破滅少女は溺れない

のゆみ

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第13話 温もりを持って

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 ユキは手紙が届いてから、ずっとそわそわとしている。だからこそ、その原因は明白ではある。かねてから存在している何かしらの計画を実行に移したいのだろう。私はあまりちゃんと理解はしていないけれど、彼女の過去の清算というやつなのだろうか。
 それは過去から逃げ続け、目を背けた私にはできないこと。

「正直、別にしなくてもいいことではあるんだ。研究所と言っても、既に一度破棄されていて、今は暗い会社からしか資金提供もされていないし、移転を繰り返しているから規模も小さい。私が潰さなくても二度と日の目を来る日はこないだろうね。でも、あの場所は、いやあいつらは私にとって恨むべき相手で、苦痛の日々の象徴だから……ミリアと会うまではずっと、それだけを目標に過ごしてきたから……」

 そんなことを語っていた。正直なところよくわからない。でも、彼女の心が過去に回帰しそうになっているのはわかる。それは果てしなく恐ろしい。もしも彼女が過去を見て、過去に囚われれば、私のことなど簡単に忘れてしまうだろう。彼女の中から私なんてすぐに消えてしまう。だから、そうなる前に過去への回帰を止めたいけれど。でも、それは私には無理だ。

 私の力では国家の裏側である魔導研究所に手を出すことなどできないし、それこそ彼女を止めることなど私にはできない。彼女は、今はまだ私に気を使ってか、私と共にいてくれるけれど、過去の清算へと行ってしまうのは時間の問題だろう。そんな気はしている。

 それがわかってしまうから、私は悲しかった。彼女は私を好きだというけれど、それもすべてではないと知ってしまったから。いや、そんなことは最初から分かっていた。人には唯一のものなんてものはなくて、私を好きだという感情も、多く存在する好きなものの1つでしかないことくらいは。
 でも、幸いなことは、ユキの心の比重は、私が一番占めているということだろう。それは流石に疑わなくてもいい、はずだけれど。そんな期待はしてもいいはずだけれど。

 そして、もしも研究所を潰し、過去の清算が行われれば、彼女の心を占めるものは減り、私に向かう心が増える……かもしれない。そうなればいいけれど。そうなってくれるだろうか。
 でも問題は確かにある。過去の清算作業が1日で終わるのなら簡単に我慢できるけれど、それはおそらく時間のかかる行為だと彼女は言った。

「多分、研究所を潰すには1カ月か……もしくはそれ以上かかる気がする。向こうは腐っても魔法生物の研究所だったからね。自衛のための魔法生物兵器は保持してるだろうから、それ次第になるのかな。準備もそれなりにしてきたけれど、そう簡単にはいかないだろうし。最悪籠城戦に付き合うことになるのかもしれない」

 1カ月。流石に長すぎる。そんなに長い間彼女と会えないなんて、嫌だ。そんなに長い間離れてしまえば、彼女の心は私から離れていってしまうだろう。そんな気がする。いくら彼女が否定しても、そんな気がしてしまう。単に私が弱いせいで。
 いっそのこと私も一緒にいけたらよかったのだけれど、それは彼女によって止められた。

「それはできないよ。多分、恐ろしく危険な場所になるからね。ほとんど魔法生物である私はともかく、普通の人間のミリアが来たら、死んじゃうかもしれない。私が守る余裕も、多分ないと思う。だから連れてはいけないよ。それに、前も言ったけれど、当分行く気はないから。心配しないで」

 当分行く気はない。その言葉が嘘であることを私は知っている。いや、知らないけれど、その程度はわかる。彼女は今にも過去の清算へと走り出したいはずだけれど、それをしない。今はまだ、それよりも私への気遣いの方が強いから。
 けれど、そんなことで私が喜ぶと本当に思っているのだろうか。そんな風に我慢して私のそばに居るのは、私がもっとも恐れ、嫌う行為だというのに。

「行きたいんでしょ? その、何かわからないけれど、過去の出来事の決着に」
「ミリア……私は、別に」
「行きたいんでしょ! わかってるよ。私にもそれぐらい! 私が何にもわからないと思ってるの? ずっと何も知らないままだと思ってるの? それぐらいわかるよ! ずっと一緒にいて、見てきたんだから……嘘つかないでよ! 嘘、言わないで……」

 私の叫びに、彼女は本当に悲しそうな顔をして、そして答えた。

「……うん。ミリアの言う通りだよ。行きたい。でも、それはミリアを蔑ろにしてまで行きたいわけじゃないよ。それに、いつでもいけるから。今はまだ行かなくてもいいかなって、そう思っているだけ」

 それがユキの優しさだとしても、私を気遣った発言だとしても、それを私は許すことはできなかった。彼女の心の中に私以外の何かが巣くっているというのは、私には許せないことであった。私だけを見て欲しいというのは傲慢すぎるかもしれないけれど、でも、そんなことを思ってしまう。私は多分、ユキをちゃんと見ているわけではないのに。私は誰も見れないのに。

「……じゃあ、いつ行くの?」
「え」
「私は……私は嫌だ。ずっと、ユキがずっと、よくわからないこと意識しているのは嫌だ。だから、早く精算してほしい。それで、そんなこと忘れて……私を、私だけを見て欲しい……」

 確かに彼女と一緒に入れないのは嫌で、明らかな苦痛だけれど、それ以上に私から心離れつつある彼女を見るほうが私には辛い。しんどい。私を見ない日が増えていく彼女なんて見たくない。そんなユキなら、私はいらない。消えて欲しい。

 彼女は私の言葉を聞いて、一瞬嬉しそうにしていたけれど、すぐに心配そうに私に問う。

「で、でも……ミリアは大丈夫? 独りでも大丈夫? 独りで泣いても、私はその時隣にいてあげられないよ?」
「……むぅ」

 そう言われてみれば、大丈夫ではないような気もする。またしても怪物が暴れだしたときに、私1人ではそれを収めることは難しいだろう。彼女がいない間は、彼女と出会う前のように、怪物と同居しなくてはいけないだろう。暴れる怪物と同居することは、とても恐ろしいことで、またしても深い暗闇が私の世界には訪れることは間違いないのだけれど。前のように暴風が吹き荒れるのだろうけれど。

「……だ、だいじょうぶ……じゃないけど。でも。たしかに大丈夫じゃないけれど……それより、今のユキを見てるほうが大丈夫じゃない……し。だから、だいじょぶ」

 ほんとは今すぐ彼女が私だけを見てくれれば、それが一番良いのだろうけれど、それは無理だし、要求するのも身勝手すぎるというものだろう。だから、行けばいいと言うしかない。こう言わないと彼女は私のそばでずっと過去を気にし続けることになるだろうから。

「……そっか。じゃあ、うん。行ってくるよ。なら、少しの間お別れだね。すぐってわけじゃないけれど。出立は……色々と準備することを考えると5日後ぐらいかな。それぐらいはまだここにいるよ」

 そう彼女は笑った。
 私はそれに上手く笑って返せていただろうか。多分、ちょっと歪んだ顔を向けることしかできていなかっただろう。私は、過去を捨て去ろうとするほど過去と向き合う彼女を素直に賞賛できるような人ではなかった。

「そうだ。それまでにたくさん思い出を作っておこうか。私がいない間も、私の気持ちをミリアが忘れないように。少し大げさかもしれないけれど、でも、私もミリアの温もりを持っていきたいから。どうかな?」
「それは、うん。いいと、思う」

 少し言葉には詰まった。私は思い出より、彼女の心自体の方が欲しかったから。でも、思い出は大切だと思う。それがあれば、怪物も大人しくしてくれるかもしれない。

 思い出というものは、将来的に傷になるかもしれないからあまり多く作ることは危険なのだけれど、そういうことを考える段階はすでにに過ぎ去っている。既にユキとの思い出は、私の中でとても大きなものになっている。これが反転しないことを祈っているけれど。

 そして私達は様々な場所へと行った。といっても、やってること自体は今までとあまり変わらないのだけれど、でももうすぐ1人になってしまうと思うと、それもなんだか寂しく感じた。

 2人で歩く道も。
 2人で見る景色も。
 2人で話す言葉も。

 独りきりになる準備でしかない。
 私はこれから一時的とは言えど、独りになる。それは酷く寂しいものだし、一時的が永遠となる可能性もないわけじゃない。それはとにかく恐ろしいものではある。

 多分私はこれを一種の終わりだと感じているのだと思う。私は最初から彼女を疑っていて、いつかはこの関係が終わってしまうのだと思っていた。そしてその終わってしまうという予感が現実になっているのだろう。この関係が終わったその先に、新しくユキとの関係を築けるのかはわからないけれど、少なくともこのままではいられないのではないだろうか。

 私もずっとこのままで良いとは思っていない。彼女に何も返せていないこの状況はあまりよくないはずだし。つり合いが取れていない気がする。私は彼女から多くのものを貰っているのに、私は彼女に何も返せていない。それは等しい関係だとは言えないだろう。

 それは多分、私が独りでは立つことはできないから。彼女の心を支えにすれば、立ち上がることはできるけれど、それでやっと零の状態で、彼女にあげられるものなど何もないから、等しくない関係なのだろう。彼女は独りでも世界に降り立ち、様々な物を持っているから私に分けることはできるけれど、私にはそれはできないから。

 逆に言えば、私も独りで立てれば、この世界を歩くことができるのなら、ユキにもう少し何かをあげられるのではないだろうか。そうすれば、私は彼女と対等で居られるのではないだろうか。やっぱり、そういう関係でないと長く続かないのではないだろうか。そういう関係のほうが安定しているのではないだろうか。

 ……自分でも驚くことなのだけれど、そんなことを考えるぐらいには、私は彼女とのこの関係を気に入っているらしい。私は意外とユキのことが好きなのだなと、こういう時に思う。だからこそ、崩れることを恐れているのだけれど。

 安定していない原因はやはり私だから、私をなんとかしたいのだけれど。なんとかなるのだろうか。私は自分の足で立つことができるのだろうか。彼女と会うまで、こんなこと考えたことすらなかったけれど。ずっと座り込んでいただけの私だったけれど、歩き始めることができるだろうか。

「結局、あんまり大きなことはできなかったね。でも、楽しかった。ミリアとなら、大したことないことでもとても色鮮やかに見えるよ」
「私も。うん。楽しかった。また、また出掛けよ。2人で」

 まるで永遠の別れのような面持ちでいてしまうけれど、たった一カ月程度の話ではある。そんなに長い期間でもない。でも、確実に短い期間ではないから、私はとても恐れている。 

「明日になれば、私はもう早くに家を出てしまうけれど、この家にはずっといていいからね。それにできる限り毎日連絡するから。多分、本格的に戦闘行為に移行すれば難しくなってしまうけれど……」
「うん。わかった」

 その夜は疲れていた。
 この5日間はずっと彼女といて、どこかへと行っていた。本当に大したことのない場所だった。小さな公園に行ったり、ただの道を散歩したり、夜景を見に行ったり、買い物をしてみたり、料理をしてみたり……もちろん、ただ家にいた時間もあった。そのすべてが本当に何でもない時間だったけれど、それはとても安心できる時間で、多分幸せな時間だった。

 もちろん学校のある日もあったけれど、学校は休んだ。彼女も私もそこまで学校にそこまで行かなくてはいけないという強迫観念はないし、そしてそれを咎めるものもいない。進級のことを考えると、彼女はともかく私はもう少し真面目に授業を受けるべきかもしれないけれど。

 とにかく、色々あって疲れていた。
 でも、この日、私は少し覚悟を決めていた。
 それは変わらないといけないという小さな覚悟への決意表明みたいなもので、ちょっとした勇気でできることで、そして彼女へと私のあげることができる本当に少しのものだった。

「あ、あの。ユキ」

 もう寝ようとしたであろう彼女に声をかける。
 彼女は半分眠たそうにしていたけれど、私のことをはっきり見つめていた。多分、少しの熱と共に。それは彼女の熱だったのだろうか。それとも私の熱が移ったものだろうか。

「ちゅ、ちゅーしようか」

 本当に恥ずかしかった。言ってからも、頭の半分ぐらいでは、どうしてこんなことを言っているのかあまり理解していなかった。でも、正直この時の私はとにかく彼女に与えられるものを探していて、微かに渡すことのできる彼女の求めているものは、私自身しかなかった。

 彼女の顔をまともに見つめることはできない。恥ずかしくて。自分でもわかるほど、顔が熱い。夏でもここまで熱くはならないとおもうほど、熱を持っていた。熱が私の思考を狂わせる。弱くして、薄っすらと怪物が現れる。

「い、いやだった……? 嫌だったよね……ご、ごめっ」

 あまりにも長い静寂の時間に耐えきれなかったのは私の方だった。本当に勇気を出したことではあったけれど、考えてみれば彼女だって、それなりの心の準備というやつが必要になるはずだった。
 私がこれを思いつき、実行に移すためにかなりの時間を要しているのだから、彼女にだって準備をする時間が必要なはずだろう。そんな簡単に受け入れてもらえるという考え自体が非常に浅はかで愚かなものであると、どうして私はきづけないのだろう。
 私はもう泣き出しそうだった。恥ずかしいやら、浅ましいやら、苦しいやら、悲しいやら、もうわけわからなくなって、自らの寝床へと逃げようとした。

「ま、まって!」

 それを止めたのは彼女で、彼女は私の手を握った。逃げることもできず、恐る恐る彼女の顔を見れば、彼女の顔も赤に染まっていた。私から移っただけに見えた熱は、強烈な彼女の熱と混じっていた。どこか冷静な私が、彼女の大きすぎる熱に対して、私の熱はどうしてこんなにも小さいのだろうと疑問を覚える。

「い、いいの?」
「……うん」

 そして私とユキは唇を重ねた。
 ほんの一瞬。少しだけ。ただ触れ合うだけだったかもしれない。
 そして、はにかみ。

「ミリア、ありがと」
「……うん」

 ユキは私でもわかるぐらい喜んでいた。喜んでくれたなら良かったけれど、同時にとても恥ずかしいということは変わらない。本当は、もっと先までできればよかったのかもしれないけれど、まだそこまで私は彼女に与えられない。今の私にはまだ、そこまで勇気はない。

「その、じゃあ、私、寝るね。おやすみ」

 私はもう耐えられなかった。自らの熱で私は押しつぶされそうで、私は寝床の中へと逃げ込んだ。

「うん。おやすみ」

 背中で彼女の声が聞こえる。
 その声は本当に嬉しそうで、勇気を出してよかったと思った。そして私の中にも同じように暖かな熱があることに気づかないほど私は鈍感ではなかった。またいつか、いつの日か同じように暖かくなれる日を待ち望んいる私がいることにも、私は気づいていた。
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