の記憶へと馳せることになる。

 あの時、私は、死んでも構わないと思っていた。思ってしまった。もちろん、死ぬことは嫌だったし、最大限の抵抗をしたけれど、心のどこかでは、その抵抗が無意味であることを知っていたし、そして無数に降りかかる悪意と敵意、つまりは罰に私はもううんざりしていた。もうあそこで死ぬのなら、それはそれで仕方のないことであると心のどこかで思ってはいた。

 しかし、私は生き延びてしまったようで、またしても罰は続くのだろうか。そのために生かされているのだろうか。また、誰かが私を攻撃しにくるのだろうか。そんな恐れが心の中を支配している。

 少なくとも、あの学級にいる人は、全員私の敵だろう。二度と会いたくはない。想像するだけで、泣きたくなってくる。でも、彼らの可哀想だなと少し思う。私などと関わることになってしまって。私のような怪物と関わることになってしまって。

 彼らは私に強烈な敵意を向け、憎しみを向け、私を傷つけたけれど。でも、それが人の本来の姿ではないはずだ。人とは本来は優しいものなはずだ。そうではなくてはおかしい。魔神様だって、聖典の中ではそう語っている。

 落とし物を届けてくれた誰かも。傘を貸してくれた名前も知らないおばあさんも。転んだ私を心配してくれたお兄さんも。全員優しかったはずだ。だから、人は優しいはずなんだけれど。

 でも、私と関わっていれば、皆が狂暴になっていく。優しさを忘れていく。それが私の社会に与える影響なのではないか。私の狂暴性と醜さにあてられ、皆が攻撃性を増してしまうなら、私はやはり怪物で、死んでしまうべきなのだろう。存在してはいけない生物なのだろう。

 そして、だからこそ、まだ罰は続くのだろう。
 次の罰はどこからくるのだろうか。誰が、私を責めるのだろうか。

 怖い。
 恐ろしい。

 扉の開く音がする。
 恐怖と共にそちらを見れば、そこには純白の髪を持つ彼女が立っていた。
 彼女は、私と目を合わせれば、歓喜の表情で涙を流した。

「ミリア!」

 久しぶりに見たユキは随分とやつれていた。
 彼女は私に駆け寄る。
 その姿に私は想像以上に緊張する。まるで彼女と最初に出会った頃のような緊張が私に走った。それを悟られないように、彼女に努めて笑いかける。

「目が覚めたんだね。ミリア、もう半月も寝てたんだよ。私心配で、失敗したんじゃないかって……でも、本当に目が覚めて良かった……」
「私は、うん。大丈夫だよ。ユキも帰ってきたんだね」

 彼女はとりあえず無事のようだった。随分と危険なところへと行っていたはずだけれど、怪我はないようだった。それにほっとするけれど、心のどこかで私は彼女にこれ以上近づいてほしくないと思っていた。穢れている私にこれ以上触らないで欲しい。彼女も汚れてしまうから。

「帰ってきた。帰ってきたよ。でも、ミリアがこんな……こんなことになるなら私……行くんじゃなかった。行かなければ良かった。ずっとそばにいればよかった……私が、私が過去に囚われていたせいで……」

 彼女は泣いていた。そこには後悔が見えた。けれど、それは多分、私のせいで。彼女に後悔などしてほしくはなかったから悲しかったけれど、同時に私は喜んでいた。

 私のために泣いてくれる彼女が、私は心底欲しい。
 ……私と共に、彼女が穢れてくれるのなら、どれだけ良いだろう。

「別に、うん。色々あったけれど……ユキのせいじゃないよ。全然。多分、私のせいだよ。全部、私が悪いんだ」

 言い聞かせるように。私はそう呟く。
 自らの中に出てきた醜い思考を押し殺すように。

「そんなことないよ! ミリアが悪いなんてことはない!」

 彼女はそう叫んで、私の肩を掴む。
 久しぶりの彼女の体温は、暖かかった。

 でも、同時に。
 私は。

 私は、吐いた。
 何もない胃の中身を全て吐き出すように。

「み、ミリア? 大丈夫!?」

 私は自分に驚愕と嫌悪を覚えずにいられなかった。
 私は、私は今。

 彼女に触れられて、気分が悪くなっている。
 なんで。どうして。
 いや、理由は分かっている。

 ただ、単純な話。
 私は、彼女を恐れている。
 彼女に触られ、傷つけられるのを恐れている。
 同時に彼女に、穢れた私を知られ、触れられるのを恐れている。

 その事実が、たまらなく嫌だった。
 本当に、私は私が嫌いになる。

「っ、ごめん。ごめんだけれど、もう少し、は、離れて……」
「ぇ」
「離れてっ。お願い……触らないで……」

 その時の彼女の表情は、本当に辛そうだった。
 こんなこと言いたくはなかった。

 でも。でも。
 本当に苦しくて。
 これ以上目を開けていたくはなかった。
 彼女の目を見れない。どんな顔をしているのか見れない。
 もしもそこに、私を嫌う彼女がいると思うと。

「ご、ごめんね。しんどい時に。また。またくるよ。話さなくちゃいけないこともたくさんあるし……それじゃ……また。また、来ても、いいよね?」
「……うん」

 こうして彼女は病室から出ていった。
 酷い嫌悪が私を包む。

 皆が私を憎んでいたけれど、一番私を憎んでいるのは私だろう。
 こんなにも醜い私を誰が好くというのだろうか。やはりキリシアの言葉通り、ユキにも嫌われるだろう。いや、嫌われるべきなのだろう。

 その後は看護師が来て、吐瀉物にまみれた布団を取り換えてくれた。
 ここは私の想像通り、病室らしい。それからは、医者と思わしき人が来て、何かを置いていった。

 彼らが近づいてきた時も、私は何度も吐きそうになってしまったけれど、なんとかこらえていた。それは彼らは私に必要以上に近づかないようにしていたこともあるし、それに私には絶対に触れようとはしなかった。その様子はなんだか怯えてるようでもあった。そのことをわざわざ聞くことはしなかったけれど。

 医者の置いていった書類は、私の病状について書かれたものだった。
 こういうのは大抵、医者本人が話すもので、こういう書類を見せるのはあまり良くないような気がするのだけれど、そこまでして、彼らは私と話す気はないらしい。私としては、助かることだけれど。私も今は誰かと話せる気分ではない。

 そこには、私が昏睡状態であったこと、体内の魔力濃度が異常に高いこと、そして、それ以外の異常は見られなかったことが書かれていた。

 つまりは、目立った外傷などはなかったらしい。
 私はあの時、下半身は吹き飛ばされてもおかしくなかったはずだし、腕や足に関しては、明らかに魔力弾が貫通していたような気がするけれど。あれは夢か何かだったのだろうか。

 ……いや、そんなわけはない。
 あれだけの敵意を持った人が、あれだけの痛みが、幻想だとは思えない。

 なら。なら一体、私の身に何があったのだろう。
 病院側が把握していないというのなら、それはここに来た時点であれだけの怪我を治しているということになる。別の病院で治して、この病院に輸送されてきたとか……? いや、それならそうとわかるように書かれているはずだし……

 おかしなことばかりだ。
 よく考えてみれば、いくら再生医療の発展した現代とは言えど、下半身が吹き飛ばされた人を再生することはできるのだろうか。医療には詳しくないけれど、それがとても難しいことであるのはわかる。

 それこそ、もっとも高度な再生医療設備であれば、全身再生ぐらいできるのかもしれないけれど……そういうものは孤児である私が使えるものではないはずだ。それに、そこまでのものが近くにあるとは思えない。

 疑問はまだある。
 起きた時も思ったけれど、私にへと強い敵意を向けていた女が私を殺さなかったことはおかしい。私の最後の記憶の状況からすれば、私は殺されていたはずだ。

 つまり、私は助けられたのだ。それが偶然現れた何かの可能性はあるけれど、助けてくれたのは恐らく、ユキだろう。彼女が帰ってきて、私を助けてくれたのだろう。そう考えるのが、一番自然なのではないだろうか。

 いや、都合よく彼女が私を救ってくれたと考えるのは、どうにも都合が良すぎるきもするけれど……助けられたという事実があることから逆算して考えるのなら、ユキにより助けられたと考える以外に選択肢はない……気がする。

 つまり、私は。
 私は、命の恩人のことを拒絶した。
 触らないでほしいと。

 私はもう。本当にもう。
 だめだ。何をしているのだろう。
 私は何なのだろう。
 私は、一番大切なはずの恋人で命の恩人の彼女すら恐れてしまうような人になってしまった。本当に私は穢れきっている。

 私は怪物で。全てを飲み込む。
 私があの世界にいるのなら。私の印象世界にいるのなら。
 きっと私は、あの暴風と大海と流星を生み出した元凶なのではないか。世界の害悪の源なのではないか。それとも、そのすべてにより殺されようとしている世界の敵が私なのだろうか。

 せめて。せめて、ユキに手を握ってもらえたら。少しは安心できるのだろうか。
 でも、でもそれは無理だ。

 ユキに触れられれば、私はまた吐いてしまうだろう。
 私にはわかる。私のことすら半端にしかわからない私だけれど、それぐらいのことはわかる。
 それは彼女が美しいから。私という穢れに触れて、彼女を穢すことがたまらなく嫌なのだろう。そして、それよりも単純に、彼女が、人が恐ろしい。また、またしても、誰かが私を傷つけるのではないかって。

 なんで。どうして。
 こんな私になってしまったのだろう。
 こんな私など、死んでしまえばいいのに。

 そうして、死ぬしかないと確信したところで、死ぬ勇気が突然出るわけでもなく、ただ空を眺めていた。空はずっと明るく、世界を照らしている。本当に眩しい。けれど、窓を閉める気もおきず、本当になんとなしに窓を見ていた。

 私の身体は、自分でも驚くぐらい異常はなかったけれど、唯一の異常である体内魔力濃度の影響か、経過観察だのなんだのもう少しこの病院にいることになるらしい。その間はこの病室に独りいることになる。

 今思えば、この病室も随分と高いはずだし、治療費なども高額なはずだ。私には手も足も出ないほどの金額だろう。

 それも多分彼女が、ユキが、払ってくれているのだろう。もしくはこの病院自体に彼女が多大な影響力を持っているとか、そういう感じなのではないだろうか。実際、私に必要以上に近づかない医者や看護師達の裏にいるのは、ユキのようだから、多少なりとも影響力はあるのだろう。結局、私は彼女におんぶにだっこなのだろう。対等とは程遠い。

 そんなことでいいのだろうか。私は、独りで歩いてみたいと思っていたけれど。結局、そんなことはできなかったということなのだろう。
 私が歩こうとすれば、人の憎しみを買ってしまう。それは私が怪物だからなのだろうし、そんな私は死んでしまうべきなのだと思う。

 誰にも認められないなら、生きている価値などない。私が誰も認めることができないのなら、生きている意味などない。存在理由が存在していない。早く死んでほしいけれど。
 死ぬことすら、独りでは難しい。どうやって死ねばいいのだろうか。
 独り病室にいれば、ただそんなことばかり考えてしまう。
 でも、ずっと独りなわけではない。

 ユキは、毎日のように病室にきてくれる。私が目覚めてからの3日間、毎日彼女は来てくれた。初日に、あんなに酷い拒絶をしてしまったのに、彼女は会いに来てくれる。けれど、少し遠慮が見え、私に触れないようにしているようだった。その気遣いは、ありがたかったけれど、同時に気まずいものでもあった。

 その気まずさは、それだけではなくて、彼女が私にしたことによるものだったのかもしれないけれど。

「その、これは言わないいけないことなんだけれど。私がミリアの家に着いた時点で、ミリアの身体は治らないもので、あのままでは遅かれ早かれ死んでいたと思う。だから、魔力融合を行ったんだ。既に成長を終えた状態からの魔力融合だから、深い結びつきは難しかったけれど、それでも回復魔導機の対象になる程度には肉体と魔力が結びついた。だから、ミリアは身体は治すことができたんだよ」

 彼女は私の身体が魔法使いと似たものになったと言った。
 体内の以上に高い魔力濃度はそれが理由らしい。今はあまりわからないけれど、いつか魔法が使えるようになったりするのだろうか。

「そうなんだ。やっぱり、私を助けてくれたのはユキだったんだね。その……ありがとう」

 自分でもびっくりするほど、空っぽな感謝を伝える。
 私は感謝すらできなくなったのだろうか。
 死ぬしかないと思ったその日から、いや、悪意を受け、醜さを再確認したあの日からだろうか、私はなんだか本当に生きている気がしない。折角助けてもらったのに、私は生きてはいないのだ。

「それと、ごめんね。連絡もできなくて。私、本当に何をしていたのかわからなくて」

 私は彼女と連絡を取ることすら恐れていた。いや、助けてもらう価値などないと思っていた。今も、半分ぐらいそう思っている。でも、彼女は私を助けた。助けてしまった。

「ううん。気にしないで。それより……私がずっとここにいれば、こんなことにはならなかったから……それに、魔力融合なんてミリアの許可なくしていいことじゃない。最新の注意を払ったけれど、拒絶反応で死ぬ危険だってあったし、それに……ううん。それよりも、私がもっとはやく、いや、研究所に行かなければ……」

 彼女は悔やんでいるようであった。けれど、そこに私以外の要素はなく、もう彼女の中に過去のことはない。それは前までの私が望んでいたことでもあった。けれど、同時に、今の私が恐れることでもある。

「本当に、ユキが気に病むことじゃないよ。過去のことは、終わったんでしょう? なら、良かったよ。私のことは、気にしないで。本当に。気にしなくていいから。私のことなんて」
「気にするよ。だって私はミリアのことが好きなんだから……」

 久しぶりに聴いた彼女の好意を私は思ったより素直に受け入れてた。
 でも同時に、猜疑心が強くなることから目を背けることはできなかった。

「その。こういうのは、もう嫌かな。ミリアが辛いなら……私は、もう来ないけれど……」
「そんなことは、ないけれど……」

 そう、決してそんなことはない。
 彼女が私に会いに来てくれるのは、とても嬉しいことではある。それは多分、嘘ではないはずだけれど。でも、それ以上に怖い。

「……やっぱり、何かあったんだよね? その、話してみて……じゃないか。えっと。大丈夫……じゃないよね。その。私に何かできること。あるかな」

 ユキは十分してくれている。十分すぎるほどに。
 これ以上私に近づけば、彼女が穢れてしまうと思うほどに。

 多分、私はそれ以上に恐ろしい。
 彼女が私を嫌い、憎むことが。彼らのように敵意を彼女から向けられれば、それによって受ける傷は彼らによって与えられた傷の比ではないことぐらいは、簡単にわかる。わかってしまうから、私は怖い。

「十分だよ。ほんとに。こんなにも、よくしてもらって」
「……うん」

 私が隠し事をしていることは、彼女にもわかっていただろう。でも、私がそれを言うことはない。それを彼女も分かっているから、詰めてはこない。
 話せない。彼女に触れられるのが嫌なんて。そんなことを言いたくはない。多分、彼女はそれも察しているのだろうけれど。でも、それを言葉にしてしまえば、本当に私と彼女の関係は崩れてしまう。彼女を傷つけてしまう。

 多分、こうなってしまえば、私達の関係の理想的な終わり方は、少しずつ彼女から離れて、彼女に私を忘れてもらうことだろう。彼女に嫌われず、彼女を穢れさせず、彼女が私を見なくなってから、死ねばいいのではないだろうか。

 でも、私も心のどこかで願っている。
 願わずにはいられない。
 彼女にまた触れたい。もう独りは寂しい。独りでいることに、私はもう耐えられない。こんなにも独りが寒いものだなんて。

 いつか。またこの恐怖を。
 単純な人への恐怖を克服できるだろうか。
 そうすれば、また彼女に触れることができるだろうか。
 
 でも、それまで私は私を維持できるだろうか。私は早く死なないといけない気がしている。もう誰にも触れられないのなら。早く死んだ方が楽なのではないか。そんな思いが消えはしない。
 そして死ねば、彼女に嫌われ、敵意を向けられる心配がなくなる。そう思えば、死という選択肢は非常に魅力的なものであるように見えた。

 そう。生きていても、良いことなどない。
 私に敵意を向ける彼らがいる限り。この世界にいる限り。安息の地はない。ユキだって、暇ではないし、最悪の場合、彼女も含めて、敵意の対象になるかもしれない。それは私が一番恐れることになる。

「ゆ、ユキは……ユキも私が嫌いになったら言ってね。すぐに消えるから」
「そんなこと……! ありえない。ありえないよ。だって私は、ミリアを」

 愛している。
 そう彼女は言ってくれるけれど。
 そう言われても。私の恐怖は消えてくれない。

「ごめんね」

 だから、私はそう答えるしかなかった。
 何に謝ってるかもわからず、ただそう口にした。

 生きていることにだろうか。
 自分自身にだろうか。
 ユキにだろうか。

 それとも、その全てだったのかもしれない。
 私は謝らずにはいられなかった。

 ユキはそう語る私を、本当に悲しそうに見ていた。
 悲しいのは彼女なはずなのに。

 それからも、彼女は毎日、私の病室に来てくれた。
 多分、彼女は学校には行ってないのだろう。そうでなければ、昼間から病室にくることなどできないはずだし。

 彼女は、病室が暇だろうということで、いくつかの本を持ってきてくれた。毒にも薬にもならないような、平和な小説ばかりだったけれど、それも案外おもしろいもので、暇はしなかった。
 通信機でもあれば、広域情報網に接続することで、もう少し簡単に暇を潰せるとも思ったけれど、それはなかった。彼女が意図的に持ってこなかったのだろう。今は誰かの意思を強く感じるものは見たくはなかったからなくて良かったのかもしれない。

 だんだんと彼女のとの話は、他愛もないものへと変わっていった。けれど、少しの気まずさが消えたわけではなくて。ちょうど、最初に彼女と出会ったときのような、そんな会話をしていた気がする。

「ミリア。今、どんな世界を見てる?」

 ユキは、そんなことをいつも聞いた。
 私はどう答えればいいかわからず、あの時と同じように心が思い浮かべるままに答える。それぐらいの抽象化された話題であれば、気軽に話すことができた。私達の間にある話題など、これぐらいしかないからかもしれないけれど。

「なんだろう。よくわからないけれど……もう荒れた陸地は海の底へと変わっている気がする。そこに、星が降ってきて。そう、その流星が降ってきて。海を割って。粉塵が空へと舞って……でも、暗くなるわけじゃなくて……いや、そうじゃなくて。多分、もともと明かりなんてなくて……」

 言ってて、自分でもよくわからないほどに抽象的な話で。
 でも、そんな話をユキと真面目な顔をして話していれば、なんだか楽しい。その時は少しだけ、私というものを忘れられる気がした。

 そんな毎日であったけれど。
 そうこうしているうちに、退院まであと一日というところまで日付は進む。
 退院はもっと先になる予定だったはずだけれど、私に変化がなさ過ぎて諦めたらしい。それとも、私という厄介な病人を排除したかったのか。

 私は憂鬱だった。ここでの生活が終われば、また敵意に怯える日々に戻ることになる。外での生活は恐ろしい。

「ちょっと。ちょっとだけだけれど、ミリアの世界をわかった気がする。きっとその世界はいつでも深い闇の中にあるんだね。うん。勇気出たよ。ありがとう」

 最後の日も、いつものようによくわからない世界の話をした最後に彼女はそう言った。その時の彼女は、本当に清々しいほどに澄み切った目をしていた。

 けれど、どうしてだろう。
 嫌な予感がした。その目を見て。
 まるで、いつも窓から見ている晴天のように。それが美しいものだとは、はっきりとは言えないものだった。
 そして、その予感が現実となるのは、明日のことになる。

 ユキが人を殺した。
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